第1話 それはとある放課後

「くそっ、もうこんな時間じゃないか」


 右手首についている腕時計は、放課後から一時間ほど経った時刻を示していて、この学園校内では、部活に励む生徒たちがちらほら見える。

 本来なら俺もその中の一員であったはずだが、とある先生からのお達しで授業の後片付け、ついでにと掃除まで手伝わされ、出遅れてしまった。


 教室に置いておいたバッグを背負い、急ぎ足で廊下を駆け抜ける。

 目指す場所は、渡り廊下を抜けた先、第二体育館の東側に立地する講堂である。そこで、俺の所属する演劇部は活動をしていた。


「すみませーん、遅くなりまし……た?」

「はーい、ということでー、もがみんはー、Bチームの脚本担当にけってー。わー、ぱちぱち」


 ぼろっちい木製の大扉を開けて講堂へと入ると、佐和陽葵さわひまり先輩の、のんびりと間延びした声に迎えられる。


「あ、もがみん。やっほー」


 陽葵先輩の後ろにはホワイトボードがあって、そこには〝脚本〟という文字とその横に〝もがみん〟とかわいらしい丸文字が掛かれている。


 もがみんとは、俺のあだ名だ。茂上晴斗もがみはるとの苗字をとって、もがみん。

 と言ってもそのあだ名を使ってるのは陽葵先輩だけである。

 俺だけでなく、他の人にも自分流のあだ名をつけていて、その自由奔放な性格とツインテールという髪型も相まって、一つ年上の二年生にもかかわらず、どこか子供っぽい印象を受ける。


 え? それより、今とんでもない発言が聞こえてきたんだけど……。


「あの、どうして俺の名前が脚本の横にあるんです?」

「もがみんが脚本を創ることになったからだよー」


 さも当然とばかりに答える陽葵先輩。

 俺はこめかみを抑えながら、今回の活動内容を確認する。


「えっと、確か今回は二チームに分かれて劇を創るって話でしたよね?」

「うん、合ってるよー」


 先週の土曜、三年生最後の劇でもあった発表会を無事に終え、二年生を中心とする新体制となった星蔵学園ほしくらがくえん演劇部は、夏休み明けにある文化祭で短い劇を二本を創る、という話だった。


「それで、俺が脚本担当?」

「そっ!」

「そんな話、俺聞いてないんですけど」

「えー、そんなの当たり前だよ。だって今きめたんだもーん」


 陽葵先輩は悪びれることもなく、いつも通りのマイペースさだった。


「そこに当事者いないとだめでしょーが?!」


 これもしかしてあれだよね? 噂に聞く君休んでたから余ってた学級委員長にしておいたよーってやつ?


「というか、何でそこで俺になるんですか」

「あー、それはね……」


 陽葵先輩の話をまとめるとこんな感じだった。

 文化祭の劇は、一年生を中心にオリジナルの脚本で劇を創るのが、毎年の伝統らしい。つまり、脚本担当は二人必要となるわけだ。

 基本的に、脚本担当を決めてから、チーム分けをするのだが、立候補が一人しかいなかったので、先にチーム分けをすることとなった。

 それで、脚本担当のいないBチームの俺が抜擢されたらしい。


「ちょっとくらい待てなかったんすか……」

「えー、だってもがみん遅かったんだもーん」


 いや、確かに部活に無断で遅れたのは俺が悪いよ? ……いや、遅れたのは、先生のせいであって、俺悪くないじゃん。うん、全然悪くない。


「チーム分けは話し合いでちゃーんときめたし、じゃあ、もうめんどくさいからもがみんでいっか、って」

「よかねーよ」


 どうしてそうなっちゃうかな。

 まあ、取り敢えずチーム分けの件は飲み込んでおこう。問題は……


「それで、Bチームの一年生は他に誰なんですか?」


 じろり、と近くで素知らぬ顔で無関係のふりをして、存在感を消しているボブカットの少女へと目を向ける。


「わたし……」


 すると、観念したのかおずおずと手を挙げる。後ろめたさがあるのか視線があちこちと移り、目を合わせようとはしないが。


「お前かよ……」

「むっ、何その反応」


 こいつは、鏡綾芽かがみあやめ。唯一演劇部入部以前から知っている顔なじみ。小学校のころまで家が隣でよく遊んでいたのだが、鏡家が引っ越して別の学校へ。高校が一緒になって再開を果たす。いわゆる幼馴染ってやつだ。

