第30話 セオドアとの出会い

「待って、止まって」


 扉を開け放ち、急いで走り寄って彼の袖を掴んだ。


「え、わ……」


 戸惑っている様子だけれど、気にせずに一気にまくしたてる。


「この店に来たのよね、貸切の私たちはもう終わったから、入ってもいいわよ」

「え、いや……」

「他の店に行く必要はないわ。この店すっごく腕がいいから、絶対ここにした方がいいわ!」


 私がやらかしたと知ったのは、突然三人も町の人っぽい格好をしている人が、側に現れていることに気付いてからだ。


 慌てて、彼の袖から手を離す。


 彼の名前は、聞かなくても分かる。

 セオドア・オーウェンス。隣国であるフィデス王国の第二王子だ。

 濃紺の長い髪を後ろで留め、瞳の色も黒に近い深い青。王子にしては地味で、性格もネガティブ。

 このゲームのメイン攻略対象者の、最後の一人だ。


 この世界では、初対面となる。


 ヨハンが私と彼の間に、ずいっと挟まるように前に出た。

 ……外交問題にはならないわよね、そこまでのことはしていないわよね。


「やぁ、久しぶりだね。私の恋人がいきなり、すまない。この店をとても気に入っていてね。帰ろうとする君を見たら、つい足が動いてしまったようだ」


 彼の側にいる町の人姿の護衛だろう人が、何かをセオドアへ囁く。

 おそらく、ヨハンの正体だ。


「髪の色が違うから、すぐには分からなかったな。別にいい。気に入った店を誰かに勧めたくなる気持ちは、私にも分かる」

「それはよかった。寛大な君でよかったよ」


 同じく町娘に扮したシーナが、私にそっと「隣国の第二王子です」と囁く。

 うん、そうよね。

 それを私が知らなかったから、やらかしたんだと思うわよね、普通。


 ……ごめんなさい。知っていました……。


「大変失礼なことをしてしまって、申し訳ありませんでしたわ」


 隣国の王子をいきなり町中で掴むって、本当にあり得ない。時を巻き戻せればいいのに。


「もう、それはいい。私のことも知らなかったのだろう。それではな」


 行かないでー!!!

