第71話 久しぶりのタロット占い

 翌日、なんとはなしに一度、図書館の最奥へ行ってしまった。


 外から入り込む陽射しは、もう誰も照らしてはいない。寒々しい床だけがそこにはあって、もう彼はこの学園にいないんだと改めて思う。


 あちらも後期の授業がもうすぐ始まるはず。私も……感傷に浸っていないで頑張らないと。


 気持ちに区切りをつけて、予定通り一人で中庭のベンチにのんびりと座ってみる。


 頑張らないと、と思った直後に勉強ではなくここにいるのはどうなのかと思ったけれど、気分転換できる何かがほしかった。


 図書館で詩集も借りてきた。

 金の曜日の夜にいつも渡されるヨハンからの手紙に、返事を書いたことがない。さすがに酷いかなと、甘すぎず気の利いたこっ恥ずかしくないフレーズでもあればと思ったのだけど……。


 ヨハンの恋人が一人中庭に佇みながら、恋の詩集を読む――というのは、はたから見るとどうなのだろう。

 もしかして、何かに浸っちゃってる人?

 ちょっと痛々しい?

 色ボケしているように見える?


 ……やめよう。


 詩集を閉じたところで、声をかけられた。


「ライラ様、今……よろしいですか?」


 ホルヴィッツ伯爵家のご息女、シルフィだ。

 長くて淡い金髪の、おとなしそうな女の子。母がお茶会に連れてきたことがある。


「あら、シルフィさん。ごきげんよう。お久しぶりですわね。よろしくてよ、隣へどうぞ」


 一人なのね……。

 ゲームとは違って取り巻きは発生しないのかしら。


「は、はい。ありがとうございます。学園でも何度も拝見していましたわ。話しかけたかったのですけど……今日はヨハネス様とは一緒ではないのですか?」

「ええ、公務で戻っていますの。暇をしていたから、お話できて嬉しいですわ」

「ライラ様にそんなふうに言ってもらえるなんて、感激です」


 学園での皆との会話に慣れすぎて、当たり前のこの口調が疲れるわね。この世界に来た時は楽しかったんだけどなぁ。


「ライラ様はいつもヨハネス様の他にも見目麗しい方が側にいらして、まるで別世界に住んでいらっしゃるように感じていましたの」


 ……ジェラルドのことかしら。

 談話室で毎日のように話していたから、見られていたのかもしれない。


「一人は交換留学生でしたので、国に戻ってしまいましたわ。銀髪の、三年生の方ですわ。寂しいですけど、仕方ありませんわね」

「あら、そうだったのですね。他にも殿方が二人、よく側にいらっしゃいますわよね」


 ……探られている?

 なんか……気持ち悪いな。


「ええ、いますわ」

「同じ学科のメルルさんという方とも……」

「ええ、その方とも仲よくしています」


 あー、目的が分からなくてイライラする。

 私と軽く親しくなっておきたいとかじゃないの?


「その……メルルさんは、どちらかの殿方と、こ、恋人同士だったりはするのでしょうか」

「……分かりませんわね。個人のそういった領域には、踏み込まないようにしていますわ」

「あ、あの、前に騎士のリック様に、親切にしていただいたことがありまして……」


 目が泳ぎだした。

 頬も紅潮し始めてきている。

 これは、もしかしてもしかすると……!

 リックが好きなのね!!!


 いきなり全身の毛穴が開いたように、やる気が出てきた。


「ええ、リックとは幼い頃からの知り合いですの。弟の友人と言ったほうが正しいかもしれませんわ。とても礼儀正しく、優しくて誠実な人柄ですわ」

「そうなんです! 私が食堂で水をこぼしてしまった時に、近くにいたというだけで片付けを手伝ってくれましたの」

「リックらしいですわね。ええ、そういう方よ、昔から」


 これは……恋をしている目だ!

 可愛い!

 応援したくなってきた!

 彼女に婚約者はいなかったはず……いける!


「それで、話しかけたいと思ってはいたのですが、メルルさんと恋人だったらと……」

「大丈夫ですわ、リックなら大丈夫です。どんどん話しかけてもよろしいですわ」

「あ、それではメルルさんはもう一人の……」

「それは、私の口からは言えませんわ」


 否定していないし、完全に言っているようなものよね。

 はー、でもいいわよねー。

 話しかけてもいいのかどうかなんて、青春そのものじゃない!