 女子が多い演劇部では、俺が気安くからめる唯一の女子でもある。


「他には?」

「一年生は、わたしだけ」

「あとは、私がBチームのサポートをすることになってるわよ」

朝宮あさみや先輩もですか」


 と、おっとりした声で話に入ってきたのは、演劇部の現副部長である朝宮栞あさみやしおり先輩。


 いつもにこにこしてて物腰も柔らかいものの、副部長を任されるほどのしっかりもの。そして、みんなにやさしい、つまり俺にもやさしい。まさに、尊敬できるいい先輩である。


 そんなことを考えているとわるい方の先輩が、割り込んでくる。


「この四人でBチーム。いえーい」

「……なるほど」


 二年生が陽葵先輩と朝宮先輩で二人。一年生が俺と綾芽で二人。

 つまり……


「つまり、綾芽が俺に押し付けたってことだなぁー!」

「違うよ! そんなつもりなくって」

「ほーう? んじゃあどんなつもりがあるんだよ」


 すると、綾芽はもじもじと自分の指を突き合わせて


「わたしはー、その、脚本とか、無理だし……」

「…………」


 俺は綾芽の事を不満げに睨むと、俺の視線から逃げるように身じろぎしていた。


「なんだその適当な理由は! 自分がやりたくないだじゃないか!」

「ち、ちがうもんっ! わたしは晴君はるくんが適任だなーって思ったから……」

「じゃあ綾芽は脚本がめんどくさいなーっとは全く思わなかったわけだな?」

「…………あったぼうよ」

「なにがあったぼうだこの野郎!」

「いひゃいいひゃい、わたひはおんあれすぅー!」

「うるさいっ!」


 完全にクロな綾芽のことをほっぺたをつねって強引に顔をこっちに向けさせる。涙目になったって許さんからな!


「ともかく、俺は納得いってないですからね」

「えー。また脚本決め直すのめんどくさーい」

「陽葵先輩はもうちょっと本音を隠す努力をしてください。朝宮先輩もおかしいと思いませんか?!」

「うーん、そうねぇ」


 俺はBチームの唯一の良心、朝宮先輩へとすがりつく。

 朝宮先輩は、演劇部の聖母と勝手に心の中で呼んでいる程、面倒見がよく、頼りになる先輩だ。こっちの先輩と違って、まともな考えをしているので、味方になってくれるだろう。


