お前は本当に婚約破棄をしたいのか?

龍田たると

本編


「お前は本当に婚約破棄をしたいのか?」


 セルヒオのその言葉に、アルメリアを含めた一同は静まりかえった。





 第八王子セルヒオは、アルメリアの婚約相手だ。

 二人はともに十五歳。

 当事者の気持ちなど関係なく、家柄と親の思惑で結婚相手が決められる。

 そんなよくある貴族社会の慣習で、アルメリアはセルヒオへと嫁がされることになったが、多くの者は彼女に同情した。


 というのも、セルヒオの評判はあまり芳しくなかったからだ。

 彼はいつもどこか寝ぼけているようで、ありていに言えば知能の足りない愚鈍な王子と評されていた。

 受け答えはゆっくり。貴族や王族に必要とされる魔法の素養にも乏しい。

 王位継承権の順位の低さもあり、そのことが大きく問題視されることはなかったが、それでも誰か婚約相手を見繕わなければならない。

 そこで、同い年で公爵家の四女であるアルメリアにお鉢が回ってきたのだ。


 いくら王族とはいえ、そんな男との結婚など普通の女子なら嫌がるところ。

 しかし、アルメリアはそのことに異議を唱えたりはしなかった。

 拒む素振りすら見せず、彼女は粛々とセルヒオとの婚姻を承諾した。

 それは、将来を諦めたというよりは、むしろ進んで婚約を受け入れたようであった。

 両親から婚約の話を聞かされた時、彼女は大輪の花のごとき笑顔を見せたのである。


 実のところ、アルメリアは王子のことをとても好いていた。

 彼女は控え目で気が弱く、学園では同級生からいじめの標的になっていたのだが、セルヒオだけはその輪に加わらず、普通にアルメリアへと接していたのである。

 それは彼の愚鈍さゆえにいじめの事実に気付かなかったせいなのだが、アルメリアは唯一平等に話しかけてくれる王子に感謝しており、そのことを思えば言動の遅さなど大した問題ではなかったのだった。


 アルメリアは、しばしば王子に手作りのケーキを焼いて持って行った。

 貴族の子女が手ずから菓子作りなど、はしたないと咎められるべきものだ。

 だが、王子はそんなことなどお構いなしにアルメリアの菓子作りの腕を褒めた。

 アルメリアにとって、セルヒオは自らの趣味を披露できる唯一の相手であり、彼女はただ純粋に自分の作ったケーキを喜んでくれるセルヒオのことが大好きだった。




 そんなアルメリアとセルヒオだったが、ある日を境に王子の様子が一変した。

 理由はわからない。

 ただ、彼が国王夫妻や兄たちとともに、各地の慰問から帰ってきた後、突如としてその異変があらわれた。

 セルヒオはまるで別人のように性格が変わってしまった。

 話す言葉は明瞭で、その行動は迅速。兄たちとの会話にも鋭い洞察力が見え隠れし、彼はこれまでの愚鈍さが嘘のように聡明な王子へと変貌した。


 その原因は、彼が竜の発祥の地である北方の半島を訪れたことにある。

 人の治世が五百年続くこの国では、竜などこの世には存在しない、そういう伝説があるだけのものと思われていた。

 しかし、実際に竜は太古の昔にその威容を誇っており、最後の生き残りであるその個体が滅んだ後、魂は長い年月をかけて輪廻転生し、セルヒオの身体に入り込んだのだった。


 ただ、竜の魂はいきなりセルヒオを乗っ取ったわけではなかった。

 実を言うと、もともと竜は彼の身体に転生しており、ずっと記憶が目覚めないままだったのだ。

 つまり、故郷の地を訪れたことで、眠っていた魂が呼び起こされたということ。

 セルヒオ自身も目覚めたことで自らの出自をようやく自覚したのだが、その性格のあまりの変わりように、周りの親族たちは彼を恐れ、気味悪がった。


 その一方で、アルメリアはいつも通りだった。

 セルヒオが帰って来ても、今までと変わらず、同じ態度で接し続けた。

 彼のことを恐れもせず、その変化がまるで存在しないかのように、セルヒオのもとにお菓子を持って行く。


 ある日、セルヒオは彼女に尋ねる。


「最近、俺の言動が以前と違うことを皆が怪しんでいるけど、君はそうは思わないのか?」


 アルメリアは平然として答えた。


「殿下は私を怖がらせないよう、できるだけ前と同じように振舞おうと努めてらっしゃいます。私にはそれで充分ですわ」


 「それに」と、彼女は言葉を続けた。


「殿下はいつもと同じように、私が作ったお菓子を褒めて下さいます。おいしいと言って下さるそのお言葉から受ける響きは、以前と変わりありません。だから私は殿下を信じられるんです」


