第3話 運命の舞台

「はーあ」


 若干ぬるくなった湯船につかると、体から悪いものを吐き出すようにため息が漏れ出る。


 部活でBチームにネタだしをしてもらって、それを家に持ち帰り、よしやるぞ、と鉢巻きを締めるぐらいの気持ちで、パソコンの前に座った。そして、三時間を費やして得た成果は、ゼロ。


 いざ書こうとPCに向かおうと、なんのアイデアも出てこなくて、やったことと言えば、織田信長についてちょっと調べたくらい。

 陽葵先輩には、なんでもいいからかいてきてー、とは言われたものの、それ一番難しい。

 元となる脚本がなければ、Bチームの劇が全く進まないのは頭で理解している。だが、わかっているのとできるのは別問題なのである。


 このままだと何も進むことはないと思い、気分転換でなにかきっかけを得られるかもしれないという期待を抱きつつ、一度風呂に入ることにしたのだ。


 一度休憩すると決めると、どっと疲れがやってきた。どうやら、思った以上に疲労が溜まっていたようだ。

 そんな疲労感にどことなく満足を覚え、水滴のついた天井を眺める。


「……なんも思い浮かばねぇ」


 一応、頭の中では、脚本のことを考えていたのだが、特になにかしらとっかかりを掴めることもなく。

 というか、もう諦めムードだ。さっきから、明日の言い訳しか思いつかん。


「あーあ。明日、どうすっかなー」


 自分の中で膨れ上がった不安が言葉となって表れた。

 心が軽くなるなんてことは全然ないけど、でもやっぱり、言葉に出さずにはいられなかった。


「書けつってもなぁ。おもろいこと浮かばないし、そもそも、押し付けられた、だけだし……」


 いや、押し付けられたってのは違うか。まんまと調子よくのせられたって感じだな。つまり、俺がアホなのか。

 早くも脚本担当を引き受けたことを後悔しだしてきた。


「なーんで、引き受けちゃったかなぁ……」


 憧れの人の前でカッコつけたかったから、結局はそれに尽きるのだけれど、こんな志低い俺に、脚本を書くことなんて……。


「書きたい、こと」


 体が温まってきて、だんだん頭がぼーっとしてくる。

 俺は、どんな演劇をやりたいのか?


 その答えを求めるために、俺は演劇部に入部したんだ。

 意識がだんだんと遠のいていく中、俺はあの日の事を思い出す。



  ※※※※



 中学三年生の秋、人生で初めて将来の選択を迫られた。


 今までは、言われた通りに保育園に行って、小学校に行って、中学校に行って。特に熱中することもなく、流れに身を任せるような空っぽな人生を送ってきた。


 そこで突然の高校受験。いや、突然ということはなかったけど、どこか他人事に感じていた。

 でも夏休みが明け、文化祭や修学旅行と学校行事を一通り消化した辺りから、先生が口を開けばやれ受験勉強だ統一模試だ、クラスのホットな話題も学校行事から受験について移り変わってきているので、嫌でも将来のことを考えさせられる。


 そこで渡されたのが第五回進路希望調査用紙。今までは無難な高校を作業的に記入してきたが、数字が増えてくたび筆が重くなって、ついに五回目、「これは最終決定だと思ってくれて構わない」という先生の言葉が決め手となり、シャーペンを持つ手が全く動かなくなってしまった。


 いつもと同じように特に深くは考えず、自分の成績に合った無難な高校を書けばいい。ほとんどの人が結局そうやって高校を選んで、受験している。そう思っても、悩んでしまう。


 きっと、自分が空っぽだということを認めたくないのだろう。


 そんな俺を見かねた妹に気分転換にと、文化祭を見に来るようにと誘われた。



 ――そこで俺は、運命の出会いを果たす。


 

