創造神の嫁探し 番外編

下手の横好き

第1話

 「「「「おはようございます!」」」」


長き眠りから目覚めた自分の視界に真っ先に飛び込んでくる、懐かしい眷族達の姿。


微笑んでいる者、泣いている者、拗ねている者。


それぞれが思い思いの表情で自分を見つめている。


『みんな老けたな~』、そうボケるつもりであったのに、どうやら場の雰囲気がそれを許してくれそうにない。


左膝で動きを見せたエリカの頭を撫でながら、居並ぶ皆に向けて口にする。


「己の我が儘で、随分と迷惑をかけた。

済まなかったな」


右膝で頭を起こした紫桜の髪を、指で優しくく。


「こうしてまた皆に会えた事、とても嬉しく思う」


総勢三十数名(妻四人含む)の眷族達、その一人一人の顔を確認し、思わず笑みが浮かぶ。


一人も欠けていない。


自分が眷族にした、その全員が今この場に居る。


あの三人の姿がないが、直ぐ近くにその反応がある。


どうやら自分が掛けた保険とは別の方法で、こちらの目覚めを待っていたようだ。


「皆さん、おはようございます。

旦那様のいない寂しさに耐えられず、抜け駆けのように眠りに就いたこと、どうか許してくださいね」


身を起こし、徐に立ち上がったエリカが、皆にそう詫びる。


「おはようございます。

少しはしたないとは思いましたが、わたくしは、旦那様のいない世界では何もする気が起きないの。

ずるをしてごめんなさい」


同様に立ち上がった紫桜が、皆に向けて丁寧に腰を折る。


「お気になさらず。

お二人が旦那様のお側にられることで、わたくし達はとても安心できました。

きっとあちらの世界でも、旦那様が寂しい思いをされてはいないと確信できましたから」


マリーが笑顔でそう答える。


「旦那様を挟んでのお二人は、どんな光景よりも絵になる。

会いに来る度、そう思っていましたよ?」


有紗がそう続く。


「お二人なら、まあ仕方ないかな。

凄く羨ましかったけど」


アリアがにっこりと微笑む。


「宜しければ、今度あちらでのことを色々聴かせてくださいね」


ヴィクトリアが、(久々に彼女らと話せて)嬉しそうにそう告げる。


「折角こうして皆が集まってくれたのだ、積もる話もあるだろうし、これから食事会にでもしよう。

エレナ達も参加できるよう、料理や酒は自分の方で用意する。

皆それで良いか?」


「「「「はい」」」」


こうして、この城に、普く世界に、再び風が吹き始めた。



 「4万8000、・・何の数字かお分りになりますか?」


立食パーティーで、妻達が固まる場所に足を運んだ和也に、マリーが微笑みながらそう切り出す。


「さ、さあ、何だろう?」


薄々分ってはいるが、敢えて気付かない振りをする。


今自分が最も恐れている話題の1つだからだ。


「溜まりに溜まっている、『夜の予約権』の数字です。

今皆さんと、それをどう消化しようか話し合っていました」


「・・それについては、こちらから提案というか要望がある。

後日、ゆっくり相談させてくれ」


「エリカさんと紫桜さんの分も全部支給なさるとお聴きしましたが、それは少しずるくないですか?」


仕事で未来の情報を得る度に、その回数を1ずつ減らされていた有紗が、やんわりと苦情を言ってくる。


「だって、向こうではそういうことを全くしていないのだから当然でしょ?

わたくし達がしていたことは、ヘタレな旦那様の話し相手がほとんど。

ずっと側に居たとはいえ、お仕事(和也の救済を得られず、無念の内に亡くなった死者の、見守りや見送り)もしていたのだから当然の権利だわ」


紫桜が有紗に反論する。


「・・有紗達の減回分も全て補填する。

ただ、それらについては後日、然るべき時に相談させてくれ」


「なら良いわ」


にっこり微笑む有紗。


「・・マリー、そちらの世界はどう変わった?」


あからさまに話題を変える和也。


「セレーニアは一大観光国と化しています。

『蒼き光』の巡礼地としては勿論のこと、交通網の発達により、諸外国からも毎年大勢の旅行客が訪れます。

その結果、魔の森とは反対側の正門付近、約10㏊分の土地を整備し、新たな領土として組み入れ、そこに宿や観光施設を増設致しました。

ただ、国民たるエルフ達は、相変わらずあまり国外で生活しようとはしません。

やはり、その寿命の長さや生活環境がネックになるようです」


「王家はどうなりました?」


エリカが口を挿む。


「存在しております。

男子も王位を継げるようになったお陰で、今では性別に関係なく、第一子が王位を継いでおります。

現在は女王です」


「雪月花はまだ在るのですか?」


紫桜が問う。


「はい。

・・ただ、こちらは大きく様変わりしました。

女性しかなれなかった天帝に、男性でも就けるようになり、その地位は、国王というより寧ろ象徴となっています。

政治的な権力は、もうほとんど持っておりません。

貴族制も廃止され、今は選挙で選ばれた国民の代表者達が国を動かしております」


「あら、まるで地球の日本みたいね」


「そうですね。

ですが、あそこまで工業化はしておりません。

旦那様の御威光で、寺社の影響力は未だ強く、自然との調和を大切にしております。

男子にも魔法の習得が許されましたから、然程機械に頼らずともやっていけるようです」


「エルクレールはどうなった?」


「一応、存続しております。

こちらはもう、軍事国家というより、学術都市、芸術の都と呼んだ方が相応しいでしょう。

高度な学問を修めるための大学や、あらゆる芸術で名を成すためのコンクールが集中し、各産業の研究室などもここに集約されております。

その領土は半分になりましたが、共和国として、各国から永世中立を認められております」


「魔の森は?」


「勿論、4000年前と変わらぬ状態を維持しております。

あそこは旦那様から託された大事な土地。

過去に何度か、伐採や資源の略奪を試みた不届きな国がありましたが、わたくしが責任を持って排除致しました。

現在は、わたくしがその周囲に結界を張っており、その許可なく何人も立ち入ることはできません」


「そうか。

・・ありがとう」


そう言って微笑む和也に、顔を赤くするマリー。


「ビストーの方は?」


今度はヴィクトリアの顔を見る。


「まだあるわ。

貴族の権力自体は少し衰えたけど、国の形態も然程変わらない。

尤も、市民の暮らし振りは以前よりかなり良くなったわ。

主に衛生面でね。

地下迷宮もそれほど変化は見られないかな。

・・やはり魔法があるせいかしらね。

どうしてもそれに頼ろうとするから、魔法だけは発達しても、人の行動原理に大きな変化は現れない。

相変わらず冒険者ギルドが繁盛してるし、主な産業は農業(酪農含む)と商業よ」


「ふむ。

・・地球は?」


有紗に尋ねる。


「あなたの影響で、世界地図が大分書き換わったわね。

地中に配備されていた兵器の類が全て機能不全に陥ったせいで、それを背景に好き勝手していた国々が暫く大人しくなり、環境問題も劇的に改善してくれたお陰で、人々の目がより内政へと向き始めた。

独裁や専制を敷いていた国々では幾つか内乱が起き、経済の立て直しを迫られた国では混乱も生じたけれど、地図を書き換えた1番の原因は食料問題だったわ。

増え過ぎた人口を全て養うだけのものがない以上、結局は選別か取り合いになる。

数回に渡る世界規模の大きな戦争を経て、今は世界連邦として、それまでの国の大半が州になってる。

消滅した国も100以上あるけどね」


「日本は大丈夫だったのか?」


「勿論。

民意が戦争に傾いた時は、私の力を使ったから。

ずっと中立を保って難を逃れたわ。

その間に経済を立て直しながら、国土の約5分の1をグループの所有にしてある」


「・・・」


「荒れ果てた相続放棄地や、諸外国からの干渉目的の購入に対処するには、そうするしかなかったのよ。

でもそのお陰で、今でも自然豊かで、一部には昔の風景が残っているわよ?」


「苦労をかけたようだな。

ありがとう」


「どう致しまして。

あとできちんとお礼を貰うから大丈夫」


「・・アリアは何をしていたんだ?」


不自然に彼女の方に向き直り、そう尋ねる。


「今は絵より、漫画を描いていることが多いかな」


「漫画?」


「あなたのせいでもあるからね?

