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ディスプレイ表示を切り替えて、数秒。通陽はその名前を凝視し、低い声で呟いた。
「おい、あんた……いや、あんたら。何を考えてる……」
視線の先に表示されるのは、≪エクセプション≫の、自宅と勤務地、さらには行動頻度の高いポイントに、消費行動のパターンのような高精度すぎる個人情報の数々。
だが、通陽の視線は情報の一点……名前が記載されている箇所に集中していた。それからディスプレイを切り替えて、先程の≪勇者≫の名前を確認する。
選定された≪エクセプション≫
≪勇者≫
……偶然にも珍しい名字の≪魔王の蛹≫が選定された? そんなわけあるかっ。
……この二人は姉妹、だ。
「君と同じ≪勇者≫をもうひとり欲しい、というのは答えにならないかな……またとない機会だ」
「おま、えっ」スクロールディスプレイから目を離し、父親に軽蔑と憤りの混じった視線を投げる。が、彼はそんなことでは動じない。彼の子である通陽が一番理解している。
「通陽くんだってわかっているんじゃないかな。君がセカンド・ブレードを与えられた本当の理由ぐらい」
ざわりと、全身の毛が粟立つ。
「これ以上のない悲劇……ストーリーが君にはある。母が≪魔王≫に奪われ、そしてその≪魔王≫は、自分の妹だったという――」
その瞬間の行動はほぼ無意識のうちに行われた。
黒い戦闘衣のコートの懐にあるセカンド・ブレードを取り出し、机に覆いかぶさるようにして、座っている貞時の首筋に白刃を突きつけ――
「満足したかな」
通陽の刃はあと一ミリもないところまで貞時に迫ったが、それ以上は進まなかった。
「利口な君ならわかってるだろう? 僕を殺しても、どうにもならないということぐらい……。なぜなら≪勇者≫は人間には勝てないから」
「っ!」
押し込みたくても、押し込めない小さな刃を、震える手で退かせて、もう一度懐にしまいこむ。
――≪勇者≫は人間に勝てない。
≪魔王≫から、『マナ』の吸収をされない特別な資質。
それは、魔法を使うための『マナ』を保持していないからという意味だ。現代の人間はほとんどといっていいほど保有している、大気を制御し、身体能力の向上を実行できる技法、『魔法』。
それを行使するために必要な『マナ』。それがないということは、魔法を当たり前のように行使できる人間の群には勢力として勝てないのだ。
「だから君は<キンドレド>のシステムを守らなければならない……あれは、君たち≪勇者≫(無能力者)に尊厳を与えてくれるものだろう?」
貞時の言葉どおり、かつて無能力者は人間から虐げられていた。普通は使えるはずの『魔法』が使えないからという理由で。<キンドレド>の検知率が一〇〇%『未満』であるからこそ、
逆に、通陽のような無能力者たちは≪勇者≫としての特権を与えられているとも言えた。
ぎりりと砕けるほど奥歯を噛みしめるが、かといって貞時に向かって言うべき言葉は得られず、黙って踵を返すしかなかった。
「ああ、通陽くんを呼んだのは他にも――」
「どうせ、この新人が使えなくなったときのバックアップだろう」
≪エクセプション≫が身内では、新人の≪勇者≫が手を下せないというのも十分考えられる。だから、通陽が派遣された。
「察しがよくて助かるよ」おそらく、薄っぺらい微笑みを浮かべているに違いない。
「あんたは……変わらないな」
六年前から変わらない。
通陽や風姫といった≪勇者≫の感情をなどは一切無視し、≪魔王の蛹≫から羽化した≪魔王≫により蹂躙され、散らされる命は大義のための小さな犠牲とする。そして消えゆく≪魔王≫の尊厳を、虫のように踏みにじる。
「これが僕の道だよ」
それを乗り越えてこそ、人類を保護することができる、と。
たとえ、妻を失い、娘の人間としての最後を迎えることすらなかったとしても……。
部屋から出る直前に――
「ああ、それから。クリスマスパーティはちゃんと出るんだよ」
「……そうだったか」
どこかしかのセクターで毎年行われる人類保護局のクリスマスパーティ。その催しをまさか自分の故郷となるセクターで迎えることになるとは思っていなかった……