 その人は、舞台の上にいた。


 彼女は、主役を演じていて、それも誰もが知っている歴史上の有名人、織田信長、男役だった。

 彼女は舞台上の誰よりも、男らしく、そして美しい。

 俺は、あっという間に彼女の演じる織田信長の生きざまに引き込まれ、魅了されていく。

 他の役者との別格な凄みで、むしろ彼女の方がこの劇では浮いているほどだ。

 むしろ、それが彼女の演じる破天荒な織田信長の魅力となっていた。

 織田信長を演じる彼女が、同じ中学生とは思えなかった。


 彼女に見惚れているうちにあっという間に幕が閉じていた。



  ※※※※



 日が落ち始めて、文化祭も終わりに差し掛かったころ、俺は人気が少なくなった講堂へと来ていた。

 目的は、今日見た演劇の感想を書くためだ。


「うわー、すげぇな」


 思わず声を上げてしまう。

 演劇の感想を大きい模造紙に寄せ書きのように書く形式になっている様だ。すでにカラフルな文字で書かれた感想に模造紙が埋め尽くされている。演劇が終わった後に観客が書き残していったものだろう。


 じゃあなぜ今まで俺がで感想を書いていなかったかというと、予定が差し迫っていたとか、そんな凡庸なものではなくもっと複雑な事情がありまして。


 感想書くの恥ずかしくて、めちゃめちゃ躊躇していたのである。


 伝えたい想いがたくさんあって、それを書かずにはいられない程だったんだけど、そのとき人が多くて、なんか俺の感想を見られるのが気恥ずかしかったのだ。


 だって、書くの知らない女の子のことだぜ? めっちゃキモいじゃん俺。そんなところ見られたら、「うわー、あいつ主演の女の子のことばかり書いてるよ、きっも」とか思われちゃうよ? 公開処刑だよ。いや、そんな気色悪い感想を書くつもりはないけどさ。


 だからと言って、せっかく感想を伝える方法があるのに、それを見逃すってのもなんか後々後悔しそうだし、面と向かわないで書くだけなら、やりたいなぁって。


 そんな複雑な心理状況の中出した結論が、人気が少なくなった時間帯にもう一度来てまだ感想用紙があったら書こう、だった。


 そしてあった。だから書く。

 置いてあるマーカーの中から、目立たなそうな黒ペンを選んで端っこの余白へと、狙いをつける。

 書き出しを少し迷いはしたが、そこからはスラスラと書きたい言葉が溢れてくる。腕が思考に追い付かないほどだ。


 びっしりと模造紙の端っこまで書ききった感想を見返す。


 ……全然まとまりがない。


 勢いで書いていたから気が付かなかったけど、中身がすっからかんだ。すごいとか、よかったとか、ばっかりだし、同じようなこと言ってるし。なんか初めて自分の語彙力のなさに後悔している。


