第5章・ワイルド カード

 三人は、会話を他人に聞かれないように、ナースステーション奥の休憩室に集まった。間のテーブルには、一階のコンビニから運ばせた弁当や飲み物が山積みになっている。すでに封が切られたものばかりだ。仁科の指示で一部を人質に食べさせ、警察が薬品などを仕込んでいないかをチェックしたのだ。

 高木は監視カメラの画面で、病院内から人影が消えたことを確認し終えていた。

 仁科が念を押した。

「本当に無人になったんだな?」

 高木はうなずく。

「カメラがあるところは全部確認した。でも、病院のセキュリティはそんなに厳しくないから、死角だっていっぱいあるよ。病室にはそもそも監視カメラが付いていないし」

「それは仕方ない。ただ、一階とベランダはこれからも気を付けて見張ってろ。急襲されないように、な」

「そんな動きなら、見逃さないと思う。それからさ、警察のハッキングも終わった」

 仁科が身を乗り出す。

「で、リーダーは見つかったのか」

「たぶん、こいつ。確証はないけど」A4サイズのプリントを差し出す。「これが金森」

 プリントには、金森の写真と略歴が記載されていた。

 写真を凝視した仁科がうなずく。

「雰囲気は似てると思う……。佐伯と同じ、苫小牧東署の刑事だな」

 夏山が写真を確認する。

「素顔は見てないから、何とも言えないがな……。金森正明……か。こいつが死んだ刑事なんだろう?」

 仁科がうなずく。

「佐伯に命じられて俺たちを操っていたんだ。だが結局、消されちまった。で、佐伯が全部かっさらった。落とし前は付けないとな。だが、佐伯がしゃべれるようにならなくちゃ、手の打ちようがない」

「結局、まだ時間稼ぎを続けるのか……」

 夏山は肩をすくめ、手にしていた原稿にもう一度目を落とした。仁科から渡された、犯行声明文だ。ワープロで打ち出した原稿には、全ての漢字にフリガナが振ってある。

「行けるか?」仁科は夏山に言った。「読み上げればいいだけだ。マンガを読むのと同じだ。難しいことじゃないだろう?」

「ああ。こんな内容なら問題ない。だが……本当にいいのか? こんな爆弾、でかすぎないか? 引っ込みが付かなくなるぞ。政府や日本人全部にケンカを売るんだぞ」

「だからいいんだ。もう俺たちは、ケチな犯罪者じゃない。お前だって、何かでかいことをやりたかったんじゃないのか?」

「そりゃそうだが……。まあ、正直、面白いことは面白い」

「じゃあ、始めろ」

 夏山は、携帯を取った。交渉の窓口になる滝川を呼び出す。

『滝川だ。患者の移動を終えた。確認したか?』

「できた。約束通り、要求を伝えよう。一つ。在日韓国人に対してのヘイトスピーチ禁止法に厳格な罰則規定をつけろ。二つ。在日韓国人に対していわれなき誹謗中傷を繰り返す嫌韓インターネットサイトを閉鎖し、今後一切類似のサイトを開設しないこと。三つ。日韓慰安婦合意を破棄し、日帝が過去に行った韓国への犯罪行為を日本政府が国連本部で公式に謝罪し、韓国政府が要求する賠償を無条件に受入れ、実行すること。四つ。三の内容に関して、日王が全世界に対して謝罪声明を行うこと。以上の要求が受入れられない場合は、人質の安全は保証できない。検討する猶予として、明日の朝まで時間を与える。その後に我々の要求が聞き入れられない場合は、人質の生命は保証されない。我々は、良心と正義にのみ従う在日韓国人だ。以上だ」

