第66話 ジェラルドと最後のボードゲーム
テスト週間開けの日の曜日――あのダンスの翌日から、毎日皆でゲームをした。夏季休暇までの平日は、定期試験の予備日であったり追試験日であったりするからだ。
驚いたのは、ジェラルドの開始早々の発言だ。
『あ、リックだけ知らないんだったね! 可哀想だから教えてあげるよ。僕はライラちゃんが好きなんだ』
と、いきなりジェラルドが言ってのけた。
もう終わりが近づいているからと、完全に開き直っている。
『え……ああ、俺も好きですよ、ライラさんのこと』
と、どう反応していいか迷いつつ答えたリックに、
『違う違う! そういう好きじゃないんだよ。ライラちゃんにあれやこれや不埒なことをしたいなーっていう種類の好きだよ。振られたけどね!』
と、それはもう、清々しく言っていた。
どういう顔をしてろっていうのよ……私に。
リックも固まっていた。可哀想に。
ヨハンに至っては、どこかの司令官のように机に肘を立てて両手を口元で組みながら「あと六日、あと六日、あと六日の我慢だ……」と呟いていた。
彼には我慢をさせっぱなしだと思う。どこかでフォローしなくては……。
今日は、ジェラルドと遊ぶ委員会の最終日だ。明日は学園外に皆で出かけ、明後日の早朝に彼はこの学園を発つ。
「もう、日が傾いてきたわね……次はどのゲームにする? 最後になりそうだし、ジェラルドが選んでいいわよ」
そう言って、彼に選んでもらったラストゲームは『ブラフ』だ。ボードゲームの中で、一番気に入ったらしい。
これなら時間的に二回はできそうだ。
カップの中にそれぞれ五つずつダイスを入れて振り、他の人には見えないようにダイスの目を確認する。
それからは、「【2】が十個」といったふうに、全員のダイスを合わせてどの目が何個以上出ているかを予想していくゲームだ。
ボードの上に数の書いてあるマスがあり、【2】が十個以上と予想するなら、青いダイスの目を【2】に合わせ【10】のマスに置く。
次の手番の人は、前の人の予想を下回ることができない。
ダイスの目の数を上げるか、多い個数を予想しなくてはならず、「そんなにあるわけがないだろう」と思えば「ブラフ」と言って全員がカップを開けて確認する。本来のルールでは「ブラフ」ではなく「チャレンジ」だった気はするけれど、音の響きがいいから「ブラフ」としていた。
予想した数がなかった場合、つまりブラフだった場合は予想を外した前の手番の人が、差分だけのダイスを没収される。逆にブラフでなかった場合は「ブラフ」と言った人が間違えたということなので、その人が差分を没収。
ぴったりなら予想した人以外全員が、一個だけダイスを没収だ。
ダイスは【6】の目の代わりに【☆】のマークが彫られ、ジョーカーのようにどの目の役割も持つので、目の出る確率は三分の一まで増える。ボードにも【☆】の予想数のマスもある。
「じゃ、せっかくだし『ブラフ』は、今日でおしまいのジェラルドからにしましょうか」
「酷いなー、ライラちゃん。最後なんだから、もっと言い方をサービスしてよ。一番格好よくて輝いているジェラルドからね、とか言われたら僕、嬉しくて踊っちゃうよー?」
「踊らなくていいから、どうぞ」
ジェラルドはもう、ずっとこんな感じだ。
彼らしいなと思っている。
……やや対応に困るけど。
「それなら【1】が十三個あると思うね!」
「それは盛りすぎなんじゃないのか……」
セオドアが突っ込む。
最初からノリノリね。
うーん、私のカップには【1】が一つしかないのよね。でも、【☆】も一つある。
どうかなー。
「そして、じゃん! カップの中身はこれだよ」
このゲーム、手番では次の人を迷わせるためにカップの中身を見せることも、一個以上のダイスを外に出して振り直しもできる。
「なんと【1】が二つで【☆】が二つ、残り一個は振り直しまーす。はいどうぞ、セオドア」
「うーん、兄上だけで【1】が四つってことか……よし、【3】に上げよう。【3】が十三個だ。世界は【1】ではなく、【3】でできているはずだ……」