「一度、リック様がベンチで寝ているところにも遭遇したことがありますの。髪に葉っぱがついていて気になって……」


 それ、メルルとリックの出会いイベントじゃない。


「どうしようか悩んでいたら、通りがかったメルルさんが『取ってあげてください』って。『怒るような方じゃないので大丈夫ですよ』と言ってくださって。私がリック様をずっと見ていることに、気付いたからだと思うのですけど」


 メルル、なに出会いイベントを破壊しているのよ……。入学式当日に出会っているから、必要はなかったのかもしれないけれど。


「それで、仲がいいんだな、と。でもそんなふうに言うってことは恋人ではないのかなと思ったり、あれから時間も経っているからどうなのかなと、もやもやして……」


 青春ね、青春だわ、なんという青春。


「葉っぱは、取ってあげましたの?」

「は、はい。起こしてしまいましたけど、ありがとうって言ってくださいました」


 こっちでフラグが立っているわね。


「それで、もっとお話したいと思いが募っているのですが、話題も思い付かなくて。ライラ様ならその……教えていただけるかなと厚かましいことを、その、思ってしまい……」

「……そうですわね。ダンスの授業では苦労しているはずですわ。寮の裏かどこかで一緒に練習ができるくらいに親しくなれるといいですわね。ダンスの授業は取りまして?」

「は、はい。でも、ペアはいつもメルルさんなので、もしかして、と」

「ああ、それはメルルに変な虫がつかないようにと私が頼んだのですわ。個人的に二人で練習などはしません。後期にセオドアがダンスを取ってくれてさえいれば、リックは空くのだけど……」


 あ、もうめちゃくちゃ言ってるわね、私。

 駄目駄目だわ。


「そうね……他にも同じ授業を何か取っていれば、ここが苦手で、とか言ってみたらどうかしら。そのついでにリックの苦手な科目を聞けば、きっとダンスの話になりますわ。それから……そうね、猫が好きよ。その話もきっと広がりますわ。あとは……剣舞部に入っているから、学園祭での話をしてみるのも、いいかもしれませんわね」


 熱が入りすぎたかしら。

 アドバイスをしすぎ?


「そ、そんなにたくさん教えていただけるなんて嬉しいです。ライラ様は、とてもお優しい方ですね。まるで女神様です」


 ……まぁ、好きな男の情報が手に入れば、そう思うのも無理はないか。

 ごめんリック……個人情報をべらべらしゃべっちゃったわ。


「ありがとう。応援していますわ」

「ありがとうございます! ただ……最初に話しかけるのにも勇気が必要で……」

「ふふっ、そうですわねー……」


 恋をしている女の子は可愛いわね。

 私と話しているようで、頭の中はリックに占められていることが分かる。


「特別サービスで、占ってあげちゃおうかしら」

「占い……ですか?」

「ええ、そう。大して当たらない、ちょっとした人生のアドバイスみたいなもの。あ、私が占いをしていることは内緒にしてくださる?」

「は、はい。ぜひ、ぜひぜひぜひ、お願いします!」


 女の子って占いが好きよねー。

 学園に入ってからずっとヨハンがお願いしてこないから、久しぶりに占いたくなってしまった。

 さっと鞄の中からタロットカードを取り出した。


「なんて美しい……」


 そうでしょうとも。


 私たちは中庭の机のある場所へ移動すると、クロスの上でシャッフルとカットをし、裏向きで扇形に並べた。


「好きなカードを一枚、選んでくださる?」

「え、えっと、それではこれで」

「それは『節制』の正位置ね。天使が二つの杯の生命の水を移しかえているわ。一つは理性、一つは感情よ。あなたはどちらにも偏らず、バランスが取れているということ。でも、少し内気になっているわ。感情を抑えすぎているの。理性と感情のバランスに気を付けながらも勇気を出してと、このカードも教えてくれているのですわ」

「す、すごい……」


 そんな、神様を崇めるような目で見られましても……占ったのは駄目だったかな。

 でも、時は戻せないし。


「ライラ様、私の友人で、もう一人だけ恋に悩んでいる方がいるのです。占ってさしあげてはくれませんか?」


 うん、まずった。

 まずった気がする。

 女の子の占い好きの激しさを忘れていたわ。


「土の曜日の午前中だけに限定させていただくわ。一人だけならよろしくてよ。占いをしていることは口外なさらずにと伝えておいて。来週、こちらでお待ちしていますわ」

「ありがとうございます、ライラ様」


 友達がまた友達を……と、なりませんように。

 嫌な予感がしつつ、自室に戻った。


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