第21話 本番
そして、やってきた本番直前。
今は河織が脚本を担当するAチームの講演中だ。
場所はいつも活動している講堂。
舞台といっても、先生が集会でスピーチをやっている場所をちょっとパネルを置いて改良しているだけ、そんな大層なものでもない。舞台裏もいつもの部室だし。
そして、俺らはその狭い部室で出番を待っていた。
「うわ、人がいっぱい。緊張するよぉ、台詞飛んじゃったらどうしよう……」
やめとけばいいのに、綾芽はこっそりと観客席のほうを覗いて、情けない声を上げていた。
観客の入りは上々。さすがは地域内で一番大きな私立学園の文化祭といったところだ。
「ほらー、そんな固くならないー。もがみんでもみておちつきなよー」
「…………ぶっ!」
「ほらほら、二人とも茂上君をいじめるのはやめなさい。…………ふふっ」
「みんなひでぇや」
Bチームの態度に苦々しく思いながら、俺が着ている衣装を見下ろす。
花柄の刺しゅうが施された濃い紫の着物。
完全に女物だった。
誤解しないでほしいのだが、別に好き好んでこんな格好をしているわけではない。
俺は信長役を演じる。当然それにふさわしい衣装が必要なわけで。
だがこの演劇部の備品に和服はどれも女物しかないらしく、一番ましなのを選んだのだけれど。
女物だし、勿論着物なんて着慣れていないので、帯で調節可能といっても、動きづらいったらありゃしない。
一方、3人はいつも通りの星倉学園の制服である。
不公平だ。まあ、俺が書いた脚本通りなんだから、自業自得といえばそうだけど。
「ごめんね? 笑ったのは、えっと違うの。本当は似合ってると思うよ? だけど、本番前だから緊張しちゃってて、ね?」
そんな俺の不満げな顔を見て流石に罪悪感が湧いたのか、綾芽がフォローをしてきた。
「もがみーん、袖を口元にあててみて」
「……こうですか?」
「ぶっ! ちょ、ちょっと陽葵先輩やめてくださいよー」
「あっははー、ごめーん」
「…………」
泣いていいかな?
「ほら、気を緩めるのもいいけどもうすぐAチームが終わるわよ」
見かねた朝宮先輩がじゃれている綾芽と陽葵先輩を窘める。
でも俺知ってる。朝宮先輩の口角がぴくぴくしてる。笑うのを我慢してる。
まあ、いいっすよ。本番前にリラックスをお届けできるなら。みんなのためになるのなら、俺は喜んで道化を演じてみせますとも。
「Aチームのみなさん、ありがとうございました。続いては――――」
そのアナウンスを聞いた瞬間、さっきまでの弛緩した空気が吹き飛ぶ。
次は、俺らの劇の発表だ。
※※※※
『おっはよーカエデちゃん。今日も早いねー』
『あ、おはようミキちゃん。うん、大会はもうすぐだから、やれることはやっておきたいんだ』
『でも、根を詰めすぎても逆効果だから、無理しすぎないでね』
『心配してくれてありがとう、トモコちゃん。でも大丈夫! 私走っている時が一番楽しいの!』
「よし、滑り出しは順調そうだ」
舞台袖で俺は三人のことを見守る。
俺が出てくるのは三人より少し後。だから、今はこうして俺の出番を舞台袖から。
流石、上級生の二人は舞台に慣れているだけあって安定感がある。
問題は綾芽なのだが……、そっちもなんとか大丈夫そうだ。
出番が近づくにつれ、ガチガチに緊張していて、逆にこっちが緊張する間もないほど心配だったが、先輩方につられるようになんとか調子を取り戻し、ほっと胸を撫でおろした。
まあ、緊張するな、ってのも無理な話だ。
綾芽はこの劇の主役なんだから。
※※※※
それは、合宿後初めての練習の時のこと。
「たいっっへんっ! お待たせいたしましたぁー!」
土下座する勢いでBチームのメンバーに差し出したのは、印刷した脚本。
俺が合宿の後に、完成させた脚本だ。
といっても、すでにデータはみんなに共有しているので、すでにみんなの手元にいきわたっている。
「ほんとだよねー」
そして、そんなパフォーマンスに真っ先に反応するのは予想通り、陽葵先輩だ。
「もがみんさー、本番まであとどれくらいか知ってるー?」
「二週間、です……」
「へー、ちゃーんと知ってるのにこんなに遅れたんだー?」
「ぐっ……、ごめんなさい」
「もがみんはわるい子だねー」
「…………」
申し訳ないという気持ちはまぎれもない本心なのだが……。
本心なのだが、陽葵先輩の言葉の端々からこの状況を楽しんでいるのが伝わってきて、素直に頭を下げるのに心理的に抵抗がある。
とはいっても、今回ばかりは陽葵先輩が圧倒的に正しい。
何も言い返せない。
「はいはい。陽葵ちゃんの言う通り時間はないことだし、このまま講評をしちゃいましょう?」
こういう時に決まって助けてくれるのは朝宮先輩だ。
だけど、時間がない、というところに引っかかったのは俺が後ろめたく思っているからだろうか?