あなたが娘さん達にこの城での実体化を許したあおりで、その書庫に入り浸った、・・書庫をお気に召したディムニーサさんが私に依頼をしてきたのが始まりね。

あなたと彼女の漫画を描いてって。

平たく言うと、以前あなたから貰ったらしい、父娘の日常を描いた作品の、あなた達バージョン。

毎回作画に凄く高いクオリティーを要求されるけど(フルカラーだし)、その分彼女達は時間の感覚がおおらかだから、1話に1年くらいかけても平気なのが救いね。

因みに、ストーリーはほぼ彼女達の意向を汲んでるわ」


「・・いろいろ申し訳ない」


「良いわよ。

案外楽しいし、絵の息抜きにもなるから。

本当に、彼女達から愛されてるのね」


「・・では、そろそろ他のテーブルに移動する。

また後でゆっくり話そう」


「ええ、また後で」


エリカ達に別れを告げ、次はルビー達の居る場所に移る。



 「楽しんでいるか?」


「ご主人様、お待ち致しておりました。

またこうしてお話ができて、本当に嬉しいですわ」


ルビーが穏やかにそう告げる。


その瞳は、妖艶と言うより深い慈愛に溢れている。


「ご主人様、ずっとお会いしたかった。

何度夢に見たか分りません。

やっとお話できた」


エメラルドが涙ぐんでいる。


彼女は和也から任された仕事を忠実にこなすあまり、この4000年、数える程しか城には来ていない。


「ご主人様、嬉しいです。

こうしてまたそのお声が聴けて、幸せです」


触れることを遠慮したユエが、切なそうにそう言ってくる。


彼女達二人は、ルビーやエメラルドとも面識があるからここに居た。


「4000年はさすがに長かったです。

今度は私達も共に眠りますから・・」


ユイが、口を僅かに尖らせながらそう口にする。


「済まなかった。

もう大丈夫だ」


この二人には事前に伝えなかったから、むくれられても仕方がない。


「ダンジョンCは、エメラルドのお陰もあり、もう相当な規模になりましたわ。

1つの世界と言っても過言ではありません。

中に居る魔物や魔獣も多種多様。

きっとお気に召していただけます」


「それは楽しみだ。

・・どうやら、自分の考えを正確に理解してくれたみたいだな」


「あなたの忠実な僕ですから」


そう微笑む瞳には、今度こそ妖しげな艶が混じっている。


「世界は相変わらずです。

どれだけダンジョン送りにしても、悪が尽きることはありません。

私の仕事に終わりはないようです」


視線を下げ、その表情に切なさを垣間見せたエメラルド。


「だからこそお前のような者が必要なのだ。

そしてその仕事を、急ぐことまではしなくて良い。

モグラ叩きのように、顔を覗かせた瞬間に排除しようとすれば、その数の多さでお前の方が精神的に参ってしまうし、人が危機に対応しようとする意識が低下する。

各地を旅する傍ら、目にしたものを排除するだけでも、大分違うのだから」


「ご主人様・・」


自分をいたわるように、穏やかな眼でそう告げる和也に、エメラルドは言葉を詰まらせる。


「先ずはお前自身のゆとりを大切にしろ。

疲れた時は休み、気分が乗らない時は何もしなくて良い。

その心が摩耗したままだと、真の悪に出会った時でさえ、瞳の輝きはともかく、怒り自体が薄れてしまう。

悪人を探し回ることも大事だが、心清き者達とより多く触れ合うことの方にこそ、お前のしている仕事にはその意義がある」


「はい」


『ねえユエ、ご主人様の笑顔、また少しその威力を増したよね。

随分久し振りだからかな?』


ユイが念話で彼女に話しかける。


『それもあると思うけど、何だかご自身の迷いが取れたようなお顔をなさっているせいじゃない?

時々お見せになっていた、愁いを帯びた表情も素敵だったけど、今のお顔で優しくされたら、眷族の女性方はきっと一たまりも無いわ』


『ユエも?』


『聴かなくても分るでしょ。

暫くは『予約』を入れるのが困難でしょうから、我慢しないと』


『ハハハッ、そうだね』


「二人には何の問題もなかったか?」


「えっ、・・は、はい、特には」


いきなり和也にそう問われ、慌てるユイ。


「私達は相変わらずでした。

人間だけの国では、最早冒険者という職業が成り立たなくなった場所もありますが、獣人と共存する国々では、未だ花形的な職業です。

戦争が盛んな場所ではやはり傭兵的な需要は途絶えませんし、定期的にあちらこちらを旅しながら、今でも助けるに値する女性達の味方をしています」


和也の眼を見て話をしていたユエの顔が、次第に赤みを帯びていく。


「ご主人様、あちらのテーブルで、彼女達が首を長くして待っているようですわ。

行って差し上げてくださいな。

私達とは後でまた、ゆっくりと・・」


ルビーが、ミザリー達の居る方を見てそう告げてくる。


「分った。

気を遣わせて悪いな」


離れていく和也を尻目に、彼女がユエの顔を見る。


「・・少し落ち着いた?」


「・・はい。

ありがとうございます」


「仕方ないわ。

散々待たされているのだもの。

順番が回って来た時に・・ね?」


「ええ。

その時は・・」



 「気を遣っていただいたみたいね。

後でお礼を言わなくちゃ。

・・私達を散々待たせた甲斐はあったようね。

何だかすっきりした顔してる」


ミザリーが、和也の顔を見るなりそう言ってくる。


「4000年は長過ぎよ。

何度もう閉店して、自宅で眠りに就こうとしたか分らない。

リマが諫めてくれなかったら、間違いなくそうしていたわね」


カナが少しふて腐れてそう口にする。


「こんなこと言ってますけど、ご主人様が関わったものは、何一つ変えずにきたんですよ?

店構えやメニューは勿論、肉まんなどの味も昔のままです。

今風の建物にするよりずっとお金がかかるのに、『そういう問題じゃない』って。

食材なんかも、手に入り難くなったものは、自社で土地を買って栽培までしてるんです」


リマが口を挿んで彼女を擁護する。


「・・済まない。

共同経営とは言いながら、実質はお前達に任せきりだしな。

本当に感謝している」


「分れば良いのよ」


カナが赤くなって顔を背けると、レミーが話しかけてくる。


「ご主人様~、寂しかったです~。

私ももう、この城の専属メイドにしてください」


「それは良いが、ここにはあまり仕事がないぞ?

城全体に自動浄化魔法が掛かっているから、掃除も必要ないし、定住している者がエレナとジョアンナの二人だけだから、食事の用意すら要らないのではないか?」


「ご主人様の分だけでも作らせてください」


「それは専属メイドのジョアンナに聴いてみないと・・。

第一、お前(和也は、眷族化して自分と関係を持った女性をこう呼び、そうでない場合は『君』と呼ぶ)がいなくなったら、他の皆が困るだろう?

もうそれぞれ別に暮らしているのか?」


「・・まだ皆で住んでます。

でももう別に食べなくても平気(死なない)ですし・・」


「時々そちらに泊まりに行くから」


「・・約束ですよ?」


「ご主人様、お久し振りです。

また一段と素敵になられたようですね」


「そうだと良いが。

お前こそ、更に落ち着いたな、ミレー」


「寂しさが、女を磨かせたのかもしれませんね」


「今は何を?」


「冒険者になるための準備をしています。

・・随分内に籠っていたので、少し外の風を浴びようかなと・・」


「一人でか?」


「ミサとエマの二人が、付き合ってくれると言ってくれました」


そちらの方を向くと、レミーの『食べなくても平気』発言に苦笑いしていた彼女達が口を開く。


「私はもう、さすがにギルドを辞めてますし(それでも7、8か所で受付をやっていた)、ミサも新しい土地で冒険するのに連れを欲しがってましたから」


そう言いつつ、濡れた瞳で自分を見てくるエマ。


「ご主人様にお時間ができたら、いつかは共に旅をしてみたいです。

皆でのんびりと歩くだけでも、きっと楽しいでしょうから・・」


以前は他の仲間に遠慮して、あまり好意を表に出さなかったミサも、今ではその瞳にはっきりとそれを乗せてくる。


「そうだな。

いつか、未開の土地を散歩がてらに歩いてみるか」


「はい!

楽しみに待ってますね」


「ご主人様、お預かりした『M銀行』は、既に大陸中の主要都市に支店を構えております。

堅実な運営と厳格な査定により、経営状態は未だ良好で、ご主人様に奉納するための金塊が、既に私のリングに1万本ほどございます」


ミーナもそう自己主張してくる。


彼女も、和也に対して好意を隠さなくなった一人だ。


「頑張ってくれたのだな。

一人で回しているのか?」


「監視が行き届くよう、常に信頼できる部下を数名揃えています」


「もう立派な実業家だな。

その内、新しい仕事も与えて良いか?」


「ご褒美(予約権)を頂けるなら」


奇麗な笑顔だが、少し艶が滲み出ている。


「4000年も寝ているからこうなるのよ。

暫くあなたに夜の自由はないと思ってね」


ミザリーが、ジト目でそう告げてくる。


「そ、そろそろ向こうに行かねば・・」


愛想笑いをして、和也はミューズ達が居る方へと足を運んだ。



 「御剣様、お帰りなさい。

夢の世界は如何でした?」


菊乃がとても嬉しそうにそう言ってくる。


彼女には寂しい思いをさせたと悔やむ和也は、その笑顔を見て僅かに安堵する。


「夜は満開の紫桜(妻のことではない)が奇麗だった。

散りゆくその花びらの1枚1枚が、自分の心を少しずつ軽くしてくれた。

昼は光に満ちていた。

浮かんでは消える光の玉が、自分に癒しを与え続けてくれた。

後から来てくれた、あの二人の助力も大きい。

時には叱られ、時には寄り添われて、穏やかに内省を促せた」


「フフッ、紫桜様は大抵、御剣様のことしか考えておられないですからね」


彼女の居る方をチラッと見て、そう口に出す。


「ミューズ、アンリ、ありがとう。

菊乃が寂しくないよう、気を遣ってくれたのだな」


「彼女は大事な(ファンクラブの)会員ですから。

・・お会いしたかった。

静かにお眠りになるあなた様を何度拝見しても、やはりこうして直にお声をかけていただくことの喜びには至らない。

嬉しいです。

・・幸せです。

その内また、一緒に入浴して下さいね(極小声)」


「?

