第2話

 「ウオーター」


乾燥した墓石に、染み渡る真水。


埃が洗い落とされ、傍らに植えられた白百合の根へと、落ちた水が流れていく。


「起きた?

お久し振り。

暑くて寝苦しい夜が続くけど、よく眠れているの?

最近はどんな夢を見てるのかな?

やっぱりまた彼の夢?

フフフッ、今ね、彼は結構大変なのよ?

4000年も居眠りしてたから、奥様方やお仲間の女性達から、毎日のように”お呼び出し”がかかってるの。

頻繁に時間を止めないと、予約をさばき切れないくらいにね。

・・私?

そうねえ、1か月に1回、予約が取れれば良い方かな。

でも意外と抜け道はあるし、まあ、それなりに愛して貰ってる。

・・お土産は、白ワインでよかった?

昔あなたと一緒に飲んだ銘柄はもう手に入らなくて、最近飲んだ中で1番美味しかったやつを持って来たの。

牡蠣を食べながら飲むと、中々いけるのよ?

尤も、ここ4000年の間に、この辺りの海では牡蠣があまり育たなくなってしまったけどね」


高台にある墓地から、日差しで輝く海を眺める。


穏やかな水面みなもに、時折海風が吹き抜けて、さざ波を作る。


何かを思い出しているような視線をそこに向けていたミザリーは、やがてその視線を墓石へと戻し、再度言葉をかける。


「・・あの頃が懐かしいわ。

また貴女と二人、静かなお酒が飲みたいな。

ね、ミリア」



 「はい、お待たせしました。

肉まん6つとあんまん4つで、銅貨62枚になります」


昼時のこの店は、正に戦場だ。


ひっきりなしにお客さんがやって来る。


決して広いとは言えない店内だけでは対応しきれないので、持ち帰りが主流になっている。


尤も、店舗自体は中規模の建物で、平民の家としてなら、かなり大きな部類に入る。


では何故客席が広くないのかと言うと、店舗の半分近くを従業員スペースとして利用しているからだ。


リマさん曰く、『単価が安い店で徒に客席を広くしても、回転率が悪ければ利益がでない。お酒で稼ごうにも、酔っ払いが増えて店の治安が悪くなる。それなら、頑張ってる従業員の為に利用した方が良いでしょう?』とのことだ。


『ミカナ』以外の他店では先ず見かけないが、更衣室が男女別に設置され、従業員の休憩室があり、あとは資材倉庫とトイレ、簡単な調理場がある。


店の営業時間は朝の9時から夕方6時まで。


1日に最低でも七人の従業員が勤務し、シフト制で休みを取る。


週休1日で、夏と冬に其々7日間の特別休暇が貰える。


それでいて、給与は基本給が月に銀貨50枚。


特別休暇の際には一人当たり銀貨30枚のボーナスが支給され、1日分の商品を全て売り切れば、その日は銀貨1枚入りの大入り袋まで出る。


大入り袋なんて、出ない日の方が珍しい。


正直、恵まれ過ぎだと思う。


勿論最初は1か月以上の研修があり、『ミカナ』グループの研修所で衛生管理や調理実習、接客マナーなどを学ばされるのだが、この国全土をかんがみても、一従業員にそこまで教育と費用をかけてくれる店などないと断言できる。


