第6話 庭園の奥で

 庭園の最も奥に位置する池の水面が、風に煽られ高い波が立ち上がった。


 「少し強過ぎたか。風のコントロールとは、なかなか難しいものだ」

 その声の主はこの国の皇太子であるデレクだった。

 デレクは度々、人が立ち入らないであろうこの場所で、こっそりと魔法の訓練を行っていた。

 今も妹である第三皇女セシリアのデビュタントが開催中であるが、皇太子としての挨拶など最低限の役割を果たした後、令嬢たちに取り囲まれる前に素早く会場を抜け出した。会場を抜け出す際にキリア伯爵家のシリウスが令嬢たちに取り囲まれる様子を見て「機を逃したな」と、哀れに思った。


 「あのような場所に人影が見えるとは、」と、デレクは池の辺を注視した。

 その視線の先ではテラが池の縁に立つ木の枝にしがみついていた。

 枝の先にはテラが母から譲り受けたばかりの首飾りが水面の光を反射するように輝いていた。代々、母から娘へと受け継がれる貴重なもの。

 「あともう少し。あと少しだわ。」と、テラは池に落ちない様に枝にしっかりとしがみ付き、もう片方の手を伸ばした。テラの指先は、何とか首飾りに辿り着き掴み取ることが出来た。

 テラは、握りしめた首飾りを見てほっと安堵の息をもらした。 

 だが、同時にミシッという嫌な音が響きテラの体は、掴まっていた枝と共に宙に投げ出された。

 「きゃあー」恐怖で目を閉じたテラは、体が重力のまま落ちていくのを覚悟した。

 「くっ、間に合わないか。いや、あれは」と、テラの方へ駆け寄りながらデレクが声を発した。


 「あれ、落ちてないわ」と、少しの間を置いてから目を開けたテラは自分の置かれている状態に目を白黒させた。テラは何故知らない青年に自分が抱えられているのか全く持って理解不能だった。それも所謂お姫様抱っこである。

 「テラ、大丈夫か」

 シリウスの慌てた声が、聞こえた。シリウスは、令嬢たちに取り囲まれながらも何とかホールから抜け出しテラを探していた。

 そして、テラを庭園の最も奥深い場所でやっと見つけたのだが、目に映るその様子に険しい表情で怒気を含ませながら叫んだ。

 「いくら皇太子殿下であってもこの様なことは、許されません」

 「えっ、皇太子殿下、、、えっ、えっ」

 慌ててテラが見上げると殿下と目が合った。テラは卒倒しそうになったのを何とか堪えた。デレクも我に返ったように「ああ、」とだけ言い、ゆっくりと抱きかかえていたテラを足先から地面に降ろした。テラは気を取り直すと、レディらしく礼の姿勢で皇太子に向き合った。

 「皇太子殿下、この度はお助けいただき有難うございます。また、私と兄の非礼をどうかお許し下さいませ」

 「いや、元はと言えば私のせいだからね。こちらこそ謝らねばならないんだ」

 「えっ、」テラは皇太子殿下の言葉の意味を理解しかね二人の間にしばらくの沈黙が漂った。

 「お二人とも私の存在をお忘れですか。これはどういうことなのですか」

 「お兄様、殿下は私が池に落ちるところを助けて下さったのです」

 「なぜ池に落ちかけるようなことに」と、シリウスは困惑の表情を見せた。

 「そ、それは。ごめんなさい枝にしがみついていたら。詳しくは後で説明します」と、顔を赤くしたテラが答えた。

 「はあ、デビュタントの日に、、」シリウスは過去にもテラが木に登ったり高く跳ねて枝につかまろうとしていたことを思い出した。

 そして、先程まで怒気と困惑を滲ませていたシリウスは、冷静さを取り戻し皇太子であるデレクに礼の姿勢を取り詫びた。

 「申し訳ございません。妹のテラを危険からお救いくださったのに、何と申し開きしてよいのか。非礼の数々に対する処罰をお受け致します」

 「いや、私が助けたのではないよ。まあ、私の元にそちらのレディが飛び込んで来られたのを受け止めはしたけどね。それにもとはと言えば風をコントロールできなかった私が悪かったのだし、処罰などはありえない」

 「ご厚情ありがとうございます。でも今日に限って保護魔法をかけてやっていなかったのですが。やはり、皇太子殿下がテラをお助け下さったのでは」

 デレクはテラの額に光が無いことをそれとなく確認したが、表情を変えることなく「君がテラか、いつもセシリアから聞かされている。これからもセシリアを頼んだよ。それでは、私はこれで失礼する」と、述べてその場を後にした。


 こうして、短くて長いテラのデビュタントの一日が終わったのだが、この後にシスコンのシリウスが、更にテラに対して過保護となるのは必然のことであった。

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