時間があれば何時いつでもそうしよう」


ミューズの言葉に、微笑んでそう答える和也。


「御剣様、私、頑張りました。

ずっとずっと頑張りました。

あなたに食べていただきたくて、沢山焼いてあります。

今度是非、(パンを)召し上がってくださいね」


アンリが涙を堪えてそう口にする。


「ありがとう。

でも、今1つだけでも貰えるか?

我慢できそうにない」


「・・嬉しいです。

・・どうぞ」


自分のリングから取り出した1つのパンを、両手で捧げるアンリ。


それを大事そうに受け取った和也は、無言で食べ始める。


「・・美味い。

自分の中では既に、パンと言えば君が焼いてくれたものを指す。

後の分は後日引き取らせてくれ」


「はい。

お待ちしています」


到頭、彼女の両目の端から涙が細く流れ落ちる。


「相変わらずなのね。

・・私達、もうあなたの眷族になったのよ?

時間ができたらちゃんとかわいがってよね」


リセリーが仏頂面で言ってくる。


「・・自分の中では、君はまだ子供のままなのだが」


「はあ?

蹴るわよ!?

勝手に眠ったせいで、大聖堂の完成式にも顔を出さず、交換日記すら停止したまま。

そんなあなたに、反論の余地なんかないからね!」


頬を膨らませて怒るリセリー。


「こんなこと言ってますけど、彼女、この星に住むようになってから、毎日のように御剣様に会いに来ていたらしいですよ。

ジョアンナさんがそう教えてくれました」


「ミューズ!」


「良いじゃない、お知りになられても。

貴女の信仰心の賜物でしょ」


「・・そう。

なら私もばらしてあげる。

貴女、各地に造った彼の像の近くに、こっそり自分の像も置いたでしょ?

まるで貴女だけがその使徒みたいに。

それってファンクラブ憲章違反、いわゆる抜け駆けじゃないの?」


「・・・」


「ミューズ、後で話があるわ」


アンリが笑顔でそう彼女に告げる。


「御剣様、ここはもう直ぐ荒れますので、どうぞ別のテーブルに」


菊乃が苦笑しながらそう言ってくれる。


「君はいつまでもそのままでいてくれ」


和也は有難く、その言葉に従った。



 「「ご主人様、お目覚めを心よりお慶び申し上げます」」


側に行くなり、深く腰を折ったエレナとジョアンナから、そう挨拶される。


「ありがとう。

自分が寝ている間も、二人でこの城を護ってくれていたのだな」


「それが私達の役目、喜びですから。

これまで磨いてきた(家事の)技を、今後は存分にお役立て致します」


「ご主人様、これからは私がずっとお世話致しますから」


そう言ってくる二人に、苦笑いする和也。


「そうだな。

城に居る時は宜しく頼む」


次いでその視線を馨達三人に向ける。


このパーティーを開く前、ディムニーサ達によって保護されていた彼女達の眠りを解き、眷族化した上で、簡単に皆に紹介している。


尤も、時折この城に泊まっていた彼女達を知っている者も少なからずいて、三人がここに居るのは、その間最も親しくしていたのがジョアンナだからだ(エレナはまだその頃には城に住んでいない)。


「可能性は半々だと思っていたが、自分を待っていてくれたこと、改めて礼を言う。

いろいろ隠し事をしてきたが、それについては粗方有紗から説明を受けたようだな。

これから長い付き合いになるが、宜しく頼む」


「御剣さんが本当に神様だったこと、とても嬉しかったです。

私を護ってくれる守護神。

それが真実だったと知った私が、どれ程喜んだかなんて、きっと貴方には想像もつかないでしょう」


馨が僅かに涙を流しながらそう言ってくる。


「本当よね。

道理で周りの男性が目に入らない訳よ。

ウン十年(寝かされていた間は含めない)も待たされたけど、それ以上の甲斐はあったわ。

若返るなんて夢みたい。

またこの姿で、貴方と過ごせるのね」


そう言って沙織が瞳を潤ませる。


「でもさあ、周り見てよ。

何なのこの集団?

とんでもない美女、美少女ばかり。

男性だってイケメン揃いだし、あたし達、浮いてない?」


美樹の顔が若干引きっている。


「大丈夫です。

ご主人様は、女性を容姿のみでは判断なさいません。

胸の大きさというお好みはございますが、それすらも付加価値に過ぎません」


エレナが真面目な顔でそう告げる。


『それだってクリアしてそうなのは沙織だけじゃん』


美樹が悔しそうに沙織の胸元を見ている。


「4000年もアリアをほったらかして、よく昼寝なんてできたわね。

これからちゃんとその分、彼女を労りなさいよ?」


そう文句を言ってくるオリビアも、このテーブルに居る。


ジョアンナの知人だからだろう。


妻達三人(エリカ、アリア、ヴィクトリア)を除けば、彼女にはここでの友人がほぼいない。


前回のパーティーで顔を合わせたくらいでしかない。


「分っている。

お前(国を任せている上司としての呼び方)の方は変わりないか?」


「そうね。

元々が国王(和也)に対して市民の忠誠心が高い国だったし、税もほとんど取らないから、未だに国として残っているわ。

環境保全だけには注意していたから、主力の農業も然程近代化してないの。

だからその風景を求めて、バカンスにやって来る金持ちが多い。

彼らが毎年たくさんのお金を落としていってくれるから、それで役人達の給与も払えるし」


「今後、足りない時はきちんと頼れよ?」


「大丈夫。

ヴィクトリアさんが毎年多額の援助をしてくれて、その分も年々余ってきてるから・・」


「・・正直な所、4000年経ってもこれ程国が残っているとは思わなかった。

皆に感謝しないとな」


「エターナルラバーに限って言えば、貴方の恩恵も強いのよ。

あれだけの力を見せつけられれば、(兵士だった)市民の中に、神への畏怖が植え付けられて当然でしょ。

それはたとえ何年経っても、何世代を経ても、その遺伝子に刷り込まれ、日々の暮らしの中で、自然と神を気にする者が残る。

こうしたら罰が当たる。

これは神に反する行為だ。

そう考えて生きる人が多ければ多いほど、世の中はある程度安定するものよ」


「さすが、たった一人で4000年も国を治めていた者が言う事は違うな。

一体何度、その姿を変えながら生きてきたのか非常に興味がある。

今度詳しく教えてくれ」


「貴方のせいでしょう!?

ジョアンナはさっさと解放したくせに!」


この後、カインやリサ達の集うテーブルも回ってから、特定の場所に留まり、逆に皆からの挨拶を受ける和也。


その宴は半日続き、お開きになって皆が帰った頃には、城に夕陽が掛かっていた。



 「・・・」


4000年振りに風呂を堪能する和也。


新陳代謝がないので別に汚れる訳ではないが(城内も浄化魔法が常時発動している)、やはり気分が良い。


静かにゆっくりと、時間を忘れて入るつもりであった、あったのだが、何故か周囲からの視線に晒され落ち着かない。


自分が入って直ぐ、エレナとジョアンナが、『お身体をお流し致します』と言って入って来た。


『大丈夫だから』とやんわり断ると、『それなら、久し振りに皆さんで湯を楽しみましょう』と、エリカが妻達全員を連れてやって来た。


3つある内の「ローマ」を選んでいたから、この人数で入ってもまだかなりの余裕があるが、彼女達が全員で浴槽の縁に凭れる和也を囲むようにして座っているので、妙な圧迫感がある。


気にしたら負けだと黙っているが、数十分経っても一向に状況が改善しない。


彼女達はてこでも動かぬとばかりに自分を見つめている。


「・・皆さんに提案があるのですが」


仕方がないので、下手したてに出ながらそう切り出す。


「お聴き致しましょう」


エリカが代表してそれだけを口にする。


「『夜の予約権』についてなのですが、多過ぎる権利はその価値を下げ、やがてはインフレの如く、1回の行為に必要な権利数が増えていくと思われます。

ですから、ここらで一度、その数字を切り下げ、1000分の1にしては如何でしょうか?」


「あなたは節操の無い造幣局ではないのですから、以後は毎月1つずつしか増えません。

また、より多くの権利を用いることで、予約を取りやすいようにはできないのですから、1回の価値は動きません。

よって、あなたの提案には賛成致しかねます」


「では今後、その配布を月に1回分から年に1回分にしてはいただけないでしょうか?」


「その分の見返りは何ですか?」


「心の平静、いえ、ゆとりです。

色欲に溺れることなく、より広い視野で物事を見れる。

そう思います」


「・・・」


「・・・」


彼女達の視線に、より強い圧がかかるが、今後のためにもここはそれに耐えねばならない。


「提案があります」


「何でしょう?」


事態を打開するような有紗の言葉に、和也は思わずそう答える。


「配布量は変えずに、その中身に差をつけるのは如何でしょう?

