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「≪魔王の蛹≫が羽化したら、対抗できるのはお前だけだ。数万の命を守れるからこそ、もし事態が起こったら、正確な判断をしろ」

「あなたは、そうしてきた……ということですか?」

「……そうせざるを得なかったというのが正しい」


 眩しい物から目を逸らすように、通陽は答えると、風姫の方でもその感情を推し量ったのか、沈黙が返ってくる。

「恐れたか? それとも自分ならすべてを救えるとでも言うつもりか? ならばさっさとそのディトランサーを渡せ。お前と違って、それは換えがきかない」

 彼女の肩にかけてあるバッグに目を向けながら通陽は手を広げる。と、風姫は挑むような毅然とした面持ちで、通陽を睨み返す。


「み、見損なわないでください」

 ディトランサーが入っていると思われるバッグを強く握りしめて、抵抗を示す。


 ……ただの理想主義者の≪勇者≫、というわけではないということか。


 今回はこのぐらいでいいだろう、と通陽は少し表情を緩める。

「悪い。今のはお前の覚悟がどれほどかを試しただけだ」


 と、通陽が内心満足しているそばで、風姫がまだこちらを見つめていることに気づく。

「なんだ?」

「やはり、あなたはすごいです」

 会った時と同じ、尊敬に満ちた眼差しで通陽を見上げており、通陽は彼女に対しては初めて驚きを感じた。


 ……どうしてそんな目で俺を見る?

「あなたに師事できること、あらためて、うれしく思います」


 どこまでも真っ直ぐな瞳から逃げるように。

「ところでどうでもいいが一ついいか?」話題を替えることにする。

「どうしましたか?」


「なぜお前は学校などに通ってる?」

「……どういう、意味でしょうか?」

「どういう意味もなにも。そもそもお前は≪勇者≫となり、将来的にもなんら不安のないキャリアを手に入れた。というのに学校に通って、お前は一体なにをしたい?」


 通陽の問答に、身をすくめる風姫。時折、「あ……あの」という意味のない言葉が漏れるなかで、辛抱強く通陽は待つ。そうすると――


「……それは……私が守るべき人たちを知っておきたかったからです」

「なに?」


 糾弾するかのように聞こえたのか、風姫は少しだけまた肩を震わせるが、なお通陽の方を見据える。

「≪勇者≫になったから……こそ。わたしは、わたしが救うべき人々を、知りたかったんです。そこに地続く人の営みを知るべきだと……そう思ったので」


 途切れ途切れの言葉に、それでも確固たる意志を滲ませて語る風姫の姿に唖然としたのは通陽のほう。


「あの……問題でも、ありますか?」

「いや」と言葉を止めて、首を横にふる。


「ただお前は、≪勇者≫になるにはあまりにも……純粋すぎる」

「それは……あの。≪勇者≫には向いていない、ということでしょうか?」

「ある意味な」


 世界の真実をはなから知っていた通陽と異なり、彼女はまだなにも知らないところにいるからこそ持つ煌めきなのだろう。


 ……先が思いやられるな……

 彼女のこれからに、ほんの僅かばかり同情心を抱いたときだった。


「不純異性交遊~、はっけーん」


 ふわりと、春の日差しのような温かい声が傍らから届いた。その声を聞いた風姫が勢いよく首を横に向けて上ずりながら、


「ね、姉さんッ!?」

 ……天峰風姫の姉……ということは……。


 内心の気まずさを押さえて、通陽は振り向く。

「あれ、君は?」

 同時に、彼女もまた通陽の顔をまじまじと見つめ返すのだった。


 勤務であるからか、今日の香珠妃はスーツにタイトスカートといういで立ちだった。そんな彼女は、んー、と人差し指で顎に手をあてて、思案するように一秒ほど目を瞑ったあと。顎にやっていた指をピストルの形につくって、通陽を指す。


「昨日、わたしと会ったの憶えてるかしら?」

 ……やはり、憶えていた……か。


 不本意だったが、あれだけ至近距離で目があってしまったのだから、当然といえば当然かもしれない。が、ここで首肯するとさらにややこしい話がでてくる。


 どうして、通陽は彼女を見つめていたのか?


