第6章・テロリスト

 VIPルームは、ロケット砲の直撃を受けた紛争地のホテルような惨状を呈していた。ドアが吹き飛んでデイコーナーの反対側に転がり、あちこちにひっくり返った椅子が散乱している。その間には、VIPルームの中にあったはずの除細動器や医療機器が散らばっていた。南に面する窓の残骸から冷たい風が流れ込んでいる。

 爆発で飛ばされたGジャンは、デイコーナーのテーブルの脚に叩き付けられ、意識を失っていた。命まで失っているかもしれない。

 だが、夏山はGジャンをちらりと見たきり、助けようともしない。改めて、呆然とつぶやく。

「何なんだよ、これ……」すでに四回、同じ言葉を繰り返している。「何でこんなことができるんだよ……人質のくせに……なんで爆弾なんか持ってんだよ……」

 警察の攻撃ではあり得ない。人質の命を危険に晒すことは絶対にできないからだ。仮に警察なら、爆発と同時にSATが突入して、とっくに制圧されている。

 人質の仕業としか考えられなかった。

 だが、理解を超えている。

 人質は寄せ集めの病人だ。その手元に、爆発物があるはずがない。だが、爆発物がなければこんな破壊は起こせない。

 塩素ガスの反撃だけでも信じられなかったのに、怯えるだけだと思っていた人質に手下を二人まで奪われるとは予測もできなかった。

 夏山自身も、額から血を流していた。ナースステーションで高木に指示を出していた時に、爆風で飛ばされた電話機が当ったのだ。

 鈍重なオタクだと思っていた高木が何ひとつ傷を負っていないことが、かえって不思議だった。

 夏山のポケットの中で携帯が鳴った。警察からだ。

「何だ?」

『何だじゃない! 今の爆発こそ何だ⁉ 人質に危害を加えたのか⁉ 一階で銃声があったと言う報告も入った。ベランダで誰かが動き回っていたこと分かっている。何をやっているんだ⁉ 説明してくれ! 人質は無事なのか⁉ 状況によっては、突入するぞ!』

 やはり、警察は無関係だったのだ。

 夏山は仁科から警察への対応を指示されていた。

 弱みを見せるな、余計なことはしゃべるな、人質で押せ――。

 まさか爆発が起きるとは考えていなかったが、スタンスは変わらない。『爆発物で脅かせ』と言う項目が加わっただけだ。

「人質は無事だ。こっちの要求は守れるのか?」

『なぜ爆発が起きた⁉』

 夏山は言った。

「ささやかな事故だ。もう一度言う。今のところ、人質は全員無事だ。だが、我々が爆発物を持っていることは分かったろう? 仲間に怪我人は出たが、大した傷じゃない。突入するなら、残りの爆発物を使う。最初に死ぬのは、お前のところの警官だぞ」

『人質が無事なこと確かめさせてほしい』

 これも打ち合わせ済みのことだ。

「夜が開けたら、な。要求を実行しろ」

 と、誰かが電話の向こうで会話に割り込んだようだ。急に声が遠くなる。『何? は? 誰かが出て来たって⁉』そして、言った。『状況が変わった。また連絡する』

 通話は、一方的に切られた。

 携帯を置いた夏山は、うんざりしたような溜息を漏らす。

「何でこんな馬鹿げたことになっちまったんだよ……」高木にぼんやり尋ねる。「どうして火が出なかったんだ? こんなにひどい爆発なのによ……」

 高木が背後でつぶやく。

「爆発が強過ぎたのかも……」

「スプリンクラーとか、作動しないのか?」

「火災報知器、切ってたから……」抑揚のない声は、感情を持たないボーカロイドのようだ。「仁科さんが切れって言ったんだよ。病院とかサーバルームでは、報知器とスプリンクラーのヘッドが両方作動しないと放水しないんだ。いったん水浸しになると損失大きいからね……」そして、頭を抱えてうめく。「もう、逃げ出したい……」

 夏山は振り返りもしなかった。

「俺だって逃げてえよ。だが、サツに囲まれてんだぜ。どこから逃げりゃいいんだよ……」と、携帯が鳴る。「るっせいな! サツとは話すことなんかねえんだよ!」

 鳴ったのは携帯ではなく、病院スタッフから奪ったPHSだった。仁科からの連絡だ。

「俺だ」

『何があった? 何かが爆発したのか?』

「人質の反乱だ。手下が二人ぶっ飛ばされた」

 一瞬、返事に間が空く。

『は? 人質って……病人と女ばかりだぞ。なんで爆発が……?』

「俺だって分かんねえよ。それでも、このザマだ。笑えや」

『サツは⁉ 何か言ってきたか⁉』

「事故だって言っておいた。ついでに、爆発物を持ってるように見せかけた」

『納得してたのか?』

「どうかな……? 状況が変わったとか言って、向こうから切りやがった』

『状況が変わったって……? ああ、医者が逃げたからか……』

「逃がしたのかよ……。そっちもそっちじゃねえか」

『お前の手下のヘマだ。佐伯が襲われた。医者も消えたそうだ。しかも、まだ金森がうろついている。男が三人もいるのに攻撃してくるとは思わなかった』

「ボロボロだろうが。あっ? ……消えたそうだ、って――お前、その場にいなかったのか? 何やってんだ?」

『ちょっと別の場所にいる。大事な仕事があってな。まだしばらく手が離せない。今、一番危険な状態なんだ……。じゃあ、そっちからは人間は割けないな……』

「人手はねえ」

『仕方ないな。少し待ってくれ。朝までには俺が立て直す。それまで何とか、警察に対応してくれ。だが、医者が消えたのはそっちの責任でもある。技師が入ったらすぐに玄関をロックしろと命じたはずだ』