例えば、一度に使える量を使用者に自由に選ばせる代わりに、その方が望む、それに見合ったことをして差し上げるのです。

夜の営みだけではなく、あなたとの旅行やデートなどにもそれが使用できるのなら、もっと使いやすくなり、今回は配布対象になっていないミューズさんやアンリさん達にも配れるはずです(『夜の予約権』は、和也と関係を持った女性に配るものなので、和也が眠りに入る前に関係を持たなかった相手には支給されない)。

如何ですか?」


「採用!」


即答する和也。


彼自身も、馨達三人はともかく、アンリ達や菊乃、リセリー、エレナ、オリビアに対して何も支給しない訳にはいかないと考えていたから、有紗の提案は正に渡りに舟であった(ジョアンナとは、既にそういう仲になっている)。


「でもその前に、先ずはわたくし達の夫であり主人としての義務を果たさないとね」


紫桜がそう釘を刺してくる。


「いつまでも現実逃避をなさっていてはいけません」


マリーが笑顔でそう言ってくる。


敢えて見ないようにはしていたが、実は少し前から、和也の脳内ではずっと予約表が点滅している。


明日から向こう2か月先まで、その権利を持つ者全員からの予約で埋まっている。


今晩だけは、何故か空いているが。


「今日だけは、他の皆さんが、妻である私達のために譲ってくれたんです」


アリアが微笑む。


「一晩しかないから、時間を止めて貰うしかないの。

・・頑張ってくださいね」


ヴィクトリアが妖艶に笑う。


「お風呂から出たら、私達がお部屋のご用意を致しますので・・」


ジョアンナがそう言うと、エレナも続く。


「何かお飲み物と軽食もお持ち致しますね」


この後、そしてその後2か月間に亘って、和也はひたすらその義務を果たした。


彼は頑張ったと思う。


頑張り過ぎて、それから暫く、【知識の部屋】で健全な女子中高生用の少女漫画ばかりを読んでいた。



 「普通の学生を経験してみたい」


ある時、居城のダイニングで夕食を取っていた和也が、そう呟いた。


現在、この城にはエレナとジョアンナの他に、エリカと紫桜の妻二人も住んでいる。


「学校に通いたい、そういうことですか?」


エレナが腕を振るったイタリアンのコースを堪能していたエリカが、ナイフとフォークの動きを止め、不思議そうにそう尋ねる。


「ああ」


「何で今更?」


ジョアンナ特製の精進料理を口にしていた紫桜が、怪訝そうに和也を見てくる。


「心の洗濯がしたい」


「「・・・」」


妻二人が絶句し、和也の前から済んだ皿を下げていたジョアンナの腕が、一時止まる。


「この所ずっと、女性という存在の、ある一面しか見ていないような気がする。

そろそろ別の面にも触れてみたい」


やや疲れた感じでそう口にする和也。


「・・確かに、少し頑張り過ぎましたね」


目覚めた後、2か月どころか1年先まで『夜の予約』が途切れず、何度も時間を止めては、溜まりに溜まった『予約権』を消化していた彼。


今日も先程までヴィクトリアの相手をし、彼女は今、寝室の1つで深い眠りに就いている。


「ご主人様は真面目ですから。

相手に失礼だからと、一切の手抜きをせずにお相手なさるので、(精神が)お疲れになって当然です」


事態が一段落するまで、自らは彼からの(初の)寵愛を受けることを控えていたエレナが、労るようにそう和也に言葉をかける。


「自分が蒔いた種でもあるのよ?

待っていた彼女達も、それだけ寂しかったということなの。

あまり疎んじては駄目よ?」


夢の世界とはいえ、ずっと彼の側に居た紫桜は、皆に遠慮して、ここ1年で一度しか予約を入れていない。


「勿論、そんな事はしないし、できない。

自分だけに一途に愛情を注いでくれる者達を、粗雑に扱うなど有り得ない。

それは己の矜持が絶対に許さん。

・・ただ、暫くは肌の温もりよりも心の交流が欲しい。

それだけなのだ」


「フフッ、少女漫画ばかり読んでいたのはそのせいなのね」


「学校というと、有紗さんでしょうか?

御剣学園は、まだ存在するのですか?」


「在るらしい。

休憩中に少し聞いただけだから、詳しい事までは分らん。

だが今回はそこへは行かない。

過去に飛ぶ。

自分が求める姿は、過去にこそあるからな」


「過去、ですか?

・・地球の?」


エリカが少し驚いている。


「そうだ。

日本のな」


この翌日、自身が眠る前、馨達の記憶を消していた時期(3年間)の地球へと飛ぶ和也。


因みに、和也が過去や未来で過ごしている間は、元の時間は進まない。


彼に同伴者がいた場合、その者と和也との関係は、現在のものが維持される。


過去や未来に存在するはずのその者は、そのまま、その時の時間を生きている。


つまり、お互い一時的に二重存在となり得るが、和也の力の影響で、齟齬をきたさないようになっている。



 日本の何処にでもあるような共学高校。


その3学年に、和也は在籍していた。


あまり目立たぬよう、自身に認識不全の魔法を掛け、地味な黒縁の伊達眼鏡をかけている。


同窓会などでふと名前が出て、皆から『そんな奴いたっけ?』などと言われるような存在だ。


部活動には入らず、何の委員にもならない。


小奇麗なビジネスホテルに部屋を取り、そこで一人暮らしをしていた。


毎日学校に通い、周囲の生徒達の話に耳を傾けながら、放課後は街に散歩に出かけた。


公園でぼうっと景色を眺めたり、いろいろな店に入ってそこで働く者達を観察したり、当てもなく歩き回ったりして時を過ごす。


この世界で今誰も自分を知覚していない。


そんな気軽な立場を楽しんでいた。


ある晩、和也が小さな公園を横切ってホテルまで帰ろうとした時、もう遅い時間にもかかわらず、60歳くらいの女性が一人、古びたベンチに座っていた。


大きめのキャリーバッグを直ぐ側に置き、ぽつんと一人、何をする訳でもなく腰かけている。


短い秋の到来を待つこの国では、まだ夜と雖もそう寒くはないが、人を待っているようにも見えない彼女が浮かべる表情に、少し興味をそそられる和也。


近くにあった自動販売機で温かいミルクティーを買い、それを持って彼女に近付いていく。


「こんばんは。

・・失礼ですが、何かお困りですか?」


そう言いながら、手にした飲み物を差し出す。


いきなり声をかけられたその女性は少し驚いたようだが、高校の制服をきちっと着ている自分を見て、直ぐに警戒心を緩めてくれる。


「ありがとう。

心配してくれたのね?」


少し躊躇ったようだが、飲み物を受け取ってくれながら、そう返事を返してくれる。


「ええ。

遅い時間ですし」


「フフッ、もう良い歳だもの。

女性一人だからといって、そんなに気にしなくても大丈夫よ」


「自分が気になったのは、貴女の今の状況です。

もしかして、行く所がないのですか?」


側にあるキャリーバッグをちらっと見て、そう尋ねる。


「・・そんなことないわ。

少し訳があって、暫く帰らなかった家に戻らねばならなくなったから、その前にいろいろ考えてたの。

それだけよ」


「・・そうですか。

どうやら要らぬお節介だったようで済みません」


それ以上詮索されたくはない、そんな思いが表情に出ていたので、和也はそこで引き下がる。


「いいえ。

声をかけて貰えたことは嬉しかったの。

ごめんなさい。

気を悪くしないでね」


「お気になさらず。

では、自分はこれで・・」


その日はそれでホテルの部屋に帰り、直ぐに寝た。



 (時は少し遡る)


『あれ、またあの人居る』


バイトの帰り道、少しでも早く帰ろうとして、いつもこの公園を横切る私。


もう21時を過ぎてるのに、彼女は最近ずっと一人であの場所に座っている。


『ただ休んでいるだけなら良いけど・・』


学校の課題があるので、それ以上深く考えず、家路に就いた。



 翌日、同時刻。


和也はまた同じ公園の側に居た。


昨日の女性が気になり、再度ここに足を運んでいたのだ。


姿を消して待っていると、案の定、周囲を気にしながら昨日の女性が現れて、同じベンチに腰を下ろした。


重そうなキャリーバッグを傍に置き、疲労を吐き出すような溜息をいている。


暫く待ってから、彼は前日と同様にミルクティーを買い、静かにその傍に近付いていく。


「またお会いしましたね」


手にしたそれを差し出しながら、穏やかにそう告げる。


「・・もしかしてずっと待っていたのかしら?