他の店なら、簡単な説明だけで直ぐに表に出され、失敗すれば、あっさり首を切られる。


下手をすると、損害賠償名目で、その月の給与が出ないまま放り出されることもある。


だからか、『ミカナ』の各店舗で従業員の募集が出ると、かなり激しい争奪戦となるらしい。


容姿や能力に優れた者達が、こぞって我先にと申し込みに殺到する。


ただ、採用枠がそうした人達で全て埋まるかというと、決してそうではない。


経営者である御剣様とカナさんの崇高な理念により、表だって公表はされないが、周りを見れば、元奴隷の方も普通に働いているし、かなりお年を召した方も厨房で見かける。


『ミカナ』規定の定年は、男女とも60歳。


それまでは、犯罪に手を染めたりしない限り、ずっと雇い続けて貰える。


定年なんて考え方はこの国では他にないし、よくある退職理由としての、病気や怪我でさえも、『ミカナ』に限っては存在しない。


本人が希望すれば、どんな病気や怪我でも、1回銀貨20枚で治療して貰えるからだ。


それなりの値段がするのは、二日酔ふつかよいとかの軽い理由で、簡単に頼んでこないようにするためらしい。


治療は大抵、リマさん個人による魔法となるが、手が空いていれば、カナさんや部外者であるミザリーがそうしてくれることもある。


カナさん曰く、『ミザリーは身内のようなものだから』ということらしい。


ただ、この治療は従業員か、その家族以外は受けられない。


こうした治療が受けられること自体も、口外しないよう約束させられている。


国内における治癒院での治療費は、本来、この何倍もする。


安易に部外者まで治療すれば、そこで働く者達の仕事を奪いかねないからだ。


「ふう、やっとピークが過ぎたかしらね」


持ち帰り専用の窓口で、私の隣でひたすら客をさばいていたリンが、そう言いながら袖でひたいの汗をぬぐう。


彼女は私の元奴隷仲間で、御剣様によって解放され、王国主催の闘技大会後に引退した、あの二十人の内の一人でもある。


私がここに就職すると知って、チームの副隊長格であった彼女も、一緒に付いてきた。


独身を通す私とは違って、現実的な彼女には、既に夫と子供がいる。


『隊長は夢を見過ぎなんですよ。

ミザリーさんみたいな女性が側に居るのに、そうそう機会が巡って来る訳ないじゃありませんか』


そう言って、さっさと結婚した。


御剣様から頂いた、一人頭金貨100枚のお金で、かなり立派な家を買い、家族で楽しく暮らしている。


そりゃあね、私はまだ乙女ですよ。


31にもなって、未だに男性とデートしたことすらないですよ。


奴隷時代は、運良く最初の旦那様が男色の方で、闘技場での戦闘以外、一切そういった需要がなかったし、その後一時的な主人となられた御剣様には、直ぐに解放された。


私は奴隷に落ちる前は、この国の辺境を護る領主に仕えるある騎士の、前妻の一人娘だった。


だがその母が病で亡くなると、後妻として子連れでやって来た継母に、あらぬ疑いをかけられて、奴隷商人へと売られた。


父は、私を助けてはくれなかった。


継母の実家に多額の借金があったらしく、彼は彼女にほとんど逆らえなかった。


幸いなことに、私はその剣の腕もあって、直ぐにあの旦那様に買われ、試合で結果を出し続けたことで、部屋だけは大部屋で他の女性達と一緒であったが、その他の面では人並の暮らしが保障されていた。


奴隷から解放されると、暫くは他の仲間達と一緒に闘技場で賞金を稼いで暮らしていたが、あの最後の大会で、大恩ある御剣様に剣を向けることができなくて、皆で話し合い、引退して普通の生活を送ることにしたのだ。


数年はつましい生活を覚悟していたのに、別れ際、御剣様が『本来得られたかもしれない賞金の代わりだ』と仰って、全員に金貨100枚ずつくださった。


本命である、肉体を使ってのご奉仕は実現できなかったが(かなり残念)、彼が転移で姿を消された後は、未だ呆然としていた私を除き、あの場の全員が歓声を上げて喜んでいた。


金貨100枚あれば、何もしなくても10年は暮らせる。


先行きが不安だった達の顔にも、笑顔が溢れていた。


「お疲れ様。

今日も凄かったわね」


「良い事だよ。

大入り袋が出た日は、夕食に一品追加できるからね」


「フフッ、発想がもうすっかり母親ね」


「当たり前だよ。

一体何年親をやってると思ってるのさ」


「フフフッ、女としてはどうなのかしら?

夜の方は充実してるの?」


客が途切れた今は、こんなバカ話もできる。


「それがねえ、最近はずっと御無沙汰でさ。

子供がある程度大きくなると、お互いにいろいろ気にしたり、疲れたりするのよね。

まあ、未だに乙女の隊長には、分らない悩みってやつですね」


「フン、私は好きで乙女をしているの」


「だけどさあ、偶に、こう、・・欲しくなったりはしませんか?」


「ちょ、何を言い出すのよ」


「隊長から振ってきたんじゃないですか」


リンが真面目な顔になる。


「・・隊長はさ、私らと違って美人なんだから、まだ相手を幾らでも選べるでしょ?

そのメリハリのある身体が、夜泣きとかしないんですか?

