第2章・ドラッグ ディーラー

 ススキノの外れの寂れたカラオケボックスに、四人が集まっていた。

 小柄で華奢な少女が、ステージでマイクを握りしめて叫んでいる。金色に脱色したショートヘアに付けた猫耳のヘアバンドは、アニメコスプレに夢中な高校生を思わせる。ヘアバンドからはイヤホンがのびて耳に付けたままになっていた。そのせいか、少女の歌は音程もリズムも、ひどく外れている。

 狭い室内の角のソファーでは三人の男が身を寄せていた。苫小牧港の倉庫で佐伯と遭遇した男たちだ。パトカーの出現で散り散りになる寸前に、次に集まる時間と場所だけを決めていたのだ。

 三人とも、〝リーダー〟から脅迫されて組織に加担した身だった。脅しのネタと証拠は今も、名前も素性も分からないリーダーの手の中にある。その脅威を取り除くためには、力を合わせるしかなかった。

 組織の全貌を知っているのは、彼らを操ってきたリーダーだけだ。互いの情報を付き合わせなければ、リーダーの実像が浮かんでこない。実体がない相手には、近づきようないのだ。

 三人はようやくまともな自己紹介を終えたばかりで、互いのことはほとんど知らない。

 カラオケの大音響に逆らいながら、ヤクザにしか見えない男、夏山光輝が叫んだ。

「なんだってあんな小娘連れてきやがったんだ⁉」

 サラリーマン風の仁科翔太が応える。

「男だけより、自然だろうが。誰かが歌ってなけりゃ、怪しまれる」

「あのガキ、ヤクのことは知ってるのか?」

「まさか。ただのノラ猫だよ。都合がいいから、餌やってるだけだ」

「公衆便所、か?」ヤクザがニヤニヤ笑う。「年はいくつだ?」

「二十五とか言ってたかな」

「なんだよ、そんな年増か。名前は?」

「サオリ」

「ふーん、まいいか、見た目は悪くない。後で相手してやるか」

「ノラ猫だぜ」仁科は、喉の奥で笑った。「爪は鋭い」

 三人が直接顔を合わせたのは、苫小牧港の倉庫が初めてだった。リーダーが、『指定の倉庫に集まれと〝ボス〟からの指示があった』と伝えてきたのだ。組織の構成員がこの三人である事も、リーダーの上に〝ボス〟がいることも、その時初めて知らされた。だから彼らは、倉庫に現れた佐伯を〝ボス〟だと判断した。だが、その後の展開を考えると、明らかに間違いだ。

 新聞、テレビやネットの報道は血眼になって調べたが、公になっている事実は多くない。それでも、爆発に巻き込まれた警官が病院に運ばれたことは確認できた。倉庫に現れたのが刑事だったことは間違いない。だが、銃声らしい物音は何だったのか、間髪を入れずにパトカーがやって来られた理由は分からない。

 リーダーが罠を仕掛けて来た可能性があった。

 おそらく、自分たちを切り捨てようとしている。疑問を解決しなければ、身が守れない――それが、三人共通の恐れだった。

 真ん中に挟まれたオタク――高木宏はテーブルのフライドポテトをつまみながら、視線を少女の太ももに注いでいた。ボタンを外した真っ赤なコートの下は、アイドル並みのミニスカートに生脚だ。