高校生があまり遅くまで出歩いては駄目よ?」


「昨日の貴女の表情が気になっていまして・・。

少しお話させていただけませんか?」


「物好きなのね。

こんなお婆さんに・・」


「話をするのに、相手の年齢など関係ないと思いますよ?

・・端的にお尋ねしますが、恐らく住む所がないのですよね?」


「・・・」


女性が黙っているので、その隣に座らせて貰う。


「最近は、業種によってはかなりの不景気ですから、雇い止めなんかの関係で、住む家まで失う方が増えていると聞きます。

会社の寮に入っている方は、辞めればそこも出なければなりませんからね。

・・どうぞ、冷めない内にお飲みになってください」


自分の話をとりあえずは聞いてくれる女性に、そう勧めながら続ける。


「社会が多様化し、収入よりも自らの時間を大事にする人が増えて、働き方も大分変りました。

それに味を占めた企業は、非正規という新たな雇用形態を設け、その体力を温存しながら、一部の人達を使い捨てのように扱い出した。

元々は一部の趣味人、夢追い人のためにあったような制度を、通常の仕事をこなす社員にまで広げてしまった。

しかも、その質をかなり落として。

・・今、同じ仕事を、より低賃金でこなさねばならない若者達からは、バブルの時代を謳歌したあなた方世代を羨み、時には『お前達のせいで』と中傷もするでしょう」


「・・随分大人びたことを言うのね。

まるで見てきたかのようだわ。

・・実際、あの頃は良かった。

社会全体にまだゆとりが残ってて、私のように、夢を追いながら仕事をしてる人に対しても、理解があった。

今とは大違いね」


「確かに、最近のこの国は、雇用形態という面では二流以下ですね」


「・・これ、頂くわね」


そう言ってミルクティーの蓋を開け、美味しそうに一口飲む彼女。


「・・私はね、若い頃に女優を志し、高校を出て直ぐ劇団に入った。

親は良い顔をしなかったけれど、夜間に数時間もアルバイトをすれば、それで生活できたの。

気前の良い人が大勢いて、チップをたくさん弾んでくれたしね。

でも、そんな生活は長くは続かなかった。

バブルが弾けると、あっという間に不景気になり、頼めば何枚もチケットを買ってくれた人達が、次第に店に来なくなった。

演劇の方も、悲しいことに然程才能がなかったようで、一向に芽が出なかったし。

それでも、若い内はまだ何とかなった。

アルバイト先には困らなかったから。

年々歳を取り、40、50となるにつれ、どんどん就ける仕事が限られていった。

60になると、何の資格もない身では、もう清掃や介護など、低賃金の、体力的にきつい仕事しか応募できなかった。

1か月丸々働いても、あまりシフトに入れない月は手取りが10万円を切ってしまって、その内家賃を払ったら2万円しか手元に残らなくなった。

結婚でもしていれば、その相手に頼ることで何とか暮らせたかもしれない。

けれど若かった当時の私は、自分を過信するあまり、それにすら目を向けなかった」


ミルクティーを口に含み、話を続ける彼女。


「私の世代くらいまではね、人になるべく迷惑をかけないようにしようとするの。

特に親からそう言われなくても、それが美徳として頭に残っているのよ。

だから、家賃が払えなくなる前に家を引き払ったし、嫌味を言われてまで生活保護を申請するつもりもないの」


「それでは、今後どうやって暮らしていくのです?

住所がなければ、更に(就ける)仕事がなくなるのでは?」


「ここに居るのは、それを考えるためでもあるの。

雨が降れば、また別の場所を探すけど。

全ては私の意思、その人生における選択の結果だから、誰にも文句は言えないわ」


良く言えば達観した、悪く言えば全てを諦めているような表情でそう語る女性に、和也は言う。


「・・自分は、特定の宗教とは関係しておりませんが、こう思うのです。

神が人を創ろうとした時、決して一人では生きていけないようにしたのではないかと。

必ず、誰かの支えを必要とする、そう仕向けたのではないかと。

彼が寂しかったかどうかは分りませんが、人が誕生した時、その中から自身を支えてくれる者が出ることを、無意識に期待したのかもしれません。

異性が存在し、その子孫を残すにはお互いの協力が必要で、その意思を伝える手段としての言葉や動作も、他者の存在が前提になっている。

感情のままに歌う歌も、自己の考えや記録を残す書物も、それを聴く人、読んでくれる人がいて初めて意味を成す。

己一人しか存在しないなら、他者に何も求められないのなら、それは生きていると言えるのでしょうか?」


「・・・」


「夢を見ること、追い求めることは、人なら誰もが持つであろう欲求です。

そしてそれに敗れ、失敗したからといって、誰かから責められるものでもない。

人の生が他の生き物たちより長いのは、仮に挫折したとしても、上手くいかなかったとしても、それを伝えて役立てられる相手がいるから、これから夢に向かう若者達の指標となれるから。

自分は、そう思います。

そして人はまた、その長い時間の間で何度でもやり直せる。

取り返しがつかない程まで堕ちてしまった者はともかく、一度や二度失敗しても、与えられた人生の何時からでも、何処からでも、己の意思さえあればやり直せるのです。

一生懸命生きたい。

僅かな、誰かの支えがあれば、たとえ無様でも必死に生きていきたい。

至る所でそう願う人がいても、残念ながら、今の世界はそれすら許さない国が多い」


和也の隣で話を聴いている女性が、何時の間にか涙を流している。


「・・ただですね、幸運な事に、この国には人助けが好きな企業体があるのです。

そして何という偶然か、自分はそこに多少の伝手がありましてね。

如何でしょう?

もう一度、貴女の人生に何かを残そうとされてみては?

日々の暮らしについては何の心配も要りません。

贅沢まではできないかもしれませんが、住む場所と3度の食事、必要な医療は全て無料で保証されます。

それを受けながら、ゆっくりと考えを纏められては?」


「・・本当にそんな場所があるの?

念を押すようで悪いけど、生活保護は嫌よ?」


女性が涙を拭いながら、そう尋ねてくる。


「分ってます。

今直ぐ担当者に連絡を取って、ここに来させることもできますよ?」


「・・少し考えさせてくれる?」


「はい、勿論。

これをお渡ししておきます。

決心がついたら、この番号に連絡を入れてください。

現れた者にこの封筒と書類を見せれば、必ず保護してくれるでしょう。

・・では、自分はこれで」


「ありがとう。

話を聴いてくれて嬉しかったわ」


立ち去る和也の背を見送り、少ししてから黒い封筒の中身を確認する女性。


「!!!」


中から、5万円の現金と、一通の書類が出てくる。


『この方を然るべき場所に保護すること』


簡潔にそう書かれた文言の下には、その相手の連絡先と名前、所属先が記載されてある。


その女性の肩書を見て、息を呑む彼女。


先程まで話をしていた少年の顔を思い出そうとするが、何故か一向に浮かんでこない。


その日、貰ったお金で久々にビジネスホテルの部屋を取れた彼女は、翌日、少し震える指先で、その番号に連絡を入れるのであった。



 (時間が多少遡る)


『少し遅くなっちゃった。

少ない人数でやっているから、時給は良くても忙しいと定時に帰れないのがネックよね。

・・あの人、今日も居るのかな?』


私は家路を急ぎながら、そんなことを考えていつもの公園まで来た。


入り口からそのベンチに目を向けると、今日はあの女性の隣に誰か居る。


しかも、その彼が着ている制服に見覚えがある。


私と同じ高校のものだからだ。


何と無く興味が涌いて、物陰に隠れながら様子を見る。


今日は珍しく課題がないし、何かあれば直ぐ警察を呼べるよう、手にはスマホも持っている。


別に彼が怪しいからではない。


単なる痴漢除けだ


最近の男共は、女性と見れば直ぐに声をかけたがる。


バイト先でも、露骨ではないが、頻繁に視線を感じる。


胸が目立つ制服だし、スカートも短めだから仕方がないのかもしれないが、これで時給が安ければ、疾うの昔に辞めている。


女子高生というだけで有難がるこの国は、少しおかしい。


何とか話し声が聴こえるくらいの位置で、聞き耳を立てる。


我ながら暇だなとは思うが、何故か気になるのだ。


薄暗い街灯を頼りに、話を盗み聞きすること数分。


二人の会話が終わっても、私は暫くその場を動けなかった。



 翌日の朝。


昨夜、入浴中に考えた通り、ある目的のために学校で彼を探し回る。


帰宅してから何度も思い返してみたのだが、どうしても誰だか分らない。


同学年(ネクタイの色で分る)なのだから、必ず何処かで会っていそうなものなのに。


背が高く、スタイルも良いし、声も素敵だった。


顔をぼんやりとしか思い出せないのだが、黒縁の眼鏡をかけていたから、それで見分けがつくだろう。


そう考えていたが甘かった。


仕方なく、友人達にもそれとなく当たってみたのだが、誰も彼を知らなかった。


その割に、『何々、到頭紅葉にも春が来たの?』とか騒がれる始末。


余計なお世話だ。


そもそも、こうなった原因は彼女達にある。


うちの学校の文化祭は地元ではかなり有名で、毎年大勢の来校者が訪れる。


そしてその彼らがお目当てとするイベントの1つに、ミスコンがあるのだ。


高校生らしく、水着審査とか肌を晒すようなものはないが、その特徴として、出場者自身が一人だけ、自らを応援してくれる推薦人を選べる。


性別は問われず、壇上に立つ出場者の代わりに、その者の特技や良い所などを披露し、審査員たる学生達に投票させる。


優勝すると、3年生なら学校が持つ、その学力に見合った大学の推薦枠が、1、2年生なら、海外の姉妹校への2週間の交換留学生に優先的に選ばれる(辞退可)。


勿論、男子のコンテストもちゃんと別にあるが、こちらは何故かそれ程人気がない。


コンテストへの参加資格は、その年の定期テストで赤点を取っていないこと、これまで停学などの処分を受けていないことの2つで、応募は自薦他薦を問わない(他薦の場合、最終判断は本人にある)。