幾ら御剣様を待っているとはいえ、限度ってもんがあるでしょう?」


「何回も言ってるけど、もう隊長じゃないわよ。

それに・・別に無理してないし。

妥協して、好きでもない相手に身を任せるくらいなら、このまま一生独りで良いわ。

可能性だって、まだゼロじゃないし」


ミザリーが御剣様と賭けをして、まだ各地をさ迷っていた頃、一緒に飲んだお酒の席で、彼女が私に言ってくれた言葉。


『あの人、身持ちが堅く、スタイルが良くて胸の大きな娘が好みよ?

貴女綺麗だし、脈あるかもね』


少し酔っていたとはいえ、単なる冗談ではなく、本心からそう言ってくれたことは理解できた。


何かのきっかけさえあれば、もしかしたら私でも・・。


未だにそう考え、そしてその可能性を捨て切れない自分がいる。


「まあ、隊長の人生だからさ、どう生きるかは隊長の自由ですけど、元仲間であり、今の同僚としては、少しばかり歯痒くもあり、勿体ないなと思う訳ですよ」


「ありがとう。

貴女にそう言って貰えるだけで、まだ女としての自信が持てるわ」


新たなお客が来そうだったので、そこで会話が途切れた。



 「リマさん、最近何かあったんですか?」


毎月の財務管理をしに店へとやって来た彼女に、思い切ってそう尋ねてみる。


明らかに様子がおかしい。


いつもなら薄い笑みを絶やすことなく、泰然自若としている彼女が、内心の動揺を隠し切れない、固い表情をしている。


私的なことを仕事に持ち込まないタイプの人だから、多少突っ込んだ質問をしても大丈夫だろうと判断する。


「・・どうしてそう思うの?」


「いえ、ただ何となく、そう感じるだけで・・」


「・・ごめんなさい。

まだお話しできないの。

私にはその権限も無いし、正しい判断を下せそうにないから。

多分、もう少ししたら、カナから何らかの説明があると思う」


力が感じられない笑みで、そう告げられる。


「そうですか。

余計なことを聴いてしまったみたいで、済みませんでした」


「いえ、気にしないで。

動揺が顔に出るなんて、私もまだまだね」



 それから更に数日後。


閉店後の店に、ミザリーが尋ねて来る。


友人として、忌憚きたんの無い付き合いをしている彼女とは、敬称なしで呼び合う仲だ。


「今晩、一緒に飲まない?」


アイテムボックスから取り出したらしい、白ワインを掲げながら、苦笑いする彼女。


「良いわよ。

着替えてくるから中で少し待ってて」


『ミカナ』の制服から私服に着替えて、店内の椅子に腰かけていた彼女に声をかける。


「ここで飲む?」


「ううん、今晩は行きたい場所があるの」


「へえ、珍しいわね。

何処?」


「行くまで内緒。

案内するからこっちに寄って」


どうやら遠い場所のようだ。


転移で連れて行かれた場所は、鬱蒼うっそうとした森の中。


とてもお酒を飲むような雰囲気ではない。


「ちょっと待っててね」


ミザリーが魔法を使って周囲の樹々を伐採し、結界を張って下草を燃やす。


10坪くらいの更地ができると、そこに大きめのテントを張り、トイレらしき建物を出す。


「お待たせ。

・・ここはね、私が奴隷から解放された日に、彼と初めて夜を明かした場所なの。

勿論、ただ眠るだけという意味よ?

彼にはまだこの国に住む家がなかったから、ここでテントを張って、暫く二人で暮らしてたのよ」


そう言いながら、彼女は懐かしそうに、自分が出したテントを眺めている。


きっと、その時使っていた物なのだろう。


ミザリーが奴隷だった時があるという事は、初めて彼女とお酒を飲んだ際に聞いた。


お互いに運が良かったと、笑い合ったものだ。


「さあ、中に入りましょ。

ちゃんとテーブルセットが置いてあるから、ゆっくりできるわ。

あ、中に入る前に靴を脱いでね」


「・・テントというより、ちょっとした部屋よね」


中に入り、その心地良さに驚く。


きちんと底板が張られ、汚れ1つない室内に、簡素だが清潔なベッドと家具が置かれている。


え、ベッド?


