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ビルの広い廊下を、肩にまで伸びた白い髪を先で結んだ、黒いコートを羽織った青年――一条まいに引導を渡した青年――が歩く。
時折この建物の身なりの正しい職員とすれ違っては、会釈をされつつ、通陽は目的の場所を目指し、しばらくして、ある部屋の前で立ち止まる。
第七三二セクター人類保護局 局長室。
扉の脇のネームプレートとともにつけられた簡易ディスプレイに自分の来訪を伝えようとしたときだった。
『待ってたよ。入ってきていいよ、通陽(みちはる)くん』
部屋の前に備え付けられたインターホンからの声と同時に扉がスライドした。
言われるまま青年が部屋へと入ると、そこは広さ二〇畳ほどの会議室だった。入り口近くには来客用のソファとローテーブルがあり、室内と外とを大きなガラス窓で隔てられている。そして、窓側に設けられたこの部屋の主のための机とともに、一人の男が座っていた。
青年の記憶が正しければ、すでに男の歳は四〇を超えているはずだが、外見からではほとんどわからない。
洒落を意識して撫で付けられた灰色の髪に、たるみのない頬や目元はまだ二〇代といっても通用するような若々しさをたたえるが、眼鏡の向こう側の瞳は老獪さが漂う。
その男に向かい、通陽と呼ばれた青年が口を開く。
「ひとつ、いいか?」
「うん?」
「このビル一面に貼ってあるサイネージモニター……あれはどういうつもりだ?」
「気に入らなかったかい?」
「当たり前だ」苛立ちを隠さずに、通陽は男をにらみつける。「どうして俺の姿があんなデカデカと載ってる?」
「それは、当然。≪魔王≫の脅威に打ち勝つための、≪勇者≫の宣伝のためなんだけど。気に障ったかな?」と、しかし男は悪びれた様子もなく、返すだけだった。
「……あんただって、≪勇者≫がそうそう集まるものじゃないってことぐらい理解してるだろ?」
≪勇者≫になるには≪魔王≫の『マナ』を吸収するという能力への耐性を持つ、という最低条件を満たす必要がある。が、その資質は極めて貴重である。
「何も人材募集だけが目的じゃないよ。イメージアップもしとかなければ。そういう意味ではこのセクターにおいて君ほど適切な人材は他にいないよ。なんせ、名実ともに英雄だからね」
しかし、目の前に座るこの部屋の主は、通陽の主張はどこ吹く風という形で、相手にする様子もなく。
「はぁ……もういい」
「そんなことより、会って数年ぶりだというのに、親子の再会の挨拶もなしにそんなことから入るのかい」
「あんたが親面するのか?」
通陽は父……神谷貞時(かみや さだとき)に吐き捨てる。
「……神谷通陽。本日より、このセクターでの任に就く」覇気無く答えると同時に、こちらとしてはあくまでも仕事で来たのだという最大限のアピールだった。
「まったく。けじめというものぐらいはつけたほうがいいと思うんだけどな、父さんは」
「別に。あんただからというわけでもない。ほとんどのセクターでこうしてる」
「それでよく、セカンド・ブレード……日本には三本しかない儀装剣を与えられたね」
普通の≪勇者≫は、一本のディトランサー……通陽が先の戦いで使っていたような長剣を一本だけ与えられるだけだが、優れた≪勇者≫として認められれば、もう一本のディトランサー――セカンド・ブレード――が贈呈される。先の戦闘で通陽が≪魔王≫に投げ放った短剣がそれに該当する。
「優秀だからな」
「ははは。ずいぶん変わったかな、通陽くん」
「あんたの元から離れて、五年……いや、六年か。変わらないほうがおかしいだろう」そう言いながら、横目で貞時のことを睨めつける。
「立ち話もなんだから、座りなよ」
貞時は彼のすぐ目の前にあるソファ席を見ながら言うが、通陽は首を横に振る。
「結構。それよりもさっさと、データをくれないか? ほしいのは新人の≪勇者≫と≪魔王の蛹≫の情報だ。あんただって、俺をそのために呼んだんだろう」
やれやれ、と諦めたように貞時は持っていたスクロールを通陽へと差し出すと、通陽はそれを受け取って、有機ELのディスプレイを広げた。
すでにインターネットが普及して、かなりの時間が経とうとしているが、重要気密事項については昔ながらのオフライン伝達が浸透している。