 だけど、期待に反して朝宮先輩は頬に手を当てて、曇った表情をしていた。


「二年生で話し合って、今回の劇をサポートするリーダーを決めたのよ。それが……」

「ひまりちゃんでーす。ぶいぶいっ」


 ダブルピースをする陽葵先輩を見て、膝から崩れ落ちそうになった。


「勿論、出来る限り私もサポートはするつもりよ。だけど、陽葵ちゃんが今回の統括リーダーだから、あまり口出ししないでおこうかなって」

「え……、ってことはつまり…………?」

「いぇーい。この中でひまりちゃんが一番えらいのだー」

「ばるす」

「後輩思いの先輩をもったねぇ、うらやましー」


 ぽんぽんっと背中を叩いてくる陽葵先輩。どついたろかな。

 詰んだ。もう味方は誰も期待できないし、なんやかんや俺が騒いでも、結局俺が脚本をやらされる未来しか見えない。


「うーん、まだもがみんは納得いってないみたいだね」

「納得いく要素が欠片もねぇ……」

「わかったわかった。じゃあとりあえず、脚本の書き方を教えとこうか」

「全然わかってないじゃんかよ!」


 やらせる気満々じゃねえか。


「もー、もがみんは元気だなー。そういうことじゃないない」

「じゃあどういうことですか」

「だってー、結局はどっちかが書かないといけないんだよ? なら、今教えたって問題ないじゃーん。演劇の勉強になるしね」

「むっ……」


 確かにその通りだ。これに関しては、陽葵先輩の言うことが正しい。


「そっからまた決めればいいよ。あーやもそれでいーい?」

「えっとー、あ、はいっ。わたしは全然おっけーです」


 あーやと呼ばれた綾芽は、少し逡巡があった後こくこくと頷く。きっと、自分も脚本書く可能性が出て焦っているんだろう。ざまーみやがれってんだ。


「んじゃあ、あさみぃよろしく」


 お前が説明するんじゃないんかい。


「ふふっ、はいはい」


 朝宮先輩は苦笑すると、陽葵先輩と場所を交代する。


「早速問題を出してみましょう。じゃあ綾芽ちゃん」

「は、はいっ!」


 すごい綾芽の声が上ずっていた。

 まるで授業中の先生と生徒だな。


「綾芽ちゃんは、脚本をどうやって完成させているかわかるかしら?」

「脚本を完成させるですか、うーん……」


 綾芽はこめかみに指をあてながら、唸る。


「登場人物を決めて、最初から書いていく……?」

「登場人物だけじゃだめだろ、話の流れとか、設定とか、他に決めることあるでしょ」

「そんなこといったって、やったことないからわかんないよっ!」

「じゃあ、もがみんは答えわかるのー?」

「え、俺っすか?!」


 そこへ、陽葵先輩の横やりが入ってくる。


「そうだよ! そんなに言うなら晴君が答えてよ」

「え、えーっと……」


 いきなり大ピンチ。これ間違ったら恥ずかしいぞ。というか、それ以前に脚本の作り方なんて、イメージできない。


 さっき言ったみたいに、設定とか、そういうのを最初に作るってのが答えなのか? いや、それもちょっと違う気がするし、それじゃあありきたりすぎるような……。


 ありきたり……?


 そうか、ははっ、わかったぞ。発想の逆転だ。問題に答えがあるという固定観念が今回のトリック。

 俺は指をぱちんと鳴らし、ニヒルな笑みを浮かべる。


「答えは、ない。脚本にルールなんてない。それぞれ自由なやり方がある、が答えです」


「「「…………」」」


 三人ともぽかーんとしてて、何も言葉を発していない。

 きっと、答えを言い当てられるとは思わなかったのだろう。


 だが、どうも様子が変だ。

 その違和感に気付いた時にはもう遅く、陽葵先輩が思わずといった様子で呟いた。


「いやふつーに答えあるけど」

「…………あー。そうなん、ですね」


 気まずい空気が流れる。

 そこへ、追い打ちをかける綾芽の一言。


「え、恥ずかし」

「…………っ!」


 その通りだった。

 そして、その言葉を皮切りに、三人の肩が揺れだす。


「…………ぷっ」

「…………くくっ」

「…………ふふっ」


 だんだんと、顔が熱くなってきた。

 ああ、はっずい。


「ぷっ、くくっ。あんなにドヤ顔で間違えるとか……っ!」

「今から教えるって言ってるのに答えがないわけないじゃーん」

「変に深読みして、それで間違えちゃってすみませんねぇ!!」


 ああもうやけだ。ちくしょうめ。


「茂上君の意見は、正しいっ……わよ? 慣れてくれば自分がやりやすいやり方で書いていくのが普通だもの。でも……っ。そうね、今回は二人は脚本を書いた経験がないから、一番書きやすい、おおまかな流れは説明していくつもりよ? ……ふふっ」