「・・一応伝えておくけど、私、至ってノーマルよ?」


「安心して。

当時の状態にしてあるから、彼と使っていたベッドがそのまま置いてあるだけよ」


テーブルの上に、白ワインとグラスが2つ出され、数種のつまみが置かれる。


「今日はちょっとね、・・貴女に大事な話があるの」


ワインを注ぎながら、ミザリーがミリアに話しかける。


「あまり脅かさないでよ。

一体何かな?」


探るように彼女の顔を見る私。


「本題に入る前に、彼と私、それからカナと、ウロスの屋敷で暮らす仲間のことについて話しておくね」


「ええ」


ワインを口に含みながら、話を促す。


「私達ね、もう人間ではないの」


「・・どういう意味かしら?

魔物にはとても見えないわよ?」


真剣に、彼女の眼を見据える。


「うーん、・・極簡単に言えば、神様の仲間入りを果たしたとでも言えば良いかな」


「本気で言っているのよね?」


「勿論」


「御剣様が神様だった。

そういうこと?」


「ええ」


「・・何時から?」


「私が彼と、10年に亘る賭けをしていた時があったでしょう?

あの後直ぐ」


「じゃあカナさんも、そしてリマさんも、貴女と同じ立場なの?」


「そう」


「・・・」


「あまり驚かないのね」


「そりゃあね。

貴女達、とくにミザリーは普通じゃないもの。

全然年を取らないし、転移や治癒の能力もそうだけど、ある時から急に美しさが増したし、今の戦闘力だって想像がつかない。

あ、元からかなり綺麗だったわよ?

それが異常な程度にまで高まったというだけ」


「フフッ、ありがとう。

前にも言ったけど、貴女だって十分に綺麗よ?」


「もう30を過ぎてしまったけどね。

最近は体型を維持するだけでも結構大変なのよ。

・・でも、それで納得できる。

御剣様、やっぱり神様だったのね。

あんな素敵なお方が神様なら、この世界も捨てたもんじゃないわ」


「・・・」


「どうしたの?」


急に暗い顔をし出したミザリーに、疑問に思って尋ねてみる。


「・・今日、貴女を尋ねたのは、謝罪のためでもあるの」


「謝罪?」


「私が以前、『貴女にも脈がある』と言った事を、覚えているわよね?」


「ええ、勿論。

その言葉が、今の私を支えてくれる源でもあるから」


「結論から言うわね。

貴女はもう、彼に会うことはできないの」


危うく手にしたグラスを落としそうになる。


「・・何故なの?」


「彼が眠りに就いてしまったから。

彼はとある世界で、それまで自分に課していた戒めを破ってしまったの。

あの人、変に真面目なところがあるから、それが許せなかったのね。

その反省を兼ねると言って、4000年もの長い眠りに就いてしまった。

私達は彼の眷族として、不老不死と、尋常ならざる力を与えられたけど、神それ自体ではないから、他者に同じような力を授けることができない。

それは彼にしかできないことなの。

私がしてあげられることは、せいぜいが、その魔力量を増してあげることくらい。

彼が次に目覚めるのは4000年後。

だから、貴女はもう・・・彼に会えないの」


言いながら、下を向いてしまったミザリー。


「そんな・・」


たとえ受け入れて貰えなくても、時々はお会いできると思っていた。


偶にはお酒をご一緒できるかもと、密かに期待していた。


それなのに、もう二度とお会いできないなんて・・。


ひとりでに涙が溢れてくる。


嗚咽おえつを必死に堪えようとするが、噛み締めた歯の隙間から漏れ出てしまう。


「う、ううっ、ううう・・」


御剣様。


御剣様。


もう一度、せめてもう一度だけでも、お会いしたい。


そのお顔を拝見したい。


「ううっ、・・うっ」


「ごめんなさい。

私が期待を持たせるようなことを言ったばかりに・・。

本当にごめんなさい」


彼女のせいではない。


彼女が悪い訳ではない。


そう言ってやりたいのに、嗚咽を耐えるのに精一杯で、ろくに口を開けない。


随分と長い時間が経って、ようやく落ち着いてくると、それまで辛抱強く待っていてくれたミザリーが、また声をかけてくれる。


「あのね、他の方々の手前、そう頻繁には無理だけど、寝ている彼に会うこと自体はできるわよ?」


「!!!」


「彼の城、その謁見の間に、貴女を連れて転移することはできるはずなの。

・・どうする?」


「お願い!!」


「1つだけ約束して。

彼には触れないこと。

ただ側で眺めるだけにして欲しいの。

同じ眷族なら構わないのだけれど、貴女はそうじゃないから、他の方々の手前、彼には触れない方がい。

どう、我慢できる?」


「ええ。

分ったわ」


「これから直ぐに行く?」


「いえ、少し(顔の)状態を整えたいから・・」


「それならお風呂に入っていく?

