第6話 ラーメン大臣

 その日は入学式とホームルームだけで放課後になった。

「未来人、本当に今日、あたしの家でイエロー・マジック・オーケストラを聴く?」

「はい、聴きたいです」

「あなたの音楽観が変わるかもしれないわよ。YMOを聴いたら、映画音楽では物足りなくなるかもしれない」

「イエロー・マジック・オーケストラは、『スター・ウォーズ』『ジョーズ』のジョン・ウィリアムズや『パピヨン』『オーメン』『エイリアン』のジェリー・ゴールドスミスより凄いのですか?」

「未来人、あなた、なかなかきびしいことを言うじゃない。確かにそのふたりの映画音楽家は侮れないわね。でも、彼らの曲より確実に新しいわ、YMOの音楽は!」

「ぜひ聴かせてください」

「いいわ。あたしの家は歩いて行ける。ついてきなさい」

 みらいはうなずいた。

 クラスメイトの家に行くのは初めてのことで、なんだかどきどきした。

「おれも行っていいか、樹子」

「ヨイチ、遠慮して。あたしは未来人とふたりで遊びたいの」

「だってさ、良彦。ジーゼンとカラオケにでも行くか?」

「僕はゲームセンターに行きたいな」

 ヨイチと良彦はバス停へ向かい、みらいは樹子の後ろを歩いて、裏門から校外へ出た。桜園学院は高台の上にあり、坂を下ると、田んぼが広がっていた。車通りの少ない道路をのんびりと歩いた。田園風景が途中から新興住宅地の景色に変わった。

「お腹が空いたわね。どこかでお昼ごはんを食べましょう。未来人、何が食べたい?」

「お蕎麦が食べたいです」

「そう。でもあたしはラーメンが食べたい気分なの。蕎麦は却下」

 じゃあ、わたしに訊くな、とはみらいは思わなかった。従順な性格なのだ。

「はい。ラーメンでいいです」

 樹子は『大臣』という看板のラーメン屋に入った。みらいはおとなしく従った。

 店内には醤油と鶏がらスープの香ばしい匂いが充満していた。メニューはラーメン大、中、小とチャーシューメン大、中、小だけだった。

「ラーメン大を30分以内に2杯食べたら無料」と書かれた貼り紙が壁に貼られていた。

「うちの野球部の連中はラーメン大2杯に挑戦しているみたいよ。成功率は3割ぐらいらしいわ」

「園田さんは挑戦しないのですか?」

「あなた、面白いことを言うわね。あたしのような小柄な女にラーメン大が2杯も食べられると思う? 無理に決まっているじゃない」

「痩せの大食いという言葉があります」

「小柄の大食いという言葉はないわ」

「園田さんの言葉には隙がありませんね」

「口喧嘩で負けたことはないわね。樹子でいいわよ、未来人」

「樹子さん」

「それでいいわ」

 樹子はラーメン中を注文した。みらいは何も考えず、同じものを頼んだ。

 ほどなくして、ラーメン中がふたりの前に届けられた。みらいは呆然とし、失敗した、と思った。

「すごい量ですね」

「ラーメン中は小の2倍、大は小の3倍の麺量よ。頼んだ以上は残さないよう努力しなさい」

 樹子はプラスチックの容器に入っていたニンニクをラーメンに投入し、ずずっと麺をすすり始めた。

 みらいはまずれんげでスープをすくって飲んだ。

「美味しい。こんな美味しいラーメンスープを飲むのは初めてです」

「あたしが連れていくラーメン屋にはずれはないわよ」

 にんまりと樹子が笑った。緩やかに口角を上げる笑い方で、魔女のようだ、とみらいは感じた。

 麺は細いが、腰があった。みらいは休まずに食べつづけて、スープまで飲み干した。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「だってさ、店長!」

「おう、おそまつさま。また来てくれよな!」

 ラーメン中は600円だった。これほどの満足感を得られるのなら、この値段はとても安い、とみらいは思った。中を頼んだのは失敗ではなく、成功だった。

 樹子はスープを半分ほど残していた。とても上品な残し方だった。

 彼女の家はラーメン屋から歩いて3分のところにあった。高級新興住宅地の中にある一軒家。樹子は鍵を開けて中に入り、みらいがつづいた。

「うちは夫婦共働きで、あたしはひとりっ子。誰もいないから、気兼ねしないで」

「お邪魔します」

「あたしの部屋は2階よ」

 とんとんとん、と音を立てて、樹子は2階に上がっていった。

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