第42話 ヨハネスを覗き見

 ヨハンが食堂に入ったのを見て、こそこそと生垣の手前に隠れる。

 下は芝生になっていて木も多少生えているし、歩くのに気を取られている人たちには、そんなに気付かれない……はずだ。


 うーん……隙間が少なくて見にくいわね。


 ゲームのスチルでは窓際だった。それを元に中を覗くと、ちょうどよく空いている二人席があった。


 やっぱり共通イベントは起こる運命なのね……。


 だからこそ、不安だ。

 二人の最初の共通イベント。

 どんな内容で、どんなことを話していたんだっけと思い出す。



 * * *



 ゲーム内でメルルだった私は、ヨハンに相席を頼んだ。


「ここ、いいですか? 他に空いていなくて……」

「いいよ、座って。メルル・カルナレアさんだよね。君の話は学園長から聞いているよ。平民からの特待生だってね。すごいね。何か困ったことがあれば、いつでも言ってほしい」


 目の前の、どこから見ても完璧な王子様に名前まで覚えられていて、嬉しくて舞い上がってしまう。


「ありがとうございます。ヨハネス様こそ、首席なんてすごいです。挨拶もとても素敵で感動しました」


 流暢で流れるような美しい声音は、まるでクラシック音楽のようだった。


「でも、内容は大してなかっただろう?」

「え? えーと、ここで目指したいこととか、理想像とか……」

「つまり、内容はなかったんだよ。挨拶は慣れているだけで、ナイフとフォークの扱い方と同じ。訓練さえすれば誰でもできることなんだ」

「でも、私はすごいと思いました」

「それはどうも」


 なんとも言えない沈黙が続く。

 彼は、王太子様の仕事に疲れているのかもしれない。


「王太子様の仕事は、誰にでもできることじゃないと思います」

「そうかもね。でも、つまらない仕事だ。挨拶があるから訓練をする。隣国の王子なんかに首席なんて取られたら面目丸潰れだからね。必死に勉強をする。婚約者も決まっている。ただ、決められた道を決められた通りに努力をして、決められた通りに歩いて、世継ぎを残して死ぬまでが僕の仕事だ。脇道なんて、ない」

「それは……窮屈ですね」

「だろう? 平民の君なら分かってくれると思ったよ」


 卒業後、平民の私と王太子様の彼とは、きっと接点はない。だから、こんなに明け透けに話してくれるんだ。


「それなら、私と一緒に脇道を探しませんか?」

「ふっ、なんだそれ。そんなものがどこにある」

「小さな決まり事を一緒に破ってみましょう? まずは外で靴を履く決まりを破って、私と裸足で芝生を散歩してみませんか?」

「泥がつくだけだと思うけどね」

「あら、芝生の感触、気持ちがいいんですよ。王太子様にも知らないことがあるんですね!」


 得意気に話してみせると、彼もくすくすと笑ってくれた。


「いいよ。僕が知らないことを君は知っていそうだ。色々と、ご教示願おうかな」



 * * *


 ――と、こんな感じだったはずだ。

 何度も見たから覚えている。


 ……今のヨハンが、こんな会話をするようには思えないけど。


 私がいる手前、やや無愛想になる。

 でも、今は私がいない。

 どうなるかは分からない。


 メルルと話が弾む可能性もある。


 そうしたら、私はどうしたらいいのかな……。

 メルルがセオドアのことを気になると言うのなら、応援したい。

 でも、ヨハンがメルルを気に入ったのなら?


 ヨハンには幸せになってほしい。でも、あの二人が恋人同士になるのは見たくないし、ヨハンと離れての学園生活も送りたくはない。


 自分がどうしたいのかすら分からないまま、イベント通りに相席になった二人を見つめる。


 さすがに何を話しているのかは聞き取れないわね……。

 あれ、なんでこっちを見ているのよ、ヨハン。もう少しまともに隠れないと。


「なぁにしているのかなー、ライラ様!」


 うわ!

 アンソニー!

