第十二話 蟲
すかさず柊が言う。
「万が一、貴妃の食事に毒などが混入していた時、すぐに処置できるよう各殿舎の専属医師は貴妃の食事中に同席が認められております。また、同席せずとも殿舎内に控えているはず」
「じゃあ、さっき凛冬殿に雲母医師がいなかったというのは……」
「あり得ないことです」
柊はきっぱり言った。
コウは腕を組んで唸った。
「あれが嘘なのか、嘘だとしてそれは女官長の意志なのか雲母医師の意志なのか、はたまた雲母医師が変人でほんとうに不在だったのか……今は憶測しかできない。確かなことは、雲母医師がクセ者だということだな」
そして、花音を振り返って西虎国の護符をひらひらさせた。
「これはオレが預かっていいか?」
「もちろんいいけど…」花音としては、護符が怪しげな呪い道具ならコウに渡すのは気が引ける。
「まだ持ってるなら、それも出せ」
「持ってるけど」
花音は伯言にもらった分も取り出して、「でも、これがもし怪しい物なら、コウが持つのもまずいんじゃ――」
花音が言いかけたときだ。
ぽとり
コウに差し出した掌の護符に、何かが落ちた。
「きゃあ!!!」
反射的に、花音は護符を放り出した。
地面に落ちた護符の上に、何やら黒い物が蠢いている。
「どけ花音!!」
コウがすかさず花音を背後に引き寄せ、懐から短剣を取り出して投げた。
細い刃は、素早く蠢くそれを地面に繋ぎ留めた。不気味なその黒い物体は、黒い甲殻から無数に生える足を断末魔の苦しみにもがいている。
「黒百足だ。その体液は皮膚を爛れさせ、刺されれば命を落とすこともあるという。昔から後宮ではよく使われる毒のひとつ」
動かなくなった蟲から、コウは短剣を引き抜いた。
「悪戯にしては、キツイな」
いつものように口の端を上げるが、コウのこんなにも真剣な声音は、花音が初めて聞くものだ。
「花音、怪我は」
「だい、じょうぶ、だけど」
あまりに唐突に起きた出来事に花音は思わず声が震える。
「紅壮様。ここは私が始末いたします。紅壮様は」
「わかってる。花音を華月堂に連れていく。すまないが、頼む」
「承知」
柊は懐から何やら粉のような物を出すと、地面に撒いた。
無残な蟲の死骸と紋章の紙片の上に粉が降りかかると、その部分が白く発光し始める。
「ご、護符が…!」
「あれは呪いの始末をするときの清め薬だ。柊はこういうことには慣れている。なんせ世話の焼ける皇子の護衛だからな」
こんな時までコウは軽口をたたく。
(あたしを、元気づけようとしてくれてるんだ)
自分でもどうしようもなく、身体の震えが止まらない。
どうしよう――そう思ったとき、ふわり、と身体が浮遊感に包まれた。
気が付くと、コウは花音を抱き上げている。
「コウ…」
「しゃべるな。瘴気に体力を奪われるぞ」
コウはしっかりと花音を抱いて走る。見えてきた華月堂の古びた木造の建物がとてつもなく懐かしく思えた。
コウの胸の中で、自分が指先まで冷え切っているのだということに、花音は気が付いた。
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