「…………ぐふ」


 朝宮先輩、なんなら一番ダメージでかいっすそのフォロー。もういっそのこと思い切り笑い飛ばしてください。

 ひとしきりみんなが笑い終わると、朝宮先輩が説明に入る。


「そうね。まずは脚本を書いてく流れを簡単に説明するわね」


 そういうと、朝宮先輩は丁寧な字をホワイトボードに書いていく。


「構想、プロット、執筆、推敲。簡単に分けるとこの四つになるわ。


 まずは、構想。これは、どんなものを書きたいか、アイデアをまとめる段階。

 次に、プロット。これは、物語の設計図と言えばなんとなくわかるかしら。劇がどんな手順で進行していくのかを考える。

 そして、執筆と推敲。これは説明するまでもないわね。良いものを作るためには、執筆と推敲、これを何度も繰り返していくの。


 これが、脚本づくりの流れよ。わかったかしら?」


「はい……」

「なんとなく……」

「ふふっ、細かいところはその都度教えていくから安心して? 今はだいたいこんな流れがあるってことを覚えてればいいわよ」


 俺たちの芳しくない反応に朝宮先輩は、まるで保育園の先生のように優しい言葉をかける。

 そこへさっきから傍観者を決め込んでいた陽葵先輩が話に入ってきた。


「あーやは絵描いたことあるよね?」

「絵、ですか? 美術の時間とか、テスト中暇な時ラクガキとかは……」


 じとーっとした目を綾芽に向ける。


「だーから、この前の中間ひどい点数なんだよ」

「し、仕方ないでしょっ!? わからなかったんだから」

「うんうん、わかる。暇だし、静かだし、いっつも寝ちゃうんだよねぇ」

「なんで陽葵先輩はそれで点数いいんですか……」


 陽葵先輩は意外にも勉強ができるらしい。星蔵学園は県内でもそこそこの進学校のはずなのに余裕で平均は超えているとか。

 平均を下回らないように頑張っている俺にとって、ちゃらんぽらんそうな陽葵先輩に負けるのは、なんかくやしい。

 ちなみに、朝宮先輩はトップ層でよく名前が掲示されているのをみかける。さっすが朝宮先輩。


「それで、絵がどうかしたんですか?」

「ああ、絵の話だったね。脚本づくりが絵を描く工程と似てて、イメージしやすいと思うよ」

「絵を描く、工程ですか」


「うん、最初は大雑把な線からだんだんと細かいところを書き込んでいって、絵を完成させていくでしょ? 脚本もそれとおんなじってこと」

「はあ……」


「全体像をざっくりと考えてからからだんだんと細かいところを書いて、完成度を上げていく。そうじゃないといつまで経っても完成できないなんてことになるからねー」


「一生終わんない、ですか?」

「うん、特にもがみんとかはそうなっちゃいそうだねー」

「どういうことですか?」

「だってもがみんって変に小難しく考え込んだり、小さいことを気にしたりするでしょー」

「いや、そんなこと……」


 ない、とは言えない。だって自覚あるもの。

 小さいことでくよくよしたり、悩んだりなんてしょっちゅうある。


「って、俺の性格と脚本の完成になんの関係があるんですかっ!」

「だーかーらぁ、そういう人は表現とか、セリフ回しとか、ちょっとの事で悩んで、全然先に進まないってのがよくあるんだよ」

「へぇ、そうなんですか」

「あ、ピンときてないねー」


 と呆れたように肩を竦める陽葵先輩。


「まー、やってみればわかるよー。ということでもがみんが」

「やりません」

「ちぇー」


 そんな手にのるかいな。油断も隙もあったもんじゃない。

 そこで、朝宮先輩が手を二回はたいて、俺らの会話を中断していく。


「はいはい。そんなところで、話の続きに戻るわよ」

「あ、すみません」

「おっけー」


 こういう時に流れを切ってくれるのはさすが朝宮先輩って感じだ。なんか、俺も巻き添えで叱られたみたいな感じになってるけど。


「それで、脚本担当さんに最初にやってもらいたいのが構想を練ること。でも、二人は何を書きたいだとか、そういうアイデアはないってことよね?」

「まあ、そうですね」

「わたしも特に思い浮かばないなぁ」


 まあ、だからこうして話がややこしいことになっているわけだけど。

 脚本で書きたいこと、舞台でやってみたいこと。なんか漠然とし過ぎていて、想像がつかない。


「うん、脚本担当決めてもどーせ、何かいたらいいかわかんないよーってなるのがオチだよねー」

「…………」


 それがわかっててどうして俺にしようとしたんですかねぇ。

 非難の視線を向けるが、陽葵先輩はガン無視した。


「そーいうときはー、何か題材があればとっつきやすいよ」

「題材、ですか?」

「うん。そーだなー、アーサー王伝説とか、神話とか、七つの大罪とか、そーいうのを題材にしたマンガとかあるでしょー? そういういのがあれば、話をアレンジしてみるとか、キャラをそのまま使えるとか、イメージもしやすいしいろいろ楽できるから、書きやすいんだよー」

「あー」


 確かに、思い返してみるとそういう元ネタがある作品は、意外と多い。

 それに、あの劇も――


「もがみんは、何か思い浮かぶものある?」

「あ、えっと、織田信長、とか?」

「なんかふつー」

「別にいいじゃないですか」


 陽葵先輩は、俺に何かしら難癖付けないといけないんだろうか。


「うん、私もいいと思うわよ。そういう歴史の人物って、作る側も観る側もイメージしやすいもの。特に織田信長って、日本人大好きだから、それはもうたくさん作品があるわよね」