「あれ、セオドア。振り直ししないの?」
「ああ、しない。だが、私のカップの中は【3】が制圧していると明言しておこう」
セオドアもこんな感じで、どのボードゲームも楽しんでくれている。
「そうかなぁ、世界は【3】かなぁ。私は【5】でできている気がします~。【5】を二つ出して振り直しますね。はい、どうぞ」
「え、ちょっと待ってくださいよ。実は皆、バラバラなんじゃないですか? いやーでも【☆】があるからなー。いや、どうしようかなー」
「リック、優柔不断は騎士らしくないわよ。ちなみに、あなたの言葉によってはブラフって言わせてもらうわ」
「えー、ブラフ宣言やめてくださいよー。もっと迷わせてるじゃないですか」
「セオドアが大嘘をついている可能性もあるわよ」
「うー、いやー……どうしよう」
最終日も、いつもと同じように過ぎていく。
なんてことはない、ありふれた午後のひと時で。それなのに……もう二度と手に入らない最後の時間だ。
「まさか、ヨハネスと一騎討ちになるとはね! これはもう、ライラちゃんを賭けるしかないね!」
「賭けないよ、渡すわけがないだろう。それにお前、ダイスが一個じゃないか。二個も残っている僕に、なんでそんなに勝つ気でいるんだ」
なんだかんだで、ヨハンVSジェラルドになってしまった。他のメンバーは全員ダイスを没収され、戦線離脱した。
最終日に一騎討ちでヨハンに負けるのは、可哀想な気もするけれど……。
「僕の予想は【2】が一個。さぁ、どうする?」
ジェラルドが挑戦的に笑う。
「出目が悪いな。嘘か本当か……。【5】が一個と予想しよう」
「ふぅん。ヨハネスのカップには【5】があるってことだね。それなら僕は【5】が二個だ」
「くっそ。その中、【☆】だろ」
「さぁね。どうする?」
「数字を吊り上げてもブラフって言われるだけだし、ブラフって言えばぴったりで削られるし、どっちにしろ駄目じゃないか」
「ふふん」
そうなのよねー、このゲーム。
次の人が「ぴったり」だと思っても、どうにもできない。
「仕方ないな。【5】が三個で、振り直すよ」
そう言って、【5】を外に出して一つだけのダイスを振り直した。
「はい、ブラフ」
「チッ。中は【3】だ。僕のが一個なくなるな」
完全にダイスの数すら、一対一だ。
「次は僕の番だね。【5】が一個」
「お前はここで嘘をつく男だ。ブラフだな」
「あー! 見破られたー!」
勝利の女神は、ヨハンに微笑んだようだ。
半年間、皆で一緒にたくさんのボードゲームをした。勝ったり負けたりを、たくさん楽しんだ。普段なら言えない言葉も、ゲームの中でなら言えた。
きっと何年経ったって、このメンバーが集まりさえすれば同じ時間を過ごすことができる。
でもそれが……、難しい。
「まだ時間はあるわね。最後の一回、する? ジェラルド」
「ああ、もちろんさ!」
「それじゃ、次はセオドアからね」
私たちとの、かけがえのない時間が終わっていく。
皆のダイスが少しずつ、なくなっていく。
「セオドアさん、それはさすがにブラフです」
「……言われてしまったか」
ゲームが終わってしまう。
勝敗がついてしまう。
「嘘ついているよね。ブラフで」
「リックさん、意地悪しないで〜」
皆も分かっている。
ダイスがなくなれば、終わりだって。
「はい、ブラフよ。リック」
「信じる心が大事なんですよ、ライラさん」
終わりたくない。
なのに……。
「ライラ、それはないな。ブラフ」
「容赦ないわね」
少しずつ少しずつ、確実になくなって。
「ヨハネスの嘘はお見通しさ。ブラフ!」
「それはどうかな」
軽口を言いながら、皆だんだんと鼻声になって……。
「ブラフだ、兄上」
「ぶーぶー。兄への尊敬の念が、足りないんじゃないの」
皆のカップにはもう、ほとんどダイスが……ない。
「メルル、ブラフよ」
「そんな~」
なくなってしまう。
終わってしまう。
「ライラちゃん」
次のジェラルドの一言で、終わってしまう。