合宿最終日、西田先生を叱る朝宮先輩のことを思い出しぞくりとする。
そんな朝宮先輩のフォローがあって、俺の脚本の講評が始まったのだった。
***
俺が書いた脚本のタイトルは『好きこそもののふ』だ。
主人公カエデは、三年生の陸上部。
引退試合を目前にして足に怪我を負ってしまい、リハビリをしても引退試合に間に合うかどうか、間に合っても、本来の力の八割も出せない。
どうして自分は走るのだろうか?
胸の中には、そんな言葉がよぎり、引退試合を諦めて受験勉強へとシフトした方が賢い選択ではないかと考えるようになっていた。
カエデはリハビリを続けるものの、走る意味を失いかけていた。
そんなカエデの前に、織田信長が現れる。
最初は信長の存在を受け入れられなかったカエデだが、信長と過ごす中で、本当に大切なものを思い出していくのだった。
***
それぞれに全体の感想から誤字脱字等々細かいところまで指摘してもらい、脚本の講評は一区切りついた。
ついたのだが……。
「……ぐふっ」
「晴君、大丈夫?」
言葉にすれば一行で済むが、それはもうコテンパンにされた。
事前に河織に見てもらったのに……。
これ以上にもっとダメージが大きかったと思うとぞっとする。
「もーがみん。まだ終わりじゃないよー?」
「えぇ! まだこれ以上になにかあるんですか?!」
「ちがーう」
「じゃあなんですか?」
俺の問いに代わりに答えたのは朝宮先輩だった。
「配役よ、茂上君」
「あー……」
「ふふっ。そうね、できれば今日中に決めておきたいかしら」
「……なるほど」
本番まであと二週間もない。
誰がどの役をやるか早めに決めてしまえば、その分練習に残された時間を使える。
書いてた時は、合宿は3日でできたんだしいけるよねー、なんて軽く考えていたが、それは3日間みっちり使えたからだし、三上先生の指導あってこそ可能になったんだ。
これから脚本も修正するとなると、かなり役者にとっての負担になってしまう。
ほんと、申し訳ねぇ……。
「それって、どうやって決めるんですか?」
「何言ってるのー。もがみんが決めるんでしょー?」
「え? 俺が、ですか?」
「あたりあまえー。だって、もがみんはBチームの脚本兼演出兼監督だもん」
「なんで俺の役割そんなゴテゴテしてるんですか。初耳なんですけど」
「でも、もがみんが書いた脚本でしょー? 誰かに任せてもいいのー?」
「それは……」
言葉に詰まってしまう。
俺の想いを伝えたいがため、生まれた脚本。
なら、俺には、それを形にする責任があるのではないのか……?