私に黙って勝手にコンテストに応募した友人達(他薦には、推薦者名の記載が必要)は、文句を言う私に、『優勝すれば、受験勉強の心配なくバイトができるでしょ』とのたまった。


そもそも、私がこの時期に頑張ってアルバイトをしているのだって、この友人達(彼女達の家はお金持ち)が、『卒業旅行は欧州に行かない?』などとほざいたせいだ。


毎月のお小遣いが数万円の彼女達(お年玉は祖父母、親からそれぞれ各10万円だってさ)と違って、私は5000円(スマホ代は別)で遣り繰りしている。


これで性格まで悪ければ、勿論彼女らと友人付き合いなどしないのだが、金銭感覚以外はまともで、優しく賢い娘達なので、入学以来の親友となっている。


高校最後の思い出として、今回だけは旅行に付き合うことにした私は、推薦枠の中に希望する大学があったこともあり、渋々コンテストへの参加を受け入れた。


その日、各休み時間を使いながら彼を探し回ったが、他科を含めて全部で8クラスしかないのに、結局放課後まで見つからなかった。


とぼとぼと校門前に向かって歩いていた私に、誰かの声がかかったのはその時だ。


「自分を探しているのか?」


聞き覚えのあるその声に驚き、私はそちらに顔を向ける。


校門傍の樹に凭れるようにして、昨晩の彼がそこに立っている。


「・・はい。

実は貴方にお願いがありまして。

私、これからバイトに向かうのですが、良かったら近くまで一緒に帰りませんか?」


緊張したが、どうにか普段通りにそう言い切る。


「分った」


徐に近付いて来る彼を待ち、並んで共に歩き始める。


夕暮れ迫る陽射しの加減なのか、閉じていた目を開いてこちらを見た彼の瞳は青く輝いていたけれど、直ぐに元の漆黒に戻る。


付近に居た生徒達が、興味深そうに私達に視線を送ってくる中を歩き出し、話し始める。


「先程も言いましたが、貴方にお願いがあります。

来週の文化祭のミスコンで、私の推薦人になってくれませんか?」


「分った」


「え?

・・理由も聴かずに、良いのですか?

もしかして、私のこと、以前から知ってました?」


少しだけ勝算はあったが、さすがに即答されるとは思っていなかったので、思わずそう尋ねる。


その締め切りが刻々と迫る中、一向に推薦人を決めない私に、友人達も、周囲の皆も、『一体誰に頼むんだろう?』とやきもきしていた。


1年時、2年時と、推薦されても参加を断ってきたミスコンに初めて私が出ると知った皆は、その関心を、推薦人へと向けた。


接戦では、誰が推薦人になるかで、その勝敗が大きく変わることもある。


部活動でのスターや、皆に人気のある学生にそれを頼めれば、彼ら(彼女ら)を支持する生徒達も、大半がその人に投票してくれるから。


何度も参加する人には固定の推薦人がいる場合もあるし、そうでなくても締め切り間際では、ほぼ目星い人は残っていない。


両親のお陰か、人より多少容姿に恵まれた私は、長い学生生活で何度も交際を迫られたが、一度もそれに応えていない。


私という中身をろくに見ず、外見だけに憧れて寄って来る人ばかりだったから。


そんな私が選ぶ推薦人には、『どうせ友人の一人だろう』、『かわいがっている後輩の誰かかな』などと憶測が流れていた。


「昨夜初めて認識したな。

あの公園で、自分達の話を聴いていただろう?

恐らく、それが理由なのだろうし」


「!!!」


まさか気付かれていたなんて思わなかった私は、動揺が顔に出てしまう。


「あまり感心しない行為だが、あの女性を心配してのことだから、自分には思うところはない。

・・では当日、会場で」


「え?

ちょっと待って!」


「何だ?」


私から離れて立ち去ろうとする彼を、慌てて呼び止める。


「打ち合わせも何もしないで良いの?

どんな感じでいくのかとか、普通、相談くらいしない?

大体私、貴方の名前すら知らないんだけど・・」


「でもこれから、君は仕事があるのだろう?

自分は御剣和也。

当日何を話すかは、自分の中で、既にほぼ固まっている」


『ああもう!』


「・・これ、私のアドレス」


鞄からメモ帳を出して、そこに急いで書きなぐる。


「?

これをどうしろと?」


「後で連絡してと言ってるの!

できれば貴方のも教えて」


「・・自分はこういう物に慣れていないから、連絡は電話機能しか使えない。

よってそのアドレスも分らない」


『もうもうもう!』


「今日、この後予定ある?

奢るから、私のバイト先で何か食べていかない?

4時間シフトだから、できればその後時間を潰して、終わる頃にまた迎えに来てくれないかな?」


暗に貴方のことをもっと知りたいと言っているのに、一向に理解してくれない彼に、焦れた私がそう迫る。


「・・分った」


その勢いに押されたように、頷く彼。


「ただし、奢られるのはなしだ。

料金はきちんと払う。

因みに、何の店だ?」


「フフーン、バイトに可愛い娘の多い、洋食屋さん。

店長の趣味で、制服もお洒落だよ。

因みに店長は女性ね」


「・・味も良いのだろうな?」


「勿論。

食事時はほぼ満席状態だよ」


嬉しくなって、この短時間で急に自分の本性を曝け出す。


今の自分は、普段のよそ行きの顔ではなく、親友達と接している時のそれだ。


彼と二人、並んで歩くその間隔をぐっと詰めていく私。


今日は更に楽しく働けそうだった。



 「・・随分食べていたけど、お腹、大丈夫?」


店の席に着くなり、彼はじっとメニューを見始めた。


着替えた私がフロアに立つと、40分おきに注文をしてきて、何とそのまま閉店まで居た。


全部で6種類の料理を平らげ、それに必ず珈琲を付ける。


うちは料金が高めなので、全部で1万円を優に超えたが、涼しい顔をして注文を繰り返す。


それでいて、出された料理は奇麗に平らげるから、作っている店長も嬉しそうだった。


「自分は寝溜め、食い溜めができるからな」


「ご両親は帰りが遅いの?

家はどの辺り?」


夜の道を歩きながら、脳内の彼プロフィールを埋めるべく、質問を繰り返す私。


あの公園が見えてきて、いつものベンチに彼女の姿がないことを喜ぶ。


「今日はあの人、いないね。

貴方の提案を受け入れてくれたんだね」


「そのようだな」


彼が穏やかに微笑む。


何故かその顔をはっきりとは認識できないのだが、雰囲気でそれが伝わるし、そのこと(顔を正確に把握できないこと)が普通だと思えてしまう。


「それで、質問の答えは?」


「・・家族や身内に関することはノーコメント。

現在はビジネスホテルで一人暮らしをしている」


「・・ごめんなさい。

聞いちゃいけないことだった?」


「別に謝ることではない。

君が考えているような、暗い事情ではないし」


「なら良いけど・・。

貴方、学校で見かけないんだけど、何組なの?」


「A組」


「頭良いんだ?

覗いた時は居なかったのに」


うちの学校は、成績順に、毎年AからFまで振り分けられる。


あとの2クラスは商業科だ。


「君は?」


「え、知らないの?

・・B組」


少しショック。


結構有名だと思っていたのに、実は自惚れだったのか。


「ずっとホテル暮らしなの?」


「ああ」


「じゃあ、ご飯とかは全部外食?」


「今はそうだな」


「・・今日の料理はどうだった?」


「どれも良い味だったぞ」


「・・あのさ、お願いというか、提案があるんだけど・・」


「聴くだけは聴こう」


「これからコンテストの前日まで、夕食はあそこで食べない?

そうすれば、こうして毎日、貴方といろいろ相談できるし・・。

・・私、貴方のこと、もっと知りたい。

駄目?」


上目遣いでそうお願いしてみる。


「・・まあ、そのくらいなら良いだろう」


「本当!?