「確かに、時代劇、マンガ、ゲームと織田信長が出てくる作品って多いかもです。わたしも、信長のお布団ってマンガがあるんですけど、大好きです」


 だが、朝宮先輩と綾芽には好感触のようだった。それにしても、信長のお布団ってなんだ? ふつーに気になるな。今度借りよ。


「まー、じゃあいっか。織田信長にしよー」

「……どういうことですか?」


 一瞬、陽葵先輩が笑ったような気がした。

 ……なんか嫌な予感がする。


「んー、Bチームがやる劇の題材だけど」

「え? そんな簡単に決めちゃっていいんですか?」

「うん、いーの」

「いーのって……」


 んな軽い感じで、いいのだろうか? こういうのはもっとこう、じっくり考えてからの方がいいんじゃないか?

 というか、そもそもそういうのは脚本担当になった人が決めるものであって、今決めることでもないんじゃないだろうか?


「えー、だって、もがみん、じゃなくて、Bチームの脚本たんとーさんは初心者でしょー?」

「随分とはっきりと言い間違えましたね」


 まるでわざと言ったような感じだ。


「だから、どーせ何を書こうかーってずぅーっと悩んでるのが目に見えるしねー」

「そんなことは……」


 ないとは言い切れないな。実際現状困惑しているわけだし。


「だからー、こっちで方向性をきめてあげたほうがやりやすいでしょー?」


 なんか、陽葵先輩には珍しくまともなことを言っている。

 だが、だいたいこういう、らしくないことをしている人はなにか裏に理由がある。


「ということで、織田信長にけってー」


 というと、ホワイトボードに〝織田信長〟と書いていく陽葵先輩。

 そして、陽葵先輩はにやけ顔をつくり俺のことを見つめてくる。


「ということで、織田信長にきまったわけなんだけど、もがみんどうする?」

「どうするとは、どういうことですか?」

「えー、だって、織田信長はもがみんの案なのに、あーやにやらせるのー?」

「…………」


 なるほどね、そういうことか。

 さては、最初からそういうつもりだったな?


「もがみんは、そんなにやりたくない?」

「いやまあ、絶対嫌だってわけじゃないですけど、俺と綾芽どちらかがやらないといけないわけですし」


 そう、それは理解している。それに、別に脚本をやるってことがどうしても嫌って訳でもない。

 だが、我慢ならないことがひとつだけある。


「だけど、なんか勝手に決められたのを呑むのが釈然としないというか」

「えー、もがみんうつわちっさ」

「ちっ! ちちちっ、ちっさ?!」


 なんてこと言うんだこの先輩は!