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屋外に出ると、冷気が身体をなでるのを感じた。
タイルで舗装された歩道の脇、そこに植えられた街路樹はすでに葉を落としきり、その肌をさらしていた。
クリスマスまでもう間もないということもあり、町中どこか浮足が立っているような感じもする。
かつて≪魔王≫が現れたセクターであっても、影響を受けなかった場所にとっては過去の『事件』でしかない……そのような事実を様々と見せつけられるようだった。
ロボタクシーを拾うため、ターミナル――セクター内でも人の出入りが多い商業区画に、一定間隔で設けられているロボタクシーの乗降場――を目指して歩く通陽は、ふと後ろを振り向く。
そこにはビルの壁一面を覆うぐらい大きなサイネージモニターがあり、切り替わった広告の中に、『自分』が現れた。
清々しい笑顔で、手を差し伸べるような仕草――編集技術を最大限に使って作られた偽画像――と広告にはこう書かれている。
『さあ、君も世界を救おう』そしてその下には、小さな注釈が。
『※≪魔王の蛹≫であるという症状が出た、あるいは知人にそのような兆候がありましたら、一度ご相談ください』
ちなみに、一条まいが人類保護局に来なかったのかと言われれば、それは違う。
彼女は来た。
ただ<キンドレド>は≪魔王の蛹≫としては彼女を判定しなかった。一条まいは自分に現れている症状と、局が出した結果のずれに悩みながら過ごし……≪魔王≫と化し、周囲の人々に死を撒き散らし、通陽により、処分されることに。
……腐ってる。
だが、<キンドレド>という人類という種の保存システム、その一部と成り下がっている通陽には、なにかを言える筋合いがないことぐらいは、理解していた。
内心の苛立ちを押し隠しながら、生きて、時に≪魔王の蛹≫の羽化を黙って見過ごし、死んでいく人々を眺め終わった後に、≪魔王≫を殺す……それらをずっと繰り返すのだろう。
虚しい思考を断ち切るように、巨大サイネージモニターから目を離し――
「っ」
目の前……一〇メートルほど先にいる数人の歩行者の中に、ある人物がいることを認めて、思わず表情を固くしてしまっていた。
……天峰、香珠妃
……<キンドレド>によって選定された≪エクセプション≫だ。
身長は一七〇センチメートルよりやや低いぐらいの日本人女性としては背が高い部類に入る。背中まで伸びた栗色の髪は、毛先にかけて緩やかなウェーブがかかっており、全体的には大人っぽい雰囲気があるが、目の上ギリギリでカットされた前髪は、どこか幼さを感じさせる。服装はといえば、落ち着いた白いロングカーディガンに、すらりとした脚を強調するかのようなパンツスタイル。
……見た目では、年上か同い年か、なんとも判別がつかないな……。
そんな感想を抱いていると、香珠妃の黒目がちの瞳が、こちらに向けられた。と、彼女もまたどこか驚いたように目を見開くが、ややあって平静に戻る。だが、じっと通陽を見つめつづけてくる。
その視線がもろにぶつかったと感じたのはほんの二秒にも満たないほどの短い時間。通陽はすぐに素知らぬ振りに切り替えて、気づかなかったというように歩を進める。
五メートル、三メートル……徐々に近づく二人。そして――
すれ違いざま、彼女の瞳が、通陽を追うように向いた。それを、察知した通陽もまた、思わず彼女の目を見つめ返してしまった。
その行為に、しまった、と思ったのもつかの間。慌てて、目を離して通陽は歩調を早めて彼女から離れる。
……しかし、なぜ天峰香珠妃は俺を見つめた?
天峰香珠妃は間違いなく、通陽を見ていた。その理由がわからない。と、そこで先程まで香珠妃がいた場所に立ったところで、視線をあげながら、もう一度ビルのほうを見やった。
そこに映るのは巨大なサイネージモニター、その中にいる『自分』。
「あれ、か?」
原因らしきものは突き止められた。ただ、それが真因であると確信するということを、通陽にはできなかった。
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