安西は部下とともに、デイコーナーの片隅に陣取っていた。

 彼らの元に、道警本部の監察官室員が一人で現れた。

「安西君だね。本部の巽だ。佐伯剛の身辺を洗うことになったのは聞いているね。彼について知っていることを教えてほしい」

 安西が腰を浮かせて頭を下げる。

「どんなことをお知りになりたいのですか?」

 巽は、安西の横に腰をおろした。安西の部下にちらりと視線を送る。

「込み入った話だ」

 安西は部下に命じた。

「しばらくこのフロアを見回ってきなさい」

 部下がその場を立ち去ると、巽が声を落として続ける。

「署や自宅の証拠類は部下が精査している。私が知りたいのは人間性だ。佐伯は一言で言ってどんな男だ?」

 安西はしばらく黙って考えた。

 署員には確かに溶け込まない。安西も、個人的なことはほとんど知らない。なじめないというより、なじむことを拒否しているように感じる。本部での有能さは伝え聞いていたので、最初は所轄を見下しているのかと思った。だがそれは、自ら異動を願い出たという事実にそぐわない。

 過去に不祥事を起こしたという噂も聞いたことがある。しかし、その内容まで知ることはできなかった。だから転属当初は、人間性に問題があるのではないかと注視していた。

 問題などなかった。仕事の上では協調性も高く、勤務態度も熱心だ。現場に出ることを厭わず、些細な仕事にも真剣に取り組む。犯罪被害者のケアにも時間を惜しまず対応する。所轄の叩き上げよりも熱心に思えることも多かった。

 孤高、というのではない。だが、確かに何かを抱えている。

 確実に言えるのは、犯罪には最も縁がない人間に思えるということだ。

「本物の刑事――ですかね。だから、金森のパートナーに選んだんです」

「どういうことだ?」

「金森は若く、野心的な男です。上昇志向が強すぎるというか……犯罪被害者の気持ちより、自分の成績を上げることに熱心なところが目に余りました。地道で大きな成果が望めないような仕事を嫌い、手柄を独り占めするために情報を共有しないことも多々ありました。そのために捜査が混乱した事も多いのですが、何度言っても態度が改まらない。勤務態度を糾そうとすると、個人の優劣を競うことが結果的に警察の価値を高めると反論してくるような男でした。そんな時に佐伯が署に来ました。数ヶ月様子を見て、金森を本物の刑事に育てるには佐伯と組ませるのが一番だと判断しました。佐伯は押し付けがましい男ではありませんが、一緒に行動すれば刑事がどんな職業なのかを理解できますから」

「教官役に選んだのか? それほど信頼していたのか?」

「むしろ、私の方がお伺いしたい。佐伯は、なぜ自ら異動を望んだのですか? 本部で、何かあったのですか?」

 今度は巽が黙り込んだ。

 安西が食い下がる。

「過去に不祥事を起こした、と言う話を小耳に挟んだこともあるのですが……」

「根も葉もない噂だ。記録は過去にさかのぼって詳細に調べたが、佐伯の経歴には何の瑕疵もなかった……」

 歯切れの悪い口調だ。

 何かを知っていながら隠している雰囲気だ。監察が異動の理由を承知しているなら、内部犯罪がらみだという可能性も高い。

 佐伯は、上層部の不正隠しのために自ら進んで所轄に身を沈めようとしていたのかもしれない。だとするなら、深入りは禁物だ。警官である以上、組織には踏み込んではならない領域があることは承知している。

「そうですか……私も、佐伯の個人的なことはあまり知らんのです。署で一番付き合いが深かったのは金森ですが、コンビですから当然でしょう。ですが、金森を殺したとは到底思えません。他の署員と飲みに行った話も聞きませんから、金森以上に佐伯を知っている人間もいないと思います。……佐伯は、逮捕されますか?」

 巽は声を落とした。

「表沙汰にはしたくないが、金森君の発見が第一だ。死体が出れば、逮捕せざるを得ないだろう。だが、佐伯が何をしていたのかを探り出さないと公表もできない。道警に傷を付けるわけにはいかない」

 傷をつけないためには佐伯は切り捨てる、あるいは闇に葬れという命令にも聞こえた。

「佐伯が犯罪を犯しているなら、罰せられるのは当然です。何億という金の動きは尋常ではありませんから。何より、金森を殺したのなら許せません……」

 そうは言ったものの、気持ちは釈然としない。いずれにしても、金森を見付けなければ何があったかは解明できない。あるいは、佐伯が回復すれば――

 その時、廊下を小走りに走るナース――泉彩花が彼らに声をかけた

「警察の方……ですよね。今、佐伯さんが腕を動かしました」

 安西が腰を浮かせる。

「話せるのか⁉」

「それはまだ……先生の診察が終わったらまたお知らせします」

「頼む!」

 彩花はにっこり笑って立ち去った。

 巽がつぶやく。

「病室の管理を徹底してほしい。佐伯が妙な話を外に漏らすと困る。佐伯に関わる医者やナースは限定して、できる限り他の業務には付かせるな。シフトを変更させて、スタッフも外へは出さないように。こちらも多くの人命に関わる事だからと説明しろ。特別手当を出して病院上層部の了解を得なさい。金のことは私が上に掛け合う」

 安西はうなずいた。だが内心では、佐伯の回復を素直に喜べない自分を罵っていた。


           *


 右手に冷たさを感じる。金属か?

 多恵の声がする。

「父さん、持てる? iPodだよ。私がずっと前から使ってたやつ。見える?」

 何かを握った手を、多恵の手が包む。腕を上げてみる。視界に、手が入ってくる。多恵が、両手を離す……。何とか握れている。自分で呆れるほど弱々しいが、それでも握力は戻ってきているのだ。握っているのは、白いスマートフォンなようなもので……。

「分かる? 文字盤、指で触ってみて」

 画面の下半分にひらがなが並んでいる。親指を動かして、『あ』と書かれた場所に触れる。やや間を置いて上下左右にア行のひらがなが表示される。

「あ、できるんだね! そのまま指、離せる?」

 親指の先を画面から浮かしてみる。すると、画面上部のメモ用紙のような場所に『あ』が書き込まれた。

 文字が打ち込めるのか⁉ これなら会話ができる! 声が出せなくても、意志を伝えられる!

「今度は別の場所。そのまま指をずらして、出てきた文字に触れてから指を離して」

『か』に触れる。指を上にずらして『く』に触れると文字の下の色が青く変化する。そして指を離すと『く』が打ち込まれる。

 しかし、指が思うように動かせない。何でこんなに力が入らないんだ⁉ 思い通りにならない!

「父さん、できてるよ! 文字が打ててるよ! ゆっくりでいいから!」

 そう、ゆっくりでいいんだ……今はまだ……

 自分が興奮していることが分かった。心臓の鼓動が高まるのを、確かに感じる。

 焦るな……意思が伝えられるんだから……

 だが、一刻も早く私が持つ情報を教えなければ!

 金森を助けるために! 

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