ここにあるわよ?」


「え、・・じゃあお借りできる?」


「どうぞ。

一緒に入る?」


「私は、・・その、どちらでも」


「じゃあ一緒に入ろう。

いろいろと便利な物があるから、使い方を教えてあげる」


それから約2時間、私は彼女によって隅々まで磨かれるのでした。



 「・・凄い空間ね」


連れて来られたその場所を見て、溜息と共に、それだけしか言えない。


広さは勿論、その荘厳な室内の装飾は、正に想像を絶している。


「・・この先よ」


100m近く歩いて、やっと玉座に辿り着く。


先程から、心臓の鼓動が妙に耳障りだ。


目を閉じて微動だにしない御剣様のお姿が、明確に視界に入ってくると、嬉しさと悲しさで胸が一杯になる。


心なしか、苦痛に耐えている時のような、厳しいお顔をなさっている。


反省をしていらっしゃるとのことだから、あまり楽しい夢をご覧になっている訳ではないのだろう。


正面から、じっと見つめる。


少し脇に逸れて、側面から凝視する。


忘れないように、思い残すことがないように、必死に心と記憶に刻み付ける。


「あの肖像画の方々はどなたですか?」


一頻ひとしきりそうした後、天井近くに飾られた、6枚の肖像画に描かれた人物について質問する。


どの方々も、絵とは思えないほどにお美しい。


「彼の奥様方よ。

今の所、全部で六人いらっしゃるわ」


「!!」


そうですよね。


この方に、お相手がいらっしゃらないはずがないですものね。


え、でもそうすると・・。


「ミザリーは、彼の妻ではないの?」


「違うわよ。

只の眷族」


「気に障ったらごめんね。

もしかして、・・なれなかったの?」


「ううん、彼はそう言ってくれたのだけど、私の方で、只の眷族にして貰ったの」


「どうして?」


「なるべく彼の側に居たいし、好きに過ごしたいし、妻の立場にはいろいろと責任が伴うから」


「じゃあその、・・今は、・・彼に抱かれてはいないの?」


「まさか!

ずっと側に居て、そんなこと我慢できる訳ないじゃない。

妻でなくても、眷族にさえなれれば、彼は相手をしてくれるから」


羨ましい。


でも、仕方ないのかな。


私には運がなかったというだけよね。


「ありがとう。

そろそろ帰りましょう」


「もう良いの?」


「ええ。

切りが無いし、諦めもついたから」


「・・・」


最後にもう一度だけ振り返って、『好きです』と心の中で呟いた。



 テントのある場所に帰ると、ミザリーに話を切り出す。


「今後のことで、貴女にお願いがあるの。

・・私を鍛えてくれないかな?

旅に出たいの。

国中を巡って、いろんな場所に行って、そこで様々なことを体験したい。

自分を見つめ直し、心を整理する時間を持ちたいの」


「それは良いけど、今の仕事はどうするの?」


「辞めるわ。

貴女に鍛え直して貰う、あと1年くらいは続けるけど、その後は無理だから」


「鍛えるのは剣だけで良いの?」


「魔力の増強も頼める?」


「構わないけど、毎晩数時間、私と手を繋いで過ごすことになるわよ?」


「どういう意味?」


「私と貴女の間で魔力を循環させ、貴女の器を大きく、魔力を強くするの。

私が彼にして貰ったやり方だけど、そうしてる間はかなり気持ちが良いから、間違って襲わないでね」


「・・そんなに気持ち良いの?」


「ええ。

私はその後、ほぼお風呂に入ってたし。

・・まあ、私の魔力は彼とは比べ物にならないから、そこまでじゃないと思うけどね」


「・・もしもの時は、お風呂も借りて良いかな?」


「フフッ、ご自由に。

訓練中はここに住めば良いわ。

これから毎日、仕事が終わったら店まで迎えに行ってあげる」


こうして約1年の、ミリアによる旅立ちの準備が始まった。



 「隊長、本当に辞めてしまうんですか?」


店での最後の仕事を終え、迎えに来てくれるミザリーを待つ間、リンが寂しそうに声をかけてくる。


「ええ。

今までありがとう。

皆のお陰で、とても楽しく仕事を続けられたわ」


カナさんとリマさんには、2か月ほど前に報告してある。


ミザリーが何かを伝えていたのか、慰労の言葉と共に、金貨10枚の(特別)退職金までくださった。


「隊長目当てで来るお客さんだって多いんですよ?

