≪勇者≫と魔女

1

 そうして、朝、昼と生徒の対応をしていたためか、あるいは警戒を忘れていたのかもしれない。

 天峰香珠妃に指定された特別教室に入ったとき、騙されたことに気づいた。

「教師が嘘をついていいのか?」

「どうしてそう思うの?」

 三〇人分の机が規則的に並ぶ教室に居たのは天峰香珠妃、ただ一人。夕暮れの朱色が差し込む窓に背を預け、立っていた。

「伝言ならまだしも、クラス担任でもない先生が、俺に関する書類がどうこうと、直接指図するのはさすがに無理がある」

 そう言うと、得心したように彼女は頷いた。

「ごめんなさい、こうでもしないときみと二人きりなんてできないと思ったの。きみと話したかったから」

「俺に?」

「あなたが≪勇者≫だから」

 通陽は違和感を覚えた。

「天峰風姫だって、≪勇者≫だろう?」

「そうね。正確には風姫ちゃんじゃない≪勇者≫とお話したかったの」

「それはまたどうしてだ?」

「≪魔王の蛹≫に関して、密告をしたいの……もう一歩進んでくれないかしら?」今までと打って変わって、淡泊にも感じる声で告げられる。

「……なるほど」

 真偽や手段はさておき。天峰香珠妃は、どうやら天峰風姫と親しい誰かが、≪魔王の蛹≫であると踏んでいるらしい。

 個人としての通陽は保護局への連絡を勧めたいところだが、≪勇者≫が情報を真剣に取り扱わなかったと思われるわけにもいかないため、歩を進めると、背後の扉がしまった。

「ありがとう……それでね」

 彼女は振り返る。窓辺から差し込む血のような朱色を背負った彼女。ふわりと髪が翼のように一瞬だけ翻り、その唇から紡がれたのは――


「わたしを殺して」


 香珠妃の願い事は、ぼとりと通陽の足元に転がるが、通陽はその八音の情報に戸惑った。

 ……天峰香珠妃は自身が≪魔王の蛹≫であると、知っているっ?

 突然の事態に、考えがまとまっていないところで――

「どうしたの、神谷くん?」

 香珠妃の声に、通陽は考え込んでしまっていたことに気づく。

「あぁ、いや」自分らしくない、前置きを挟んでから「流石に、考えもしてなかった」と、ようやく言葉を絞り出す。

 そう、この香珠妃の願い事は完全に通陽の予想の外。

 ……風姫が香珠妃に対してリークした? 

 その疑念が一瞬脳裏をかすめたが、すぐに棄却する。そうだと仮定するなら、朝にした質問に彼女は的確に答えを言い当てていたはず。しかしそうでなかったことから、風姫は<キンドレド>の真実については知らないということになり、同時に香珠妃にも真実を語れるわけがない。

 ……なら、どうして天峰香珠妃は殺してなどと言う?

 だが、これ以上黙っているのも都合が悪い。

「……理由もなく、殺してとは≪勇者≫に対して失礼すぎないか? ≪勇者≫は殺人鬼じゃない」

 天峰香珠妃の真意を探るため、挑発するように通陽は目でも問うた、わけを言え、と。

「それなら簡単よ」落ち着いた微笑を浮かべた香珠妃は淡々と語る。「わたしが≪魔王の蛹≫のはずだから」

「なるほど」通陽は首肯しつつ、言葉を選ぶためそっと視線を外して、唇を舐める。

「≪魔王の蛹≫であるというなら、早く施設に行って、検査でもしてくれないか?」

 無論、彼女が≪魔王の蛹≫だと判定されることはない。だが、香珠妃の前にいるのは、世間一般に知れ渡っている≪勇者≫の神谷通陽なのだ。だから、あくまでも常識を並べる。

 が、

「それならば、昨日も行ったわ」こともなげに、香珠妃は答える。

 ……あのときか。

 通陽は、昨日彼女とすれ違ったことを思い出す。貞時が局長を務める場所は、≪魔王の蛹≫かどうかを検査する施設でもあるからだ。

「だとしたら、結果は白だったんだろう?」

 黒(≪魔王の蛹≫)という結果が出てしまえば、世間から隔絶されるため、こうして会話することは不可能と言外に告げるが、香珠妃は頭をふった。

「でも≪エクセプション≫なら? そして≪魔王の蛹≫は自殺は厳禁……もし自殺をしようとしたら、自分が死ぬよりも早く≪魔王≫になってしまうから」

 彼女の言う通り、≪魔王の蛹≫になった者はその生命を自ら断とうとすると、強制的に羽化する。十数年前、実際に自殺しようとした≪魔王の蛹≫により一つのセクターが滅びかけたことからも、≪魔王の蛹≫の自殺は禁忌となっている。

