第5話 ときめきの8月
青い空に白い雲。蝉の声と眩しいまでの日差しが、より暑さを助長するように五感を刺激する。校内では、汗を光らせて部活動に励む生徒の姿と声。どこからか、軽音楽部や吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。それらをBGMに、私たちは涼しい図書室で日々を過ごしていた。夏休み真っ只中。彼は、ほとんど毎日こうして学校に来ては、図書室で勉強するフリをして、私と一緒にいる。
そう――フリである。
「そのプリント、一向に埋まる様子がないけれど?」
「え? 気のせいでしょ」
「そんな気のせいがあるか」
「あはは」
笑って誤魔化す彼に、溜息が漏れる。半眼で見つめれば、軽く肩を竦めていた。
「わかった。やるから。だから、そんな目で見ないで」
彼が、ちゃんと家で宿題をやっているのは知っている。だけど、宿題の量は多いし、休み明けにはまたテストがある。私と遊び呆けていたせいで、成績が落ちた――そんな結末だけは、見たくない。私たちは何も、堕落するために一緒にいるわけではないのだから。
互いにこうしている時間が貴重とはいえ、今この瞬間は、生きている彼にとっては瞬きほどの刹那なもの。一秒だって、無駄にしてほしくない。
だからといって、四六時中、勉強しろと言っているわけではない。せめて、やると決めた量はこなしてもらいたいだけなのだ。
「そんなに見つめなくても、ちゃんとやるよ。終わったら、またいちゃいちゃしようね」
「い……わ、わかった……」
いちゃいちゃも何も、触れられるわけでもないし、ここは学校だし……。
それに、またって何だ。まるで、いつもやっているかのように言わないでほしいものだ。断じて、喜んでなんていないんだからね。
「そうだ。この前は、ありがとう」
「この前?」
「誕生日の日。嬉しかった」
「そんな……特別なことなんて、何もしてないよ」
そう……先日の彼の誕生日は、ただただ一緒にいた。それだけ。何もいらないよと言う彼の隣で、いつものように同じ時間を過ごしたのだ。
どうせ彼のことだから、私が恥ずかしがるようなことを言わせようとしてくるのでは……? と思って少し身構えていたのだが、本当に何も要求してこない。そのため、勝手に意識しまくった果てに、私の方が焦れてしまったという有様だ。
今思い出しても恥ずかしい。なんと私は彼の帰り際、最後のチャンスとばかりに裏返った声で彼の名を呼んで、自分からキスの真似事をしたのだった。
あれは正直、恥ずかしくて思い出したくもないのだけれど、それでも彼が顔を赤くして本当に嬉しそうに笑ったものだから、後悔なんて一瞬で吹き飛んでしまった。
あんな顔を見ることができるのかと、幸せってこういうことを言うのかと、頑張って良かったと思えた日だった。
「そんなことないでしょ。さくらさんにしては、大胆な行動だった。俺のために頑張ってくれたんだなって思ったら、めちゃくちゃ嬉しかったよ。友達や家族から祝ってもらえたことも嬉しかったけど、その中で、ダントツ一番のプレゼントだった」
無邪気な破顔を向けられて、私まで嬉しくなる。喜んでもらえて、本当に良かった。
それからは、本日分の課題を終えた彼と、こそこそ話をしたりして過ごした。面白そうな本を一緒に読んだり、ただただ何もせずぼーっとしたり。時折こちらをじっと見つめてくるものだから、私は恥ずかしくてそわそわしてしまった。
「次に会えるのは、一週間後だね」
帰る時間が近づくと、彼は決まって翌日や翌週の話をした。カレンダーを見る彼の手元を覗き込む。今日は、金曜日らしい。
来週はお盆。その週に、彼は両親の実家へ、いわゆる帰省についていくことになっている。今年は一人で家に残ると言い出していたが、毎年お墓参りをしたり、親戚や祖父母に顔を見せたりしているのだと聞き、行ってあげてと言ったのだ。
正直会えないのは寂しいと思うけれど、ゴールデンウイークの時もそうだったし、十年間も一人だったのだ。今更一週間くらい、待てる。
「お土産買ってくるね」
「ありがとう。その気持ちだけで、十分だよ」
「どうして?」
「どうしてって……何を買ってくるつもりよ。私は物を持てないし、食べ物も食べられないのに。お供えでもするつもり?」