何でか知りませんけど、隊長、ここ半年でかなり若返りましたよね?

肌や髪も艶々してるし、20代前半と言っても通りますよ?」


「ごめんね。

どうしてもやりたいことがあるから・・」


「また会えますよね?

この町に戻って来ますよね?」


「そうね」


瞳を閉じて、口元を僅かに緩める。


「・・多分、何時いつかはね」



 「はいこれ。

私からの餞別よ」


そう言って、ミザリーが一振りの剣と、小さめの革袋を渡してくれる。


「その剣は魔法剣だから、大事にしてね。

ヴィクトリアさんにお願いして、強化と防御の魔法をかけて貰ったの。

鋼の剣だけど、容易く鉄を切断できるし、矢や魔法攻撃が飛んできた際は、障壁が生じて貴女の身を護ってくれる。

革袋の方には、金貨100枚を入れといたわ」


「そんなに!?」


「長い旅になりそうだもの。

お金は幾らあっても良いでしょう?」


「ありがとう。

貴女には、して貰ってばかりね」


「・・こんなことしかできなくて、ごめんね」


「何言ってるの、十分よ。

貴女のお陰でたくさんの魔法も使えるようになったし、旅を楽しんでくるわね」


「元気でね。

もし何か困ったことが起きたら、遠慮なくウロスの屋敷まで手紙を頂戴ね」


「うん。

・・それじゃあ、そろそろ行くね」


お互いをしっかりと抱き締め合った後、私は彼女に背を向けて、ゆっくりと歩き始めた。



 それから十数年が過ぎた。


無理をせず、ゆっくりと街道を歩き、途中で村や町に行き着けば、そこに少しの間、滞在する。


駆け回る子供達を見て、私に子供がいたら、一体どんな子に育っただろうと想像する。


何かのお祭りに遭遇すれば、故郷や、働いていた町での光景を思い出す。


腕を組んで歩くカップルに、羨ましそうな視線を送り、御剣様のお姿をお借りして、妄想する。


その護衛を兼ねて、商隊の馬車に揺られたり、田舎の村の依頼で、簡単な魔物退治をこなしたりもした。


春。


桜の樹を見かければ、その根元でぼーっとして景色を眺める。


時々舞い落ちる花びらが、私の髪や肩に、僅かないろどりを与えてくれる。


花見客で賑わう広場を通り抜ける、風の匂い。


家族連れが集まる丘の上での、柔らかな日差し。


森を歩けば、新芽の微かな香りがする。


でも、御剣様の気配はしない。


夏。


耳に心地良い、川のせせらぎ。


畑での自己主張が強くなる、大きく実った野菜たち。


突然起きる雷雨に急いで雨宿りし、多重奏の蝉の鳴く声が、私の思考を何度も邪魔する。


向日葵が、自信ありげに天を向き、逆に私は、暑さと寂しさで下を向く。


満天の星空の下、夜風に包まれて眠ることもあるが、御剣様が夢に現れない。


秋。


森を独り歩く私に、踏まれた枯葉が、かさかさと文句を言ってくる。


滞在先の村で、薪を拾う手伝いをしながら、鮮やかに染まった紅葉に、少しばかりの元気を貰う。


収穫を終え、豊作を喜ぶ人々の顔に、『ミカナ』で働いていた頃の、自分達を重ねる。


冬の足音が聞こえ始め、その事に気付いた人々が、備えのためにせわしさを増していく中で、一人だけ、別の事を考えている。


町で運良く浴場を見つけた時は、宿の部屋に荷物を預け、そこで長湯しながら、御剣様を想う。


周りからは、きっと私が、湯でのぼせているようにしか見えないだろう。


冬。


確かな重さを伴ったぼた雪が、私の歩く速度に、徐々にハンデを与えてくる。


山間やまあいの村落で時々ありつける猪鍋ししなべが、冷え切った身体と一緒に、心まで僅かに温めてくれる。


魔法でり貫いた岩肌の穴から、薪を燃やしながら眺める景色。


灰色の空に、荒れ狂う吹雪。