 アルメリアは本心からそう言って、セルヒオに微笑んだ。

 セルヒオは感じ入ったように唇を真一文字に結ぶと、彼女に「ありがとう」とつぶやいたのだった。




 さて、セルヒオの竜の記憶が目覚めたことで、彼は性格のみならず、その価値観もがらりと変わってしまった。

 価値観というよりは感受性というべきか。数千年前の竜である彼は、現代社会の進歩の様子を改めて身をもって知ったのである。

 彼は思う。人間たちはあんなにも小さな身体で、よくぞこのような大きな社会をつくりあげたものだと。

 それは衣服にしても食事にしても、建築物にしてもそうだ。

 各人が技巧を凝らし、それを子孫に伝え、さらなる発展を遂げていく。人間の文化というものは実に目を見張るべきものがあると思った。

 彼は十五歳の少年らしからぬ観点で、物を見、話を聞き、その心に感銘を受けた。

 もっとも、その感動をそのまま口にしたのでは、ますます気味悪がられてしまう。

 セルヒオは、自身の素性をアルメリアにのみ伝え、彼女とのみその思いを共有した。

 彼の魂が竜であることを聞かされたアルメリアは、彼をいぶかることもなく、彼を信じ、その話にいつも笑顔でうなずいたのだった。




 しかし、すべてが順調にいっていたように見えたある日、一つの事件が起こる。


 それは貴族たちが集まる夜会でのこと。

 各家の子女も出席を許される、王族主催のパーティーにおいて、セルヒオの予想しえなかったことが起こった。


「殿下、私との婚約をなかったことにしていただけませんか」


 アルメリアが衆目の面前で、セルヒオに対してそう言ったのだ。


 どうしてだ、とセルヒオは思った。

 彼女とは上手くやれていると思っていた。

 嫌われたなどとは考えもしなかった。

 つい先日も、王宮の離れにアルメリアを招き、彼女の焼いたケーキに舌鼓を打っていた。

 人間の“つがい”の決まりごと──婚約というものは、人の身になった今でもよくわからない。

 それでも、アルメリアが笑ってくれているのならそれが一番だと思い、彼はこれまでの関係を変えようとはしていなかった。


 そんなふうに安穏としていたのが良くなかったのか。

 さすがに動揺を隠しきれずにいると、ふと彼女の手もとに視線が行く。

 アルメリアの手は震えていた。

 おや、と思い、セルヒオがそこから上へと目線を這わせると、彼女の青白くなった頬が目に入った。

 アルメリアは今にも泣きそうな顔をしていた。

 自分で婚約破棄を突き付けておきながら、何故そんな悲しそうな顔をするのか。

 おかしいと思っていると、周囲の貴族のざわめきが耳に飛び込んでくる。

 皆、表向きは心配そうにこちらを見守っているが、そのどれもが下世話な好奇の視線を孕んでいた。

 竜の力に目覚めたセルヒオは、人のさまざまな感情を敏感に察知する。

 それは、たった一匹で長い年月を生き抜いてきた野生の感知能力だった。

 そして、その中でもひときわ強い感情が自分たちに向けられているのを感じ取り、セルヒオはそちらへと注意を向けた。


 その方向にいたのは、同じ学園のクラスメイトたち。

 男女合わせて五名ほど。彼らはアルメリアをいじめていた生徒たちだった。


 これはもしかして、とセルヒオは思った。

 彼は竜の力を聴覚に集中させて、その生徒たちの会話に耳を傾けた。


「──ああ、もうっ。本当にグズでのろまなんだから、アルメリアは! そんな中途半端なところで黙ったら、わけがわからないじゃないの!」

「あいつ、俺たちが渡したセリフすら覚えきれなかったのか? どれだけ頭が悪いんだよ」

「王子も混乱して固まっちまってるじゃねえか。これだと俺たちの台本通りに話が進まないぞ」

「まったく、往生際が悪いったらないわね。自分の立場もわきまえない、ああいうのを分不相応っていうんだわ」

「以前の馬鹿王子ならともかく、アルメリアなんかじゃ今の彼とは釣り合わないって何でわからないのかしらね」


 ……一体何を言っているんだこいつらは、とセルヒオは眉を寄せた。

 最初はよくわからなかったが、注意深くそのひそひそ話を聞いていると、どうやらアルメリアの婚約破棄宣言は彼らに強制されたものであるらしいことがわかった。

 要するに、これもいじめの一環ということか。