 夏山は高木を睨んだ。

「玄関、ロックしなかったのか?」

「あ、忘れてた……ほら、ガス撒かれたから……慌てちゃって……」

「今すぐ閉じとけ。サツに入られたら止められない」そしてPHSに戻る。「ってことだ」

『仕方ないな。佐伯は上に連れて行かせた。MRIがぶち壊されたらしい。検査はもうできないし、医者も技師もいない。この先は運任せになるがな……。そっちに付いたら、看護婦に容態を見させろ。点滴や投薬が必要なはずだ』

 夏山の声に力はなかった。

「なあ……もう、手を引く方法はないのか?」

 仁科は動じない。

『ないな。覚悟は決めたはずだぞ。特にお前は名前まで晒している』

「だよな……」

『警察は予想以上にうまく抑えられてるんだ。金森は計算外だったが、あいつさえ潰せれば何とかなる。そっちのカメラで金森を探しておけ。今の敵はヤツだ。見つけたら、すぐ連絡してくれ。お前たちが襲われる可能性もあるから、警戒は怠るな』

 通話はいきなり切れた。

 夏山はまたも溜息を漏らす。

「立て直すとか言ってたが、あいつ、魔法でも使えるのかよ……」


          *


 最上階に着いた。

 扱いは乱暴だったが、私を傷つけるなという命令は守ったようだ。金森も、襲っては来なかった。だが、廊下には異様な臭気が漂っている。

 何だ、この臭い……? 

 かすかな爆発音のようなものが聞こえた気がしたが……人質に何かしたのか⁉

 まさか、多恵が⁉ 

 動悸が高まる。

 止めてくれ……それだけは止めてくれ……。

 犯人が電話をする声が聞こえた。

「シャッター、開けてくれ」

 廊下の防火シャッターが向こう側からコントロールされているのだ。カラカラという音を立ててシャッターが上がっていく。

 とたんに臭気が強くなった。塩素と何かが焦げたような臭いが混じり合っている……。

 ベッドの揺れに合わせるフリをして、首をわずかに振ってみる。一瞬、廊下が見渡せた。

 何だ、これは⁉ 

 廊下の奥が、暴動の後のように荒れている。何かが爆発したのか? 臭いの原因は、これか……?

 やはり人質が襲われたのか⁉ 多恵は無事なのか⁉

 だが、なぜそんな無意味なことを……? こんな爆発を起こして、何の得になる……?

 犯人の声が聞こえた。夏山だ。人質の部屋に向かって叫んでいるらしい。

「ナースが必要だ。出て来い。佐伯の点滴を再開する。怪我人も治療しろ。お前たちがやったことなんだから、責任を取れ! 出てこなければ、警察の人間を殺す! こっちにいるナースも無事じゃすまないぞ!」

 つまり……人質たちが反撃したのだ。犯人たちに怪我まで追わせている。

 うそだろう……。こんな爆発を、人質が……? いったい、どうやったらそんな離れ業ができるんだ……?

 しかも、犯人が人質を廊下から脅している。ドアを開けることができないのか?

 今は逆に、人質たちが立てこもっているのだ……。

 ドア越しにナースのくぐもった声がした。

「わたしは出ます。でも、中の人には危害を加えないで」

「そっちの人質には手を出さない。そんな余裕はない。すぐに仲間の治療をしろ。だが、警官は別だ。お前たちがこれ以上逆らうなら、あいつらをぶっ殺すぞ」

 ナースを頼るのは、陣内がいないからだ。撃たれたらしいが、技師が外へ連れ出したのだろう。二人で脱出できていれば希望がある。

 だが、傷の程度は分からない。生きているかどうかも分からない。無事なら、きっと金森が生きていることを警察に伝えている。

 頼む、無事でいてくれ……。

 と、別の声が聞こえた。多恵だ!

「本当にわたしたちに危害は加えませんか?」

 生きている……。よかった……。だが……。

 多恵! 信用するな! こいつらは犯罪者だ! 

「約束する。お前たちは傷つけない。だが、警察は敵だ。出てこなければ警官が死ぬ。警官は三人いる。一〇分に一人、殺していく」

 少し、間があった。

「分かりました。佐伯多恵ですが、わたしも行っていいですか? 父さんが心配ですから」

「では、お前とナースの二人だ」

 多恵! 出るな! 出てきちゃだめだ!

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