 ヤクザがオタクを肘でつつく。

「女は好きにしろや。ただし、俺の後だ。やっちまえる根性があるなら、だけどな。でよ、お前の役目は何だったんだ?」

 オタクは、ヤクザに視線を合わせようとしないままつぶやく。

「ネット販売……」

「あぁ⁉ 声が小さくて聞こえねえ!」

 首をすくめたオタクが、高い声を上げる。

「ネットでミンタブ売ってたんです!」

「お前みたいなふやけたヤツがか?」

「ネット上の痕跡を消す技をいろいろ使えるからだと思います。ヤバいサイトとも繫がりがあるし……」

「なんでリーダーに目を付けられた?」

「退屈だったから……ショッピングモールに『爆弾仕掛けた』って脅迫メール送ったんだけど、そこが休業に追い込まれて、でも警察には痕跡がたどれなくて……」

 仁科が話に加わる。

「ハッカーなのか?」

「まあ……」

「腕は?」

 高木の細い目の中で自信が煌めく。

「仲間内では、一番」

「なら、なぜ捕まった?」

「警察に調べられて、僕じゃないかってハンドルネームをチクったヤツがいるんです。で、やっと僕が犯人だって分かりかけた時に、リーダーが来て『逃げろ』って警告してくれたんです。それで捕まらずに済んだんだけど、結局そのことで脅されて……。バレたら何億円も賠償金払わされるって……僕だって、クスリなんかに関わりたくなかったんだ……」

 仁科が問う。

「ハンドルネームは何だ?」

 高木は首をすくめてつぶやく。

「……ドラゴンスレイヤー」

 見た目に似合わない名を笑われると思ったのだ。だが、仁科は真剣だった。

「ありふれてるな」

「ネトゲならね。でも、ハッカーとしてそれを名乗ったら、腕自慢が群がりますよ。フルボッコにされて、30秒で化けの皮をはがされます」

「ふうん……なるほどな」

 仁科はうなずいて身を引いた。

 ヤクザが自己紹介するように言う。

「俺は対面販売担当だ。元々組のヤクをさばいてた。リーダーが情報流してくれたんで売人の手入れは避けられたが、結局ミンタブ売らされる羽目になった。勝手にヤクを扱ったのを組に気づかれたら、確実に絞められる。なじみの客に、『仕入れが少ないから他のヤツには絶対話すな』と念を押してチマチマ売ってきたんだ。ずっと綱渡りだった。……っていうと、てめえはネットで買ってる奴のリスト、持ってんだな?」

 高木がうなずく。

「そりゃ、あるけど……並みのスキルじゃ探し出せないところに、隠してあります」

 仁科の目が夏山に向かう。

「あんたもリストがあるんだろう? それって、リーダーには教えてるのか?」

「リストの中身は教えてねえ。俺が、郵送されてきたブツをさばく。上がりの10パーセントが取り分だ。残りは決まった口座に振り込む」

「少ないな」

「したかねえ。リーダーにはキンタマ掴まれてるからな。オタクも10パーか?」

 高木がうなずく。

「売値はひと粒1000円で、僕の取り分は月に50万円ぐらいかな……お客には一応口止めはしてるけど、ネットはその辺、ユルいから……」

 仁科が何かに気づいたような表情を見せた。高木に問う。

「おまえ、月に何キロさばく?」

「1キロにも全然届かないけど」

 仁科の怪訝そうな視線が夏山にも向かう。

「あんたは?」

「同じぐらいだな。儲けも変わらねえ。そこそこの稼ぎにはなるんだが、組には睨まれたくねえから、派手にもできない」

「全然計算が合わない。俺が加工してリーダーに渡すのは月に10キロ以上だぞ。しかも、俺は二年間製造を続けている。200キロぐらいは余ってることになる」

「なんだと⁉」夏山が叫ぶ。「じゃあ、他にもさばいてる奴がいるのか?」

 仁科が応える。

「だったら、お前の世界じゃ噂になるんじゃないのか? おそらく、ブツ自体を溜め込んでいるな……。しかも、そんな値が付いていたとは知らなかった。原価はバカ安だぞ」

「あれな、引きが強いんだ。持っててもフリスクと見分けがつかないし、舌に隠して舐めてるだけで〝イケる〟。一粒で分けられるから、ガキでも買えるしな」

「ひと粒0・15gが1000円として……」仁科が口に中でぶつぶつ言いながら計算を始める。結果はすぐに出た。「だぶついた量を直に売ったら、軽く10億は超える。……なるほど、読めて来た。オタクがネットで全国的な噂を広める。お前が組のシマで現物をさばく。当然、日本中の組がミンタブに興味を引かれる。噂が充分に広まったところで、一番高い値をつけた組に在庫を卸す……か。量が決まってるミンタブの値段を吊り上げるには賢いやり方だな」