スクロールの画面に映る情報を見て、まず感想が漏れた。
「新人は一七歳……若いな、いや幼すぎないか?」
「君が言うかい? 通陽くんも同じ年じゃないの?」
「俺は特別だろ」貞時の言葉を一蹴し、通陽はさらに資料を読み込んでいく。
資料の一番始めに載っているのは、生硬な目でこちらを見つめる無表情な少女の顔の写真。そこから以降は境遇などがあるのだが、これといった特徴もなく、正直印象に残らない。
……もっとも、一七歳かそこらで印象的な経歴があるほうが珍しい……か。
そこからは≪勇者≫になるための第一次教育課程の総合評価が記載されて、終わっている。
「やってもらいたいことのうちの一つが、彼女の教育。理由は――」
「さしずめ俺が、こいつとタメだからってところか?」資料から顔をあげて、貞時の方を見て答える。
「理解が早くて助かるよ。≪勇者≫の教育を行うにしても、大人からの目線で語るだけではどうしても子どもには届かないことがあるからね。<キンドレド>の真実はそれだけ、衝撃が大きい」
「そんな言葉で片付けられるものか」吐き捨てるように通陽は呟く。
「≪勇者≫の本当の仕事が、人間の繁殖のしすぎを防ぐためなんてな」
<キンドレド>と呼ばれるシステムにより、≪魔王≫になる前の≪魔王の蛹≫を検知できるということは公知の事実だ。だがその検知率は、一〇〇%『未満』だとも言われている。
つまり、ほとんどの≪魔王の蛹≫は<キンドレド>によって早期発見され、≪魔王≫化する前に『除去』されるのが普通。
ただし、一条まいのように<キンドレド>の検知システムをすり抜けてしまう、例外を意味する≪エクセプション≫と呼ばれる≪魔王の蛹≫が極稀に現れ、≪魔王≫化してしまうこともある。……少なくとも世間一般の認識はそうだ。
しかし真実は違う。
<キンドレド>による≪魔王の蛹≫の本当の検知率は一〇〇%である。
ならなぜ、表向きの検知率が一〇〇%『未満』なのか?
「仕方ないさ。<キンドレド>での≪魔王の蛹≫の検知率を一〇〇%にしたら、それこそ人口密集しすぎてしまうという問題が出てきてしまう。なにせ、この世界には資源の枯渇、という懸念はすでに払拭されてるんだからね。もし、そうなれば――」
「――人口密度が高いということは、≪魔王≫の『マナ』の吸収効率がよくなる」
そして≪魔王≫の『マナ』の吸収効率が高いということは、≪魔王≫の成長がその分だけ早くなるということを意味する。そのような状態で、もしなんらかの形で≪魔王の蛹≫を羽化前に処置できなければどうなるか?
最悪の場合、一体の≪魔王≫の力が強まりすぎ、字義通り世界中の≪勇者≫すべてが対処できない存在となる可能性がある。
だから、<キンドレド>の検知率は一〇〇%『未満』なのだ。
あえて検知をしない≪エクセプション≫を選ぶことにより、時に『わざと』≪魔王≫を起こすことによって人間を間引きする。さらなるリスクヘッジとして、セクターと呼ばれるほとんど同じ形の小都市を全世界中に配置。数十万人単位で≪魔王≫と≪勇者≫とで人間という種の数を保ってゆく。
それが、公にされていない、けれどもこの世界に根付く<キンドレド>によるエコシステム。
「人類を安定して維持するため、人口そのものをコントロールする……大人の論理を説明して納得を得られればいいんだけど……残念ながら大人が言っても聞かないだろう、と僕は思ってる。だから――」
「そのすべてを受け入れている、こいつと同い年の俺から真実を明かしてほしい……か?」
「さすが、通陽くんは話が早いね」
「ようは、ネグレクトだろ」
「さすが、通陽くんは厳しいね」
父親の軽口に付き合っていられず、溜息を一つ置いて話題を変える。
「いくらなんでも早すぎないか? 以前の≪魔王≫の発生からは、まだ一〇年も経ってないぞ」
「前回は様々な要因が重なった結果、被害が比較的少なかったからだね。だからこの短期間の≪魔王≫の発生自体は、<キンドレド>の計算でも問題ないと出てる」
「…………」
様々な要因、その一部に自分が加担している以上、通陽はなにも言わずに、資料を読み進めた。
「それで、選定された≪エクセプション≫は――」
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