9
中島公子と名乗った清掃員は、洗面所でバケツをさっと洗って別の洗剤を入れ始めた。
多恵が問う。
「今度は何を?」
「ここに籠っていても助からない。あいつら拳銃も持ってんだから。攻めるしかないのよ」
「攻めるって……。わたしたちだけで、どうやって……?」
「見たところ、あいつら六人だけでしょう? 一人はたぶん、さっきので目がやられた。もっと減らすのさ。あんた、空き缶探してくれない? アルミのやつ。アルミなら何でもいいんだけど」
多恵は公子が何をするのか分からないまま、部屋の中を探し始めた。
背後で、彩花がゴミ箱をあさり始める。
「あ、あった。これじゃだめ?」
ケーキの下に敷くアルミホイルだった。白い生クリームがわずかに付着している。
公子は笑った。
「それ、ちょうどいいよ。同じようなもの、もっと欲しいな」
公子はアルミホイルを受け取ってエプロンのポケットにしまった。
彩花がぶつぶつつぶやく。
「このゴミ箱、高橋のおばあちゃんのところのだ。あんなに、勝手に飲み食いするなって言ったのに、コソコソ隠れて、もう……あ、アルミ缶もありました!」
「それ、潰してから折ってくれない。切り口をこすり合わせて、塗装をはいでほしいの。なるべくたくさん、アルミが露出するように」
多恵も別のゴミ箱からアルミ缶を探し出していた。
「こっちにもありました。同じようにしますね」
「お願い」
人質の老婦人が言った。
「あの……アルミが必要なんですか? 一円玉じゃだめですか?」
窓際の棚を指差していた。そこには、ガラスの小瓶が置いてある。中には一円玉と五円玉がぎっしりと詰まっていた。長期入院の患者が集めたものらしい。
「あ、使えるね! ありがとう!」そして公子は、多恵に尋ねた。「あんた、総理室の家電がリモコンで操作できるって言ってたよね。それ、どうやるの?」
「できるけど、iPodがないと……」
「あ、スマホみたいなやつ? それ、あったの?」
「父さんに渡していたの」
「電話とかメールもできるの?」
「普通の電話はできないし、メールも無線LANが必要。だから、メールは別の人が送ったんだと思う。あれ……? もしかしたら、父さんが打ったのかな? やり方、教えてなかったはずだけど……」
「それがあったら、助けを呼べるの?」
「どこにあるか分からないし、犯人が見つけてたら壊されてるはず……。それに、警察は今でもわたしたちを助けようと必死。殺されるのを恐れて、手が出せないだけだから。メールができてもあまり役に立たないし、ばれたら誰かが殺される。犯人が無線LANのメールはもう使えないって言ってたし」
「それもそうか。でも、それで何が操作できるの? テレビは? 電気ポットは?」
「どっちもできるけど」
「それ、まだ隣にあるかな?」
「あったとしても、行けない……」
公子がにやりと笑う。
「それが、行けるんだな」
「え? やだ、これ以上危ないことは……」
公子は多恵を無視して部屋の奥へ向かった。VIPルーム側の壁を調べ、壁の飾りに見せかけた掛けがねをゆっくり引っ張る。そして壁の一部を押すと、ドアのようにわずかに隙間が開いた。
公子は中の物音に聞き耳を立てて無人だと確認してから、ドアを大きく押し開く。
「ほら、ね」
二つになったアルミ缶の塗装をはがしていた彩花が、小さな声を上げた。
「何、それ……? VIPルームに行けるの? 壁にそんな仕掛けがあったの? 何でそんなの知ってるの?」
振り返った公子は笑った。
「掃除のおばちゃん、だからね。ナースちゃん、ちょっと一緒に来て。総理室、誰もいないから。あっちにも酸素のバルブってあるんでしょう?」
「3カ所、付いてるはず。予備のボンベが置いてあるって聞いたこともある」
「全部開けて、部屋の中を酸素でいっぱいにしてくれない?」
彩花は二つのバケツをぶら下げた公子についていった。
サオリはベッドで身体を丸めたまま、彼女たちを見守っていた。何もせずとも、人質たちの会話はサオリが持つ送受信器でドアの外に送られているのだ。
だが、受信機は仁科が持っている。下の階へ降りた仁科まで電波が届かないことに、サオリは気づいていなかった。
他の犯人たちも廊下に沸き出す塩素ガスの処理に追われ、人質たちの〝反乱〟を警戒する余裕はなかった。
数分後、部屋に戻った彩花から、多恵はiPod touchを手渡された。
「え? どこにあったの?」
「超ラッキーでしょう! 除細動器の下に隠してあったの。バケツを仕掛けるのにしゃがんだら、ちょうど目の前に白いものが見えてさ」
「ああ、先生かミオさんが隠したんだ……」iPodを手にした多恵は電源を入れた。バッテリーは残り少ないが、まだ正常に使える範囲だ。無線LANの電波を受信中のアイコンも表示されている。「これなら、リモコンになるよ」
後から戻った公子が、言った。
「それがなかったら、何か燃えるものを探して投げ込む気だったけど……そんなことしたら、あたしらも危ないからね。もう少し待ったら、攻撃開始だよ」
*
MRI室は明るかった。身体が、別のベッドに移される。腹を太いベルトのようなもので締められ、固定されていく。ヘッドフォンをかぶせられ、顔がプロテクターのようなもので覆われる。確か技師は、ヘッドコイルと呼んでいた。
MRI検査は二度目だ。この状態で、巨大なドーナツ状の装置のトンネルの中に全身を押し込まれていくのだ。検査中はとんでもない騒音で耳が聞こえなくなる。腕一本が動かせても、縛られれば抵抗は不可能だ。
まな板の上のコイだ。襲われたら、逃れようはない。
金森が黒幕であることは知らせた。だが、相手は医師だ。金森を倒すことなど期待できる訳がない。互いに捕われている身だから、警察に事実を通報することもできない。
もはや、犯人グループに教えるしかない。
だが、どうやって? 私の意識がはっきりしていることを、どう伝えればいい?
早くしないと……。
その瞬間だった。技師に命令する声が聞こえた。
「そこの技師! 機械から離れろ!」
金森だ!
遅かった……。
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