 警察には全く予想できない要求だったようだ。滝川が応えるまでに、わずかな沈黙があった。

 だが、あからさまな拒否はしない。

『君は、今まで電話に出ていた者ではないな?』

「この組織のリーダーだ。名は、夏山光輝。札幌在住の在日韓国人だ。調べれば分かる」

 夏山は一方的に電話を切った。すぐに滝川からのコールが入ったが、携帯を奪った仁科が通話を拒否する。

「放っとけ。サツも政府も、大騒ぎになる」

 だが夏山の顔色は冴えない。

「こんな無茶な要求、本当に良かったのかよ……」

「騒ぎがでかくなりゃ、それでいい」仁科は鼻で笑い飛ばす。「時間が稼げるし、脱出する時の要求も通りやすい。北朝鮮の横暴と親北大統領の誕生で韓国を嫌う風潮は強まっているが、日本のマスコミにはまだ韓国擁護派が多い。腹の中では嫌っていても、口には出せないって偽善的な日本人がほとんどだ。『虐げられた在日』って仮面をかぶっていれば武力で鎮圧するのも難しい。今のところ、警官を殺したのもバレてないからな。お前の素性が判明すれば、信憑性も上がる。たとえ捕まっても、逃げ道ができる。不遇な在日が追いつめられて起こした犯罪ってことになれば、人権派弁護士とやらも群がってくる。麻薬密造は問答無用の重罪だが、こんな要求を出せば韓国の国民は大喜びだ。俺たちは韓国の大スターだ。いいか、頭に叩き込んでおけ。俺たちが始めたのは、ちゃちな犯罪なんかじゃない。国と国との戦いだ。煽れば煽るほど、逃げ道が広がるんだ。お前はこれからも交渉の窓口になる。政治的な信念に基づく行動で、いわゆるホーム・グロウン・テロリストっていう役回りだ。それを忘れるんじゃないぞ。絶対に尻尾はつかませるな」

「ああ、大して難しいことじゃない。普段、仲間内で言い合ってることをそのまんましゃべってりゃいいんだろう?」

「俺たちが悪党だってバレなきゃな」そして、付け加える。「それから、手下に命じてVIPルームの壁を削り取っておけ。壁に塗ってある漆喰が欲しい。壁の土がバケツに二杯ぐら必要だ」

 いきなり意味不明な指示を受けた夏山が戸惑う。

「は? 壁の土だと?」

「テロリストなんだから、派手な爆発が欲しいだろう?」

「爆発だったら、圧力鍋じゃないのか? 土って……目つぶしにでも使うのかよ」

「鍋より役に立つ。今に分かるさ」と、手にした携帯が振動した。音声通話を切ったので、SMSが入ったのだ。画面に表示させる。

 メールを読んだ仁科が眉をひそめてつぶやく。

「何のことだ……?」

 その反応をいぶかった高木が尋ねる。

「警察からでしょう? なんて言ってきたの?」

 困惑していた仁科が我に返る。

「俺たちの仲間が、警備会社を襲って職員を殺したんじゃないか――と言ってきやがった」

 夏山が敏感に反応する。

「殺した? どこかに死体が出たのか? 何で俺たちだと疑ってるんだ?」

「その警備会社、この病院のセキュリティを請け負ってる。担当者が拷問されて、データと警備マニュアルが盗まれたらしい」

 高木が鼻先で笑うように言った。

「そんなことしなくたって、情報なら盗めるのに。だから情弱って困るね……」

 夏山が首を傾げる。

「じょうじゃく……?」

「情報弱者。時代についていけない人たち」

 仁科が考え込みながらつぶやく。

「問題は、誰が殺人までしてこの病院の情報を欲しがるか、だ……。絶対に、俺たちと関係があるはずだが……」仁科は不意に叫んだ。「あっ、リーダー! いや、金森だ!」

「え?」高木が言った。「なに、それ。だって、佐伯に殺されたんじゃないの? 金森が生きてて警備情報を盗んだっていうこと?」

「そうだ、生きてるんだ……。倉庫から逃げていたのか……いや、出血量から見ると死んだとしか思えないって聞いたが……。くそ! 偽装しやがったんだ!」

「偽装? ああ、そういうことか……出血だけなら、血を少しずつ抜いて冷凍しておけば可能だよね……でも、何でそんな面倒なことをするの?」

「殺されたと見せかけて、自分だけが逃げるためだな。で、俺たちを犯人に仕立ててパクらせる……だからか! だからあの時、銃声がしたんだ!」

「あ、倉庫で……」

「あれは、警察を引きつけるためだったんだ! 絶対に金森だ。病院の警備情報を盗むために拷問までしたのは、何がなんでもここに入り込む必要があるからだ。しかも、急いでいる。俺たちが占拠している今じゃないと意味がない。そんなヤツ、他に誰がいる?」