 セルヒオの覚醒後、彼らは表立ってアルメリアを貶すことをしなくなったので、セルヒオはてっきりいじめはなくなったものだと思っていた。

 また、そもそもいじめの事実に気付いたのも竜の意識の覚醒後であったため、それについてアルメリアがまったく話題に出さないこともあり、セルヒオは追及するタイミングを逸してしまっていた。


 しかし、どうやらそれらの行為は続いていたらしい。

 しかも続く会話から察するに、アルメリアを婚約者から辞退させた後は、グループのリーダー格である侯爵家の少女がセルヒオの婚約相手として名乗りを上げるつもりだという。

 つまり彼らは、ここ最近で聡明になったセルヒオを、利用価値のある相手とみなしたわけである。


 セルヒオは、ああ、どうするべきか、と心の中でため息を吐いた。

 貴族の子女たちに対してではない。

 彼が気にしたのは、アルメリアについてであった。

 アルメリアの方を見ると、こちらの様子をうかがったまま、子ウサギのように震えていた。

 おそらく、次のセリフは何やかやとセルヒオを罵倒する言葉が続いて、彼との関係を終わらせようというものに違いない。

 だが、アルメリアは続く言葉を言い出せずにいた。

 セルヒオとの関係が崩れてしまうこともそうだが、彼女は何よりセルヒオを傷つけるようなことを言いたくなかったのだ。

 ……どうするべきか。セルヒオは少し考えて、心を決める。

 彼はアルメリアの言葉を待たず、口を開いた。


「──なぁ、アルメリア。人間というのは、素晴らしいところも多々あるけれど……理解しがたい部分もあるものだよな」


「え? えっと……セルヒオ様?」


 いきなり意味不明なことを言い出したセルヒオ。

 そんな彼に、アルメリアのみならず周囲の者たちも一様に当惑した。

 しかし、セルヒオは構わず言葉を続けた。


「前世の俺は、ずっと一人だったから、集団での生活なんてまるでわからなかったんだ。でも、そんな俺でも、おかしいと思える部分もいくつかある。例えば、そう……いじめのような、意味もなく仲間を排斥するような行為とかな」


 そこでセルヒオは、同級生たちをちらと見やる。

 彼らはセルヒオの視線と言葉に、びくりと大きな反応を見せた。


「どうして人間は、理不尽な仕打ちをして他者を排除しようとするんだろうな。俺にはそれがわからない。同じ仲間を害しても、いいことなんて何もないだろうに」


「セルヒオ様、それは……」


 アルメリアが何か言いかけたが、セルヒオは手振りで彼女を制し、さらに言葉を続けた。

 それは穏やかで、彼女に優しく言い聞かせるような口調であった。


「強い奴を蹴落として、自分がそれより上に行きたいというならまだわかる。けど、今回の場合、あいつら・・・・はお前を自分たちより弱いと思っているんだろう? わざわざ下だと思っている者を、時間をかけて傷つけるなんて、意義なんて何一つないと思うんだよ。何でそんなことをするんだろうな? 俺にはまったく理解できない話だ」


 一呼吸おいて、「あるいは」と、セルヒオは言う。


「あるいは、人間のような賢い種族もしばしば過ちを犯す。これも間違いの一つということなのかもな。あいつらはお前を弱いと思っているが……その前提からして間違っているんだから、過ちを犯すのは別に不思議なことじゃないのかもしれない」


「えっ……」


 アルメリアは心の中で首を傾げた。

 『あいつらはお前を弱いと思っている』『──が、それは前提からして間違っている』。

 セルヒオは今、そのように言った。

 どういう意味だろう。自分が弱いことは間違い……つまり、アルメリアは弱い人間ではないと言いたいのか。

 いや、そんなことは、と彼女は思う。

 いつも気弱で、同級生からもこうして脅されている自分の、どこが弱くないというのか。

 セルヒオの言うことが彼女には理解できない。


 セルヒオはアルメリアに語り掛ける。


「アルメリア、お前は貴族として十分な魔力を持ち、その扱いにも長けている。魔力がほとんどない俺なんかとは雲泥の差だ。俺が敵を打ち負かそうと思ったら、何か他のものに頼るしか方法がないが、お前はスマートに魔法を行使できる。魔法というのはすごいものだよな。たとえば……人の頭の中に狙いを定めて、その座標にほんのちょっと火炎魔法を発生させてやるだけで……そいつを殺すことも出来る」


