第2話 顧問ともう一人の脚本担当

 脚本担当が俺だと決まった後、俺は北校舎の3階にある化学準備室へと訪れた。


「失礼します」

「ん、なんだ茂上くんか」


 俺が化学準備室へと入ると、気だるそうな返事が返ってくる。実験器具が狭い空間に雑然と並んでいて、その奥のデスクにいるのが西田にしだ先生だ。


 西田先生は、俺のクラスの担任であり、また演劇部の顧問でもある。常に、かったるそうで、その様子を隠そうともせずむしろ、「みんな、赤点は取らないでね、僕の仕事が増えちゃうから」などと本音を隠そうともせずそのまま口に出す。

 その性格は身だしなみにも表れていて、無地のTシャツに安物のサンダルというラフな格好に、これを着とけばいいだろうとばかりによれよれの白衣を羽織っている。

 これだけの情報だと教師としてなにひとつ尊敬できるところはないのだが、不思議なことに生徒の間では人気が高い。


 そんな西田先生が、つまらなそうにスマホをいじったまま、俺に話しかけてくる。


「それで、僕になんか用?」

「文化祭の件ですよ、演劇部の脚本担当が決まったので、部長に言われて西田先生に報告をと……」

「あー、はいはい」


 西田先生は最低限受け答えはしているが視線をスマホから離そうとしない。指の動き的に、有名なパズルゲームをやっているようだ。


「Bチームは俺が担当することになりました」

「うん、いいんじゃない」

「はい、自分も選ばれたからには、精一杯頑張ります」

「…………」

「…………」


 西田先生は、それ以上なにも話すことはなく、スマホの画面を見続ける。いくら待っても、口を開く様子がない。


「え、それだけですか?」

「それだけって、それだけだけど?」


 まだいたの? と言いたげな怪訝な視線を向けてくる。


「いや、顧問の先生らしく、なにかアドバイスをしてくれるものだと」

「はぁ……、あのなぁ茂上くん」


 いかにもめんどくさそうにため息をつく西田先生。


「僕は、そういう顧問とは違うの。二ヶ月もあったら察しろよなー」

「それは、まあ、そうですけど」


 演劇部に入部してから、西田先生が練習に顔を出したことは一度もない。好意的に捉えれば、生徒の自主性を重んじる放任主義なのだが、顧問としては飾りになっているのが現状だ。


 それにしても、教師にあるまじき態度だな。

 元はと言えば、この先生が俺に後片付けを頼んだから、部活に遅れてこうして脚本担当になったというのに。

 そんな文句を言ってやりたい気持ちをぐっとこらえて、西田先生に問いかける。


「じゃあなんでここに呼んだんですか?」

「別に呼んだのは僕じゃないし。別にいいって、僕は言ったのに朝宮ちゃんがうるさくてねー、その点部長の方は話がわかるんだけどなぁ」

「西田先生がそう言ってたってこと朝宮先輩に言いつけますよ」

「ダメだ、絶対にそんなバカなことは止めなさい」

「急に真面目な雰囲気出さないでください。どんだけ苦手なんですか」


 浅宮先輩は演劇部の副部長であり、このちゃらんぽらんな顧問に対抗できる唯一の抑止力なのだ。


「とにかくまあ、そういうことはしなーいの。顧問らしいことなら、クラスでしてるじゃーん?」


 西田先生の言葉に、ついに我慢の限界を超えてしまう。


「それはもしかして授業中の問題を俺に集中放火したり、授業の準備手伝わせてるのを言ってるんですか?! あれは、顧問の悪いとこランキング上位に入るやつでしょーが!!」


 授業担当が顧問あるある、授業中の部員への扱いが雑。

 あれ、先生に当てられる人がクラスのムードメーカーなら雰囲気良くなるんだけど、俺みたいなクラスメイトとそんなに話さない人にやったら、もはやいじめだからね? 着席した後の居たたまれない雰囲気、地獄だからね? 楽しんでるのあんただけだからね?