 知る機会などあるわけがないのに、必要以上に彼女を見つめた。そこを不審がられる可能性はある。だから――


「そうだったか?」と、素知らぬ顔をする。


 それを聞いた香珠妃は一秒ほど無表情で見つめ返してきたが、やがて眉を潜め首を傾げて「あれ、憶えてないんだ?」と不思議そうに呟く。


「まあいいわ……それよりも、こんな朝早くに逢い引きって。風姫ちゃんも隅に置けないわねー、このこの」

「も、もうからかわないでくださいっ、私と神谷さんは姉さんが考えてるような関係では――」


「そうなの? ていうか、神谷さんって? もしかして、≪勇者≫の?」

「ああ、その≪勇者≫の神谷だ」


「やっぱり。それで、二人は何してたの?」

「ああ、天峰に校舎案内をお願いしてた」

「天峰……ああ、風姫ちゃんのことね」


 これは、通陽も失言したと思った。両方共同じ名字であるためやりにくい。


「昨日、突然連絡があったときは驚きましたが」

「ふーん。そういう体というのでも」いたずらっ子のような、好奇心むき出しの瞳。

「ないな」


「そっかそっか。それにしても、すごいわよね、この状況」

「どういう意味だ?」


「だって、≪勇者≫って結構珍しいじゃない? なのに、私の目の前に二人もいるんだもの」


 確かに、と通陽も内心それには同意をする。セクターに一人いるかいないかが常識である≪勇者≫が、こんな近くに二人もいるということ。それは彼女の言う通り、珍しいと表現するのが合っている。


「俺の場合は事情があって、天峰……風姫へ会いに来た」

「事情?」


「≪勇者≫の教育だ。成りたての≪勇者≫しかいないセクターで、≪エクセプション≫が羽化すると、大変危険だ」


「確かにねぇ。風姫ちゃんが、≪魔王≫と戦ってる姿、お姉ちゃん、想像できない」

「も、もう……姉さん……私はちゃんと戦えます」


「さっき、選択を大きく失敗したのは誰だったか」

「それは――」

「という具合に、≪勇者≫の教育課程で抜けてることはあるので、常時付き添って教えられる俺がここに来た」


「そういうことね、納得納得……あら? そろそろ生徒たちが来てるわね」

 香珠妃が後ろを振り向くと、彼女の言う通り、まばらに生徒……五階なので、通陽や風姫にとっては上級生にあたる学生が教室に入っていくのが見えた。


「あの、校舎案内は」

「これ以上は必要ない。もともとお前の認識を測るためだったからな」


「わかりました、では教室まで行きましょう。それでは、姉さん……ひとまずここで」

 風姫が歩き出し、それに伴って歩こうとした矢先。


「あ、そうだ神谷くん」

 足が止められる。


「まだなにか? 別にあんたの妹を誑かそうとは思ってないが?」

「もう、そうじゃなくて。あのね、転校時の手続きで書類に不備があったのよ」


「書類に……不備? すでに受理されているはずだが?」

「うん、そう。もっともすっごく細かいところなんだけどね」


「だったら、職員そっち側で処理してくれないか?」

「それができたら苦労しないわよ、ほんとうに」香珠妃はぷくっと頬を膨らます。


 ……スーツを着てる人間がする仕草じゃないな。

 内心に思っていたが、口には出さず、代わりに両手を挙げる。大人の面倒なルールは承知しているつもりだ。


「今からあんたと一緒に職員室に行けばいいのか?」

「いいえ。書類は放課後に、二階の特別教室で直してもらうので結構よ」

「放課後?」なぜ、そんな時間帯に? 細かいと言うには時間を設ける必要がわからない。


「ほら、だって。朝もお昼もきっとあなたは大変だと思うから」と、ぴっと両手の人差し指を横に向ける香珠妃。


「いったい、どういう――」意味だと思い、彼女が示した方向に目を向けると。


 学生による人だかりができていた。


「わ、本物?」「ええ、どうしてこんなところにいるの?」「そういえば、神谷様って、このセクターの出身だって聞いたことある」「あれ、制服着てるってことは、ここに通うってこと?」


 などなど、学生たちはそれぞれ思い思いのことを口にする。


「ほら。みんな君のファンよ?」

「あらためて、凄いですね……神谷さんって」

「…………」


 その後、香珠妃の言う通り。朝も昼も、通陽は学生たちの対応に迫られるのであった。

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