・・ね、家まで送ってくれる?

直ぐそこだから。

もう少し、一緒に居よ?」


「・・了解」



 それからの1週間は、あっという間に過ぎた気がする。


楽しい時間は速いって、身を以て知った。


学校では、私が推薦人を決めたことが伝わり、少し騒ぎになったが、どういう訳か、誰も彼を見つけられないようだった。


私がこっそりA組を覗くと、1番後ろの窓際の席で、静かに目を閉じている彼を目にすることができるのだが、何故かいつもその周囲には誰もいない。


そこだけ、他から隔離されているようにすら感じる。


校内で彼と会えば、友人達があれこれ詮索してくるのは目に見えているので、二人の時間は専ら私のバイト先と、その帰り道になる。


行きは、別々に店に行くことにした。


何度も二人で一緒に入れば、まるで同伴出勤だと思う人も出る。


店長なんか、初日の帰り際、『もしかして、彼氏?』とか尋ねてきたし。


この店なら、普通の高校生が来るには敷居が少し高いから、友人達以外に知り合いは来ないし、その彼女らも夜間は来ないので、安心して彼と話せる。


勿論、仕事をさぼっている訳ではない。


あれから、彼は毎日、私の仕事が終わるまで店に居て、初日と同じように、40分ごとに私を呼んで注文を繰り返す。


その時や料理の提供、済んだお皿を下げる時なんかを利用して、お互いに二言、三言会話する。


それ以外では、仕事の邪魔をすることなく、彼は黙って本を読んでいるから、店長から、『い子だね。大事にしなよ?』なんて言われる始末。


店の売り上げにも大きく貢献してくれるから、最早私は店長公認の彼担当となっている。


でも、最も楽しい時間は帰り道。


3日目に、勇気を出してそっと彼の空いている右手を握ったら、拒まないでくれた。


そのルートも、近道するための公園を横切るものではなく、わざわざその周囲をぐるっと回る道に私が誘導した。


あまり自分の方から話しかけてこない彼の分まで、私が個人情報の細部に至るまで教え込む。


身長163㎝、バスト87、ウエスト57と言い出したら、『何でそんな事まで?』という表情(雰囲気を醸す)をしたので、『ミスコンなんかでは必須じゃないの?』と答えた私に、『それは人によるだろう』と苦笑していた。


「貴方の手、とても暖かいね。

私のは手汗で少し湿ってるけど、緊張してるからなの。

男子と手を繋ぐことなんて、今までなかったから」


「そんなに怯えなくても、変な場所に連れ込んだりしないぞ?」


「そういう意味じゃない!

・・罰として、今度からはこう」


繋いでいた手を一旦放し、それまではただ彼の手を摑むだけだったものから、指と指を深く絡めるものへと強引に変える。


火照り出した頬には、秋の夜風が妙に心地良かった。



 やって来た文化祭当日。


クラスの出し物そっちのけで彼を捕まえ、その希望先を二人で回る。


『吹奏楽部の演奏が聴きたい』、『美術部の展示が見たい』など、彼の要求は専ら文化系。


人気が高いダンス部や、地元のお店限定で仕入れるお菓子やケーキを出す喫茶店には、『混んでいるから』と足を向けない。


文芸部で静かに作品のページを捲り、書道部で力強い文字に目を向ける時間だけが過ぎていく。


ミスコンは2日目なので、初日の今日は二人だけのデート。


尤も、そう思っているのは私と友人達だけで、例年通りなら共に巡るはずの彼女達の誘いをやんわりと断った際、後で報告することを条件に、『グットラック』と微笑まれた。


期間中は土日のせいもあって自由登校なので、早めに彼を学校から連れ出し、今日は誰もいないと分っている自宅に招き入れる。


今までは門の前で別れていたが、今日は初めて中へと通す。


2階の、昨夜きちんと掃除した自室に彼を通し、自分は急いで手洗いとうがいをして、珈琲を淹れる。


お菓子なら部屋にあるから、それで直ぐ戻ると、彼は立ったまま、机上のスクラップブックに視線を向けていた。


「お待たせ。

適当に座って良いよ?

貴方なら、ベッドの上もOK」


彼は再度、8畳程の室内を見回し、座椅子の上に腰を下ろす。


その脇にあるテーブルに珈琲の載ったトレーを置き、自分は机の椅子に座った。


「姉妹がいたのか?」


壁に貼られた写真に目を遣り、彼がそう聴いてくる。


以前の帰り道、一人っ子だと言ったのを覚えているのだろう。


「・・ええ。

まだ8歳だった時、姉が交通事故で亡くなったの」


「・・良い香りの珈琲だな」


「親が珈琲には五月蠅いの。

あのバイト先も、最初は親が見つけてきたのよ。

珈琲も、美味しかったでしょう?」


「今日、自分がここに呼ばれた理由を聴いても良いか?」


「別に大した理由なんてない。

人のいない場所で、二人で静かに過ごしたかったからよ」


「むっ」


徐にスマホを取り出す彼。


「何してるの?」


メール機能が使えないと言っていたのに、不思議に思って聞いてみる。


「襲われた時、速やかに警察に連絡を・・」


「殴るわよ?」


静かに、ドスの効いた声を出す。


「君だって、あの時そうしていたではないか」


「あれは痴漢除けよ!」


何でそんな事まで知ってるのとは思うが、今ので、暗くなりかけた雰囲気が元に戻る。


「もう、貴方って少し変。

こういう状況なら、もっと他に考えることがあるでしょう?」


「例えば?」


「女の子の部屋って良い匂いだな・・とか」


昨晩、あちこちリセッ○ュしたから自信がある。


「・・君も十分に変だ」


結局、この日は終始こんな感じで、本当に言いたいことは1つも言えなかった。



 文化祭2日目。


到頭ミスコンの時間が迫って来た。


とは言っても、自分は普段通り制服を着て、壇上で澄ましていれば良いだけなので、本当に大変なのは、大勢の前で話をする彼なのだが。


「普通なら楽勝だろうけど、今回は対抗馬と称される○○さんに、昨日の男子コンテストで優勝した○△君が付くからね。

紅葉くれはの、あの存在感の無い彼では、どう転ぶか今一つ分らない」


「まあ、気楽にね。

これまで振ってきた人数が多い分、他より不利だろうしさ」


友人達がそう言ってくる中、私は集合場所に足を運んだ。



 「皆さん、お待たせ致しました!

今年もこの時がやって参りました。

・・・・。

・・・」


司会役の放送部が盛り上げる中、壇上に並ぶ十数名の女子達の推薦人が、一人一人、その相手のアピールを繰り広げる。


案の定、例年の如く、スリーサイズが幾つで水着になれば凄いだの、何処其処の街角で雑誌のスカウトに声をかけられただの、部活でどんな活躍をしただのが主流で、その人間性のみを語る人は誰もいない。


彼氏はいないだの、恋愛経験はないだの、まるで投票すれば、自分がその彼女と付き合えるとでも錯覚させるような、そんな決まり文句も多々聞こえてくる。


うんざりする気持ちを顔には出さず、じっと自分の番が来るのを待つ。


一体彼は、私の何を語ってくれるのだろうか?


『自分の話すことは既に決まっている』、そう言われて、ほとんど打ち合わせらしいこともせず、その内容すら私は知らない。


全く不安がないと言えば嘘になるけど、それは彼の話す中身に対してであり、私が選んだ彼自身に対してのものではない。


バイト先で彼だけに見せた配膳の際の際どい姿勢にも、自室での無防備な姿にも、全く反応しなかった彼が、常々私の何処を見ていたのかが、これから分る。


そう考えると、何だか嬉しくて、自然と笑みが零れた。


「それでは次に参ります。

エントリーナンバー12番、高谷紅葉たかやくれはさんの推薦人、御剣和也君です」


ざわめきの中、彼が静かに壇上に上がり、聴衆に一礼して、徐に眼鏡を外した。


「「「ええーっ!」」」


至る所で、女子達からの歓声が響く。


気のせいかもしれないが、何だか会場が彼の放つ雰囲気に圧されている。


その後ろ姿しか見えない私は、彼の語り出す言葉に集中して耳を傾ける。


認識不全を解除した、和也の静かな言葉が始まった。


「自分が初めて彼女を見たのは、とある夕暮れ、その掃除をしている姿でした」


掃除?


「幾重にも積まれた花束の中から、既に枯れたもの、枯れかけの傷んだ花を抜き出しては、それらをごみ袋に入れた後、まだ奇麗な花だけを並べて、最後に周囲を掃いていました」


もう大分前の事なのに、何で知ってるの?