一夜の宿として借りた納屋の戸には、翌朝になると、小さなつららが幾つもできている。


月が高い、澄んだ夜空を見上げ、ミザリーに連れて行って貰った、御剣様の城内を思い浮かべる。


玉座に眠る彼のお顔を、微かに照らしていた月の光。


私もそのお側で眠れたら。


そのお側で、逝けたのなら・・・。



 更に数年が過ぎる。


故郷の町にも足を踏み入れた。


記憶を頼りに探した生家には、どうやら別の人が暮らしているらしい。


聴いたところによると、もう大分前から、今の住人達が暮らしているとのこと。


父とその家族が、一体どうなったのかは分らなかった。



 時々出る激しい咳に、血が混ざり始めた。


そして今の私には、それを治そうという意思が、既になかった。


最後に、ミザリーやリンにだけは会っておこうと、先ずは元居た町へと馬車で戻る。


店ではなく、リンの家へと足を向けたが、窓からそっと眺めたその幸せそうな光景に、立ち寄ることなく遠ざかる。


もう私の出る幕じゃない。


彼女には彼女の幸せがある。


孫にまで囲まれ、嬉しそうに笑う彼女に、今敢えて余計な心配を与えるべきじゃない。


心の中で、『何も言わずに去ってごめんね』とだけ告げて、この町を出た。



 ウロスの町にある、ミザリーが住むという屋敷の側まで来る。


広い庭で、メイドの格好をした若い女性が、植えられたハーブたちに何やら語りかけている。


私と目が合うと、ニコニコしながらこちらに歩いて来た。


「こんにちは。

当家に何か御用でしょうか?」


「あ、いえ、特に用があるという訳では。

偶々この付近を通りかかったので、ミザリーに会っておこうかなと思っただけなので・・」


「まあ、ミザリーのご友人の方ですか?

済みません。

彼女は今、同居人の一人と共に、ギルドの仕事に出ておりまして・・。

帰りは2日後と聴いております。

宜しければ、ご伝言をお預かり致しますが・・」


「・・そうですか。

なら日を改めることに致します。

お手間を取らせてごめんなさい」


「いいえ。

貴女のお名前をお尋ねしても宜しいですか?」


「ミリアと申します」


「あら、そのお名前、何処かで聞いた覚えが・・」


「失礼します」


考える素振りを見せた女性に背を向けて、急ぎ足で宿へと戻り、そしてまた直ぐに町を出る。


ミザリーに会えなかったのは残念だったが、あの女性を目にした時、気付いてしまったのだ。


自分が老いたという、その事実に。


御剣様のお力を得て、不老不死となったミザリーは、以後決して老いることはない。


いつまでも、その輝くような美しさを保ったままだ。


それに比べて、今の自分は既に50を過ぎ、病のせいもあってか、髪や肌からは艶が失われて久しい。


彼女に会えば、否応無しにそれを意識させられる。


女としての、格の違いを認識させられる。


それだけは嫌だ。


なまじ仲の良い、親しい友人だからこそ、今の惨めな自分を彼女に見せたくはない。



 数日後、最後の場所として定めたミレノスの町の借家で、手紙を書き始める。


もう自分に残された時間はあまりない。


ここへ辿り着くまでにも、何度も休憩を余儀なくさせられた。


治安が良い場所で良かった。


今の私では、もう満足に剣も振れない。


ミザリー宛の手紙には、これまでの感謝の気持ちと、謝罪の言葉を書き連ねた。


彼女から贈られた魔法剣も、しっかりと磨いて、その手紙の側に並べる。


私と御剣様の、たった1つの絆である、彼から頂いた102枚の金貨には手を付けたくなくて、ミザリーから貰った分は全て旅の間に使い切ってしまったが、その代わりにと、古ぼけた、中身の詰まったその大事な革袋を、剣とは反対側に載せておいた。


