第六話 鳳凰書楼閣
「ふええええ…」
目の前の立派な建物を見上げ、花音はのけぞった。
「す、すごい建物。さすが皇城の書楼閣だわ」
宝珠皇宮皇城、鳳凰書楼閣。
三階建てのこの楼閣は、宝珠皇宮の中でも麒麟書楼閣と対を為す大きな蔵書用建築物だ。
「あーらあなたは華月堂の」
トゲのある声に振り返ると、すらりとした背の高いきつい目の美人が近付いてきて、花音を見下すように立った。
「範尚書!な、なんでここに」
思わず叫ぶと、範麗耀はきつく孤を描く眉を軽く上げた。
「相変わらず失礼な田舎娘ですこと。それはこちらの台詞だわ。後宮蔵書室の新人官吏ごときがなぜこの鳳凰書楼閣に?」
「あ、あたしは……あの、『五国正史』を借りにきたんです」
「はあ?」
範麗耀はあからさまに冷笑を浮かべた。
「『五国正史』なんてどこの蔵書にもあるのに?よっぽど管理の仕方が悪いか、借りる人間の品性が悪いか、よねえ。まあ仕方ないのかしら。後宮で本を借りる方々なんて、頭のデキはたかが知れてますもの」
この言葉に、花音はムッとした。
「……どういう意味ですか」
「華月堂で本を借りる方々は、女官か妃でしょう。女官の頭の中はいわずもがな、妃だって殿方の関心を惹くことしか頭にないんじゃなくて?」
「そんなことないです!」
大きい声を出した花音に、範麗耀は少したじろいだ。
「それに、学問の出来不出来や身分で本を読むわけじゃありません!本は誰にでも手に取ることのできるものじゃないですか!」
まさか反論してくると思わなかったのだろう、花音の攻勢に一瞬たじろいだ範麗耀だったが、軽く咳払いをして花音を再び見下す。
「あら、じゃあどうして『五国正史』が華月堂にないのかしら。ある程度の蔵書数のある場所なら必ず置いている本だわ」
「そ、それは……」
花音が返答に詰まっていると、範麗耀は細い目をよけいに細くして笑んだ。
「おおかた、学校にもあまり行ったことのない田舎娘が借りにきて、返していないんじゃなくて?物珍しさに借りたものの、字が読めなかったとか。あなたも同じ境遇だからおわかりになるでしょう。まあ、あなたは蔵書室官吏になるくらいだから、字は読めるのでしょうけど」
藍悠皇子が『五国正史』を華月堂に借りに来たのは、それを東宮侍従にすら知られたくないという事情からだ。だから藍悠皇子に貸していることは言えない。
けれど、後宮の女官たちを卑しい者のように言われるのは腹が立った。
確かに、三葉のように読めない字があったり、学問をする機会に恵まれなかった女官は多いだろう。
それでも、彼女たちは彼女たちなりに一生懸命読んで本を楽しもうとしているのだ。それを否定されるのは悲しかった。
花音が唇をかんでいると、範麗耀は白い繊手をほうきのように振った。
「もういいわ。とにかく、ここにあなたに貸す本はないから、出て行ってちょうだい。仕事のじゃまよ」
「そ、そんな……」
借りられないのは困る。意地悪とはいえ、皇子直々の命令だ。
仕方なく、花音は言った。
「それは困ります。あたし、紅壮皇子の遣いできているんです」
「はあ?」
範麗耀は眉根を寄せて、それから盛大に高笑いした。
「何を言うかと思えば……言うに事欠いて皇子殿下の名を出すなんて、ほんとうに礼儀知らずの田舎娘だこと。皇子殿下が『五国正史』などお読みになるはずがないでしょう。もしお読みになるとしても、あなたごときに遣いを頼むと思って?」
呆れたように肩をすくめ、しっしと花音を追い払う。
「知らないようだから教えて差し上げるけど、この鳳凰書楼閣はね、礼部管轄の蔵書楼なのよ」
「え?!」
(知らなかった……)
皇城の中で後宮に近い場所にあったため来てしまった。
(知ってたら来なかったのにーっ)
花音は己の無知さに臍をかんだ。
「ということで、わたくしたちは今、蔵書の虫干しと点検を行っているところなのよ。わかったらさっさとお帰りなさい」
ぴしゃりと言うと、範麗耀はいつの間にか後ろに控えていた部下たちを引き連れて中へ入っていった。
礼部一行が書楼閣へ入っていく脇で、花音が惨めな気持ちで立ちつくしていると、列の最後にいた官吏がサッと花音に近付いてきて言った。
「『五国正史』ですよね?」
ぎょっとしつつも咄嗟に「はい」と答えると、官吏はわかったというふうに頷いて書楼閣の中へ消えていった。
(持ってきてくれるってこと?)
微かな期待を込めてしばらくその場に留まってみたが、誰も出てこない。
諦めて、花音は華月堂へと戻った。
「なんだったのかしら、あの人」
背丈が同じくらいだった。花音とそう変わらない年齢だろう。
黒縁の眼鏡をかけた、華奢な少年だった。
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