第29話 メルルの靴屋さん

 広場から少し離れたその町は、緑も多い。

 風景を見ているだけでくつろげるので、ずっとぼけーっと歩いていたくなる。


 途中までは馬車で来たけれど、少し歩きたいからという理由で、距離があるところに停めてもらった。


 今日は、ヨハンとお忍びデートだ。

 メルルの靴屋さんに、靴をオーダーしに行く。ヨハンから書簡も出し、今日は貸切にしてくれるそうだ。

 ……さすがに私たちの正体は、その書簡でばらしたらしいけれど。


 王立学園には制服があり、靴も決まっている。学園御用達の店で購入することになっているものの、規格外に大きいサイズの人や、左右の大きさが違いすぎる人は、別で準備しなくてはならない。

 メルルの靴屋さんは、王立学園より指定されている数ある特注先のお店の一つだ。


 私たちは、無事王立学園に合格した。

 合格すると分かっていたとはいえ、勉強は大変だった。せめて入学日までは、勉強はもうしたくない。


 そうして、私たちは規格外ではないものの、王族特権で自分たちの足に合うオーダーものを頼みに来たという経緯だ。


 私は王族ではないけれど、ヨハンからのごり押しだ。メルルと一度知り合ったのも大きい。


 メルルの店に着くと石畳の階段を上り、貸切中と書かれた札がかけられている扉をヨハンが開ける。

 リンリンと鈴が鳴り、メルルが出てきてくれた。


「うわぁ~、お二人ともお久しぶりです! また、会いたかったんですよ」


 ますます前よりも、可愛くなっている。

 ゲーム中のメルル、そのままだ。

 ふわふわの桃色の髪も、くりっくりの紫の瞳も愛らしい。


「私も会いたかったわ。可愛くなったわね。看板娘として活躍しているのが、一目で分かったわ」

「んふふ、そんなことないですよ。ライラ様こそ、前も今日もとっても綺麗です」


 あれ以来、お忍びデートは何回かしたものの、メルルとは会っていなかった。


「もー、様なんてやめてよ」

「いえいえ。書簡を見て驚きましたよ。まさか……」

「今は、一応お忍びよ」


 にっこり笑って、指を口の前で突き立てる。


「あー……、そっかぁ。それなら、ライラさんで」

「呼び捨てでいいんだけど、それは追々かしらね」


 いや、さすがにそれは駄目かな。ゲームのせいで、メルルを身近に感じすぎているわね。


「それで、えっと……、す、すごく素敵になられましたね」


 ヨハンを見て、どうしようかと固まっている。それもそうか。書簡で正体をばらしたのだから。お忍びだと私が言ったから、ヨハネス様とも呼びづらくなっちゃったのね。

 相変わらず、可愛らしい。


「お忍びだから、ヨハンでいいわよ」

「なんで君が許可を出すんだよ、別にいいけどさ」

「えっと、それならヨハンさんで、よろしいでしょうか。本当に仲がいいんですね」


 そう言って、彼女が見る視線の先は……。

 げ。いつの間にか手をつないでいた。

 ……最近はそれが当たり前すぎて、違和感すらなかったわ。


「ライラ、何で外そうとするんだよ」

「恥ずかしいからに決まっているでしょ。いつの間にか握ってくるの、やめてちょうだい」


 私たちのやりとりに、メルルがくすくすと笑う。

 ヨハンとメルルのフラグを、ことごとくへし折っている気がするんだけど、どうしようかな、これ……。


「それでは、足の採寸から始めますね。そちらの椅子に座っていただきたいのですが、どちらからされますか?」


 私とヨハンを交互に見る彼女は、緊張しているようには見えない。

 それも、そうか。

 いちいち緊張するような子なら、そもそも誰も攻略なんてできない。


「ライラからでいいよ」

「かしこまりました。では、ヨハンさんはあちらの椅子にかけて……」

「いや、僕は彼女の隣で見ていよう」

「邪魔でしょーが。大人しく待っていて」

「えー」


 そんな会話をしていると、奥の扉からメルルのお父さんが出てきた。


 おー、こっちもゲームと同じ顔だ。

 お父さんって呼びそう。


「ほ、本日は、当店にお越しいただいて……」


 ああっ、飲み物とお菓子が載っているお盆が、震えているー!