この町の領主はミザリーの友人だそうだから、着服されずに、きちんと彼女の下へと届くだろう。


ベッドに横になって、身体を楽にする。


やっと、全ての痛みや不安、悲しみからも解放される。


目を閉じれば、これまでの様々な記憶が、モノクロの画像のように蘇る。


その後で、御剣様との思い出だけが、色鮮やかに浮かんでくる。


溢れ出る涙で、もう、何も見えない。


『そこか』


テーブルに置かれた魔法剣が、突然激しい光を放つ。


私の身体が、いきなり蒼い光に包まれる。


身体全体から力が湧き上がり、その視界をクリアなものにしていく。


「まったく、自分の眷族は、皆律儀というか、度が過ぎるほどに思い込みが強くて困る。

幾ら寂しいからと言って、治せる病を治さずに、死に臨もうというのは如何なものか。

自分はな、自己をないがしろにする者を好まない。

これから長い付き合いになるのだから、是非覚えておいてくれ」


聞き覚えのあるその声に、驚いて飛び起きる私。


透かさず視線を声がする方に向けると、壁のある場所に、光り輝く門が開いている。


そして、その漆黒の空間の中では、御剣様がこちらを向いて、静かにたたずんでいた。


人という存在は、本当に驚いた時、咄嗟には声が出せないものらしい。


相変わらず黙ったままの私に、御剣様が再度お言葉をかけてくださる。


「久しいな。

勝手に眷族へと加えてしまったが、怒っているのか?」


「御剣様!」


思わず抱き付いてしまう私。


それから暫く、ただ涙を流す時間だけが過ぎていく。


「お眠りになっていらしたのではないのですか?」


どうにか心を落ち着けた後、そっとそう問いかける。


彼へと回した腕は、まだほどかない。


「寝ていたさ。

4000年もな。

お陰で君に、とてもつらい思いをさせてしまった」


お変わりのない、優しい声の響き。


身も心も、一瞬で溶かされてしまう。


「ではどうして?」


「起きてから事情を悟り、過去へと跳んできた。

ヴィクトリアの魔力を手掛かりにしてな。

本当ならもっと早くに会いに来れたのだが、何分なにぶん、今はいろいろと忙しくて・・。

申し訳なかった」


「いいえ、謝罪のお言葉なんてとんでもない。

こうして会いに来てくださっただけで、私は・・」


またしても涙が溢れる。


「それで、勝手に自分の眷族に加えてしまった件だが、了承して貰えるのだろうか?」


「勿論です。

私なんかで良いと仰るなら」


「『なんか』などと言ってはいけない。

君は、『身持ちが堅く、スタイルが良くて胸の大きな』素敵な女性だ。

その心も、容姿に違わず美しい」


そこではっと気付く。


私の、今の姿って・・。


「大丈夫だ。

自分の眷族になった時、その容姿は当人が最も美しい年齢へと遡る。

不安なら、そこの鏡で確認してみると良い」


言われた通り、彼に回した腕を渋々解いて、反対側の壁に掛かっている、小さな鏡を見据える。


大体18歳くらいだろうか?


若々しく、瑞々しい素肌をした、よく知っている顔がこちらを見ている。


「納得がいったか?」


「はい!」


「ではこれから、ミザリーに会いに行こう。

きっと驚くに違いないから」


「フフフッ、楽しみですね」



 「いですよ。

但し、三人でお願いしますね」


有り得ない、とても懐かしい声に、でも悔しいから、できるだけ穏やかに振り向く。


「何となくだけど、そんな気はしていたのよね。

貴女みたいな健気けなげで一途なひとを、この人は放っておけないから。

・・また会えて、とても嬉しいわ、ミリア」


「私もです。

本当にありがとう。

貴女がいたから、私はこうしてまた、彼の側に立てた」


そう言って涙ぐむ彼女の右手の薬指には、自分と同じ、眷族の証が光っている。


「白ワイン1本だけじゃ足りないわね。

ウロスの屋敷に行く?

それとも、『ミカナ』の総本店?」


「できれば自分の城に来てくれ。

この後、例の予約が入っているのだが、少し遅らせて貰わねばならないから」


「今日はどなたでしたっけ?」


「紫桜」


「・・それは、いろいろと大変ね」


「あいつは情が深いだけではなく、周りを思い遣る心に溢れた、素晴らしい女性だ。

照れ隠しに形だけの文句は言うだろうが、最後にはいつも笑って許してくれる」


「はいはい、お熱いことで」


「折角だから、エリカ達にも彼女を紹介しよう。

・・行くぞ」


転移直前に見た、ミリアの墓があった場所には、まるで私の気持ちを表すかのように、たくさんの花々が咲き誇っていた。

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