冗談めかしてそう言えば、彼は「そっか……」と黙ってしまった。私は、努めて明るい声を出す。
「お土産話を待っているね。綺麗な景色とかあったら、写真を見せてほしいな」
「わかった。メモリーいっぱいに写真撮ってくる」
「いっぱいって……どれだけ撮るつもりよ」
「さくらさんも一緒に行った気になれるくらいだよ」
「もう……」
こんな言葉で、嬉しくなってしまえるのか。それとも、私の表情筋がだらしなく戻ることもできずに、緩みきってしまったのか。私が自身に呆れていると、ぽつりと呟く声が聞こえてきた。
「……ここから、出られたらいいのにね」
「ここから……」
「そうしたら、ずっとずっと一緒にいられるのに」
「……そうだね」
そのずっとは――引っ掛かった言葉は、どこか奥に押しやって、ただ頷く。
「気を付けて行ってきてね。いってらっしゃい。またね」
「うん。行ってきます」
自転車を走らせる彼の背を見送り、私はいつまでも手を振っていた。見えなくなるまでそうして、ふいに顔から表情を消す。
「どうして、出られないんだろう……」
思わず漏れた声は、十年前のそれとは違う色を含んでいた。
試しに、開いたままの校門から外へと一歩踏み出す。しかし、見えない壁でもあるかのように、それ以上前へ出ることができない。
どうやら私は俗に言う、ここから離れることのできない地縛霊という存在らしい。もう幽霊だという自覚はあるのだが、何らかの理由があるのだろう。その何かのせいで、私は出られないでいるようだ。その事由がわかれば、苦労はしない。だけど、思い出せない。わからない。
既にいろいろと、十年前に試してみているのだ。そしてダメだった。諦めた。
それなのに、彼と過ごすことでこの十年できなかった、記憶を取り戻すことが少しずつ意識なく行われている。彼がきっかけとなっている。何事も。
いつか、すべて思い出すことができるのだろうか。そうなったら、どうなるのだろう。そこには、病気で苦しかった記憶もあるだろうか。死ぬ間際の瞬間も。
それは、覚えている必要のなかったこと? それとも、覚えていたくなかったこと? このまま思い出していくことは果たして、良いことなのだろうか。
それでも、私は知りたいだろうか。ここから出られるかもしれないならば。
「ここから、出る……」
出て、どうするの?
ずっと、気になっていた。私の家はどうなっているだろう。家族は。友達は――それは、知りたいようで、知りたくないようなこと。
それでも浮かぶのは、やっぱり彼の顔。一緒に行ってみたいところがある。隣に立って、見たい景色がある。卒業しても、そばにいられたら。
一人じゃないから……だから怖いけれど、彼となら私は前を向くことができる。そんな気がする。
たとえ、そこに何が待っていようとも――
「困ったなあ……」
つい先程まで一緒にいたのに、考えるのは君のことばかりだよ。もう会いたくなってしまったよ。一週間、我慢できるかな……。
◆◆◆
あれから一週間と二日。今日は日曜日。明日には、彼に会える。
毎日毎日、指折り数えた。一日一日が、こんなに長かったのかと不思議に思う。彼といる時は、いつも駆け足で通り過ぎて行ってしまうのに。
空を見上げれば、夏の大三角がはっきりと見えた。夜が明けて、朝になったら彼の笑顔に会える。それだけで、高揚感が一気に押し寄せてきた。いつも生徒たちが浮足立っているのを眺めていたけれど、きっとこんな気持ちでワクワクしていたのだろう。
彼も同じだったなら――そうしたら、どんなに嬉しいだろうか。
緩んでしまう頬に、そっと触れる。どうやら、これはもう引き締まらないらしい。
と、浴衣姿の人たちが歩いて行くのが目に留まる。そういえば、夕方くらいから時折見かけていた。この時期は珍しくもない。また、今日もどこかでお祭りでもあるのだろう。可愛らしく、または綺麗に着飾って、女の子たちが歩いて行く。子どもの姿や家族連れよりも、どうしても彼女たちに目がいってしまう。
「一緒に、お祭り……行ってみたいな」
ぽつりと出たのは、無意識だった。浴衣を着て、手を繋いで、花火を見て……。きっと彼のことだ、恥ずかしげもなく浴衣姿を褒めたりするのだろう。私は、そっぽを向きながらも嬉しくて頬を緩ませるのだ。