震える手でカップを持つ私に、彼が優しく微笑む。私には見つめ返すことしか……、できない。
「……ブラフ」
カップを開ける。
「いいえ、私のダイスは星よ」
最後に残ったダイスは、たった一つ。
私のカップの中だけだ。
「最後はライラちゃんの勝利だね! さすが僕の女神だ。……僕のために泣いてくれるの?」
「……涙が勝手に出るんだから、しょうがないじゃない」
「皆まで死ぬわけじゃないのにさ。きっとまた、いつか会えるよ」
「……ジェラルドだって、泣いているじゃない」
「うん。勝手に出るんだから、仕方ないよね」
「そうよ、仕方ないのよ」
全員が泣いている。
セオドアも涙を拭って。
ヨハンも少し……目が赤い。
「ジェラルドさん、俺……ものすごく寂しいです。ジェラルドさんのいなくなったボードゲームは、寂しすぎる」
「ありがと、リック」
リック、仲よかったもんね。寮に戻る時も、いつもこの二人でしゃべっていた。
「私もです。ジェラルドさんのいないボードゲームなんて考えられません。いつもいつも盛り上げてくれて、ものすごく楽しかったです」
「ありがと、メルルちゃん。君とは近いうちに、また会えると信じているよ」
「……はい!」
泣きながら満面の笑みで応じるメルルに、迷いは感じられない。
もう、覚悟ができているのね。
「兄上……私は兄上のお陰でまだ、ここにいられるのに……」
「ああ、残りの学園生活を楽しんでくれ。セオドアが楽しそうで僕も安心した」
ジェラルドのお陰……、か。
この学園を勧めたのはジェラルドだと、図書館で聞いたことがある。
たくさん話をした。もう……あの場所で会えないのね。
「……ジェラルド。お前が明日もゲームがしたいのなら――」
「いいや、明日は皆と外で遊ぶよ。最後の思い出にね。ライラちゃんと初デートもしたいし」
「デートじゃない。僕たちがいるだろう」
「ああ。デートと、皆でぶらぶら。両方兼ねられるなんて、嬉しいなー!」
「はぁ……言ってろ」
明日の準備、入念にしただろうに。
それでもジェラルドの希望をもう一度聞くのね、ヨハン。
「ジェラルド、ここにあるボードゲームの中で一つ好きなのを持っていけ。ライラにも了解はとった」
「え、いいの?」
「ああ。こっちでは、またすぐに作る。国と学園のマークも全部に入れておいた。大いに宣伝しておいてくれ」
「ええー、抜かりないな」
ああ……それでいつの間にかマークが増えていたのね。徐々に増えていくから、なんの呪いかと思っていたけれど。やっぱり犯人はヨハンだったのね。
「じゃ、この『ブラフ』にするよ! でも、さっきも思ったけど、数がぴったりだろうなと思った時に困るよね。ブラフだけじゃなくてさ、ぴったりって言えるようにしてよ。それで、ぴったりだったら予想した前の手番の人も、ぴったりって言った人もダメージ無しにするの。他の人はダメージ【1】でさ。いい案でしょ?」
「……確かにな」
「それでやってみてさ、今度皆でゲームをする時にどうだったか教えてよ。僕も誰かとやって、教えるからさ」
シン、とする。
その今度が、ものすごく難しいと全員が分かっているからだ。
「今度な」
「ああ、今度」
「……次にする時、だな……」
「ああ、次の時だよ、セオドア」
「次……っ、絶対にありますよね」
「あるよ、必ず」
「……っ、次に……っ」
「リック、泣きすぎだよ〜。ありがと!」
「次の機会、いつか必ずつくるわ」
「うん、大好きだよ。ライラちゃん」
終わらなければならない。
片付けなければならない。
「この『ブラフ』のボードに置く、青いダイスさ……」
前世では赤だった。
こちらでは他と違う色でと頼んだら、ラピスラズリの宝石を使った美しすぎるダイスになってしまった。
「ライラちゃんの、瞳の色に似てるよね」
この六人が揃うこの部屋は、もう二度とない。分かってはいるのに、戻ることはできず……。
――私たちは、扉を閉めた。
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