 夏山にも理解できたらしい。

「だよな。金森ってヤツ……生きてるな。でもよ、なぜ人を殺してまでしてここに来る? 辺り一面、サツに取り囲まれてるんだぜ。悪党だったら絶対に近づきたくない。こっちは出られるかどうかも分からないのに、何でわざわざ危険を冒して入って来る? 分け前持ってさっさと逃げりゃいいじゃないか」

 仁科が再び考え込む。

「その通りだな……。なんで今さら……? あ、なるほど……分け前が手に入らなかったんじゃないか?」

「佐伯に騙された……ってことか?」

「だな」夏山が言った。「奴も、ここに来る! だから俺たちの仕業に見せかけて、警備会社を襲ったんだ!」

 仁科がうなずく。

「金もブツも佐伯が隠したんだ。金森も知らない場所に! あいつも、俺たちと同じことをやろうとしている……」

 夏山もうなずいた。

「ヤツが来る前に、吐かせないとな」

 仁科が高木に命じる。

「館内の監視を強化しろ。金森が入ってこられないように、手を打て!」


           *


 陣内やナースの気配がなくなった。見張りもいなくなったようだ。

 一人きりになったのだ。

 陣内がいる間は、見張りの隙を見て情報を伝えてくれた。考えることしかできない私には、情報が欠かせない。犯人が人質を取って立てこもってから、そろそろ丸一日が過ぎるらしい。人質の数や状況はおおむね把握できた。この立てこもりはすでに全国的な事件に発展しているという……。

 最新の情報が知りたい。外の様子が知りたい。今、警察はどう動いているのか? SITやSATはどんな体制を敷いているのか? 

 署へ現状を伝えるメールは何度か送った。だが、届いているかどうかは分からない。届いていても、それが見られているかどうかも分からない。それでも、やるだけのことはした。

 病院の外は、今どうなっているんだ……?

 苛立ちが募る。

 小康状態に陥ってからは、するべきこともなくなった。無性に煙草が吸いたくなる。喫煙が脳梗塞の原因の一つだということは、陣内からしつこく聞かされた。最近は本数を減らそうと努力をしてきたつもりだ。だが、ヘビースモーカーと呼ばれ続けた男に、完全な禁煙は難しかった。

 もう、言い訳はできないな。もしも無事に事が終わったら、禁煙外来に通わなくてはならないだろう。たとえ生き延びられたところで、手持ち無沙汰な時間を煙草無しでどう過ごせば良いのか……。大して関心を持っていなかった音楽でも聞いて暮らすのか……。

 ふと思い出した。多恵は、iPodにはインターネットラジオが聞けるソフトも入っていると言っていた。

 使えるのだろうか?

 iPodを上げる。マイクをかたどったアイコンか? いや、これは録音用だと言っていたはずだ。あった、これだ。rの文字から電波が出ているようなアイコンだ。

 カメラを使ってドアを確認する。閉まっていた。部屋には誰もいない。アイコンを操作する……。

 と、突然、大音響でラジオがかかった。慌ててボリュームを探す。それらしいものが見えない。と、本体の横に出っ張りがあるのに気づいた。ボタンだ。押すたびに少しずつ音量が下がっていった。

 心臓が爆発するかと思ったが、犯人たちに気づかれはしなかった。かすかに聞き取れる程度に音を抑えて、iPodを耳に近づけた。

 どこの局でも、立てこもり事件の中継を行っている。事件は私が考えていた規模を遥かに超える様相を見せている。この病院は、今や日本全国の耳目を集めていたのだ。

 運良く、事件の発端から現在までをまとめて解説していた。ただ、犯人たちの要求はいまだに不明だと言う。

 私は、彼らが麻薬密造組織だと知っている。立てこもりは成り行きに過ぎない。要求などあるはずがない。にもかかわらず、ここまで事態を大きくした理由は、何かしらの偽装を行うためだろう。本来の犯罪から目を逸らせるためにも、テロリストを装うに違いない。少なくとも、脱出の際には何かしらの要求を突きつけてくる。

 奴らは次に、どんな手を打ってくるのか……?

 と、別の物音が聞こえた。ラジオのソフトを切る。

 物音は、ベランダから聞こえる。誰かが外から侵入しようとしているのか⁉

 金森だ! 

 私はiPodを身体の下に隠した。

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