「実際、噂はあっちこっちで聞くようになった。ここで供給を止めれば、末端の値が跳ね上がる。持っててもバレないっていうのはものすごいウリだからな。今でも一ケース5万、一ダースで60万だ。噂は広まる一方だから、末端価格はこれから跳ね上がる。うまく立ち回れば、10億が50億になることだってある」

「50億って……!」高木が身を乗り出す。「あれって、ほんとにもう作れないの⁉ お宅、化学者なんでしょう⁉」

 仁科は首を横に振った。

「麻薬成分はa―PVPといって、危険ドラッグから抽出したありふれたものだ。だが、舌下での吸収性を爆発的に高める薬品が切れた。どっちみち、長くは続かなかったのさ。前の会社で、別のチームが研究していた試作品だったんだ。どこかに売れないかと思って辞める時にかっさらってきたんだが、もう手に入らない。貼り付けパッチタイプの抗鬱薬の極秘研究でできたサンプルだったが、化学構造も調べられなかった。だが、鬱病の薬が皮膚から吸収できるなら、麻薬が取り込めてもおかしくないと気づいた。で、十分薄めてミンタブに混ぜてみた。街で拾ったジャンキーに試したら、一瞬で昇天だ。一粒なら効果が切れるのも速いが、大量に摂取すればどこまでもぶっ飛べる。あれがなければ、ミンタブは気が抜けたコーラみたいになっちまう。だから、工房も処分した。だがな、1億ぐらい注ぎ込めば前の会社から情報を抜けるかもしれない。まだツテも残ってるしな」

 夏山が目を輝かせる。

「工房って、再開できるのか? 今までどこで作ってたんだ?」

「勇払に置いたトレーラーハウスだ。金があれば別の場所で簡単に出直せる」

「そしたら、またいくらでも作れるってことか……。見逃せない話だな。だが、そもそもリーダーは何で俺たちを集めたんだ? ボスが会いたいっていう話だったがよ」 

「おれも聞いたが、答えなかった。勘だが、警察の包囲が迫って来たんじゃないのか?」

「リーダー自身がヤバい……ってことか。ってことは、やっぱり俺たちを処分しようとしたのかもな。ところでお前、あいつの素性を知ってるか? 俺によこす情報は本物だったから、サツだってことは確かだろうが、どこの署のヤツだか、いまだにつかめねえ」

「俺もだ。会ったのは一度きりで、最初にガッツリ脅された時だけだ。サングラスにマスクで顔もろくに分からなかった。警察の内部資料は見せられたが、名乗らないし手帳も出さなかったから、本当にサツかどうかも分かったもんじゃない。あの倉庫に呼ばれたのも初めてだ。いきなり、鍵と地図が送られて来た。サツなら、たぶんあそこの所轄だと思う」

 夏山がうなずく。

「俺も、いつもは郵便で指示を受けてた」そして、高木の顔を伺う。「お前も同じだってことだな」

「そうだよ……eメールだと、サーバとかに痕跡が残るからって……。受け取ったレターパックはすぐシュレッダーにかけたし」

 夏山は仁科の目を見た。

「ところで、おまえ、そもそも何でミンタブ作り始めたんだ?」

「会社じゃ医薬品の開発をしていたが、手柄の奪い合いや学閥だ派閥だっていう諍いにうんざりしてな。業績を上げられなくて営業に飛ばされた奴らの惨めさも見せつけられてきた。辞めてから、収入源が欲しくて覚醒剤を作ってみた。最初の実験でサツに踏み込まれるところを、リーダーに救われた。代わりに首根っこをつかまれたがね。それから、方向を変えてミンタブに行き着いたんだ。成り行きはお前らと大して変わらない」