 そんなことを考えていると、ふと近くに人の気配を感じた。


「…………」

「おわっ!」


 思ったより近くにいたので、思わず過剰な反応をしてしまった。

 そんな痴態を誤魔化すように、謝罪の言葉を口にする。


「えっと、ごめんなさ……、いっ?!」


 そこで俺は、思考がフリーズしてしまう。


 その人は俺の書いた感想をまじまじと見つめていた。

 そして、俺はその人に見覚えがある。

 艶やかな黒髪、きめの細かい肌、整った顔立ち、そのどれもがスポットライトのなかで輝いて。


「隅田、瑞希?」


 パンフレットに書かれていた主演の隣の名前、そして、今さっきまで頭のなかでいっぱいだった彼女の名前を、思わず口からこぼしてしまう。


「あっ……」


 今更手で自分の口を塞いでも後の祭り。

 流石に自分の名前を呼ばれたら、反応するにきまっている。


 無表情のまま視線を俺へと向けてきた。不思議そうにも、眠たげにも、逆に興味津々にもみえる瞳だった。


 隅田さんは俺の書いた感想を読んでいたから中腰のままだったので、自然と俺の事を見上げる形になっていて、つまるところ、上目遣いで。


 湧き上がるたった一つの感情。くっそかわええ。


 鼓動が早鐘を打つ。一瞬で体が熱くなり、手やら額やらに汗が浮き出てきてきた。緊張している。だんだんと顔も引きつってきた。

 だが、目をそらすことは叶わない。しばらく彼女と見つめ合っていた。


 そして、隅田さんが先に動いて姿勢を正すと、さっきまで見つめていた俺の感想を指さす。


「これ、書いたの?」

「いやっ、違います」


 なに言ってるんだ。否定してしまった。てんぱってるからか。

 隅田さんは俺の返答に眉一つ動かすことなく、また問いただしてくる。


「書いてた、よね?」

「……はい、書きました」


 たぶん、隅田さんは俺が書いている所もみてて、ただの確認だったのだろう。

 つまり俺のことを、初めて話すのに嘘をついた信用ならない人だと思ってるに違いない。


 そんな、極度の緊張からのネガティブ思考に陥ってる一方で、隅田さんは相変わらずの感情の読めない無表情で俺の感想を見つめている。


「ふーん」

「…………」


 めちゃくちゃ逃げたい。


 知らない人に見られるのも嫌なのに、本人に目の前で見られるとか。

 いや、見て欲しくて書いたわけだけど、俺のいない所で見て欲しいというか、もっと匿名性を大事にしてほしいというか……。これなんて羞恥プレイ?


 じーっとしたまま動かずにいた隅田さんが、顔を模造紙に近づけて目を細めると文字を指でなぞりだした。


「特に最後の、シーンのセリフが、かっこよくて……?」

「――っっ!!」


 止めてくれええええ!! 音読は……! 音読は勘弁してつかあさい……。

 早急に止めたかったが、身悶えたくてうずうずする体を押さえつけるのでそれどころじゃない。


「……字が読めない」

「へ?」


 隅田さんはぼそりと呟いた。


「これ、なんて読むの?」


 隅田さんが指さす先は、下へ続くにつれてだんだんと小さくなっていく文字。余白に収まらないと思って途中から小さく書いたんだけど、やっぱり読めなかったかー。

 正直書いた本人である俺も字が汚くて読めない。意味ないじゃん。


「えっと……俺が読むの?」


 こくりと隅田さんが無言で頷く。


「演劇観てくれた?」

「う、うん」

「じゃあ、あなたの感想、聞かせて?」


 小首を傾げてこっちを見つめてくる隅田さん。依然表情はあんまりないけど、瞳は期待の色に染まっているように思える。

 それにしても、間近で見ると舞台で見た時よりもかわいい。表情があまり変わらないものだから、まるで人形のようだ。


「……どうしたの?」

「ああ、いやなんでもない。えっと、感想だっけ?」

「うん」

「良かったと、思うよ」

「うん、他には?」

「えっと」

「どこが良かった? どんなところが良かった? どういう風に良かったの?」

「え、えっと……」


 急にぐいぐいと食いついてくる隅田さん。相変わらず表情で感情は読み取りずらいけど、すごく興味津々だってことはわかる。


 俺は、そんな隅田さんの態度の急変についていけず、引きつった愛想笑いをしてしまう。


「あっ、ごめん」


 俺が困惑したのに気が付いたのか、自分の行動を恥じるかのように俯いてしまう。

 どうフォローしたものかと考えようとした矢先に、隅田さんはすぐに顔を上げて、


「……それで、どこが良かった?」


「…………ぷはっ」


 そんな隅田さんの急変する態度がおかしくって、思わず吹き出してしまった。


 隅田さんは、目を細めて怪訝な視線を向ける。


「ああいや、ごめんごめん、バカにしてるわけじゃなくて……」


 そんな不満げな隅田さんにあわてて言い訳をする。


 流れを変えようとするのと、単純に聞きたかったので、話をそらることにした。


「隅田さんはそんなに感想聞きたかったの?」

「うん」


 こくり、と頷く隅田さん。


「感想聞くのは大事。私が伝えたいことと観た人が受け取ったイメージの違いを確認したい。それが上達する道って言ってた」


 淡々と理由を語りだす。

 隅田さんは演劇に本気で向き合ってるってのがわかる。


 俺はこんなに本気になるものがあっただろうか? ふとそんなことを思う。


 きっと、隅田さんのような明確にやりたいことがあって、そんな人生の目的みたいなのがあったらなら、将来に悩むことなんてないんだろうな。


 白紙の進路希望調査票を思い出して、急に冷や水をぶっかけられたかのように現実を突きつけられて、ふわふわとしていた気持ちから、へばりつくような不安が押し寄せてきた。ふわんふわんしてきた。


