第41話 ヨハネスの視点2

 食堂に入った瞬間、混雑しているのに窓際の二人席だけ、異空間のように空いていることに気付いた。


 身体中が重い。行きたくない。

 なんで空いているんだよ……。


 せっかくアンソニーを利用して多数の生徒に牽制をしたのに、僕が他の女生徒を待たなきゃならないなんて……。


 その席に向かう間に、まるでそれが運命かのように他の空いているはずの席が埋まっていく。人が来なくても、誰かが荷物を置いていく。


 僕は食事も頼まずにそこに座った。

 もう、どうにでもなれという精神状態だ。


「あ、あの、ヨハネス様、ここいいですか?」


 定食の載ったトレイを持ったメルルが、困った顔で聞いてきた。

 やっぱり来るんだな……。

 こんなに少しも待たずに、来てしまうのか。


「すみません。ライラさんと待ち合わせとかしているんですよね。どこも空いていなくて、すぐに食べちゃうので、ライラさんが来るまででいいので……」

「いいよ、座って。今日はライラ、遅いからね。急がなくてもいい」

「ありがとうございます!」


 急がなくてもいいと言っているのに、急いで食べているのが見てとれる。


 悪い子ではないんだよな……。

 むしろ、すごくいい子だ。


 実家の靴屋を手伝い、平民も学べる子学校に通いながら独学で図書館を利用して王立学園に特待生で入学。

 この国の民として必要な人材の一人だ。

 模範とも言えるし無下にはできない。


 何も言われてすらいないのに君を好きにはならないよなんて宣言できないし。

 いったい何を会話させたいんだよ、ライラ……。


 ぼーっと外を見ていると、生垣の向こうから特徴的な紫の髪が見えた。


 ライラ、隠れているのがバレバレだよ……。


 先ほどまで怒りでいっぱいだった心が落ち着いていく。側に彼女がいるというだけで、心が和む。

 ふと、もう一度前を向くとメルルと目が合った。


 彼女の目が僕と生垣を行き来して、不安そうに揺れている。


 だから、バレバレなんだって、ライラ……。


「彼女はね、僕に君と話をしてほしいらしいんだ」

「え、話ですか? どんな話です?」


 そうだよね、そう思うよね。

 僕だって分からない。


「さぁ。ライラについてなのかな」

「ライラさん、ヨハネス様の婚約者さんなんですよね?」

「いいや、今は違うよ。解消したんだ。卒業後にはすぐに結婚するけどね」

「えー! ぐっ、ゴホゴホ、んぅ!」


 ……いきなりすぎたかな。


 婚約を解消した話は、この学園の者ならほとんど知っている。嘘はつけない。


 メルルの靴屋への書簡にはライラのことを婚約者とも書けないし、将来を誓い合っている恋人と表現しておいた。使いの者もそう伝えたはずだ。

 平民だから貴族からの情報も入りにくい。婚約者だと解釈したのかもしれない。あれだけ親しそうにしておいて解消したと言われれば、驚くのも無理はないか。


「え、な、な、なんでですか。だって、恋人なんですよね。すごく仲よさそうに見えますし、仲いいですよね」

「ああ、そうだね。だから一時的な解消だ。学園生活の中でお互いに選ばれたいと、そんな理由にしておいた」

「……しておいた? 本当の理由は違うんですか?」


 また、やってしまった。

 また嘘をつき損なった。


 気持ち悪い……自分が気持ち悪くて仕方がない。


 ライラはこれを相性だと言った。

 正直になってしまう相性だと。


 かつて彼女が言った言葉が、頭に浮かぶ。


『素直なあなたを、好きになってくれるかもしれない人ですよ』


 ライラがもし夢を見なかったのなら。

 苦手な彼女のままだったのなら。

 僕にはリックという友人も、ボードゲームで誰かと遊ぶ時間も、今のライラという存在もなかったのなら――、


 彼女の言う通り……、嘘がつきにくくなるメルルを好きになっていたのだろうか。


 その可能性も、きっとある。

 ――でもそれは、今のライラがいなかったらの話だ。


「ライラはね、もっと僕に相応しい人がいるんじゃないかって思っている。僕はライラこそが相応しいと証明するために、ここにいるんだよ」


 そろそろいいだろう。メルルと二人でいて、おかしな噂を立てられても困る。

 僕は立ち上がって、大きな声でこう言った。


「僕はライラを愛している。彼女しか考えられないんだ」


 そう言うと、メルルは本当に嬉しそうに笑ってよく分からないことを言った。


「はい。私も、ライラさんが大好きです。それに、こちらのヨハネス様の方が格好いいと思います」


 こちらって、どちらだよ。

 昔の僕と比べたのかな。


 ……どうでもいいか。

 早くライラの元へ急ごう。

 それで、君を愛していると宣言してきたと言ってやろう。


 九歳だった彼女の言葉が、頭をよぎる。


『ヨハネス様は、いずれ私ではない女性を好きになります。そして、結婚もできるような年齢で、私との婚約を一方的に破棄されます』


 この勝負、僕の勝ちだよ。


 ――僕は君を、好きなままだ。

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