古の森

第12話 出発の朝

 キリア伯爵家では、侍女たちが早朝から忙しなく働いていた。もう間もなく来訪予定であるデレク皇太子殿下に粗相があってはならないと、準備に余念がなかった。

 庭の石像まで磨く侍女を見たテラは、流石にそこまでしなくても良いと思ったが、口に出すことは控えた。彼女なりに侍女としてのプライドもあるのかもしれないし、何より急遽決まった予定にもかかわらず真摯に対応してくれているのだから。 

 

 テラがウルジルに訪れた際にデレクと再会したのは、一昨日のことだった。デレクは、疫病などが拡大しているシンリと事なきを得ているウルジルの対策の違いを具体的に知るため、魔法団が再びシンリへ赴く際に村人の帯同を命令した。

 だが、村長は魔法団と、ましてや皇太子殿下と帯同できるような優れた人物が村にはいないと震えながら恐る恐る訴えた。村長の気持ちも理解できた。村人にとっては恐れ多くて任務を遂行する以前のことなのだと。

 「私でも宜しいでしょうか」

 テラの言葉にデレクと村長は、驚きの表情を見せた。当初は、伯爵令嬢であるテラの帯同は論外であると言っていた二人だったが他に術がなかった。

 そして、皇帝が執り行う議会においてテラの帯同が議論されたのだが、前代未聞のことで帯同命令が下ったのは昨夜遅くになってからだった。


 「なあ、テラ。本当に行くのか。今からでも辞退を、」と、落ち着きなくシリウスが話しかけた。

 「いいえ、お兄様。先程、いつもよりも強く保護魔法もかけてくださったではありませんか」

 「いや、でもやっぱり心配だよ」

 「お兄様、デレク殿下もいらっしゃるのですから」

 「そうだ、シリウス。僕がテラ嬢を必ず守ると誓おう」と、背後から不意に聞き覚えのある少し低めの声が響いた。慌てたテラが髪を風になびかせながら振り返ると、いつの間に訪れたのか微笑むデレク皇太子がいた。濃紺の魔法団の制服がとても似合っている。その麗しい立ち姿にテラは、つい我を忘れ見とれてしまった。

 「デレク皇太子殿下にご挨拶します」

 父の声に我を取り戻したテラは、恥ずかしさを隠すために緩んだ口元をきゅっと引き締めた。

 その後ろから、キリア伯爵家で長年執事を務めているリールが、息を切らしながら申し訳なさそうにやってきた。普段なら抜かりのないリールだが、デレク殿下の素早い動きに主への殿下到着の知らせが間に合わなかったのだ。

 「私、付いて行けるかしら」と、心の中でテラは呟いた。

 

 「テラ、気を付けていくのよ。殿下や魔法団の方々にご迷惑をおかけしないようにね。安全を祈っているわ」と、キリア伯爵夫人であるシェリーは愛する娘をしっかりと抱きしめて言った。


 「行ってきます」

 テラの両肩にデレクの手がそっと添えられると白い霞の中を眩い光の柱が貫いた。

 その光と共に二人の姿は瞬く間に消え去り、後には静けさが漂った。


 「行ってしまいましたね」

 「ああ、もうシンリに向かう森の中だね」

 両親の言葉を聞きながらシリウスはポケットから小さな水晶を取り出し見つめて頷いた。水晶には森の中に佇む愛おしいテラの姿が映っていた。出発前に保護魔法と共に追跡魔法も仕込んでおいたのだった。

 「可愛いテラ、いつでも見守っているからね」

 キリア夫妻はシリウスを見つめて少し困ったような顔つきで言った。

 「シリウス、シスコンを通り過ぎてストーカーみたいよ」

 「ああ、本当に心配なのはシリウスの方かもしれないな」

 水晶を見つめ微笑むシリウスに両親は、自分の息子ながら引いた眼差しを投げかけたのだった。

 

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