第二十三話 その刹那、永遠に
殴られる――!
そう思った。が。
「?!」
爽やかな香の薫りと共に、花音は抱きしめられていた。
「ね、ねえ、ちょっとコウ…」
「うるさい。このままでいろ」
大きな腕は更に花音を抱きしめる。
香の薫りに頭の芯が痺れそうだ。
「ねえ、誰かに見られるよ」
「うるさい。こんな所誰も通らねーよ」
「ちょ、こんな所って…失礼しちゃう。華月堂の近くなんですけど…」
さらに、抱きしめる力が強まる。
コウの掌が、花音の肩を腰をなぞる。
その感触が、甘い痺れのように全身に広がる。心地よく。
花音は、束の間、ほんとうに束の間、その心地よさに身を任せた。
コウは皇子だよ…?
頭の中で危険信号が点滅しているのに、身体は言うことをきかない。
永遠に、この時が続けばいい――そう、思ってしまっていた。
「コウ……」
華奢に見えるけど、コウの胸は意外と広い。
少し早い鼓動が、頬に伝わってくる。
大きな掌が、再び腰から背中をなぞる。
「ちょ、コウ…」
思わず花音は言った。
力が一層強くなる。
これはもはや抱きしめるというより、締め上げている。
「うるせーしね。オレがどんだけ心配したと思ってんだ」
怒ったような声に顔を上げると、コウの手が花音の頬をむぎゅーとつかんだ。
「あの呪術師の呪いをオレにうつせ」
言うやいなや、ふわっとコウの顔が近付いた。
(そ、それはまずいよ…)
心の声とは裏腹に、花音は目を閉じていた。
「これはこれは、紅壮殿下に……白殿」
無機質な声に、強い力がふっと緩む。
花音は、コウの向こう側にいる人物にぎょっとした。
内侍省の武官長である。
背後に数名の部下を連れて、皆機械仕掛けのように揃って叩頭した。
「殿下におかれましては、ご壮健で安心いたしました」
「――べつにおまえに安心してもらわなくてもいい」
ぶすっとしたコウはゆっくりと花音から離れ、不満げに武官長を見下ろした。
その冷たい視線を一向に気にせず、武官長は滔々と口上を述べる。
「後宮の主である皇族の方々が御壮健であるのが何よりのこと。また、白殿におかれましては背後の怪しげなモノが消えたご様子」
「あ、ありがとうございます」
花音は襦裙の乱れを直しつつ、慌てて頭を下げる。
「なにしろ先日、巨大な黒い獣が出た、などと部下が申しまして…」
心臓を、掴まれた気がした。
黒虎に変じた女官。あんなことが内侍省に漏れれば、あの少女は宝珠皇宮に居られなくなるだろう。
それは、心が痛んだ。
「凛冬殿に逃げ込んだらしいのですが…凛冬殿の方々は知らぬ存ぜぬでして。我が部下ながら少数精鋭でやっている優秀な者たちですので、よもや見間違えることはないかと思うのですが」
能面の中の探るような視線を、コウは冷たく見下ろした。
「凛冬殿が知らぬと言うなら、知らぬのだろう。おまえたちは言葉そのままを受け取ったほうが身のためだと思うが」
武官長の表情は動かない。
ややあって、恭しく首を垂れた。
「後宮の秩序を守るのが我らの務め。殿下をはじめ、帝や皇族の方々への忠誠です。なにとぞ、後宮内に異変がありましたらご一報くださいませ」
そうして、一糸乱れぬ動きで、彼らは去っていった。
「ったく、いつ見ても陰気なヤツだ。いいところだったのに…」
ぶつぶつ言いながらコウは花音の手を引いて華月堂へ向かっていく。
どうやら襲いかかってくる様子はない。
よかった、かも…
花音は少しホッとしていた。
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