第十九話 勘違い

「呪符…」

「そうだ。ちょっと宝物殿の書庫で調べてみた。したら、古語で書かれた『五国正史』に、この紋章の記載があった」


 コウは卓子の上に紋章の描かれた紙を置いた。


「伯言が言っていたように、この紋章は黒虎が封印された場所の印となっている。それを神として崇拝する邪教が西虎国にあったそうだ」

「そうだ、ということは今はないの?」

「その昔、神龍を祀るよう五国に布令を出した龍昇国皇帝がいた。その皇帝は自ら五国に出征し、異教狩りを行ったそうだ」

「異教狩り……」

 コウは嫌そうに顔をしかめた。

「先祖のことだからあまり悪く言いたかないが、神龍以外の神を祀る宗教を取り締まり、場合によっては獄につないだり処刑したり…けっこうむちゃくちゃなことをしたらしい」

「じゃあ、その黒虎を神とする邪教もそのとき狩られたの?」

「ああ。巫女が磔にされたそうだ。民衆に石を投げさせて半殺しにしたあと、火を点けた」

「ひどい……」

「その後、西虎国では黒虎の紋章は呪いの紋章として使われるようになったらしい。相手を害し、呪い殺すための紋章としてな」


「つまり、雲母医師はこの後宮で呪符を配っていた…そういうことになりますな」


 伯言が珍しく深刻そうな顔をした。

「そういうことだ。雲母医師を捕らえてでも話を聞く必要がある。昨日、凛冬殿に妖が出たんだろ。それだけでも、雲母医師を拘束する理由になるしな」


「お待ちください、殿下」


 立ち上がりかけたコウを、伯言が制した。

「軽率に動かれてはいけません。四季殿は、いずれ殿下の妃となる御方がいらっしゃる場所。確証をゆるぎないものにしてからの方がよろしいかと」


(……コウの、妃)


 胸が締め付けられるように痛む。


(そうだよ、四季殿は貴妃は次期帝の皇后になる方々。コウのお嫁さんになる人がそこから出るなんて当たり前の話だよ)

 そう自分に言い聞かせるが、胸の痛みは収まらない。


 そのときだった。


「うるさいっ、オレは結婚する女は自分で決める!」


 コウはなぜかちらと花音に目を向けて怒鳴った。

(え……どうしてあたしを見るのよ)

 あたしは、何も言わないよ。

 自由がほとんど許されない生活の中で、せめて結婚する相手くらいは自分で決めたいよね…

 それくらい、あたしにもわかってるよ。

 だからコウ、失望しないで。


 コウの幸せを願ってあげたい――そんな想いが花音の中にむくむくと湧いてきた。

「伯言様!確かに四季殿はコウ…紅壮殿下の御妃様候補の御住まいです。でもだからこそ、怪しいことは早いうちに改めた方がいいじゃないですか!」

 思わぬ方向からムキになられて、伯言は困った顔をする。

「だけど花音、そんなこと言ってもねえ……」

 するとすかさず、コウが畳みかけるように言った。

「小耳にはさんだ話だが、西虎国は今キナ臭いらしい。詳しい事は知らんが、その辺りのめんどうなことをこの国に持ち込もうとしているなら見過ごせない。伯言、おまえも臣下なら、これを国の大事と捉えてオレに協力しろ」


「――わかりました」

 伯言は、大きく息を吐いた。


「しかし、もう少し確証を得てからに致しましょう。今のところ、雲母医師は呪符を配っているだけ。昨日の妖騒ぎも凛冬殿の内で済んだ事です。もう少し、決定的な確証が欲しい」