そんな妄想をしてしまうくらいには、どうやら私は寂しいらしい。祭りに行けなくてもいい――ただ、会いたい。
「レオくん……」
「呼んだ?」
「――っ……!」
これは、夢だろうか。焦がれていた彼が、そこにいた。
「さくらさん、久しぶり」
「どう、して……」
「会いたくて、来ちゃった」
「来ちゃったって……」
彼は校門を普通に開けて、中へ入ってきた。どうやら、教師がまだいるからだろうか。それとも、たまたまだろうか。鍵は開いていて、セキュリティーは作動していなかった。
変わらぬ笑みを浮かべて、彼は下りていった私の隣に腰掛ける。
いつもの場所で初めて見る、彼の私服。
センス、いいなあ……欠点はないのかな? もしあったとしても、きっと私の目にはおかしなフィルターがかかっていて映らないのだろうけれど。
「ねえ、どうして俺の名前を呼んだの?」
「それは……」
口ごもる私の隣から、クスクスと笑い声がする。ムッとして彼を見れば、変わらない楽しそうな顔。
「一週間が長すぎて、暑すぎてさ、涸れちゃいそうだった。さくらさん不足で、死んじゃいそうだよ。だから、補給させて」
「補給って……」
「そばにいたい……ねえ、そばにいて」
そんな甘美な誘いを、切ない声で言わないでほしい。どうせ、選択肢など一択しかないのだから。
「うん……」
「良かった。ねえ、さくらさんは寂しかった? 俺は、うさぎになっちゃったみたい」
「……それって、寂しくて死んじゃうって言いたいの? それはよく聞くけど、間違いだから。うさぎは孤独の方がいいの。誰かがいた方が、ストレスになるから」
「えー、そうなんだ。じゃあ、さくらさん欠乏症にする」
「病気みたいに言うの、やめてよ」
「ふふ。で、どうだったの? 寂しかったのは、俺だけ?」
嬉しそうな眼差しに、どこか期待の色が見え隠れしている。普段の私だったら、絶対に素直になれないのに、今日は違った。
「……うさぎだったんだけど、うさぎじゃなくなったみたい。君のせいだよ」
「じゃあ、俺がさくらさんを変えちゃったんだ……なんかそういうの、ドキドキする」
「何を想像しているの?」
「聞きたい?」
「言わなくていい」
「つれないなあ。あ、ほら始まるみたいだよ。見て」
「始まる? 何が――」
彼の指差しと独特の音につられて、顔を空へ向ける。
「っ……」
瞬間、一輪の光が闇夜に華々しく咲いた。
「寂しかったのも、会いたかったのも、全部本当。それと、一緒に見たかったんだ、花火。今日のは、ここからでも見られるって聞いたからさ」
お祭りには、一緒に行けないけれど。浴衣も着られないけれど。手も繋げないけれど。彼の笑顔と花火は、見ることができた。
「ありがとう……」
「さくらさん……」
「一つ、夢が叶っちゃった」
へへっと笑ってみせたけれど、どうも心のキャパシティが限界を越えたらしい。溢れた分が零れて、頬を濡らしていく。
「嬉しいの?」
「そうだよ。ねえ、私も寂しかった……祭りに向かう子たちが羨ましくて、君と花火を見たくて。君に、会いたかった……」
「泣かないで。俺は、拭ってあげられないよ」
「いいの。このままでいさせて」
星座は、もう見えないけれど。数々の花が、鮮やかに空を染め上げていく。その色々に照らされた横顔に、また落ちていく音を聞いた。
どこまで落ちていくのだろう――終わりなんてないのかな。もう這い上がれないよ。ただただ重力に身を任せるように、吸い込まれるように、転がり落ちていく。
最後に、静かに流れた滴は、名前なんてつけられない、心のもやもやを映していた。
「終わっちゃったね」
花火は、もうとっくに終わっていた。それでも、ずっと見上げて余韻に浸っていた私たち。口火を切ったのは、彼だった。
「明日は、またいつもの時間に来るよ。もう少ししたら夏休みも終わるし、この生活も後ちょっとだね」
「うん。そういえば、夏休みって短くなってない? 私の時は、もう少しあった気がするけど」
「そうなの? エアコンが、昔より完備されてるからかな?」
「あー……」
私の時だって、まったくなかったわけじゃない。けれど、割と扇風機や下敷きで凌いでいた記憶が多い。
「そういうことね」
「暑いのがいいのか、休みが短くとも涼しい方がいいのか……」
