第十七話 突破口

「で、貴殿は何用でこちらへ?」

 伯言はきちんとで陸健誠に問うた。

「いくら凛冬殿に招かれている御方とはいえ、男子禁制の後宮で勝手は許されないはず」

 硬い表情の伯言を気にする風でもなく、陸健誠はにこやかに答えた。

「ご心配ありがとうございます。講義に使う本を借りに華月堂へ行く許可は得ていますので、大丈夫です」

「なるほど。では、早く本をお借りになった方がよろしい。内侍省の武官は厳しいですよ。花音、手伝って差し上げなさい」

「は、はあ」

 花音は混乱する頭を抱えて陸健誠を蔵書室へ案内した。


 しん、と静まり返る蔵書室に沈黙が下りる。

 陸健誠が何も言わないので、花音は仕方なく聞いた。


「どんな本をお探しなんですか」

「えっと、『五経』と、『天文論議』を」


 書架の間を歩く花音に、陸健誠はおとなしくついてくる。

「……すみませんでした」

 ふいに、陸健誠がぽつりと呟いた。

「一方的に僕の気持ちをぶつけてしまって…白尚官の気持ちや御立場も考えずに……」

「いや、そんなことは」

「僕って、いつもそうなんです。物事に集中すると人の話聞いてなかったりして…なかなか人付き合いがうまくいかないんです。皇城に入って、最初は吏部に配属されていたんですが、上司や同僚とうまくいかなくて。この春から礼部に配属替えになったんです」

「そうだったんですね…」


 吏部は、出世街道まっしぐらの部署だ。優秀な人材は吏部に集められるという。

 登用試験を首席で合格したのだから、期待されていたのだろう。

 配属替えは、事実上、出世街道から外されたということだ。皇城に入ったばかりなのに。


「ちょっと落ち込んでしまって…そんなときでした。白尚官を見かけたのは」

 春の陽光の中、文殿を走り抜けていた少女。

「い、いや、あれはその」


「眩しかった。とても」


 陸健誠は、にっこりと笑った。

「颯爽と風をきって、規則や慣習に縛られなくて。それでいて、自分をしっかりと持っている。そんなふうに見えました。貴女のことばかり考えるようになって…」

 陸健誠の眩しげな視線に、花音は慌てて顔を逸らす。


「いろいろと聞き回って、貴方が華月堂の尚官らしいと知りました。そうしたら、鳳凰書楼閣で会えて。これは神龍が与えてくれた機会だと思いました。僕は凛冬殿に行くことになっていたから、すごく良い間合いだったんです。気持ちを伝えるなら、ここしかないと思いました」


(そんな……哀しそうな顔しないで…)


 胸がきゅうと痛む。

 自分への想いを語る少年の顔は、とても切なげで。


「でもやっぱり、僕ってそういうのが下手ですね。白尚官をすっかり困らせてしまった」

「いえ、そんな困るとかじゃなくて……」


「白尚官が藍悠皇子殿下と男女の仲とはつゆ知らず、失礼をしてしまって」


……


………


ええ?!


「いやいやいやいやいやいやちょっと待って陸殿。あたしと皇子殿下はそういう関係ではなく、あたしはあくまで臣下としての務めを果たしているまでで」

「そうですよね。女性は官吏とはいえ、帝や殿下の御目に留まれば妃嬪となる可能性もあるし、それも臣下としての立派な務めですよね」


 いやそうじゃなくて!


 心の中でツッコむも、陸健誠は、遠い目をして一人納得している。


(何か完全に誤解してるわ……)


「でもいいんです。僕、女の人に想いを伝えたのも初めてだったから。なんだか、すっきりしました」


(この人天然なのかしら…そんな、一人ですっきりされても)


「ありがとうございました。あの、せっかくだから友だちになってくれませんか?」

「へ?」

「僕、こんなだから友だちも少ないんです。せっかくの御縁なので」


 陸健誠は無邪気ににこにこしている。


「それはもちろん、構わないけど」

「やったあ!これからも、よろしくお願いします」


 花音の手を握って嬉しそうにぶんぶん振っている陸健誠は、子どものようだ。


「あの、陸殿。これ」

 花音は見上げた棚から『五経』と『天文論議』を取って陸健誠に渡した。

「わあ、白尚官本見つけるの速いですね!」

「まあ…それが仕事なので」

「凛冬殿に招かれた時は、華月堂で本を借りることにしますね!」


(…そうだ)


 花音に、ある考えが閃いた。

 真実を知る突破口になるかもしれない。


「陸殿。凛冬殿へは、頻繁に行かれてるんですか?」

「そうですね、週に2日ほどでしょうか」

「凛冬殿の専属医師の雲母様をご存知ですか?」

 陸健誠は生真面目そうに眼鏡を直し、ああ、と頷いた。

「何度か冬妃様のお側にいらっしゃるのを見たことがあります」

「あの、友人の女官から聞いたのですが、雲母様はたいそう御利益のある護符をお持ちで、所望する女官にくださるとか。それがどんな護符だか、詳しく知りたくて」

 陸健誠は首を傾げた。

「護符、ですか?雲母様はお医者様ですよ?」

「そ、そうなんですよね、だから何の護符かな、どのような紋章が描かれているのかなと、蔵書室官吏として興味がありまして」

「ああ、なるほど。学術的視点からのご興味ですか」

「そう!そうなんです!」

 陸健誠の勘違いに、花音は乗っかった。

「もしご対面の機会があれば、詳しくお伺いしていただけませんか…?」

「いいですよ。お安い御用です」


 陸健誠は、あっさりと快諾してくれた。


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