遠征Ⅰ シンリ

第21話 伝説の聖女

 テラは、シンリに到着後ジンジンと痛む足を氷で冷やすと、気持ちよさと疲労感からいつの間にか深く寝入ってしまった。エスプリの話は、衝撃的で本来なら逆に寝付けないはずだが、泥濘の森がテラの体力を激しく奪っていたからであった。 

 朝になり小さく固いベッドの上で目覚めると、自分が何処にいるのか一瞬迷ってしまった。

 だが、上を見て此処が遠征先であることを直ぐに思い出した。テント内の天井は、木の梁と白い布でできていた。

 「いけないわ。早く起きなければ」と、焦る気持ちと裏腹に気怠い体を目覚めさせるべく、ベッドに臥床したまま伸びをした。

 「うっ、い、痛~い」

 全身のいたるところが痛い。バキバキの筋肉痛。

 前世では、子供の頃に幾度も経験した。学校のマラソン大会や山登りの後、初めてスキーを恐る恐るした後などに。

 だから、痛いけど何だか懐かしい気がする。

 この世界では伯爵令嬢として過保護に育てられたために経験しなかった。いや、思い返すと無いこともなかった。乗馬の練習を始めたころ、「痛い」と言ったら、直ぐに兄が魔法で治してくれた。

 あの時は、シャーリンの白く美しい姿に惹かれて、乗馬の練習を始めた。両親も魔法力のない私の移動手段としてまさかの時に役立つだろうと、許可してくれたのだった。

 そういえば、シンリに到着してからまだシャーリンに会っていない。昨日は、眠ってしまい、団員たちのテント近くに作られた馬小屋まで行くことが出来なかった。

 それにしても、昨夜、何か大切な夢を見た気がする。だけど、どのような夢だったのかはっきりと思い出せない。気になったが、深く思い出すことは止めた。

 

  身支度を整えたテラは、テントの外に出た。昨夜は疲れていたからなのか気付かなかったが、すぐ近くに小川が流れていた。

 やはり、夢の中でせせらぎの音を聞いた気がしたのは、間違いではなかった。


 前世の記憶が残っているテラは、幼いころから魔法力はないが、直観力には優れていた。何かが起こる前に早々に気が付いたり、正夢・予知夢といった類のものを見ることもしばしばあった。

 ただ、小川のせせらぎは、寝ながら耳に入っていただけなのかもしれないが。


 ちゃぷん、小さな音と共に水面に波紋が広がった。水中のテラの白い足が揺れて見える。

 ほど良い冷たさで気持ちがいい。両手でその水を掬い顔を濡らす。

 「ご令嬢、その水は、」と、不意に背後から慌てる男の声が響いた。

 滴り落ちる水を拭いながら振り返ると、昨夜氷を届けてくれた魔法団のコールドだった。

 「ごめんなさい。私、また何かしてしまったかしら」

 「・・・」コールドがテラを見つめたまま呆然としている。

 「あのう、」

 「あっ、申し訳ありません。ただ、この川の水は濁っていて使用されるには如何かと」と、言いながら川に目を遣ると再びコールドは続く言葉をなくした。

 小川の水は透き通り川底の不揃いな石の形も鮮明に見えた。

 「いえ、私の見間違いのようでした。失礼しました」と言い、首を左右に傾げながら訓練中の他の団員たちのもとへと戻っていった。

 テラは、これほど清らかに流れる水をどうして見間違えたのか不思議だったが深くは考えなかった。それよりも遠目からでもわかる団員たちの機敏な訓練の様子に感心していた。

 「私は、昨日の影響で体中が痛むのに流石ね。男女の違いがあるとは言っても、きっと日々の訓練の成果なんだわ。私もじっとしていられないわ。まずは、シャーリンに会いに行かなくっちゃ」


 テラのもとから戻り訓練を再開したコールドが、汗を流しながら訓練相手のドラニスへ声を掛けた。魔法団の早朝訓練は二人一組で体力と魔法双方を鍛えるものだった。

 「なあ、昨日あの小川の水は濁ってたよな」

 「ああ、だから令嬢が顔を洗うのを止めに行ったのだろう」

 「そうなんだがー」

 「どうしたんだよ。はっきり言えよ」と、ドラニスが高く跳びあがり炎を放ちながら言った。

 その炎を、コールドが氷の魔法で防御しながら答えた。

 「それが、綺麗だったんだ」

 「綺麗とは、令嬢のことか。確かに美しいよな。あれで紋様に光があったならな」

 「ああ。女神様のようだった。あっ。いや、水が透き通っていたんだ」

 刹那、炎がコールドを直撃した。衝撃で跳ね飛ばされたが、保護魔法のかかっている制服の効果で怪我はなかった。地面にへたり込むコールドにドラニスが攻撃を止めて言った。

 「はあ~。俺も昨日水の濁りを確認したが、ありえない。あれほどの汚い川が一晩で清められるなんて。相当な魔法力の者でも不可能だよ。伝説の聖女ならあり得るかもしれないが」

 

 伝説の聖女とは、遠い昔の言い伝えだった。この国の創成期、大地も人も傷ついた状態。そのような中で、慈愛に満ち全てのものを清める力を持つ聖女がいた。その聖女によって大地も人も精気を取り戻し幸せへと導かれたという。だが、聖女について記された書物はなく、単なる言い伝えでありお伽話という扱いで伝説の聖女といわれているのだった。

 その伝説の中で聖女は、一晩で澱んだ川の水を清い水へ変えたという。


 「なあ、もしかして今も聖女はいるのかもしれないな」と、コールドがぽつりと言った。

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