 そこでざわりと聴衆たちがどよめいた。

 子供らしからぬ残酷で効率的な発想に、その場の誰もが戦慄した。

 特に、アルメリアを脅していた少女たちは、全員がその背筋を震え上がらせた。


「もっとも、そんなことは絶対にお前ならしないだろうけどな。そういうことをやってしまったが最後、自分も相手も、ともに後戻りは出来なくなる。一線を越えないからこそ、俺たちの社会は安寧が保たれているのだし、こうして気を許して話をすることもできるわけだ」


 竜の価値観は人間とは大きく異なる。

 敵対するのなら殺すか殺されるか。そういう抜き差しならない世界で前世の彼はずっと生きてきた。

 いじめというあまりにも中途半端な概念を、セルヒオは理解できないでいた。

 しかも、アルメリアを脅した彼らは、反撃されることをまるで想定していない。

 誰かを害するということは、やり返される覚悟をも要することだ。

 セルヒオが突如として物騒なことを言いだしたのは、それを言外に伝えようとしたからだった。


 セルヒオは、そこからやや語調を強めて彼女に言った。


「だから、お前は弱くなんかないんだ。魔法の才能だけじゃない。嫌がらせを受けても、お前はこうして心折れずにこの場に立っている。いじめられていることなどおくびにも出さず、俺の前ではずっと笑顔を見せてくれていたじゃないか。そうやって、たった一人で耐え続けたことが……お前の強さでなくて何なのか」


 セルヒオはそこで「アルメリア、今まで気付いてやれなくて……悪かった」と、彼女に頭を下げた。


「セルヒオ様っ、それはあなたが謝られるようなことではありません!」


 突然の謝罪にアルメリアは驚き、声を上げた。

 彼女のフォローにも、セルヒオは「いや、お前の婚約相手として、気付けなかったのは俺の落ち度だ」と首を振った。

 ただ、その後に彼は続けて「それでも、一つだけ聞かせてくれないか」と尋ねる。


「……お前は、本当に婚約破棄をしたいのか? お前は弱くなんかない。ただ、今の状況、それはおそらく一歩踏み出す方法を知らないだけなんだ。もしお前が、俺のことを嫌いになったのではなく、踏み出した後のことを恐れているだけなら……全力を挙げて俺がお前を守ろう。だから、安心して欲しいんだ」


 セルヒオはアルメリアをまっすぐに見つめた。

 照れも気取りもない、それは本心からの言葉だった。

 人にあらざる魂を持つセルヒオは、好いた相手に思いを伝える時、遠慮などは考えない。

 しかし、「一歩踏み出す方法を知らない」という彼の言葉は、その柔らかな声色も相まって、アルメリアには「勇気を持って一歩踏み出してくれ」と言っているように聞こえた。


 アルメリアはぎゅっと両手を胸の前で祈るように握ると、先刻までの己の言動を恥じた。

 私は何をやっていたのだろう。彼らの報復を怖がるばかりで、セルヒオ様にとんでもないことを言ってしまった。

 そんな私に、この方は怒るどころか、心配し、勇気を持てとまで励ましてくれた。

 ここまで気を遣わせておいて、私が今ここで踏み出さなければ、その厚意を無にすることになる。

 それは、この方の婚約者としてあってはならないことだ。

 いや、そうじゃない。

 婚約者だからとか、王族だからとか、そんな立場すら関係ない。

 そうすべきだと思うのは、何よりも私がこの人のことを好きだからだ──と。


 そして、彼女は心の中で願った。

 自分のためではなく、彼のためにこそ強くなりたいと。

 この人に見合う女性でありたいと。


「セルヒオ様」


 アルメリアは閉じていた瞳を開く。

 彼女は視線をそらさず、まっすぐにセルヒオを見つめて言った。


「ありがとうございます。セルヒオ様のおかげで決心がつきました。私は自分自身の弱さと向き合って、自分の力で始末をつけたいと思います。もう、逃げたりしません」


「……そうか。俺が傍についていなくても大丈夫か?」


「はい。これは私が自分で解決すべき問題ですから。お心遣いありがとうございます」


 アルメリアはそう言って、柔らかな笑みとともに一礼した。

 セルヒオは満足げにうなずくと、パンと手を叩いて衆目の注意を引き、よく通る声で言った。


「皆さま、どうやら私の婚約者は、飲み慣れない酒にあてられてしまったようです。ですが、もう大事ないとのこと。お騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした」


