第7話 樹子の部屋でYMOを聴く。
樹子の部屋は6畳の和室だった。
勉強机と本棚がふたつとオーディオセットがあり、ひとつの本棚には図書がぎっしりと詰め込まれ、もうひとつの本棚にはLPレコードとカセットテープが収納されていた。
「コーラでいい?」
「おかまいなく」
「あたしが飲みたいのよ」
樹子はいったん姿を消した。みらいは部屋を見回した。ぬいぐるみなどの女の子っぽいものはひとつもなかった。エレクトーンがあることに気づいた。その楽器は樹子に弾かれるのを待っているように見えた。
「はい、ペプシコーラ」
「ありがとうございます。いただきます」
「未来人、礼儀正しいのね。美徳だわ」
「そうでしょうか。飲み物をいただいたら、お礼を言うのは普通ではないかと思いますが」
「ヨイチはあたりまえみたいな顔で受け取って、礼を言ったこともないわ」
みらいはコメントを控えた。恋人同士の会話にどのような礼儀が適切なのかわからなかったからだ。
「座って」
樹子は押し入れから座布団を出して、みらいの前に敷いた。
「ありがとうございます」
また礼を言って、みらいは体育座りをした。
樹子は本棚から1枚のLPレコードを取り出した。レコードジャケットは赤い人民服を着た5人が椅子に座っている写真だった。前方にいる3人がカメラ目線で、後方のふたりはそっぽを向いていた。
「YMOのセカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』よ。まずはこれを聴いてもらうわ。何も考えずに音に身をゆだねなさい」
樹子は大切そうにレコードを扱い、プレイヤーの円盤の上に乗せた。ダイヤモンドの針を落とすと、円盤が回転し、スピーカーから音楽があふれ出した。
刺激的で聴いたことのない
ビートを刻むドラムスはロックともジャズともちがっていた。知らない音だったが、心地よく耳に響いた。
耳新しくてポップなメロディがくり返される。新鮮だが、どこか懐かしい感じもして、不思議だった。ベースラインが絶妙に絡んでいた。
3曲目を聴いたとき、みらいは目を見開き、口をぽかんと開けた。
「これ、凄い……!」
「『ライディーン』という曲よ。踊りたくなるでしょう?」
「わたしは踊れません。楽器の演奏もできません。それが残念に思える曲です……!」
「なかなかよい感受性よ、未来人」
樹子はにんまりと笑い、コーラをひと口飲んだ。
4曲聴いたところで、ターンテーブルが止まった。樹子がレコードを裏返し、B面をかけた。
B面の2曲目は知っている曲だった。
「このメロディ、知っています」
「『デイトリッパー』よ。ビートルズの曲。欧米人に聴かせるために入れたんでしょうね。海外では評判がいいようだけど、あたしは嫌いよ。YMOのオリジナル曲の方が好き」
「わたしもです」
みらいはYMOの音楽に耳を傾けつづけた。
「これはどのような楽器で演奏されているのでしょうか? 見当もつかないのですが」
「シンセサイザーとコンピュータがメインよ」
「シンセサイザー?」
「さまざまな音色をつくり出せる電子的なキーボードよ」
「コンピュータ?」
「あたしもコンピュータでどう音楽をつくっているのか、わからないの。生身の人間では演奏できないことも可能になるらしいとしかわからない。メンバーのひとり、坂本龍一の発言によると、YMOが使っているディレー・マシーンは千分の1秒単位で音を足したり消したりできるんだって。坂本はそのミリ秒の気持ちよさを計算して、作曲と編曲をしているそうよ」
千分の1秒? みらいは首を傾げた。それで音楽がどう変わるのか、まったくわからない。
「YMOとは、何者なのですか?」
「まだあたしにもよくわかっていないのよ。とにかく突然変異のグループなの。はっぴいえんどのベーシスト細野晴臣とサディスティックミカバンドのドラムス高橋幸宏と無名のスタジオミュージシャン坂本龍一が組んで、いままで存在していなかった音楽を創造した。ごく最近になってテクノポップと呼ばれるようになった。新しいジャンルが生まれたの。あたしたちはいま、日本発の奇跡を目撃し、聴いているのだと思って、まちがいはないわ」
「日本発の奇跡……?!」
「YMOのリーダーにしてプロデューサーの細野晴臣は、我々のコンセプトは『
「よくわかりませんが、偉業なのでしょうね」
「世界に通用するジャパニーズバンド。かつてなかったものよ!」
樹子は興奮して叫んでいた。
みらいはそれがどれだけ凄いことなのかさっぱりわからなかった。
イエロー・マジック・オーケストラの楽曲に一発で魅了された。いまは映画音楽よりもYMOを聴いていたい。
それだけが彼女にとっての確かな実感だった。
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