第二十四話 反復試行

 華月堂に着くと、受付に座っていた伯言が勢いよく立ち上がった。

「花音!仕事ほったらかしてどこ行ってたのよっ!」

「す、すみません……」

「だいたいあんたねえ――」


 小言を続けようとした伯言は、花音の背後から現れた紅壮皇子に眉を上げた。

 こほん、と咳払い一つで、オネエから能吏の声に変化する。

「これは殿下。いかがしました?」

「花音が呪術師に拉致されていたから連れ戻した」

 サラッととんでもないことを言ったコウに、さすがの伯言も顔を引きつらせる。

「呪術師…拉致……それは恐れ入ります。しかし、呪術師とは?」

「凛冬殿の雲母だ」

 コウは事務室の長椅子にどかっと腰かけ、長い足を組んだ。

「あれは医師なんかじゃない。呪術師の類だと思う。しかも、かなり高度な術を操る」

「なぜそう思われたのですか」

「部屋に薬草がたくさんあった。多くが、幻覚を引き起こすものだ。花音はあれのせいで正気を失い、術に嵌まったと思われる。幻覚を引き起こす薬草は扱いが難しいと言われる。あんなに多くの種類を持っているということは、呪術師としての力量が相当なものなのだろう。だからこそ、袁家が後宮に入れているとも思うしな」

「なるほど。袁鵬様がただの怪しげな呪術師を御息女の傍に置くはずはありませんな」

「そういうことだ。雲母は袁鵬の意志であそこにいる」

 花音はそこでふと思ったことを口にした。

「帝はお気付きじゃないのかな」

 ここは後宮だ。四季殿に入内している貴妃が皇子たちの御妃候補とはいえ、帝が何も知らぬはずはない。

 コウは嫌そうに顔をしかめた。

「あの父上のことだ、当然知ってるだろうな」

「じゃ、じゃあなぜ帝は何もおっしゃらないのかな。雲母様は……」

 先刻、凛冬殿であったことを思い出して花音が身震いした。

 怪しく煌めく眉飾りが、まだ脳裏にちらついている気がする。襲ってこようと顎を開けた黒虎の咆哮が、まだ耳の奥でくすぶっている。


 雲母医師は、危険だ。


 花音は、はっきりとそう感じた。


「まあ、さすがの父上も凛冬殿には手出しできないってところだろうな。なんたって、袁家のナワバリだし。父上は、袁鵬とあまり仲良くないからな。っていうか、父上は大抵の貴族から嫌われてるからな」

「嫌われてって…コウ、不敬だよ不敬!!」

「本当のことだし。な、伯言」

「さて、私には何のことやら」

 涼しい顔でとぼける伯言に苦笑して、コウは整った眉をひそめた。

「あるいは…雲母医師そのものに手出しできない理由があるのか?」

「え?なに、コウ?」

「いや、なんでもない。それより」

 コウは急ににかっと笑うと、花音の隣にどっかり腰を下ろし、花音の肩を抱いた。

「ちょ、ちょっとちょっと!近い!」

「えー、いーじゃん。センセー、授業の続きしてよ」

 懐から、濃海老茶の装丁の本をちらつかせる。『龍昇国古記』。花音は生唾をごくりと飲みこんだ。


 いやいやいやいや!騙されない!冷静になるのよあたし!話を元に戻して!!


「えっと…コウ!あなた雲母医師のこと何とかするんじゃなかったの?!」

 コウは、艶やかな黒髪を長い指で弄って不満そうに片眉を上げた。

「だからあ。今できることはやったし。雲母が怪しいのはよーくわかった。で、袁鵬がそれを承知で凛冬殿に置いていることも。たぶん父上もそれを知った上での放置だってことも。今はそれ以上、どうもしようがないだろ」

 コウは花音に顔を近付けてくる。紫色の瞳が、悪戯っぽく笑う。

 花音はいろんな意味で気が気でない。心臓はバクハツしそうだし、隣に座っていた伯言は白けた様子でそそくさと席を立つし。

「では、皇子殿下。ごゆっくり。失礼致します」


……って伯言様!!あなた上司でしょ?!この状況なんとかしようよ?!かわいい部下を助けようよ!!


 花音の心の叫びも虚しく、伯言は華月堂の扉を静かに閉めて行ってしまった。


――孤立無援。


 仕方がないっ、ここは一人で切り抜けなくては!!


「でもっ、あの人明らかにおかしいよ!危険だよ!」

 叫びつつ、危険な隣の美少年からすすすと離れる。

「わーかってるって。だから作戦を立てて攻略する。下手に手出ししたら、こっちが返り討ちだし」

 すすすと距離を縮め、コウは花音の顎を指でくい、と上げた。

「ってことで、この話はおしまい」

「コウ……」

「さっき、大事なことし損ねたから」


 コウの長い指が、顎から頬にうつる。

 ゆっくりと、紫色の瞳が近付いてくる。

 その瞳に、花音は吸い込まれそうになり、思わず目を閉じる――。


「失礼致します」


 低く、静かな訪いに花音は我に返った。

「ひ、ひひひ飛燕さん!!」

 いつの間にか、扉に飛燕がひっそりと控えていた。

「っ、またおまえかっ!!」

 歯ぎしりしたコウは、飛燕の後ろから出てきた人影に、面白そうに口の端を上げた。

「――っと、お兄様も」


 そこには、見たこともないような不機嫌気な表情でこちらを睨む、藍悠皇子が立っていた。



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