「凛冬殿に探りを入れるってことか。女官でも忍ばせるのか?まどろっこしい」


 ふてくされ顔のコウを見て、花音はにっこり笑った。

「そのことなら、すでに手を打ってあるわ」


「どういうことだよ?」

「陸健誠、知ってる?」

 コウは首をひねり、ああ、と言った。

「聞いたことあるな。まだ子どもだが、やけに優秀な奴なんだろ?」

「そう。陸殿は今、冬妃様の学問の講義をしに、凛冬殿に招かれているの。で、雲母医師もそこに同席していることがあるみたいだから、機会があったら探りを入れてみてって頼んであるのよ」

 伯言が呆れたように目を丸くした。


「あんたいつの間にそんな小細工を」

「昨日、本をお探ししたついでに頼んでおいたんです」

 端麗な美形が、にやりとした。

「いやあねえ、花音。罪な女。男心を利用するなんて」

「そ、そんな!利用なんてしてないですよ!陸殿とは良き友人ってことになったんです!」


 伯言と花音のやりとりを、コウはじっと聞いていたが、

「陸健誠は花音にちょっかい出してるのか」

 と言い出した。


「ち、ちがうわよ!」

「おまえ、顔赤いぞ」

「なに言って…」

「っていうか、陸健誠カンケーないだろ」

「関係ないけど…凛冬殿に怪しまれずに行ける人だし、探り入れてもらってもいいじゃない」

「柊にも頼めたぞ」

 コウは不機嫌気に言うと、立ち上がった。

「オレはオレで探りを入れる。おまえは陸健誠と勝手にしろ」


 言い捨てると、コウはさっさと出ていってしまった。


「なっ……なんなのよ!いいわよ!勝手にするわよ!ねっ、伯言様!」

 急に話を振られて、伯言は目を白黒させる。

「はあ…どうでもいいけど、喧嘩はお肌によくないわよ」

「喧嘩じゃありません!コウが勝手に感じ悪いだけですよっ。こうなったら、伯言様も協力してください!」

「はあ……男の嫉妬ってめんどくさいわねえ」

「何か言いました?!」

「なんでもないわよう。とりあえず、陸健誠の報告を待ちましょ」

 伯言はめんどくさそうに扇子をあおいだ。



 数日後。

 

 飛燕が渡してくれた包みには前と同じ、金銀螺鈿細工の美しい塗箱があった。

「わあ、素敵!」

 塗箱の中を見て思わず花音は叫ぶ。

 中には、短めの深衣が収められていた。艶やかな絹のそれは薄桜色で、桜の花びらも意匠してある。贈られた裁付にぴったりな色合いである。

「さすが貴公子。藍悠皇子って、趣味が良いんだな」


 薄紅色の裁付に、薄桜色の深衣。翠玉飾りの眼鏡に、革靴。

 藍悠皇子に賜った品々を身に付ける。

 まるで戦闘服を身に付ける戦士になった気分だ。


 陸健誠は、花音にこう話した。

「紋章のことでいろいろと聞いたら、それは華月堂の新しい尚官様がお聞きなのでしょう、って。僕、白殿のこと何も言ってないのにさ。そしたら、わたしにはちょっとした予見の能力があるんです、って。尚官様がよければ、直接お会いしてお話しましょう、って。どうしますか、白殿?」

 やや不安げな陸健誠に、花音は二つ返事で承諾した。


(予見なんて、そんなはずない。きっといろいろ調べているんだわ。これはますます怪しい…)


 なんとしてでも尻尾を掴まなければ。


 一瞬、飛燕の顔が思い浮かんだが、飛燕はおそらく藍悠皇子の指示で動いているだろう。頼りにするのは申し訳ない。


 そして、コウ。


(い、いいわよコウなんて。雲母医師と直接会うのは危険かもしれないけど…後宮の中だし、滅多なことはきっとされないわ。あたしはあたしで、探りを入れる)


 花音は鏡でもう一度自分の姿を見て、よし、と立ち上がった。


「準備万端。何かあっても、この格好ならすぐに逃げ出せる。雲母医師に探りを入れて、コウをびっくりさせてやるんだから」

 花音は息巻いた。




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