 そんな、俺の心情に隅田さんが気が付くはずもなく、言葉を続ける。


「それに……」

「それに?」


 それでも、隅田さんの言葉になにか手掛かりがあるのかもしれない、と思い小さな期待を抱きながら続く言葉に耳を傾ける。


「いっぱい褒められたい。みんなにすごいって言われたい」

「え?」


 予想外の言葉に呆気にとられる。


「そんなこと?」

「そんなこと」


 思わずこぼれてしまった俺の言葉に気を悪くすることもなく、どころか、どこか得意げに首肯する。


「そんなにおかしい?」

「あ、いや、そんなことは……。いや、やっぱりちょっと変わってると、思う」

「よく言われる」


 そんな隅田さんの飄々とした態度がおかしくって、口元がにやけてしまう。


「隅田さんって舞台の印象と随分違うね」


 客席から見る隅田さんはどこか近寄りがたい印象で、芸能人とか、そんな一般人の俺とは住む世界が違う、高嶺の花と思っていたんだけど、こうして実際に話してみると、いろんな意味でそんなイメージをぶち壊された。


「それもよく言われる」

「ははっ、やっぱりそうなんだ」


 うん、やっぱりちょっと変だ。


「それで、感想だったよね」

「うん、教えて」

「今まで演劇なんて見たことないし、素人目線になっちゃうけどいいかな?」

「構わない」

「やっぱりたくさん褒めた方がいい?」

「……褒めるだけじゃなくてもいい、けど」


 すごい褒めて欲しそうだ。


「でも、やっぱり褒めるだけになりそう。だって隅田さんの演技に圧倒されちゃったから、悪いところなんて、思い当たらないなぁ」

「……そう」


 隅田さんは、ふいっと目をそらして、一言それだけ呟いた。

 返答は今までで一番そっけなかったけど、ちょっと口角が緩んでるし、赤みがかった頬も夕焼けの所為ではないだろう。


 なにこれ、めっちゃ幸せなんだが?


 俺なんかの言葉で、こんなに喜んでくれる。

 隅田さんをこんな表情にさせたのが俺だ、そんな考えで頭がいっぱいなり、幸福感が押し寄せてくる。


 だからそんなある種の興奮状態になっていたので、つい調子に乗ってしまう。


「そうなんだよ! 最初に登場した時はキレイな人だなぁって思ってたんだけど、演技にいつの間にか引き込まれちゃってて、野望のために躊躇なく邪魔なものを切り捨てる冷酷なところや、威圧感すら感じる豪胆な立ち振る舞い、そんな破天荒な性格に圧倒されるんだけど、それとは裏腹に胸の奥に熱い思いがあって、誰よりも愛に溢れる人だってことが伝わってきて、そんな信長を演じる隅田さんはかっこよくて、美しくて、目が離せないくらい見惚れちゃってて……!」


 そこで、隅田さんがぽかーんとしたまま固まっているのに気付く。


 やっちまったぁぁぁ!!