「めんどくさい顧問というやつの数少ないメリットだ。せっかく顧問になったんだ、やらないわけにはいけないだろー」

「なんで演劇部の顧問がこの人なんだろ……」


 頭を抱えながら、先生に言うにはだいぶ失礼なことだが、西田先生に聞こえるくらいの声で言ってやった。じゃないと気が済まない。


「あー、心配いらんぞ。お前以外の部員にはやってないからな。なにせ茂上くんは僕のお気に入りだから」

「……いま教師からの行き過ぎた指導とかで訴えたら勝てそう」

「ふっ、そんなことをしてみな? そしたら僕は顧問から降ろされるぞ? 副顧問のいない演劇部はさぞや次の顧問探しに苦労するだろーなぁ? 茂上クゥン?」

「くっ……。この、人でなしっ!」

「何とでも言えばいいさ。お前の大切な演劇部がどうなってもいいならば、だがな」

「くっ……。演劇部のため、俺は犠牲になるしかないのか……?」

「わーはっは。わかればよろしい。せいぜい、毎日枕でも濡らす日々を送ればいいさ」


 高校教師の発言とは思えねぇぞ。

 西田先生の横暴な物言いに歯噛みしていると、準備室の入り口からノックが聞こえてくる。


「失礼しますっ!」


 その声は女子生徒のもので、西田先生とは対照的に活力に溢れていた。

 彼女は、たんたんっ、と軽やかな足音を立て、するりと実験器具の山々をすり抜けてくる。歩調に合わせて、顔の横に束ねられた髪がゆらゆらと揺れている。


 いつも笑顔で、元気いっぱいなその姿、見覚えがある。そう名前は確か……。


「演劇部所属、錦織京香にしきおりきょうか、演劇部顧問の西田先生に用事があって来ました!」


 そうそう、錦織京香さん。同じ演劇部で同級生の。

 そして、俺と同じく脚本担当になった子。ここに来たのも俺と同じ理由だろう。


「あ、茂上くん。どもっす!」

「お、おう」


 錦織さんは俺のことをバッチリ覚えているようで、俺と目が合うと人懐っこそうな笑みを浮かべてくる。罪悪感と気恥ずかしさで、その真っ直ぐな目から逃げるように視線を逸らす。

 錦織さんはそんな俺の態度に特に気を悪くした様子はなく、西田先生の目の前で立ち止まった。


「今度の文化祭で、Bチームの脚本を担当することになりましたっ!」

「ん、そうか。文化祭は夏休み明けになるから、詳細は聞いてる?」

「はいっ! 朝宮先輩からお聞きしてます」

「一年で脚本をやるのはいい経験になると思うから、頑張りな」

「了解です!」


 びしっと敬礼をする錦織さんと、にこやかな表情を浮かべる西田先生。そんな二人のやり取りは良好な関係の先生と生徒そのものであり…………、っておいおいおいおい。


「全然俺と態度違くありませんか?!」

「えぇ? むさ苦しい男と可愛い女の子で同じなわけないでしょー」

「えこひいきじゃん! 教師としてやっちゃダメなやつ!」

「いやぁ、かわいいだなんて、えへへっ」


 錦織さんは、はにかみながらサイドテールをいじいじしてる。

 錦織さーん? ダメだよ。そこはね、セクハラ発言きも、って言うところだから。そんな天使のような反応みせたら、この人調子乗るだけだから。

 だが、先生も先生の方で、こんなピュアな反応が返ってくるとは思っていなかったようで、困ったように頭をかく。


「あー、まあ、そういうことだから、僕からは以上。帰っていいぞー」

「……うぃーす」

「失礼しますっ!」


 そういうや否や、西田先生はスマホをいじりだす。あの焦った様子からすると、スマホゲーのゲリラクエストの時間が迫っていたのだろう。

 化学準備室を出て、錦織さんの一歩後ろをついていく。北校舎は特別教室しかないので、放課後に人影は見当たらなく、静かなものだ。つまり、錦織さんと自然と二人きりとなってしまうのだ。


 さて、どうしたものか……。


 錦織さんとは、部活でも一対一での交流は今までしてこなかったので、別段仲がいいという訳ではない。つまり、相手の出方がわからない。

 錦織さんは、話すのが好きなタイプなのだろうか、それとも聞き手に回る側? きっと、明るくていい子なのだろうけど、名前すらうろ覚えだった程の認識だったし、それもまた後ろめたい、ってあああこの沈黙の時間が気まずいよぉおおお、初手で話し始めなかった時点でもう詰んだわ。


