≪勇者≫と新人≪勇者≫

1

 早朝。


 学園の制服の上に、狼を彷彿させるようなファー付きの黒いコートを羽織った通陽は、ロボタクシーの中から町並みを眺めていた。


 ……まったくもって、どうしてまた学校なんてものに通ってるんだ、天峰風姫は……。


『宇宙人』の到来以来、学歴というものは事実上、消失した。さらにいえば、天峰風姫は≪勇者≫という、生涯を支えるようなキャリアを手に入れている。

 そのため学校に通うというのは、通陽からすれば酔狂の発想としか思えなかった。


 ……その辺り、天峰風姫はどう考えてるのか……。


「おおよそ三〇秒で目的地に到着します」

 アナウンスが入ったのち、きっかり三〇秒後に停車。通陽はロボタクシーから降りた。

 住宅街の中に、家々を割って入るような形で、その校舎は建てられていた。


 白を基調とした、清潔そうな……そして普遍的な建物。有り体に言えば、特徴がない、無個性の建築物だ。


 その校門を背を向けて、瞑目する少女がいた。

 男が着ていてもおかしくなさそうな、紺色のロングコートに身を包んでいたり、口を固く結んでいる様子や、無駄のない立ち姿は、二世紀以上前の軍人を彷彿させる。


 しかし、傍目から見ても滑らかそうな、毛先で切りそろえられた黒の長髪、高い鼻や整えられた細い眉。ほっそりとした顎のラインに、白い首筋、そして白魚のような指。それらが、男性性を打ち消し、同世代とは思えないほどの凛とした女性像を作り上げていた。


 ……間違いない、やつだ。


 彼女の肩にかけられた、細長いバッグを認めて通陽は確信する。おそらくバッグに入っているのは、彼女用のディトランサーに違いない。

 わざと足音を立てて近づくと、彼女との距離が残り三メートルを切ろうとしたところで、少女の瞼が持ち上がり、通陽はその黒い瞳と出合う。昨日、局の資料で見たものと同じ、生硬な瞳。


「天峰……風姫、だな」

 ほんの僅かばかり視線を下げて、通陽はそう訊ねる。その問いかけに、こくんと頷き、開口――


「おはようございます、神谷『様』!!」


 昨日、経歴書で見た写真からは考えられないような輝いた瞳がそこにはあった。気圧される形で通陽は一度黙した後、ため息まじりに呟く。


「……天峰、最初に言っておくことがある」


「なんでしょうか?」


 少し興奮気味にもみえる風姫に対して、一言。


「俺のことを呼ぶときは『様』を外せ」

「え? それは……」


「風評の問題だ。そんな風に俺が呼ばせてると周囲に思われでもしたら面倒だ」

 半ば本気の要請に、悲しそうな顔を浮かべる風姫だったが、通陽もここで引き下がるわけにもいかない。


「俺とおまえは同い年だ。普通に、神谷とかでいいだろう?」

「し、しかしそれでは、私が貴方を尊敬しているということを表現できませんっ」


 ……しなくていい! と、口走りそうになるのをこらえて、昨日見た彼女の人事評価を思い出す。

『純粋であり、真面目であり、意志を貫く強靭な心を持っている。≪勇者≫としての資質になるが、その分こだわりや自分の理想を満たそうとする傾向もある』


 ……ようは、実直で融通がきかないってことだ。


 こういう手合にはある程度の妥協点を用意する必要があると思い直し、通陽は交渉に入る。


「ならば、『さん』でどうだ? 敬称もあるだろう。正直……同年代に『様』とつけられると、気分が悪い」わかるか? と瞳で問いかける。

「む……」


 彼女にとっては、通陽を馬鹿にする気は毛頭なかったのだろう、だから通陽が嫌がっているということを知れば自然に、折れるしかない。

「わかり、ました……、神谷さ、ん」


 ……ようやく、本題に入れる。

 どうして、こんな面倒な回り道をしなければならないのか。


「それで、どうしてこのような早いうちに集まる必要があったのでしょうか? 始業までは時間がありますが」

「この学校の内部を観察する時間が欲しかった」


「地図はすでに渡されていませんでしたか?」

 確かに風姫の言う通り。通陽は校舎内や周辺の地図を渡され、頭に叩き込んでいる。さらに≪魔王≫が発現した際に、一〇分後にどれぐらいの人間が犠牲になるのかまでもおおよその概算は出している。