 ……少しみえてきたな。

「先生は自分が≪エクセプション≫だと考えてるということか」

「ええ、だから殺して欲しいの……かといって、風姫ちゃんにはお願いできないし……」

 そうして懇願する香珠妃には、今朝会った陽気でまだ学生気分が抜けていない、若い少女のような女教師の雰囲気が消えている。そこにいたのは修道女のような厳粛さと、死期を悟った諦観が宿った瞳をもつ、大人の女性だった。

 ……おおよそ状況はつかめたな。

 通陽は香珠妃へと近づいていき、学生服の懐に忍ばせていたセカンド・ブレードのナイフを引き抜く。その鈍色の刃を目にした香珠妃の瞳は、驚きを浮かべるよりも、安堵の色が灯った。

 無言のまま、彼女に詰めより、手を伸ばせば届くという距離にまで来たところで通陽は短剣をおもむろに突き出し――


「そんなこと、できるわけないだろ、先生」


 香珠妃の眼前で刃が止まり、ほんの数本の前髪だけが、はらりと舞った。

「どうして?」と、目の前に刃の切っ先があるにもかかわらず、凶器の向こうにいる通陽を見つめながら香珠妃が問う。

「どうして、か」

 思わずという具合に微苦笑が漏れる。

 香珠妃は期せずして真実を言い当てて、それを通陽も知っている。そして香珠妃の知っている世界の法則ならば、彼女自身は死すべき人間で、通陽は香珠妃を殺さなければならない者なのだ。

 だが、残念ながら真実は違う。

 香珠妃は殺されるという未来は変わらないものの、人類という種の存続のために、『少しだけ』人を殺してもらわなければならない。そして、彼女に死を与える≪勇者≫についても、メインプランは、天峰風姫が担う予定になっている。通陽はあくまでも保険だ。

≪エクセプション≫であることを理由に、≪魔王の蛹≫ながら普通の生活し続け、ある時≪魔王≫となり、数千人規模の人間の魂を吸った上で、≪勇者≫の妹に殺される……それが彼女に敷かれたストーリー。書き換えはできない。

 天峰香珠妃という人間の主張や意志、権利……尊厳を踏みにじるようなものだとしても。

「そんなのは簡単な話だ」嘆息混じりに吐き捨てて、通陽はセカンド・ブレードを懐にしまい込んで、後ろに下がる。

「先生は自分が≪エクセプション≫であるというけれど、それを第三者は理解できない。だから先生を殺せない」

 どこか空々しいと感じている自分を押し込めて、通陽は続ける。

「そもそも≪エクセプション≫は滅多なことでは生まれない。どうして先生が≪エクセプション≫であると信じられる?」

「つまりきみはわたしを、『≪エクセプション≫であるという悲劇を背負ったヒロインだから、有名な年下イケメン≪勇者≫に殺されたい』っていう自殺願望を持つ、ミーハーで誇大妄想癖のあるかわいそうな女教師だって言いたいんだ?」

「…………その例えについては、一言も二言も言いたいが……ニュアンスはあってる」

「だったら、神谷くんがわたしを≪魔王の蛹≫だと認めてくれたら、殺してくれる?」

 少女のような大人の女性のような、曖昧な微笑を浮かべながら、問われる。

 そこで通陽は「いや」と答えようと思った、がすぐに思い直す。

 この状況下で通陽が香珠妃の申し出を拒絶するのは明らかにおかしい。

 世界の一般的なルールでは、見つけられた≪魔王の蛹≫は殺さなければならない。<キンドレド>というシステムで見つけられなかったのだしても、≪エクセプション≫であるという確たる証拠があるというのならば、人命最優先の≪勇者≫は見過ごすわけにはいかないからだ。

 ここで否定するのは、逆に違和感を生みかねない。

 なら、そうだ、と頷くのがいいと思った時――


 はっきりと、恐怖した。


 ……どういうこと、だ?

 目の前にいるのは、多少身長は高いものの、華奢な身体の女教師一人。

 だが、瞳から放たれる圧が、尋常ではない。決死とでも言おうか、その純粋な意志の重みと、全てを見通すような狡知さを併せ持った、今まで生きた中でも見たこともない瞳の光。だから出かかった言葉が、口の中で消えた。

 天峰香珠妃という女教師は陽気な少女でも、嫋やかな女性でもなかった。

 魔女。

 それが彼女の正体。

 ゆえに安易に頷いてはいけない。もしそうしたら、得体の知れないモノとの間に契約を取り交わすことになる。

 一瞬間だけ躊躇した。が、通陽は自分が何者かを思い出す。

 ……俺は≪勇者≫だ。

「いいだろう。先生が、≪魔王の蛹≫であると俺に証明できたなら……先生を殺す、これでいいか?」

 ……あんたが何を言おうと、≪魔王≫になるまで、否定し続ければいい。

 腹の中の決意までは隠しながら、通陽は香珠妃に応じた。

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