 でもまあ、教室に到着するまでだしこのままでいいや、と割り切った矢先、本校舎へ繋がる渡り廊下へ続く曲がり角で錦織さんが体ごとくるりと振り返った。

 そんな錦織さんの予想外の行動に思わず立ち止まってしまう。


「茂上くん」

「あ、はい、なんでしょう……?」


 じっ、と俺の事を見つめるその顔は真剣そのものなんだけど、あどけなさの残る錦織さんの顔立ちだから、一生懸命! って感じでちょっとかわいい。

 だが、すぐに彼女らしい人懐っこい笑みを浮かべてくる。


「わたしたち、これで晴れて同じ脚本担当っすね! 今後とも是非によろしくっす!」

「あ、ああ、よろしく錦織さん」


 びしっ! と差し出された手を取り握手をすると、錦織さんは、ぱあっ、と一気に表情が明るくなって、ぶんぶんと腕を振る。


「はい! よろしくっす! うっす!」


 なんだか、かまって欲しがりな子犬を相手している気分だ。さっきからフリフリと揺れるサイドテールもポイントが高い。

 そんなやり取りがひとしきり終わると、錦織さんはさっきの元気はどこへやら、おっかなびっくりとした様子で俺の事を見つめてくる。


「わたしと茂上くんはこれから三ヶ月の間、脚本担当として苦楽を共にする仲間であり戦友、パートナーってことじゃないですか」

「う、うん、そうだね」


 もじもじとぎこちない動きに、なんだかこっちも緊張してきたんですけど。


「そこで提案があるんですけど……、お互いの呼び方、変えませんかっ!」

「……あ、あー。そゆこと」

「ほら、苗字だと他人行儀って言うか、同じ志を共にする同志でもありますし」


 なーんだ、呼び方を変えるだけか。今更呼び方変えるくらいそんなに……。

 ん? それでも結構ハードル高くね? えっと、ほとんど喋ったことない同級生の女の子の事を急に名前で呼べって? 無理でしょ。

 ……といつもの俺はなるが、今回は別だ。相手から要望されてるんだ。大丈夫、問題ない。


「えっと、じゃあ……。きょ! 京香、さん?」


 んっんー。ちょっと言葉に詰まったがまあ及第点及第点。

 京香さんの反応が気になり、ちらりと様子を確認してみると、相変わらず人懐っこい笑みを浮かべていたが、眉尻は下がってて……。

 あれ? その顔はまるで困った顔――。


「えと、名前で呼び合うのもいいんすけど……、それ以外もいいかなーっと思いますか」

「…………」


 ああああ、やんわり拒否られてるうぅぅ!

 ですよねぇ! 最初はさん付けを無くしたりするとこからですよね!

 こんなにいい子なのに俺なんかのために気を使わせてしまった。調子乗ってすみません。罪悪感で押しつぶされそう。


 名前呼びを嫌がってるのもショックだが、錦織さんとの距離感を間違って、それで困らせてしまって申し訳なく思うのと、錦織さんが俺なんかに好感を抱いているなんて勘違いをしてしまった自分の愚かさが恥ずかしい。