 だから通陽が知りたいのは、この校舎や周辺地域のことではない。


「……少し説明を端折った。おまえが、この学校をどう見ているのかを観察したかった」

 風姫の表情が強張ると同時に、プライドを傷つけられたとでも言うように、眉を吊り上げる。

「私が職務を全うしていないとでも」


「いや、そういうわけではない。ただ、自分が一番対処しやすい場面で、どれだけ最悪を想定してあるかに興味がある」

「最悪……」

「言わずともわかるだろう? ≪魔王≫だ」


 通陽の言葉を聞いた風姫は一度固唾を飲む。

「わかりました。ご案内します」


 最上階にまであがってから、風姫の教室がある二階まで下に降りるように案内してもらうことにした。

 始業開始までまだ一時間ほどもある校舎は、誰ひとりとしておらず。廊下は静寂を保ち、冬の日差しに照らされ輝く塵だけが浮かんでいた。


 ……さて。教育開始か。

「ここは五階だが、≪魔王の蛹≫が羽化し、その報告を授業中に受け取ったら?」

「……対処までの時間がかかりますが、まずは五階の生徒からの避難を呼びかけ――」


「アウトだ」

「なっ!?」


 ……これほど模範どおりの回答をするとは思わなかった……いや、わかりやすくて助かるか。

 通陽は≪勇者≫の義務として、天峰風姫を教育する。しかし、その教育方針までは指示されていない。


 つまり一任されているということ。だから、通陽は彼女についてはこうすることにした。

 ……徐々に身体に広がる毒のように、≪勇者≫の思考を染み渡らせる。こんな生真面目な女にはそれが一番いい。


「もし、お前の言う通りに五階に向かうにしても、道中ではすでに三階までの学生は≪魔王≫の餌食になってる可能性が高い」

「そんな……」通陽の冷酷な物言いに、動揺を隠せないといった様子の風姫。「なら、どうすればいいというんですか?」


「避難させるのは、校舎にいる人間を無視して、この一帯の住民からだ」

「待ってください。どういうことですか……校舎にいる、学生や教師は」

 当然、そのような質問が来る。だから――


「切り捨てる」と、突き放す。

「――」

 二の句を告げない風姫に、言葉の効果を感じた通陽はさらに叩きこむように、≪勇者≫の常識を植え付けていく。


「いいか天峰、一つだけ言っておく……≪勇者≫は無力だ」

 彼女の黒い瞳が、さらに泣きそうなものに変わるのを見ても、躊躇うことなく続ける。

「すべてを救えると考えてるなら、まずはその前提を捨てろ……俺達は、すべてを救えない。決してな」


 それは、≪勇者≫の――<キンドレド>の真実をも含んだ、どうしようもない宣告。

「で、ですが……人の命は――」

「唯一、無二……か」


 無言で、けれども抵抗を示すよう精一杯に首を縦にふる風姫。それらの仕草、表情、声……すべてが眩しく……だからこそ、通陽はその輝きを自らの手で曇らせるしかなかった。


「ぬるいな。なら、お前の判断ミスで、校舎中の人間のマナどころか、周辺地域の全員のマナが≪魔王≫に喰われるぞ」

 彼女が息を呑むのが聞こえた。


「大量のマナを吸い出した≪魔王≫は、時として≪勇者≫一人で対処できるものじゃなくなる。そんな化物に一人で向かった先にあるのは死だけだ」

「……っ」


 もはや風姫は声もあげられずに、ただ黙って通陽の言葉を待つだけだった。

 ……そろそろ止めか。

「そしてお前が死んだ後、このセクターにいる人間はどうなる? 唯一の命たちが、幾千幾万……セクターごと消えるぞ。それでもお前は、間に合うわけもない学生たちを守るための行動をするとでもいうのか?」

「それ……は」


 思っていた≪勇者≫というイメージとは異なるのだろう。

 本当は、さらに残酷な真実が待ち受けているが、はじめから全てを明かす必要はない。


「だからこそ、救えるものを確実に救うんだ」


 ここで、ほんの少しだけ、おそらく彼女のイメージに近い≪勇者≫の言葉を投げかける。

 ……ムチの後にはアメが効くだろう?

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