「それに、もがみんがいてもいなくても、ひまりはもがみんを推薦したけど」

「なんでですか……」

「だって、もがみんが脚本やったらなんかおもしろそうだし」

「何だその理由は」


 そんな、今思いついたみたいな提案に振り回される身としてはたまったもんじゃない。

 そこで、急に何かを思いついたかのようにはっとする陽葵先輩。


「いっひひー」


 そして、俺にとって、とても不気味な笑みを浮かべる。


「……どうしたんですか?」

「ふっふっふー、いいこと思いついちゃった」

「…………」


 嫌な予感しかしねぇ。

 こういう時はほんとろくなことにあったことはない。

 陽葵先輩は顔をにやけさせたまま、俺の方へとにじり寄ってくる。


「ねえねえ、もがみん」

「……なんですか?」

「じゃあさー、もがみんがやりたいって思って、自分から口に出せばなんの文句もないよねー」

「そりゃあそうですけど……、そんなこと絶対ありませんよ」

「ふーん? 言ったね」

「ないと、思いますよ?」


 だって今現在、自発的にやりたいと思う気持ちは全くないのだから。


「おっけー、わかった」


 すると、陽葵先輩は講堂の入り口とは反対側にいる集団へと近づいていく。

 あれは、同じ演劇部で、たぶんもう一つの劇を作るAチームだろう。


「…………?」


 ちらりと俺の事を流し見ると、まるでいたずらをする子供のように口元をにやけさせて、


「すみすみー。ちょっといーい?」

「――っ?!」


 俺は、陽葵先輩が口にしたあだ名を聞き、心臓がきゅっと縮まる感じがした。


 すみすみ、とは陽葵先輩が使う、俺と同じ一年生、隅田瑞希すみだみずきさんのあだ名だ。


 では、どうしてそんなにぎょっとするほど俺が驚いているかというと、これはとても個人的で、そんな大したことない理由だったりする訳であり。

 程なくして隅田さんは、Bチームの輪から抜けてこっちへと来た。


「はい、なんですか?」


 無表情のままで小首をかしげる長く艶やかな黒髪の美少女。

 ほとんど表情を変えないのはいつものことで、そして、演劇部どころか、中等部を合わせても校内トップクラスの容姿。それらが相まって、どこか作り物めいた美しさを感じる。


 いつの間にか隅田さんをぼーっと眺めていたことに気が付き、後ろめたを感じて、あわてて目をそらした。


 陽葵先輩が、毎度のことながら、誰に対してもマイペースで、のんびりとした態度で隅田さんへと話しかける。


「すみすみはさー、脚本書ける人ってすごいと思うよねー?」


 隅田さんは陽葵先輩の何の脈絡のない言葉に少し逡巡したが、すぐに彼女の唇から言葉が発せられる。


「そうですね、尊敬できると思います」


 声に抑揚がなく、淡白な受け答え。それでも彼女の言葉は、気づかいや嘘ではない。それはわかっていた。

 その言葉を聞いた瞬間――


「やります、俺にやらせてください!」


 考えるより先に、俺の口が動いていた。


「へぇー」


 にやりと陽葵先輩の口の端が歪んだ瞬間、まんまと罠にはまったことに気付く。


「もがみん脚本やってくれるんだー」

「――っ!」

「じゃあBチームの脚本はけってー」

「くっ、この……! 謀りましたね!」


 陽葵先輩の声は弾んでいて、今日一楽しそうだった。

 陽葵先輩は、何故か俺が隅田さんに憧れの感情を抱いているを知っていた。完璧に隠し通していたはずなのに、一番知られたくない人にばれてしまった。

 それに、この先輩ときたら――。


「あれー? さっきは駄々こねてたのになー、どうしたのもがみん?」

「わああわああわああ! ちょっと、黙ってて下さい!」


 陽葵先輩の口を抑え込む。

 隅田さんがまじまじと俺たちの事を見ていることに気付いた。


「いやー、あははっ! えっと……、いやっ、やるっていうか、まだ決定ではないって言うか、さっき言ったのは流れで、脚本やるって言ったのは別に隅田さんが尊敬するからって言ったからじゃなかったからで、俺何言ってるんだろう。陽葵先輩! 決定って訳じゃないですよね?!」

「あっはっはっは」


 なにわろてんねん。この先輩はこういうことするんだよ。


 隅田さんに見つめられて、キモいくらいにきょどってしまった。実際気持ち悪い。  

 ああああ、死にたい死にたい死にたい!


 隅田さんの後ろでは、腹を抱えて苦しんでる陽葵先輩。そのまま苦しんでろ。

 人の弱点を見つけたら徹底的にオモチャにして遊びつくす。普段は、だるーっとしてて何に対してもやる気なさそうなのに、人をからかう時だけ元気になりやがって。


 恨みを込めて、陽葵先輩を睨みつけるが、逆効果で、大層満足そうな顔をしていた。

 いつの間にか隅田さんはBチームに戻っていて、挽回の機会もなく、肩をがっくりと落とす。いや、そんなチャンスあっても、絶対墓穴を掘るだけだ、うん、そう思おう。

 そして陽葵先輩は、一週間廊下で会ったとしても挨拶してやんない。


「もがみんはー、面白いねー」

「もうやだー、この人……」

「でもー。すみすみにー、脚本やるって言っちゃったねー」

「うっ……」

「やらなかったら、嘘になっちゃうねー」


「……この鬼、悪魔! 末代まで呪ってやるっー!」

「ふふふー、ひまりちゃんの計画どーり。ぶいっ!」


 陽葵先輩はそれはもう、とても清々しいほどの笑顔だった。

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