 そんな俺の心情を読み取ったのか、わかりやすいくらい顔に出てたのか、錦織さんは焦ったように、目の前で何かをかき消すかのようにぶんぶんと両手を振る。


「違うっす違うっすっ! 別に嫌とかじゃなくて! その、うぅ……」


 あー、またもや錦織さんを困らせてしまっている。早く何とかしなくては。


「やっぱり、今まで通り錦織さんで――」

「あのっ?」

「あ、はい」

「茂上くんは脚本を担当するにあたって、ペンネームとか、決まってますか?」

「え、ペンネーム? まだだけど…………あ」


 急に関係なさそうな単語が出てきたので、特に考えず返答してしまったがそれは不正解だったようだ。

 錦織さんは、目を潤ませ口を半開きで固まってしまう。まさに、ガーンって顔してる。


「うぅ。そうっすか、そうっすよね…………はぁ」


 やばいやばいやばい、何とか誤魔化さないと。


「あ、いや! 晴斗の、ハルを入れてみよっかなーなんて、考えてみたり?」

「ホントっすか?!」

「う、うんうん……」


 あ、元気になった。


「じゃあじゃあ、ペンネームで呼び合うってのは、どうですか?」

「あ……、あー?」

「わたし、ペンネームで呼ばれるのにちょっとだけ憧れがありまして、いやーお恥ずかしい」


 なるほど、そういうこと。

 錦織さんは、本当に名前で呼ばれるのが嫌なんかじゃなくて、最初から、ペンネームで呼んでほしかったのか。そのために、いろいろ回りくどく理由をつけて。


「もし茂上さんがよろしければ、仮ではありますけど、ハル、と呼んでもいいっすか?」

「え? あ、うんいいよ」

「でしたら、ハル、で」

「う、うん……」


 安直に自分の名前にしてしまったから、同級生の女の子に下の名前で呼ばれてしまっている。慣れていないからなんだか気恥ずかしい。


「それで、錦織さんはなんてペンネームなの?」

「あ、はい! わたしは、天野河織あまのかおり、と申します」

「じゃあ、河織?」

「は、はいっ……!」

「…………」

「…………」


 うわあああ、口がもにょもにょするぅ!

 自然と俺と河織は顔が真っ赤になっていく。

 河織は顔を火照らせたまま、にへらっと頬を緩める。


「なんか、照れちゃいますね」

「そうだね……」


 破壊力抜群。

 これは、慣れるのに時間が掛かりそうだ。


「これでわたしたち、同志の絆は結ばれました。コンビ結成っすね!」

「こ、コンビ?」


 なんだそりゃ、漫才でもやるつもりかよ。

 そんな俺の動揺に全く気付かずに、何か思案している様子の河織。


「天野河織とハルのコンビ…………あ! オリハルコンビ、っすね!」

「……え? オリハルコンビ?」

「はい! オリハルコンビ、っす!」

「…………」


 だ、だせぇ……。


 顔が引きつってしまうのをなんとか抑えた。

 しかし、河織は自信満々なご様子。彼女にとっては渾身の出来であるということが伝わってくる。


「あの、これはですね、河織の〝おり〟とハルのコンビという命名と、架空のお話でよく伝説の武器に使われる金属、オリハルコンをかけててましてね……」


 なんの反応もなくて心配になったのか、すっごい早口で自分のネタを説明しだしちゃったよ……。

 彼女のことを見ていたら、さっきまでの変な緊張感がどっかにとんでいって、気が抜けてしまう。


 錦織京香。そして天野河織。


 人当たりが良く、いっつも人懐っこい笑顔を浮かべて、活力に溢れる女の子。

 でも、表情がころころ変わって、自分の感情を素直に出してしまっている。

 ペンネームにこだわりがあったり、自分のネタを自慢げに披露したり、ちょっと感性がずれている。


 河織とは、今まであんまり部活で関わっていなかったけど、きっとこの子はいい子だ。


「ふふっ」

「どうしたんっすか?」

「いや、河織ってかわ……っ!」

「かわ?」

「あっえと、おもしろいなーって」

「?」


 発言の意図がわからなかったらしい。ぽかーんとしている。

 俺は心の中で冷や汗を垂らした。


「それって、褒めてるっすか?」

「う、うぅん。褒めてる褒めてる」


 納得いってなさそうな顔で、俺の事を見つめてくる。


「もしかして、変わってる人、って言おうとしました?」

「ははっ。いやいやそんなことないよ」


 本当はかわいいって言いかけたんだけどね。

 あっぶなぁぁ。さっき親しくなったばかりの女の子にかわいいってなんだよ。軽薄なナンパ男かよ。イケメンならまだしも俺がそれを口にしたら、キモい判定だったぞ。


 勝手に深読みして変な方向に解釈した河織に助けられる。それでもまだ怪しんではいる感じだけど。

 これ以上追及されたらボロがでそうだったので、話題転換を試みる。


「それより、なんで天野河織ってペンネームにしたの?」

「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれたっすね! それはっすね、漢字でかくと天野河、と織で分けるんっすよ」


 さすがに強引すぎたか、と思ったけど河織的にもペンネームについては聞いてほしい話題だったようで、うまく食いついてくれた。やっぱりちょろ…………素直な子だ。


「もしかして、天の川と織姫?」

「そうっすそうっす! わたし、七月七日が誕生日で、七夕にちなんだペンネームがいいなーって思いまして」

「へー、七夕が誕生日なんて、珍しいね」

「えへへっ、ちょっとだけわたしの自慢だったりします」


 そんな感じで俺と河織は、下駄箱までおしゃべりを続ける。ちょっとだけ彼女の事を知れた気がした。

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