六階の脳外科病棟、ナースの控え室では佐伯親子が話題になっていた。

 長身で整った顔立ちの泉彩花は、テーブルの煎餅の袋を破きながら言った。

「娘さん、まだショックから立ち直れないみたいね。一晩中、眠ってないんでしょう?」

 私服に着替え終えた中里美緒が、椅子に腰を下ろしてうなずく。シフトが揃う事が多い彩花とは対照的に、美緒は背が低く太めだ。だが、『スターウォーズのロボットコンビみたいだね』とからかわれても、けらけらと笑っていられるほど性格はおおらかだ。

「そりゃそうよ。この先、一生動けないかもしれないんだから。たった一晩で元気になれって、ムリ。あの子、妹に雰囲気が似てるんだよね。他人に思えなくてさ……」

「当分ICUから出られないのかな……? せめて個室で水入らずにさせてあげたいな」 

 そう言った彩花が、煎餅をほおばる。

 二人は、交代でICUの手助けに駆り出されていたのだ。これまではあまりないことだった。佐伯が運び込まれてから、ナースの配置が微妙に変化している。

「搬入から一日しか経ってないからね。陣内先生も警察とやり合ったみたい。血栓溶解薬を使ったばっかりだからICUで様子を見なきゃいけないのに、警察が個室に入れろって急かすんだって。でも、容態は安定してるから、そろそろじゃない」

「あ、そういえば、『総理室』にバイタルサインモニター運び込んでたわよね。あそこに入るんだ! あの部屋、患者が入るの久々よね」

「佐伯さんって、VIPなのかしら……? でも、そうだよね。わざわざ脳外のナースをヘルプに行かせるぐらいなんだから」

「だよね……。あ、そうだ、ミオちゃんのとこ、新聞記者が来なかった?」

「アヤちゃんのとこも⁉ 出勤するとき、アパートの前で待ち伏せされた。テレビの人みたいだったけど。マスコミに近づくなって言われてなかったら、なんかしゃべっちゃったかも……って、別に何にも知らないくせにね」

「そうでもないよ、わたしたち」彩花の目つきは真剣だ。「ICUの様子も見てるしね。わたしね、病院の出入りが玄関だけに制限されたこと、うっかり話しちゃったんだ。そしたら思いっきり食いついてきてさ。怖くなって逃げたけど」

「そういえば、私も秘密知ってる!」

「なになに⁉」

「佐伯さん、別居中だったんだって」美緒も身を乗り出し、煎餅に手を伸ばす「ICUから戻るとき、刑事さんの話、聞いちゃった」

「やだ、盗み聞き?」

「わざとじゃないわよ。マスコミには異常に気を使ってるくせに、大きな声で電話してるんだもの」

「だから娘さんしか来てないんだね」

「佐伯さんって、なんだかすっごい事件に巻き込まれたらしいわよ。こんな騒ぎになってるのは、そのせい」

「巻き込まれたって……刑事さんでしょう? 事件に関わってて当たり前じゃない」

「そうじゃなくて、人が死んでるみたいなの。DNA鑑定の結果が出たって言って、みんな大騒ぎしてた」美緒はそこで声を落としてた。「仲間の刑事さんが殺されてるみたい」

「うっそー。こわい……」彩花がつぶやく。「佐伯さん、ただの脳梗塞じゃないの?」

「搬入時は、血だらけ……わたし、ERに搬入されるの偶然見ちゃったんだ。着てたジャケットが血でぐっしょりだった」

「じゃあ、殺されかけたの⁉」

「爆発に巻き込まれたって聞いた。だから外傷患者だと思ってたけど」

「佐伯さんは外傷なしだったから、他の刑事さんの血ってこと……?」

「それなら、あんなに警官がいるもの分かるか」

「そうよね。入れ替わりたち変わりで、廊下が満杯だもの。マスコミ対策にしては大げさすぎると思ってた」

「ほんと、邪魔。エレベーターホールにも階段にも警官が立ってるし、偉そうな人が携帯ブースに居座って指示出してるし。『ここは現場じゃありません!』って叫びたいわよ。ICUの業務妨害よね」

「でも、ホントに刑事が殺されてるのかな? なんか、映画みたいじゃない」

「だって『総理室』がオープンするんでしょう? それだけでも事件じゃない?」

「それもそうだけど……あれ?」彩花が首を傾げる。「でも、誰かが殺されたんだったら、なんでみんな佐伯さんの事ばかり気にしてるの? そりゃ仲間は心配だろうけど、わたしたちが看てるんだし、犯人探しにいけばいいのに」

「だよね。なのに、どんどん人が増えてる感じだよ」

「佐伯さんが何か目撃してないか、知りたいのかな……? 意識が戻れば話が聞けるだろうし……」

「だからって、あんなにたくさんいなくてもいいんじゃない?」

「佐伯さんが殺したって疑われてる……とか?」

「まさか……」

「でもそれなら、マスコミに神経質になるのが当然じゃない」

「うっそぉ……あぁ、記者に変なことしゃべらなくてよかった……。でもまあ、わたしたちは患者さんを看るだけだからね。ちゃんとした指示が来るまで、じたばたしても仕方ないよね」

「それもそうだね。ねえねえ、アヤちゃん、あとで気分転換にカラオケ行かない?」

「おー、いいね!」

「誰か連れてこられる?」

「男? 二、三人当ってみようか?」

「イケメン選んでね!」


           *


 目の前で明かりが点滅している。いや、照明が流れている。

 下から上へ……。

 天井が動いている。廊下を移動しているようだ。

 そう言えば、周囲の騒がしさがなくなっている。

 場所を移されるのか。

 少しは物が考えられるようだな……だが、インフルエンザの高熱でうなされた時のような感じだ……

 眠い。

 たぶん、薬品を入れられているせいだろう。

 身体が揺れる。揺れていることは分かる。ナースに身体に触れられれば、それも感じられる。

 なのに、動こうとしても力が入らない。

 何なんだ、これは…… 

 だめだ……やっぱり考えがまとまらない……

 眠い……

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