「俺がやりたいです」
そんな俺の返事に陽葵先輩は満足そうに頷いて、
「まあ、短期間で完成させるなら、脚本のことを一番知ってるもがみんがやるのが効率いいしねー」
「……そうっすね」
確かにその通りだけど、なんか気分が台無しだった。
※※※※
「それで茂上君は、どんな配役がいいとか、イメージはあるのかしら?」
「そうですね……」
河織とは違い、誰がどの役とか意識して書いていたわけではない。
まあ、唯一の男役である信長は俺がやるとして、ほかの3役は、主人公のカエデとその友人の二人。
さてどう決めたものか……。
とそんなことを考えていると、綾芽が恐る恐るといった感じで手を挙げて、予想外の言葉を放つ。
「わたし、カエデ役をやってみたいんだけど……、いいかな?」
「綾芽が?」
「うぅ、晴君、だめかな?」
「いや、ダメってわけじゃないけど、どうした急に?」
長年の付き合いからして、綾芽は主役なんて目立つし一番大変な役割を、それも自分から進んでやるような性格ではないことは知っている。
「だって、晴君の脚本が……」
「俺の脚本?」
「晴君の脚本読んだからだもん!」
すると綾芽は何かスイッチが入ったかのか、少し興奮気味に言葉を続ける。
「晴君の脚本を読んでて、なんかうまく言えないけど、私も頑張ってみよう、ってなったの」
「えっ……」
また、綾芽の発言に驚かされることとなる。
だってそれは……。
「それって、マジで?」
「…………え? う、うん。まじまじ」
「俺の脚本を読んで、信長の言葉に励まされて、カエデのように前を向きたいと思ったの?」
「そういうことだけど……」
それは、まさに俺が脚本に託した願いの形。
河織だけじゃなくて綾芽にも、この脚本で伝えたいとこがちゃんと伝わっているんだ。
それも綾芽は、俺の脚本で、勇気づけることができたんだ。
「そっか……、そっかそっかぁ!」
「ちょっ、近いっ……」
「ありがとう綾芽!」
「ええ?! ……もうっ、晴君わけわかんないよぉ」
これってつまり、隅田さんにも伝えられるかもしれないってことだよな……?
「……むー。はいそこー。二人だけで盛り上がってなーい」
そこで、陽葵先輩が間に入ってくる。
「それでー? もがみんの考えは?」
「……あー、俺が決めるんでしたっけ」
綾芽がここまでやる気になっているんだ、是非カエデ役をやって欲しい。
「でも、一年生がいきなり主役って大丈夫なんですか?」
「今回の劇は一年生が主体となって創っていくものだから、反対する理由はないわね」
「むしろ、だいかんげー」
先輩方の言葉を聞き、綾芽と目を合わせる。
綾芽と俺の顔がだんだんと緩んでく。
「よしっ! カエデ役は綾芽に任せる!」
「うんっ! わたし、がんばるよ」
※※※※
『わたし、このままでいいのかな? 走り続ける意味は、あるのかな?』
舞台に立っているのは、カエデを演じる綾芽のみ。
観客の視線を独り占めしていた。
このシーンは、カエデが自分が大好きだった走ることに疑問を抱き、悩むところだ。
そして、そんなカエデの前に現れるのが、信長だ。
「やぁっと、儂の出番かのう」
信長はそこにいるのが当たり前かのように気軽に声をかけてくる。
「……舞台が始まってまだ15分も経っていないだろう」
「いや、わしはこの瞬間をずっと待ち続けておったんじゃ。この日のために。いや今から儂は、生を受け、やっと天命を果たせる」
「信長……」
「じゃが、天というには、だいぶ頼りないがのぅ」
「……一言余計だなぁ」
信長にとって俺の存在とは、俺の目的のために信長を生み出した、まさに神様のような存在なのだろうけどさ。
それにしては、俺に対する態度がかなりアレなような気がするが……。
「そんな頼りない奴だけど、俺の想いを託したぞ」
「うははっ、当たり前じゃ」
「任せたぞ」
「うむ、任された」
その返事を聞き、俺は信長へと意識を預けた。
※※※※
信長を演じるというより、信長という人格へと成り代わる。
イメージとしては、俺に信長が憑依するという感じだ。
この演じ方の着想を得たのは、合宿本番でスグルを演じたところからだ。
俺の意思を置いてきぼりに体が勝手に動き出し、俺はぼんやりと他人事のように感じていた。
自分以外の誰かに操られているような感覚。
まるで、別の誰かに俺の体の主導権を奪われたような。
それを信長でも実現しようと考えたのだ。
人格丸ごと他人に成り代わるなんて、そんなこと容易にできるわけがない。
だが俺は、今まで嫌になるほど俺が生み出した妄想、織田信長と向き合ってきたんだ。できないことはない、そんな確信があった。
一歩一歩と、舞台の光へ歩みを進める信長。
恐れは全くない。程よい緊張を楽しむ余裕さえある。
だって、信長に自信をもらったから。
――今日この瞬間、俺の妄想の存在でしかなかった信長が、俺の体を通して舞台へ姿を表す。
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