 女の歌が終わり、次の曲のイントロがかかる。バラードだ。

 夏山が声を落として言った。

「念を押しとくが、二人ともリーダーの正体や居場所は知らねえんだな? 奴と組んで俺をだまそうなんて企んでたなら、ただじゃおかねえぞ」

 仁科がため息をつく。

「だったら、こんな場所にのこのこ出てくるか。お前のネタをサツにチクれば一発で息の根を止められるんだぞ。金もブツも、リーダーとボスが押さえているようだ。2億ちょっとの現金と10億円のブツだ……。どうする?」

 成り行きを察した高木が、怯えたような表情で言う。

「どうする、って……?」

 夏山はにやりと笑った。

「奪い取る」

 仁科がうなずく。

「だよな。リーダーに弱みを握られてることは確かだが、これだけの大金は放っておけない。それを投資すれば、ミンタブ製造も再開できるだろうしな。奴は十中八九、現職の警官だろう。だったら、ボスも警官だと考えるのが自然だ。警官がヤクの密造を仕切ってたとなったら、ただ事じゃ済まない。証拠を握れりゃ大逆転だ。やるか?」

 夏山に迷いはない。

「おう。いつかはデカイ花火をぶち上げよう思ってたんだ。案外、運が向いてきたのかもしれないな。兵隊も、都合できるぜ」

 高木の目にはまぎれもない恐怖がある。

「僕は……」

 夏山は爬虫類を思わせる細い目で、冷たい視線を高木に浴びせた。

「抜けられねえぜ。もう、どっぷりはまってんだからな。今さら逃げても罪は消えねえ。それとも、俺らにリストを渡して石狩湾に沈むか?」

 仁科もにやりと笑った。

「倉庫に現れたヤツは刑事だ。あいつがボスだって可能性も、まだ捨てきれない。まずは病院を調べに行くしかないだろう。たとえボスじゃなくても、他に手がかりがないんだからな」

「だがよ、まだ警官がうろついているんじゃないか? 確証もないのに、そんな場所には顔を出したくねえな」

「大丈夫。疑いを持たせずに調べにいける人間がいる」

 そう言った仁科が、マイクを握りしめた猫耳の少女を指差す。

 女は、調子はずれの声でバラードを歌い始めた。

 夏山がうなずく。

「なるほどな。じゃあ、今のうちに手なずけておくか」

 夏山は唐突に席を立って、恍惚とした表情でマイクを握る女に近づく。耳のイヤフォンを抜いて囁いた。

「今晩、付き合えや」

 女は、マイクを通した大音量で答えた。

「あんた、ニンニク臭い!」夏山を見ようともしなかった。「臭い男、大っ嫌い!」


           *


 分かる。多恵の手をしっかり握っているのを感じる。温かさを感じる。

 一度、二度、三度……指先に力が入っているのが分かる。

 多恵がこっちを見ているのも分かる。

 私が指を握っていることを感じているようだ。

 顔を見たい。だが、首が回せない……。

 多恵……泣いているのか……? すまない……。

 だが、大丈夫だ。私は、必ず戻る。一刻も早く戻って、やらなければならない事がある。

 陣内と名乗った医師は、私の状態を正確に理解している。身体は動かせなくとも、頭が正常に働いている事を知っている。だから、私が倒れた時の状況を詳しく話してくれた。

 現場にあった大量の血液が金森のDNAと一致したこと。爆発が起こるようにボイラーに仕掛けがされていたこと。外で起こった銃声や爆発が、何のためだったかは今だに分からないこと……。

 金森の命が危ない。考えたくはないが、すでに殺されているかもしれない。だが、助けなければならない。早く戻って、彼らが何者だったかを明らかにしなければならない。

 それができるのは、彼らを追い、彼らの顔をはっきり目撃している私だけだ。

 よりによって、なぜこんな時に脳梗塞なんか……。

 健康には、もっと気を配るべきだったんだな……。

 だが、起こってしまったことは悔やんでも変えられない。私が回復する以外に金森を助ける方法はない。戻らなければならないんだ……。戻ってみせる……。必ず……。

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