 はぁはぁ、と肩を揺らして息継ぎをする中、さーっと血の気が引いていく。


「えっと……。ごめん、ちょっと、暴走しすぎちゃって……」

「……ふーん」


 今度は恥ずかしさで体中、かぁーと熱くなってきた。

 今すぐ頭を抱えて転げまわりてぇよ。多分今夜はベッドで一人漁船に打ち上げられた本マグロごっこやる。


 今にも逃げ出したくて、ここから消えたくて、隅田さんのことを直視できない。


「ふーん、ふーん?」


「…………?」


 それでも、さっきから何の反応もない隅田さんが気になって、ちらりと横目で見る。


「……ふふっ。ふーん?」


「――っっ!!」


 隅田さんは俯いていたので前髪で顔がほとんど隠れていて、俺が見えたのは口元だけだったけど。


 その口元は、嬉しそうにほころんでいて。


 そしてそこから漏れ出てくる甘く少しトーンが上がっている吐息に胸を締め付けられて、笑い声に耳をくすぐられる。


 簡単に言うと、めっさかわええ。


 これ、俺の言葉に喜んでくれたってことだよね? 俺が隅田さんのこんな反応を引き出したってことでおけ?

 つまるところ、あれじゃね? これはほら、あれだよな? 隅田さん、俺の事好きなんじゃね…………??


 …………。


 うわあぁぁぁぁぁ。な訳ない! んな訳あるか! 初対面だぞばーかばーかぁ!

 

 ふぅ、やれやれ。危ない危ない、うっかり勘違いするところだったぜ。


 そんなわけないよな、褒められたら誰だって嬉しい、それがこんなしょーもない俺のゴミクズみたいな感想でも、ってことだよね?


 いや、そう考えないと心臓が持たない! もう心臓もバクバク鳴ってて、頭もバグっててバグバグ、つってな! ははっ!


 ……いやでも、ちょっと待ってくれ。


 冷静になって論理的に理性的に考えてみよう。


 ほら、俺の言葉にこんなに喜んでくれているってことは、嫌われてはないだろう。

 つまり、好感はあるってことだろう?

 つまりつまり、俺の事、好きなんじゃね……?


 …………。

 …………ぽわぽわぽわ。



 ――茂上くん、だぁいすき♡



 うっっわあぁぁぁぁぁぁぁ……!


 みたいなアホなことを脳内で何度も繰り返した。

 それくらい衝撃的なことで、俺の頭をバグらせてきたわけで。



  ※※※※



 客席から見た隅田さんは、あれほど輝いてて、まるで別世界の人間だと思ってたんだけどなぁ。


 こうして話してみると……、うん、やっぱり普通とは違う、不思議な子だった。


 だから、俺は彼女に惹かれ、彼女に運命的なものを感じたんだ。


「一つだけ、聞いてもいいかな?」

「…………?」

「隅田さんはどうして演劇を続けているの?」


 今なら何か掴めそうな気がした。

 きっと答えを示してくれるんじゃないか? そんな気がしていて。


 俺が欲しかったものを持っている彼女なら、もしかして。

 そんな期待を抱き、隅田さんの答えを待つ。


「……わかんない」


 だが、そんなうまく欲しい答えがもらえる訳もなく。

 申し訳なさそうに、というか自分の中で答えを見つけられずに、困惑しているみたいだった。


 すごく自信なさそうに、言葉を続ける。


「そんなこと今まで考えたこと、なくて……。たぶん、楽しいから?」

「そう、だよね」


 隅田さんの答えは曖昧だった。

 でも残念に思うどころか、どこか納得してしまう。


「きっと何かに夢中になるってそういうことだよね。理屈とか、理由とか、そんなのないんだよね」


 なんとなく、わかってはいた。

 好きなことに理由なんてない、考えること自体がナンセンスだってことを。


「ごめん、変なこと聞いちゃって」

「どうして、そんなこと聞くの?」

「えっ?」


 隅田さんは相変わらず表情一つ変わってなくて何を思っての発言か、察することが難しい。


「どうしてって、大したことないけど……」

「…………」


 口を引き結んだまま、じーっと俺の事を見つめる。


 ……これは、俺の言葉の続きを待ってるって、ことだよな?


