中里美緒と泉彩花は、思い詰めた表情で話し合っていた。

 傍らのベッドには、塩素ガスで気管を爛れさせたピアスと、腕を骨折した上に内蔵の損傷が疑われるGジャンが横たわっている。応急処置しかできない今は、二人とも強力な鎮静剤で眠らされていた。

 ピアスの気管は美緒が内視鏡で直接確認した。塩素ガスによる気道の化学熱傷だったが、気道の腫れは今のところ致命傷にはならない。しかしGジャンの内臓損傷は検査のしようがなく、生命の保証すらできない状態だ。

 美緒が、手持ち無沙汰に内視鏡をいじりながらつぶやく。

「わたしたちも殺されるって、ホントかな……」

 携帯型の内視鏡は、グリップの上に2・5型モニターとバッテリーを内蔵したスタンドアローンタイプだ。そこから延びた3・9ミリのファイバースコープは、手元のダイヤルの操作で自由に動かせる仕組みになっている。美緒がダイヤルを動かすたびに、スコープの先が猫の尻尾のように揺れる。

 彩花が応えた。

「掃除のおばちゃんが言ってたこと? でも犯人は、殺すのは警察だけだって……」

「信じられる?」

「ムリ……」

「だよね……。じゃあ、逃げ出す?」

「どうやって? ドア、縛られてるのに。廊下に見張りだっているし」

「なんか、武器ってない? おばちゃん、洗剤だけであんなことができたんだから、わたしたちだって……」

「戦う……の? あんな人たち相手に」

「だって、人質がみんな殺されちゃうんだよ。わたしたちだって殺されちゃうんだよ……。怖いけど……やらなくちゃ。人を助けるのが、仕事なんだし……」

 彩花は、じっと美緒を見つめる。

「武器って……除細動器は? 電気ショック、使えない?」

「あ。できるね。半自動だから」

 一般の施設には通常、自動体外式除細動器――AEDが装備されている。それは、心臓疾患で倒れたと疑われる人間に対して、誰でもが蘇生処置を行えるように作られた装置だ。スイッチを入れれば手順を音声でガイドする。ガイドに従って電極パッドを胸に貼ると自動で心電図を解析して、必要なら電気ショックを与える。医師が到着するまでの間に応急処置を行い、患者が心停止してから除細動を受けるまでの時間を短縮する装置だ。救命率を高めることを目的としている。だが、全自動式のAEDでは変則的な使用法はできない。装置自身が必要ないと判定すれば、放電しないからだ。さらに、一度電気ショックを与えると、次の放電まで二分間待つ必要がある。放電の強さも、自由に設定することはできない。

 仁科に監視されながら備品庫から持ち出したのは、携帯型の半自動式だ。これなら、最大の出力を一気に放電できる。本格的な除細動器より遥かにコンパクトだが、使用するには医師か救急救命士の資格が必要になる。だが、ナースでも扱い方は知っている。Gジャンに蘇生が必要になった場合に備えて、準備していたのだ。

 二人は手順を打ち合わせると、部屋を脱出する作戦を開始した。

 美緒はコンビニから運んだ食料の中からトマトジュースを出して缶を開けると、Gジャンのベッドの枕元に中身を振りまいた。口のまわりにもわずかにジュースを振りかけると、大量に吐血したようにしか見えなくなる。

 缶を空にした美緒がつぶやく。

「うわ、スプラッター……」

「やり過ぎじゃない……? リアリティに欠けるよ」

「でも、迫力はあるっしょ」

 二人はドアに向かった。

 彩花は縛られているドアを思い切り引っぱり、一センチほどの隙間を作る。内視鏡を持った美緒が腹這いになり、隙間からスコープの先端を廊下に出す。ダイヤルで先端を振って、廊下の両側を見渡す……。

 内視鏡のモニターが上から見えるように床に置き、立ち上がった美緒が囁く。

「監視が一人だけ、椅子に座ってる。できそうだよ」

 うなずいた彩花は、除細動器に充電を始める。傍らの椅子に本体を置き、コードの先のパッドを両手に持つ。

「いいよ」

 美緒が、ドアを叩いた。

「誰か! 開けて! この人、死にそうよ!」

 モニターに、男が駆け寄る姿が映る。他には人影はない。ドアを縛ったロープがほどかれる気配がある。

 美緒は、モニターをどけてベッドに近づく。

 ドアが開いて、スタジャンが言う。

「どうした⁉」

 美緒はベッドを指差す。

「この人が! 手伝って!」

 派手な〝血糊〟に目を見開いたスタジャンが、部屋に踏み込む。が、傍らで構えていた彩花の気配に気づいて横を向く。

 その瞬間、彩花はパッドをスタジャンの両頬に貼り付けていた。そして、身を翻して除細動器のスイッチを押した。スタジャンは突然の電気ショックにのけぞり、後頭部を思い切り壁に激突させた。そのまま意識を失い、床に崩れる。

 美緒がつぶやく。

「あれ……? うまくいっちゃったね……」

 彩花がうなずく。

「うん……簡単だった……。で、どうしよう……」

「人質、助けなくちゃ……」

 二人は見張りに鎮静剤を注射して手足を縛ると、内視鏡と除細動器を抱えて廊下に出た。

 ドアをスライドさせて閉じ、縛り付ける。そして他の犯人に見つからないように、いったん備品庫に身を隠した。


          *


 右足は、動いた。動いたが、ほんのわずかだ。

 だめだ! これじゃだめだ! これだけじゃだめだ!

 動け! 人質を救うんだ! 多恵を、救うんだ!

 こんなところに縛り付けられてちゃだめだ! 

 気は焦るばかりだ。だが、現実は酸素マスクと点滴のチューブでベッドにつながれた病人だ。生死の境い目をさまよっている役立たずだ。点滴を外してベッドを出たくても、そのチューブにさえ手が届かない。

 多恵に、手が届かない……。

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