「そんなの、クーラーがある方がいいに決まっているでしょ。暑い中なんて、頭働かないよ。それに聞いたことあるけど、昔よりもどんどん暑くなっているんでしょ?」
「そうみたい」
「熱中症とかならないように、気を付けないとね」
「うん……」
「どうしたの?」
隣の彼が、何だか神妙な顔つきをしていたので、私は問いかける。すると、彼は真剣な顔をして、こんなことを言った。
「いや……さくらさんって、たまに説教臭いというか、お母さんみたい」
心外だった。
「はい? こんなに大きな子どもを育てた覚えはありませんけど?」
「あはは、産んでもらった覚えもないよ」
ケラケラと笑っている彼の横顔に、嘆息する。
「それに、お母さんだったら恋人になれないよ。だから、ダメ」
「……言い出したのは、君でしょうが」
「そうだっけ?」
「まったく……」
何の話をしているのだろうか。たわいない話に、淡い苦笑が漏れた。
「お土産話や写真は、また今度にするね。明日くらいに」
「うん。楽しみにしているね」
もう帰るのだろう。彼が立ち上がる。あっという間に感じたけれど、すっかり遅い時間だし、そろそろ教師たちも帰宅する頃だろう。鉢合わせになる前に、帰らないといけない。
私も浮き上がる。見送ろうとして、こちらへ体を向ける彼に気付き、小首を傾げた。
「さくらさん。今日が何の日か、わかる?」
「え?」
何の日? 何か、あったっけ?
わからずに首を傾げていると、優しい眼差しに包まれた。
「俺たちが、恋人になった日」
「あ……」
ちょうど一ヶ月なのだろう。把握していなかったことに、罪悪感が生まれた。
「大丈夫。責めてるわけじゃないよ。さくらさんに日にちの感覚がないのは、知ってるから。これからも、こうやって俺が教えてあげるからね」
「……そういうことを気にするなんて、やっぱり君は女子か」
照れ隠しにそう言うと、クスクス笑うイケメン。笑うな、もう惚れているから。
「さくらさんが、淡白すぎるんだよ」
「そうかな?」
「そうだよ。まあ、だからこそバランス取れてるのかもしれないけどね」
「……そうかもね」
「ねえ、目を閉じて」
「え……」
桜の木に手を当て、私を挟むようにして立つ彼。まるで閉じ込められたような錯覚に、頭がクラクラしそうになる。
ゆっくりと閉じゆく瞳は、彼だけを映していた。
やがて、彼が離れた気配に目を開けると、私だけを映す眼差しとぶつかった。
ついこの間まで、こんな真似事でもドキドキしていたのに――私は、いつから貪欲になってしまったのだろう。こんなものじゃ、満足できなくなっているなんて。
隣にいるだけでいい……それは嘘じゃない。だけれど、もっともっとと願ってしまう。
それは、贅沢なことなのだろうか。願ってはならないのだろうか。
ねえ、私は元来夏でも割と手が冷たいの。君は、どうかな――
「さくらさん……また、明日ね」
「うん……あ」
何かを言いたげな瞳で、また明日と言って。いつもの笑みを浮かべ、自転車に跨って手を振る彼を、私はとっさに引き留めた。
「どうかしたの?」
「いや、まだ言ってなかったと思って。おかえり、レオくん」
一瞬、驚きに目を開いて。すぐに破顔する。
「うん。ただいま、さくらさん」
今度こそ笑顔で帰っていくその姿を見送って、じわりと生まれた寂しさを、そっと胸の上から包んだ。
それでも笑っていられるのは、花火が綺麗で、まだ瞳の奥に映っているから。
優しい声が、耳の奥に残っているから。
昨日までの夜とは、違う。
「また、明日」
緩む頬をそのままに、私はまた夜空を見上げた。
夏の星座が、優しく瞬いていた。
◆◆◆
夏休みが終わって、気怠い生徒たちの中で、たった一人。足どり軽やかな彼が、変わらず私の隣にいた。宿題がすべて片付いたことや、休み明けのテストが終わったことも理由の一つかもしれない。だけど、もちろんそんなことは、彼にとってはすべてが些細なことだった。
私と、当たり前のように毎日過ごせる日々――何をするわけでもない、平凡な日常。それが、彼にとっては大事なこと。何にも代えがたい、大事な時間だからこそ、彼は日々を笑顔で過ごしていた。
「ほら、これ見て」
「何これ」
