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 *


「それが君のさびしさの記憶?」

 と、彼が苦笑いする。いや、苦笑いするふりをして、結局こらえきれず、くすくす笑っている。ぼくは気を悪くしたが、だからといって会話の相手を変えられるわけじゃない。不快に思っているということを伝えるために溜息をついた。

「ごめんなさい。なんだか可愛いなあと思って」

 同い年ぐらいのはずの彼は、たまにこうして物凄くぼくを……なんだろう、見下すというわけでも甘やかすというわけでもないのだけれど、下に置くというのもすこし悪意が強すぎてしっくりこないのだけれど、とにかく癪に障る扱いをしてくることがある。

 彼はよく喋ってくれるし、上品だし、こちらの話も聞いてくれるので、そんなに悪いやつじゃない。親友にはしてもいいけど、家族にはしたくない。謎が多いから。自分の星に帰らなかった星の王子さまみたいだ。原作よりも少しだけ性格が悪い。

 そういえば今のこの状況はあの作品にそっくりだなと、ぼくは思った。砂漠のように緑の絶えた場所でたった二人きり、お互い以外に話す相手もなく、短い人生のエピソードをぽつぽつと語る以外にやることがない。作中の彼らよりも、ぼくらの状況の方がより深刻だけれど。

「寂しくなりたい時がある」

 とぼくが言ったとき、彼は「じゃあこの世界はきみにうってつけだね」と笑った。

 今後、ぼくらは青信号を待つ必要はない。もうどの放送局も番組を流さない。雑音は消え失せて、ぼくは気の逸らし方を失っている。いろんな音を同時に聞いていたいのに風の音しかしない。虫も鳥も木々も草もみんないなくなった。食事の必要はもはやない。でも死なない存在が、ぼくと彼だけ、この世界にたった二人だけいる。意味不明だが、これが現実だった。悪い夢のようだとは思うが、その頃のぼくはもう夢さえ見られなくなっていた。


「静かな時間を手に入れるために」遠くで風の音がしていて、その中にひとつだけ甲高い鳥の鳴き声が混じった気がしたが、たぶん気のせいだ「きみは眠ったほうがいいよ」明日は嵐が来るらしいと、とっくに滅びたはずの世界でアプリがぼくに教えてくれる「多分まだこの世界が」全てが自動化されたシステムが、誰もがいなくなったのに、それを知らず健気に動き続けている「随分騒がしく感じるんだろうから」


 ため息をついた。理解の時間を稼ぐために。


「集中力の問題だよ」

 彼も頷いた。

「だろうね」


 *


 ご覧の通り僕は混濁を愛している。いくつかの情報を渦のように同時にかき混ぜて、頭の中を無秩序に保っていないと気が済まない相当面倒な性質を持っている。けれども彼のほうにだっておかしいところはあった。おかしい、と言ったら可哀そうだろうか。彼には一つの信仰があったのだ。そう呼んで差し支えないと思う。

 彼は、今、自分がこの世界に留められているのはなにかの手違いだと信じていた。その上、自分のことを神のような唯一性のある存在だと信じていた。そして恐ろしいことに――彼は、自分を手違いでこの場所に留めておいている《何か》を、心の底から憐れんでいた。

 つまり彼は、自分のことをきっと探しているはずの、いま悲痛な叫びをあげて世界の隅々を探し回っているはずの、《何か》のことを気にかけていた。

「ぼくのことを心配しているはずなんだ。帰ってあげないといけないんだけど、その方法が分からなくて」

 ぼくは微笑んだ。ばかな奴だなと思ったんだ、世界のどこかにまだ自分を受け入れてくれる何かがあると信じている。でもそんな信仰がなければ、彼はやっていけないのかもしれない。灰色の世界。人も虫も鳥も草も木も、すべてが消え失せた世界。ぼくと彼しかいない世界。こんなところに閉じ込められて、可哀そうなやつだ。

 その蔑視の思いは上手く隠していたつもりだったが、彼にはすぐに気づかれた。

「自分を特別視する人間のことをなんだか疎ましく思う気持ちは、分からなくはないけどね。たしかに、きみの言い分も分かるさ。ぼくはそもそも、世界からみんなが消え失せてしまうずっとずっと前から、《誰か》のことをずっと心配してたんだ。こういうことになってようやく、ああそうか、ぼくはその《誰か》が、ぼくをとうとう見つけることができなかったということに悲しんでいるんだって、ようやく分かったんだからね」

 言葉の一つ一つが、区切られず、そのまま、流暢に入ってくる。こういう会話の仕方は苦手だった。ノイズが欲しい。でもここには何もないし、さすがにこういう話をしている最中に音楽を流し始めるのも違う気がして、結局ぼくは胸焼けしながら彼の言葉を聞いていた。

「ここまで来ても、自分を特別な人間だと思うことが出来ないきみのほうが、どうかしているんじゃないかと、ぼくは思うけどね。世界でたった二人きり、残される生物に選ばれたのに」

 そうだろうか。

 ぼくは未だに信仰というものが眩しくて恐ろしい。なにかを無邪気に信じる人間に、そんなの嘘っぱちだよと笑って言ってやることができない。結局彼に対しても。

 寂しくなりたい時がある。こう言ったところで、誰にもぼくの持つ本当の気持ちは分かってもらえないんじゃないかと思う。

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