 ……が、なぜか私より低いほふく前進みたいな感じで、地面を這うように真横に来た。


 派手な蛇みたいで気持ちが悪いわね……。


「なんでもないわ。木陰で休んでいるだけよ」

「どう見ても覗き見していますよね。ヨハネス様と……誰?」

「気にしないで、私の友達よ。それよりなんであなた、そんな格好をしているのかしら」

「これくらいしないとバレバレですよ、ライラ様。それに俺、食堂でのあれこれで嫌われちゃったから見つかりたくないですし」

「最初から嫌われているし、問題ないわ。それよりも、あなたのせいで変な噂が流れたのだけど」

「あー、あの後にヨハネス様にキスしたらしいですね。確かに噂になっていましたよ」

「――ぐ!」

 

 言わなきゃよかった。

 また、改めて思い出してしまった。


「私といると一層嫌われるわよ。早くどこかへ行ってちょうだい」

「えー、気になるじゃないですか、この状況。なんでヨハネス様が他の女の子と相席になって、ライラ様が覗き見しているんですか。気にしない方が無理ですよ。理由聞いたら立ち去るんで、教えてください」

「あーもう、しつこいわね! ヨハンの様子がちゃんと見えないじゃない――って、なぜか立ってるし!」


 なんだろう。

 立ち上がって何かを言って、メルルがすごく可愛い顔で微笑んでいる。


「ちょっと、何がどうしたのよ」

「俺に聞かれましても。本人に聞けばいいじゃないですか。まずいな……来ますよ、これ。ライラ様がそんなバレバレな覗き見をしているから。でも気になるしなー。早くライラ様、理由を教えてくださいよ」

「海より深い理由があるのよ」

「それを、なんとか一言で」

「あなたには関係がないでしょう」


 しばらく押し問答をしていると、アンソニーが手で顔を押さえた。

 

「うわっちゃー」


 振り返ると、ものすごくいい笑顔のヨハンが立っていた。

 どう見ても……怒っている。


「あ……ヨハン。あー、えっと……、話は終わったのかしら」

「ああ、問題なくメルルと食堂にいる人たち全員に向けて、ライラを愛していると宣言してきたよ」


 なんで!

 どうしてそうなったの!


「で、この状況は? なんで君は目を離すと、いつも他の男と一緒にいるんだ」


 いつもって……一昨日だけじゃない。メルルの靴屋さんでセオドアを追いかけたことも含まれているのかしら。

 

「隠れているライラ様を見つけて、俺が理由を聞いていただけですよ」


 お、珍しくアンソニーがフォローしてくれた。あの時のこと、少しは悪いと思っているのかな。変態発言が好きな男の気持ちなんて知りたくもないけど。


 ヨハンが固まっていた私の真横に片膝をついてしゃがむと、背中に手を回した。


「俺、そういうのハッキリさせないと気持ち悪いんですよ。ヨハネス様、知っているのなら教えてください」

「……はぁ。ライラ、そう言ってるけど?」

「いや、それは……」

「言いたくないってさ」

「気になりますって。……さっきの女の子に、内容聞いてこようかな……」

「人に迷惑をかけるな。分かったよ、教えてあげよう」


 ち、ちょっと、ヨハン。

 何を言う気?


「ライラの趣味なんだ」

「……え」

「ライラが魅力的だと思った女の子と僕に話をさせて、ライラの方が可愛いよと言わせる趣味だよ」


 どんな趣味よ!

 ヨハン……私に完全に仕返ししているわよね。私のキャラが崩壊していくんだけど。


「ライラ、やはり君が一番だ。君しかいないと再確認できたよ。そう、言ってほしかったんだよね?」

「う……まぁ、そうね……」


 あながち、間違ってもいないのか……。


「ライラ様、趣味が悪すぎじゃないですか?」

「……忘れてちょうだい」


 ヨハンが立ち上がり、座っている私に手をのばす。


「さぁ、僕も君もまだ食事をとっていない。一緒に戻ろう、僕が君を愛していると宣言してきた食堂へ」


 ……行きたくないんですけど。


 ヨハンの手をとって立ち上がり、砂を払い落とす。

 これで……、何か変わったのかな。


 すぐには実感が湧かない。

 でも、ヨハンとメルルが恋人になる未来はもうないんだろうなという確信が、ストンと私の中に下りてきた。


 一歩、前進した気がする。


「いいわよ。愛されてますって顔で、堂々と入ってやるわ」

「ああ。それでこそ、僕のライラだ」

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