会わなかった一週間分の土産話は、尽きる様子がない。親戚がどうの、いとこの子どもがどうのと、いろいろな話が次から次へと飛び出した。今日も今日とて、図書室で話を聞きながらケータイの画像を見せてもらっている。
しかし、それも誰かがそばにいると途切れてしまうので、なかなかに話が進まない。いつものように桜の木でとなると、暑すぎて彼が耐えられない。なので、どうしてもスローペースになるのだった。
次から次へと現れる、見たことのない景色。まるで、メモリーをいっぱいにしたかのような数の画像に、呆れるとともに嬉しくなる。少なくとも写真を撮っている間は、私のことを考えてくれていたのだと知ることができるから。
「さくらさん、何笑ってるの?」
「君って、私のことが本当に好きなんだなと思って」
「今頃わかったの?」
否定どころか、当たり前のように言ってくるものだから、微苦笑が漏れるというものだ。
「私のどこが好きなの?」
「え? 急にどうしたの?」
「知りたいことは聞いていいって、前に言っていたよ」
そう言うと、そうだったねと笑って教えてくれた。
「前にも言ったけど、初めは一目惚れだよ。入学してからはずっとそばにいて、なんて頑固で怖がりで強がりな人なんだろうって思った。だけど、それも含めて可愛くて、優しくて、俺のために泣いて怒ってくれる……こんな人、他にいないよ。初めて、本当の俺を見てくれる人に出会えたと思った。外見だけじゃなく、俺自身を見てくれたから、もっと好きになった。どこがなんて、言い出せばキリがない。全部好きだから」
そこまで言っておいて、なんだか恥ずかしいと言って照れてみせるけれど、聞かされたこちらの方が赤面ものだ。いや、聞いたのは、私なのだけれど。
「さくらさんは?」
「え?」
「さくらさんは、どうして俺の告白にオーケーしてくれたの?」
「あー……」
言わせておいて、言わないという選択肢は――ないよね。
「俺の容姿が良かったから?」
「違う! いや、違わないけど……それだけじゃない」
「いいよ。さくらさんに好きになってもらえるのなら、この顔も身長も全部、意味があったって思えるから」
自分の容姿だけを見て寄ってくる人たちに対して、良い印象を抱いていない彼だ。そんな評価なんて、本当は嫌だろうに。
ずっと、本当の自分を見てくれる人を探していた。そんな君だったから――
「最初は、ビックリした。ものすごいイケメンが現れたってね。そして、変な人だと思った。だって、幽霊だとわかっていて好きだと言うし、付き合いたいと告白してくる。それも本気で。冗談でなく。断ったのに、それでも引き下がらない。なんなら友達でもいいなんて、嘘を吐く。そうまでして、どうして私といたいのか全然わからなかった。毎日毎日やってきては、聞いてもいないことを話して。……君の容姿は、目を引いたよ。正直言うと、ものすごく好み。だけど、君を見ているうちに、引っ掛かるものがあった。どうして、そんなに大人びているのだろうって、不思議さを抱いた。年齢不相応だと感じた。そして、私に似ていると思った」
「似てる?」
「そう……何かを抱えていそうな、妙に達観したようなところ。だから、興味を持った。いったい、どんな生き方をしてきたのだろうって。そうやっていつの間にか、目が追っていた。無意識に、君の姿を映していた。いつでも忘れられるようにしなくちゃって思えば思うほど、裏腹に気持ちが言うことを聞いてくれなくなった。そしてあの日……君に彼女がいるって話を聞いた時、後悔したの――君に、気持ちを伝えなかったことを。君にいつか彼女ができたら、ちゃんと祝福しようと思っていたのに。身を引いて、遠くで見守っていようと決めていたのに。君の隣に知らない誰かが立っているのを想像したら、苦しかった。嫌だと思った。私はいつの間にか、こんなにも君のことで頭が、心がいっぱいだったんだと気付いたの。だから、一緒かも。どこがなんてわからない。いつからなんてわからない。最初からだったのかもしれない。君の全部が、好きになっちゃった」
そう――言葉になんてできない。表せない。これが運命なのかと思えるくらいに、ただただ惹かれた。
他の人とは違う。誰にも抱いたことのない特別な想いが、ここにある。
「初めて……好きって、言ってくれた」
――ん?