「ああ、今日は私たちのために、お店を貸切にさせてもらって、すまなかった」


 お、ヨハンが王太子モードになったわね。お忍びの格好でも空気すら変わるのは、さすがね。

 立ち上がってあっちへと行ったことだし、まだ挨拶があるだろう。

 ほっとこう。


「メルル、あっちは気にせずにお願い」

「あ、は、はい。では……」


 お忍び用の麻の靴下を脱いで、採寸をお願いする。

 丁寧に長さを測って紙に記入していく彼女は本当に手慣れていて、毎日お仕事を手伝っているのだなと分かる。


 そういえば、あの話を出しておこうか。


「メルルは、これからどうするの? このお店をこれからもずっと手伝うの?」


 違うと分かっていて、聞く。


「えへへ。それがですね。私も王立学園への入学が決まったんです! もう嬉しくて!」

「あら、すごいわね。それなら私たちと同級生じゃない」

「そうなんですー!」

「仲よくしてね。私、友達つくるの下手だから」

「ライラさんなら、大丈夫ですよ〜!」


 なんか、普通に友達になれそうじゃない?

 友達になって、誰に気があるのかを入学してしばらくしてから聞いてみようかな。


 採寸の後は、いくつか試し履きをして確認をする。

 さすがに合格発表から入学まで、ものすごく時間があるわけではなく、フィッティングに何度も来る余裕もないので、フルオーダーは無理だ。

 仮靴を採寸を元にいくつか持ってきてもらって、選んで作ってもらう。


「はい、終わりです。次は、えーと……」


 さすがに自分の父親の前でヨハンさん呼びもしにくいのか、声をかけづらそうだ。


「ヨハン、私は終わったわ」

「ああ、では代わろう。失礼する」


 ヨハンと入れ替わり椅子に座ろうとすると、彼が父親にもう一度話しかけた。

 

「採寸は、彼女しか無理なのか」

「い、いえ、私もできますが、娘が何か失礼でもいたしましたでしょうか」

「いや、彼女の前で、他の女性に触れられるのは……」

「ぜんっぜん、まったく、これっぽっちも欠片も気にしないわ! 無視してやっちゃって、メルル」


 誰か、この男をなんとかしてくれ。


「ヨハンが、迷惑をかけるわね」

「あ、いえいえ、そのようなことは……」


 ことりとお水を置いてくれたので、ぐいっと飲む。

 わざわざ王太子ですよと宣言してから来たので、通常は毒味が必要だけれど、大丈夫だと私は分かっているし気にしないでおこう。

 ……クラレッドかカムラは、そういった何かの入手はなかったのか事前調査くらいはしているだろうけど。


「まさか、当店を選んでいただけるとは思わず、本当に家族一同、感激しています」

「いえ、腕のいい職人さんだと聞いていましたし、メルルさんと会ったこともありますしね。王立学園に入られるのですね。メルルさんと学友になれるなんて、とても嬉しいですわ」

「は、はい。まさか私も家内も合格するとは思わず、驚いていまして。いや、恐縮です」


 当たり障りないことを話しながら、憮然とした表情で採寸されているヨハンを見る。


 やっと、ヨハンの意図が分かったわ……。


 ゲーム内では、こんなイベントはなかった。

 なぜいきなり靴を特注するのか、やはりメルルが気になるのかと思っていたけれど、店での彼の立ち振舞いを見てやっと理解した。


 どれだけ私を口説いてもメルルに学園で恋に落ちると言い張る私を、安心させに来たに違いない。

 彼女の前で不必要なまでにイチャイチャして、心配することは何もないんだとアピールするために、ここに私と来たのだろう。


 さすがに入学前にここまでしてしまっては……メルルも他の男性に目がいってしまう可能性の方が高い気がする。


 共通ルートの最中に、既にヨハンは彼女に惹かれていた。

 リックとのエンドを迎えた時、彼は寂しそうに悔しそうに祝福の言葉を述べ、言い寄ってくるライラを邪険に扱っていた。


 その時、ゲーム内ではメルルが「この二人もいつか、分かりあえるといいな。恋はいつでも突然訪れるもの。彼らにだって、きっと」みたいなことを思っていたはずだ。

 その後にどうなったという記述は、なかった。


 もしこの世界でも共通ルートを経て彼女に恋をしてしまったら、ここでフラグをへし折ってしまっていては、もう手遅れだ。失恋が確定し、ずっとそれを引きずって生きていく可能性もある。


 ヨハンの意図に気付いて、来るのを止めればよかったなぁ。


「はい、これで終わりです」


 そう言うメルルの言葉を聞きながら、なんとはなしに扉の方を見ると、ガラス越しに人影が見えた。

 貸切と知らず、来てしまった客だろう。


 ――って待って。

 あの人、知ってる!!!


 私は急いで立ち上がると、「ライラ!?」と叫ぶヨハンも無視して、きびすを返した彼を追いかけに走った。

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