第二十話 神の御遣い
凛冬殿に訪いを入れると、話しが通っていたのかすぐに中に通された。
先日玄関にいた女官長ではなく、花音と同じくらいの女官が先に立って回廊を渡っていく。
玄関から、母屋らしき豪奢な建物ではなく、そこから離れるようにして奥へとつながる回廊を進んでいく。
(女官たちの住まいなのかしら。やけに静かだけど、当たり前か。今は皆、働いている時間だものね)
雲母医師は私室で控えているのだろうか。
そんなことを考えながらついていくと、いくつもの角を曲がったところで女官が止まった。
「どうぞ」
扉を開けた女官が恭しく頭を下げるので、花音は恐縮しつつ中へ入る。
後ろで、ばたん、と扉が閉まった。
窓からの光だけの部屋は薄暗いが、置かれている家具や調度品がどっしりとした古くても品の良い物だということはなんとなくわかる。
窓辺に、いくつもの薬草の束がぶら下がっているのが見える。
そのせいだろうか。
部屋に入った瞬間から独特な香りが鼻腔をつき、その香りが身体の隅々にまでいきわたるような、そんな心地がした。
「ようこそ、白花音殿」
書き物机から立ち上がった人物の声は、意外にも若かった。
(あたしより少し上くらいかな、おばあさんだと思ってたのに…)
婉然と微笑む雲母医師は、ほっそりと背が高く、結い上げた髻がさらに背を高く見せている。
鮮やかな紅の口紅が、部屋の薄暗さの中でやけに目立った。
その口紅の鮮やかさに負けないくらい美しい顔立ちだ。涼やかな目元は彫ったように切れ長で、描いたようにすっと通った鼻、なにより、この世のものとは思えないほどの色の白さ。
そして何より奇異なのは、美しい
(範尚書がしていた、花鈿みたいなものかな)
お洒落に疎い花音にはよくわからないが、眉の上で煌めく玉や宝石の飾りはとても美しく、目をうばわれる。
医師、という肩書からは想像のつかない容姿だ。
「さ、もっと近くへいらしてくださいな」
言われて、花音は部屋の奥へと歩く。
なんとなく、進みたくない気がする。扉の前に留まっていたい気がする。
そんな気持ちに反して、足が動いた。
雲母医師は書き物机から出て、その前に据えられた応接用の長椅子の傍らに立って手招きしている。
「どうぞお座りになって」
言われるままに、花音はすとんと長椅子に腰かけた。
「ようこそお越しくださいました。冬妃様にお仕えしております、雲母と申します」
艶やかな微笑みに、花音も何か言わなければ、と思うのだが、ただ頷くだけで気の利いた挨拶もできない。
(や、やだ、あたし何やってんだろ……)
そう思うも、目は雲母医師の眉飾りに釘付けになってしまう。
「陸健誠殿から伺いましたわ。この護符に、ご興味がおありとか」
す、と雲母医師が卓子の上に出したのは、例の紋章が描かれた小さな紙片だ。
「この御札には『古の力』が宿っております。『古の力』よりは小さなものですが…現世利益を叶えるにはじゅうぶんなものです。ゆえに、女官たちにお配りしているのですよ。彼女たちの囁かな願いを叶えてあげるために」
なぜ、と問おうにも、口が開かない。
(あれ……なんかあたしおかしい?)
すると、雲母医師はにっこりと首を振った。
「いいえ、おかしくはありませんよ。貴女は私の話を聞いてくださるだけでいいのです」
雲母医師は正面から花音を覗きこんだ。
眉飾りが眩しい――そう思って目を逸らそうとしたが、できない。
「私には予見の力があるのです」
雲母医師は言う。
そんなはずない、と花音は思うが、口が開かない。
「あなたは、いずれかの皇子と契ることになるでしょう。いずれの御方かは、貴女には分かっているはず」
身体はまったく動かないのに、心臓が跳ね上がるのがわかった。
雲母医師はたゆたう口調で話し続ける。花音を覗きこみながら。
「けれど、それは正しくないことです。貴女の身にある罪業を、皇子に移してしまうことになる」
罪業……?
「皇子を守るために貴女にできること。それは、罪業ある貴女の身を、神の御遣いに捧げることです」
雲母医師が、卓子の上の紋章に掌を乗せた瞬間。
(風?!)
物凄い勢いで巻き起こった風が部屋中を駆け巡る。
風が収まったと同時に、巨大な漆黒の獣が雲母医師の横で低い唸り声を上げていた。
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