「そう、だっけ?」
「そうだよ」
それはそれは……。
「いろいろと、突っ込んで聞きたいこともあった気がするんだけど、最後ので、全部吹き飛んじゃった」
「そ、そう……」
「ねえ、もう一回言って」
「な、何をかな?」
「好きって、言って」
期待の眼差しが、外の日差しといい勝負をしている。目がチカチカしそうだ。
これは……いつものあれだ。言わないと、いつまでもこのままというやつだ。私が恥ずかしがって狼狽えている姿も、きっと楽しんで見ているのだろう。そう思ったら、割と私は彼の手のひらで転がされているような気がする。それでも、それが嫌だと感じないのだから、仕方がない。何とかの弱みというやつだ。
「ね、さくらさん。お願い」
「……わ、わかった」
私は知っている。時間を掛ければ掛けるほど、言いづらくなることを。ならば、さっさと言ってしまえばいい。先程できたのだから、やれないことはないはずだ。
「す……っ……」
ああ、もう。いざとなると、なんでこう私はヘタレなのだろうか。口から心臓が飛び出しそうなのだが、きちんと受け止められるだろうか。
彷徨わせた瞳で彼を見やれば、ただ黙って微笑みながら待ってくれていた。
この野郎。余裕そうな顔しやがって……。
深呼吸を一つ。覚悟を決めた私は、強いのだ。ちゃんと目を見て――ああ、もう泣きそうなのだけれど。
「レオくん……す……っ……す、好き、です……」
どんどん声が小さくなっていってしまったけれど、ちゃんと聞こえただろうか。
しかし、これ以上は本当に勘弁してほしい。冗談でなく、心臓が遥か彼方にいってしまう。
あれ? 心臓あるんだっけ? とにかく、無理。もう無理だから。
胸中でそう叫びながら、チラリと彼を見る。すると、首まで真っ赤になって、片手の甲で口元を覆っていた。
「さくらさんって、時々、破壊力満点で俺を翻弄するよね」
「は? それは、君でしょうが」
「そんな涙目で、上目遣いのくせに、無自覚なんだもんなあ……」
「何? どういうこと?」
「なんでもないです。……ありがとう、嬉しい。俺も好きだよ、さくらさん」
さらりと言っちゃってさ、ズルい。本当にズルい。なんだか、納得いかない。
「いろいろ聞けたのも、嬉しかった。大事だね、伝えるって」
「そうだね……私もそう思う」
「だから俺、もっとさくらさんに好きを伝え続けるから。怖がりなさくらさんが、不安になる隙なんてないくらいに。だから、覚悟しててね」
「う……いいよ、たまにで。私がもたない」
「そうはいかないよ。期待してて」
言って、ぱちり。あああ、ウインクしやがった……! 何この生き物! まるで少女漫画に出てくる、主人公に迫ってくる謎なイケメンぶり。こんなやつ、実際にいるわけがないだろう。というか、リアルにいたら気持ち悪い。そううんざりしていたキャラクターが、漫画から出てきたみたい。
どうしてくれるのだろう。私は、そんなお花畑展開は嫌いなのに。だって、それはどこかのネズミの王国みたいな、夢の世界だもの。リアルには、どこにも存在しないものだもの。現実に帰ってきて落ち込むくらいなら、最初からありもしない幻なんて、見たくない。落胆させないでほしい。
――そう、思っていたのに……。
現実に、こんな妄想の世界みたいなことがあるなんて。こんな人がいるなんて。本当に――
「レオくんの、バカ」
「え? 何で? 突然のツンデレ? もう、可愛いなあ」
「え……頭、大丈夫?」
「……それは、いくらなんでもひどいと思う」
彼のせいで、どうやら私は嫌いなものを好きになってしまいそうです。
「ふふ……」
「ははっ」
そして、そうやって変わっていっても、変わらずこうやって笑いあえるのだろう。
私たち、二人ならば。
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