 慇懃な言葉遣いに威圧感を込めて周囲を見回すと、好奇の視線たちは無言でたじろいだ。

 「これ以上、俺たちのことに立ち入るな」、そんな言外の圧力を含んだ彼の所作は、とても十五歳とは思えない堂々としたものだった。


 貴族たちはセルヒオの言葉で、潮が引いたようにその場を離れていく。

 セルヒオはアルメリアに顔を近づけると、小声でそっと耳打ちした。


「ところで……具体的にはどうするつもりなんだ? もしかして、皆が集まっているこの場で事実を暴露して、あいつらを糾弾するつもりだったか?」


 そうだとしたら、衆目の視線を散らせたのはまずかったか。

 セルヒオが自身の言動を省みていると、アルメリアは「いいえ」と首を振った。


「こんなところで仰々しくあげつらったのでは、それこそ彼らと同じになってしまいます。明日の放課後にでも全員を呼び出して、決別する旨を手短に伝えれば、おそらくそれで済むでしょう。ご心配いただかずとも大丈夫です」


「なるほど。確かにその通りだな」


 セルヒオは首肯し、再び同級生たちを一瞥する。

 そしてすぐに視線を戻すと、離れた彼らにも聞こえるくらいの声量で、ややわざとらしくアルメリアに言った。


「アルメリア、お前は優しいな。ひどい仕打ちをした奴らを、これ以上関わらないというだけで許してやるなんて。俺だったら、そんな奴らは一人残らず食い殺してしまうだろうからな」


 ニヤリと口角を上げて歯を見せる。

 その表情に、同級生たちは本能的な恐怖を感じ、うち数名は「ひぃ」と小さな悲鳴を漏らした。

 アルメリアを含め、彼の口もとを見た者は、一瞬そこに鋭い牙が生えているような錯覚を受けた。


「いいえ、殿下。そんなものを食べられては、きっとお腹を壊してしまいますわ」


 アルメリアはセルヒオの軽口に合わせて答えた。


「口寂しいのなら、どうぞ私のケーキを召し上がって下さいませ。ケーキもクッキーも、お望みであれば他のどんなお菓子でも。私は殿下のために作って持って行きますから」


「……ああ、そうだな」


 セルヒオはうなずく。


「ぜひとも頼むよ。どう考えてもそっちの方が美味いに決まってる。手の空いた時で構わない。俺はずっと待っているからな、アルメリア」


 セルヒオはアルメリアの腕を引くと、その頬へと優しく口づけた。


「セルヒオ様……」


 頬を紅潮させるアルメリア。

 セルヒオはアルメリアを自身の胸元へと引き込むと、しばらくの間抱きしめ続けることで彼女の目線を覆い隠した。

 そして、今度は鋭いまなざしとともに、アルメリアをいじめていた子女たちへと顔を向け、皆の目にもはっきりとわかるように彼らをにらみつけた。


 おそらく、後日においてアルメリアは、その言葉通り一人で彼らに立ち向かうだろう。

 それは彼女自身が決めたことであり、セルヒオが介入することではない。

 が、彼女に何かあれば、その時はただでは済まさない。セルヒオの威嚇の視線は、そんな意を込めた同級生たちへの脅しであり、彼ができる最大限の手助けなのだった。




 そして──この時の宣言通り、翌日アルメリアは自らの力のみで同級生たちに決別を告げる。

 彼女がそれを行った空き教室の隣では、セルヒオが待機して聞き耳を立てていたのだが、アルメリアがそのことに気付いていたかは定かではない。


 だが、王子が控えていなくても、アルメリアは事を成し遂げたに違いない。

 少なくともセルヒオはそう確信しており、だからこそ彼女の前でそれを口にすることはなかった。


 その二日後、セルヒオは何事もなかったかのようにアルメリアを王宮に招待し、二人はアルメリアが焼いたクッキーをお茶請けに、ひとときの逢瀬を楽しむ。


「……セルヒオ様」


「うん?」


「あの……ありがとうございました」


 何に対しての礼なのか判然としないアルメリアの言葉に、セルヒオは「どういたしまして」と微笑んだのだった。

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