「えっと、隅田さんは中三だよね」

「うん」

「どこの高校に行くかって、もう決まってる?」


 まあ、こんなの答えを待つまでもない。


 こんなにやりたいことを明確にわかっている人なら、俺みたいに迷うことなんてない、きっと演劇部が盛んな高校を選んでいるのだろう。


「わたし、高校はいかない」


「……は?」


 予想外の答えに呆気にとられる。

 どういうことだ? 思考が回る前に、隅田さんが口を開く。


「東京の養成所に通って、劇団に所属するつもり」

「…………」


 今度は、言葉すら出なかった。


「だから、高校にはいかない」

「ちょ、ちょっと待って! え? 高校に行かないの? そんなのあり?」

「……だめ?」

「あ、いや、ごめん。ちょっと驚いて……」


 俺の常識が否定された気分だ。ずっと俺は狭い世界を見ていたんだ。


 俺の選択肢はどの高校に行くか、だと思っていた。

 でも、目の前のこの子は、高校に行かないという選択肢を選んでいる。しかもそれは、自分の意思で、明確な理由があって選んでいる。それって。


「すげぇ」

「……すごい?」

「うん、すごい。すごく、かっこいい」

「……ありがと」


 隅田さんはそう呟くと、突然眉をひそめる。


「私の進路と関係あるの?」

「ああ、えっと、どうして隅田さんに演劇をやる理由を聞いたのか、ってことだよね」

「うん」


 別に話をそらしたつもりはないんだけど、勘違いさせちゃったかな?


「俺は、何にもないんだよ」

「…………?」

「隅田さんにとっての演劇みたいなものが、俺にはなくてね、今更になって自分にとってかけがえのないものが欲しくなったんだ。」

「それで、わたしに演劇をやる意味を聞いたの?」

「うん。隅田さんは、きっと進路に悩まなかったでしょ?」

「うん、悩まなかった」

「……だよね」


 きっとそれは、隅田さんには演劇っていうかけがえのないものがあったから。

 そんな、”自分”をもっている隅田さんに。


「自分に大切なものをもっている隅田さんに聞いてみれば、何か掴めるものがあるかなって思ったんだけど」

「だめだった?」

「うん、答えは見つけられなかった」

「……そっか」


 俺の大切なもの、そんな曖昧なものがすぐに見つかるわけがない。


「でも、なにかを頑張ってみたくなった。隅田さんの演劇を見て、すごい元気でた」

「……そっか」


 でも、大切をもっている人に触れて、自分の中で何かが動き出した手ごたえがあった。

 隅田さんは自分に言い聞かせるように呟く。


「私、あなたみたいに、自分にとって大切なこととか、考えたことなかった」


 表情は変わっていないから、何を思っての発言か意図を読み取ることができない。


「きっと、それがいいんだよ」

「……そうかな?」


 隅田さんには、当たり前のように大切があるんだ。


「うん、だから隅田さんはすごいと思う」


 だから、隅田さんは輝いていて、俺は憧れたんだ。



  ※※※※



 ふと辺りを見回すと、暗くなっていて、日もほとんど落ちかけていたことに気が付く。俺は同じ中学生とは言えど、一般参加者の枠だからそろそろ学校から出ていかないといけない。


「ごめん、こんなに長話ししちゃって」

「うぅん、いろいろ話せて、よかった」

「俺も、よかった」


 お世辞だったかもしれないけど、隅田さんの言葉は素直に嬉しい。

 別れるのが名残惜しくなったのか、無意識にそんなことを口に出していた。


「最後に、一つだけ聞いていい?」

「なに?」

「演劇って、楽しいかな?」

「うん、楽しい」


 即答だった。本当に好きなんだな。

 俺にとって演劇が大好きかなんて、わからない。

 でも、案外、こういうものなのかもしれない。そんなことを思わせるほどには、俺は演劇に魅力を感じている。


「じゃあ、俺も演劇やってみようかな」

「うんっ、いいと思う」


 そう答える隅田さんは、今まで話した中で一番力がこもっていて、一番かわいかった。


 よっしゃ絶対高校はいったら演劇やろっ!


 なんだかんだ考えてきたが、俺は単純なのかもしれない。

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