5
しばらく備品庫で何かを探しまわっていた仁科がナースステーションに戻った。
「空調、コントロールできるか?」仁科は高木に尋ねた。「全部の部屋の酸素バルブも止めたい」
高木は、医療用のペンチを器用に使って発火装置を作っていた。テーブル一面に、壊された懐中電灯やPHSが散らばっている。その手を止めてうなずくと、MACのキーボードを操作して空調の図面を表示する。ダクトを指でたどりながらつぶやく。
「あぁ、できそうだね。それぞれの階が独立している。で、吸気も排気も最終的に屋上に集まっていて……あ、ここにフィルターが着いてるね……。なんでこんなにややこしい空調にしたんだろう……?」
「パンデミック対策だろう」
「あ、エボラみたいなやつか。で、何がしたいの?」
「一階から上に向かって、順番にガスを入れていく」
「ガスって、そんなものどこに……あ、あの塩素ガス?」
「掃除のババアに感謝、だ」
「設計図によると、フィルターは光触媒だけど……これって、塩素ガスにも効果があるのかな?」
「有機化合物なら分解するだろう。念のために光源の電源を切りたい。できるか?」
「メンテナンスモードにすれば簡単。その上で吸気ファンにガスの発生源を入れれば、狙った階だけ汚染できるね。シャッター類は全部閉めてあるから、中にガスが充満する」
「塩素ガスは下に溜まる。たかが洗剤じゃ死ぬほどの濃さにはほど遠いが、刺激臭を感じればじっとはしていられない。一フロアにガスを行き渡らせるのにどれぐらいかかる?」
「どうだろう……正確に計算しないと割り出せないけど、何しろでかい病院だから……この換気モーターの出力から考えたら三〇分ぐらいかな……」
「全館がガスまみれになれば、金森は上がって来るだろう」
「酸素ボンベも結構いろんなところに置いてあるけど?」
「ロックできる部屋は全部封鎖してあるよな」
「言われた通り、逃げ込める場所は極力減らしたけど」
「逃げ場は少ないし、あのガスは目にも来る。ベランダに出て壁に隠れても、コンクリートは薄いからサツに気づかれる。赤外線カメラを使ってるだろうからな。この階に上がってくる可能性は高い。階段は屋上まで上がれるようにしておけ。一度は窓から侵入したヤツだから、たぶんまた窓から来る。爆破された南側はサツの監視が厳重だろうから、避けるだろう。北側の部屋の暖房機にセボフレンをぶちまけておく。気化させて使う麻酔薬だ。無臭だから、気づけない。部屋に踏み込んだら、動きが鈍る。そこを抑える」
「確実じゃない予測ばかりだね……」
「狩り出せる人数がないんだ、仕方ない。できれば生け捕りにして、金の在処をしゃべらせたい。だが金森を逃がしても、塩素ガスはサツの突入を遅らせる役に立つ。ここは俺が見ている。備品庫に業務用の濃縮洗剤がごっそりあるのは確かめた。塩素系カビ取り剤の原液に粉末の除菌クリーナーを混ぜる。沸騰したように塩素ガスを出すはずだ。ファンの中にぶち込めばしばらくはガスを発生させる。やってくれ」
「えぇ、僕が? 屋上に出ろって? 一人で? SATに狙撃されちゃうよ!」
「人質がいるんだから、手は出せない。できるヤツはお前しかいないんだ。図面を読んで下の階から順に仕掛けていかなきゃならない。間違ったら金森を追い出す効果が薄くなる。夏山の頭でそんな込み入った作業ができるか? できなければ、逃げられない。サオリを連れて行け」
高木の顔にわずかな笑みが浮かぶ。
「え? 何であの子を……?」
「案外器用だから、役に立つ。災害備品庫に酸素ボンベとガスマスクもあった 消防が使うようなヤツだ。ガスにやられるとまずいから、かぶって行け」
*
少し眠ってから、iPodで時間を確かめた。三〇分ほどしか過ぎていない。
度重なった疲労と緊張がせめぎ合い、熟睡もできないのだ。
多恵のことは心配だ。
だが金森の登場で、私と犯人たちの対立関係は大きく変わった。今は、金森を捕らえることが互いの利益だ。
多恵もそれが分かっている。危害を加えられることはないだろう。
私は、わずかに眠っては意識を取り戻し、その度にiPodを見た。ずいぶん長い時間、小康状態が続いている。
午前五時半。もうすぐ、夜明けだ。
明るくなれば、事態が動く――
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