「・・理性という、人として必須のパーツを欠いた者達が、時として世にまき散らす害悪。

運悪く、それに巻き込まれた人々がその場に残す、悲しみや怒り、心残り。

無表情に、或いは笑みさえ浮かべながら、傷ついた人々に対して無思慮にスマホを向ける者達が増える世で、花束を置き、遣る瀬無い思いで、亡くなった人々に手を合わせる方々がいる。

普段の街並み。

そこを歩く人々は、実に様々なものを心に抱えながら生きている。

希望と喜びに満ちた人々の傍らには、見当違いの八つ当たり的な怒りを携えた愚者もいれば、他の誰かの手を借りながら、心を蝕む病と必死に闘う者、病に抗い、希望を見失わない人々などが居て、外見上はそれと分らぬ顔で街を通り過ぎていく。

そんな片隅で、事故や事件の現場で人が手を合わせて祈る姿を見かける時、自分は、彼ら(彼女ら)が亡くなった人達の意思(意志ではない)を受け継いでいるようにも感じる。

どんなに無念だったであろう。

どれほど心残りがあったであろう。

残していく家族や、抱えていた希望の種類にかかわらず、生きる権利を突然奪われた人々がそこに置いていった思いを、彼ら(彼女ら)が少しずつ持ち帰ってくれる。

そう思えます。

永遠の命。

それは単に、生き続ける時の長さだけを表すのではなく、そうやって人々が他者から受け継いでいく思いも表すのではないか。

自分は、そう考えます。

掃除を終えた高谷さんが、最後にそっと祈りを捧げたその姿を見て、自分は心から思いました。

『美しい』と。

その身に様々な人々の意思を宿しつつ、共に歩もうとする彼女を、自分は素敵な人だと誇れます。

・・以上が、自分が高谷さんを推薦する、1番の理由になります」


彼が話を終え、一礼して壇上を降りていく。


静かになった会場内に、ただ彼の靴音だけが響く。


司会役の放送部員が、どうにか次の出場者の説明に移ろうとする前に、私は声に出していた。


「済みません。

私、参加を取り止めます」


「え?

・・何故ですか?」


驚いて聴き返す司会役。


「もう十分、得るものがありました。

審査を受けるまでもなく、私は満足できたんです。

ですから、勝手を言って申し訳ありませんが、ここで辞退致します」


穏やかにそう告げ、会場の聴衆に向けて頭を下げた後、彼を追って壇上を降りる。


まだそんなに時間が経っていないのに、会場から姿を消した彼は、既に校門付近に居る。


「待って!」


説明できない恐怖に襲われ、そう叫ぶ。


何故だか、このまま彼と会えないような気がしたのだ。


人込みの中を必死に走り抜け、意外そうな顔をした彼を、どうにか捕まえる。


息を整えながら、彼を睨む私。


「何処行くの?」


「・・君こそ何故来た?

審査はまだ終わってないだろう?」


「それはもう良いの。

それより、何処に行こうとしていたの?」


目を逸らす彼に、執拗にそう尋ね、詰め寄る私。


「・・用事ができたので、そろそろ帰ろうかと」


その頭の中で、先程から赤文字で書かれた『Warning』の単語が繰り返し点滅している和也は、そう言って苦笑する。


あちらに置いてきた、フラグ審査員こと紫桜からの警告だ。


「帰るって、今住んでいるホテルに?」


「・・・」


うちに来て」


そう言いつつ、彼の腕を胸に抱えて、やや強引に引っ張っていく。


「分ったから腕を放してくれ。

君のその大きな胸が当たっているぞ?」


「役得でしょ?

私は構わないわよ?」


「・・・」


それきり黙った彼を、両親が遠方に紅葉狩りのドライブへと出かけていて、誰もいない自宅へと連れて行く。


自室に押し込み、手洗いもせずに尋問する。


「私のこと、前から知っていたのね?」


「それは説明が難しい」


ジャッジメントのことを話せる訳がないから。


「何でまた眼鏡をかけてるの?

それ、伊達眼鏡なんでしょう?

貴方、凄くハンサムなのに、それをかけると途端に目立たなくなるわよね」


「自分は気が小さいから、これがないと人の顔をまともに見れないのだ」


「嘘仰い!」


「今のこの体勢は、まるで自分をベッドに押し倒すかのようだぞ?

君は肉食系なのか?」


二人並んでベッドに座っている状況に、文句を言う和也。


「お望みならそうしようか?

初めてだけど、さすがにやり方くらいは知っているわよ?」


「・・今の君は、何故そんなに攻撃的なのだ?

普段はもっと理性的だろう?」


少し呆れたように、そう口にする彼。


「・・貴方が黙っていなくなろうとするからよ。

不安で仕方がないの」


小さな声で、そう弁解する私。


「自分は元々、ここにそう長居する気はなかった。

それでも、もう少しくらいは居るつもりだったのだが、急用(警告)が入ってしまった以上、帰らねばならない」


「何処に帰るかは教えてくれないのね。

・・また会える?」


「・・・」


「・・まだ小さな頃、交通事故で姉が亡くなり、私は悲しくて泣いてばかりだった。

でも数日後にその現場を母と通ったら、そこには沢山のお花が飾られ、その傍で静かに祈ってる人が居た。

見知らぬ人なのに、姉の為に真剣に手を合わせていた。

その時、思ったの。

この人は、姉の悲しさ、痛みを、少しでも軽くしてくれてるんだなって。

だから、それからはそこを通る度、枯れたお花を片付け、花束がなくなるまで周りを奇麗にしてた。

今でも、この近くにそんな現場があれば、可能な限り奇麗にしてる。

枯れてしまった花がごみのように散乱していたら、悲しい場所が更に人々に疎まれてしまうから。

・・貴方が壇上で贈ってくれた言葉は、私には何より嬉しかった。

私をしっかりと理解してくれる貴方を、このまま見す見す失いたくないの。

たとえ僅かでも良いから、また会えるチャンスを私にくれないかな?」


そう告げた後、彼女は和也の膝に片手を載せ、思い詰めたような眼差しを向ける。


「・・4年後の春、もう一度だけ君の前に姿を現そう。

その時、君が真に自分を必要としていたなら、君には自分が見分けられる。

だが、既に他の誰かと一度でも愛を交わしていた場合、自分が誰だか分らない。

それで良いか?」


「つまり、ずっと貴方だけを愛していれば良いのよね?

でもどうやって貴方にそれが分るの?

それに、ちゃんと会いに来てくれるという保証は?」


「これを右手の薬指に嵌めてくれ」


和也が、その掌に銀色のリングを生み出して渡す。


「・・どうやって出したの?

貴方、超能力者か何かなの?」


「似たようなものだな」


「!!

・・皆が貴方を上手く認識できないのも、そのせいなのね。

じゃあ何で私は分るのかな?」


「自分がそう調整した」


「どうして?

私に惚れたから?」


「君の心がとても奇麗だったからだ」


「・・言葉くらい、サービスしてよ。

それで、これを嵌めたらどうなるの?」


そう言いつつ、言われた通りにリングを嵌める彼女。


「それは他人には見えないし、触れない。

君が心変わりをしない限り、そのリングは次に自分と会う時まで存在し続け、その間、君を護ってくれる。

4年後の春、君の指にそのリングがある限り、自分はそれを回収しに来る」


「回収するだけ?」


「・・その際、また新たな道を示そう」


「私の気持ちを疑っているのなら、今この場で私を抱いても良いのよ?

そういう覚悟で連れてきたんだし・・」


「済まない。

こちらにもいろいろと事情があるのだ」


「・・分ったわ。

4年間、必ず待ってる。

待ってるからね?」


「ああ。

・・明日の16時頃、バイト先の直ぐ近くにある宝くじ売り場で、100円の宝くじを10枚連番で買うと良い。

折角の推薦枠を蹴ってしまった君には、勉強する時間が必要だろうからな。

・・では、また4年後に」


そう告げると、彼は突然私の目の前から消えてしまった。


まるで、今までの出来事が夢であるかのように。


座っていたベッドの微かな温もりと、右手に輝くリングだけが、現実のことだと教えてくれる。


翌日、文化祭の片付けのために学校に行くと、誰も彼の顔をろくに覚えていなかった。


ミスコンをドタキャンした私に、呆れた視線を向けてきた友人達でさえ、『確か眼鏡をかけてたよね』と言うくらいにしか思い出せない。


更にその翌日、通常授業に戻った朝、A組の担任が彼の転校を告げたという。


彼の言う通りに買った宝くじは、何と1等の1000万円が当たっていた。


お陰で卒業旅行の資金稼ぎをする必要がなくなった私は、バイトを辞めて、現在は勉強に励んでいる。


静かな図書室で、夜更けの自室で、参考書のページを捲る音、鉛筆を走らせる行為に疲れてくると、私は自然と彼のことを思い出す。


贈られた言葉の数々を反芻し、共に過ごした短い時間を懐かしむ。


彼の温もり、その声、その仕種を思い出し、冬の冷えた空気で凍えそうな心を温める。


既にいない誰かに向かって、伝えたい相手に対して真摯に祈る時、合わせた右手から、私にしか見えない、奇麗な輝きを放つリング。


その光は、まるであの時(ミスコン)の彼の言葉のよう。


『美しい』


大丈夫。


私はきっと、また彼に会える。

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