 そう思った時に、軽やかな声が後ろから聞こえた。


「あの、お客様ですか? 今からでも大丈夫ですし、ご都合が悪ければ予約をしていかれますか? 来てもらえて、嬉しいです」


 鈴の音のような可愛らしい声が、いきなりその場を明るくする。

 なんの後ろ暗さもない、真っ直ぐな瞳がセオドアを捉え、ふわりと微笑む彼女に目が離せなくなる。


 ――という文章が、頭に浮かぶような出会いね。


「あ、ああ。それなら、そうさせてもらおうか」

「ええ、ぜひ!」


 よかった。

 なんとか出会いイベントは、起こりそうだ。


「ライラさんたちも、本日はありがとうございました」

「いいえ。こちらこそ、ありがとう。靴、楽しみにしているわ」


 彼らが店に入って行くのを見送って(護衛の人はいつの間にか消えていたけれど)、近くの大きな石に座り込む。


「……ごめんなさい」

「そうだね。いきなり僕以外の男を掴むなんて、あり得ないよね」

「そこはともかく、ごめんなさい」

「そこが重要なんだけどね」


 ズーンと落ち込みながら、ふと違和感を持った。


「あれ? なんでカムラまで出てきたの?」

「酷いなー、俺が出てきちゃ駄目みたいじゃないですか」


 お忍び中だから、口調はそこそこラフにしてくれているようだ。

 最初のお忍びデートの時みたいな、気さくなお兄ちゃんのように話すカムラも、もう一回見たいんだけどな。


「でも、必要なかったわよね?」


 ミーナとクラレッドは、基本的に最後まで隠れて護衛する。遠方からの襲撃を警戒するためだ。

 シーナとカムラは、主人に何かあったらすぐに出てくる役割だけれど、今回は私が飛び出しただけで、ヨハンは何もしていない。


「あ、そっか。相手にもいたもんね。ご挨拶も兼ねてって感じ?」


 一応ここは町中だ。護衛とか執事とかそんな言葉を使わず、ぼやかしながら聞いてみる。


「そんなに綺麗な理由じゃないよ、ライラ」


 呆れたようにヨハンが言うけど、そんな顔をされる意味が分からない。


「やだなぁ。俺は何も言ってませんよ?」


 張り付けたような笑顔で、カムラが言う。


「カムラはね、僕が君を手放すのを虎視眈々と待っているんだよ。知っているだろう? 君を気に入っているの」


 ああー……。

 でもそれ、随分と前の話じゃない。

 それに、それとなんの関係があるの?


 私の疑問に答えるように、シーナが補足説明をしてくれる。


「先ほど、もし手の内側に毒の塗られた突起針のある指輪をしながらあの方を掴んでいたら、と考えるとどうでしょう。あの方がこの国へ来られることは、関係者の多くが知るところです」


 私が、隣国の第二王子を狙う襲撃者の可能性があると、思われていたということね。


「もしもという事もあります。掴む前に腕を折ろうとする可能性も、わずかにはありました」


 そうよね。第二王子がこの国で何かあったら、外交問題どころか……よね。


「可能性は低いと考え、相手もそうしようとはしなかったのでしょう。腕を掴む前に、より近くで目視するために出てきたのだと思います。危害を加えられてはいけないので、万が一に備えて私も出てきたんです」


 あー、色々考えさせちゃって、すみません!

 そこからまた、ヨハンが続ける。


「で、君が痛め付けられないようにと、シーナ以上に素早く対処できると自信を持っているカムラまで出てきたんだ。そうだろう?」

「お怪我がなくて、何よりです」


 にこにこ笑っているカムラの考えていることは、よく分からない。けれど……。


「それは単に、ヨハンと私が、えっと……仲よしだから助けようとしてくれたんじゃないの?」


 仲よしって、表現が幼稚すぎるな。

 でも、恋人も違和感があるし、未来の王太子妃なんて言葉は町中では使えないし、スルーしてもらおう。


「違うよ、ライラ。僕たちが仲よしなのは違わないけどさ。君の実現しないだろう予知に、期待しているんだよ、カムラは」

「え、そう、なの……?」


 考えすぎじゃないかな。

 そんな素振りなんて、微塵も見せずに今までも護衛してくれていると思っていたけど。


「……ま、僕にそう思わせるのが、本当の目的

だろうけどね」


 最後に、ぼそっとヨハンがよく分からないことを言う。


「期待なんて、とんでもないですね。どっちでもいいですよ。ご主人様への忠誠から、この人を捨てないご主人様への忠誠に、ちょっと変化があっただけです。ご不満でしたら、早く結婚してください。私は……このお方に早く、命じられたい」

「こんな町中で何をしゃべってるんだ、お前らは」


 最後の台詞は、セオドアだ。

 どうやら店から出てきたらしい。


「ちょっと、ギリギリだったかもね。ご忠告、ありがとう」


 ヨハンが、王太子スマイルで答える。

 さっきから思っていたけど、この二人親しそうよね。どこで会ったんだろう。式典、とかかな。

 隣国だと移動が大変そう。


「ギリギリどころか……まぁ、いい。私には関係のないことだ。それより、そいつの恋人……だったか」

「は、はい。先ほどは失礼をいたしまして……」


 なんだろう。

 人嫌いだから、話しかけられないと思ったのに。


「それはいい。さっきは引き止めてくれて、ありがたかった。確かにいい店だ。一言、礼をと思ってな」


 これは、好感触じゃない。

 メルル、おめでとう!

 無事イベントが一つ、終わったわね!


「気に入っていただけたのなら、私も嬉しいですわ」

「ああ、主従に言い寄られて大変そうだな。ではまた、学園で会おう」


 どうやら、メルルに私たちが学園に入ることも、聞いたらしい。ヨハンのことは知っていただろうけど、少し前まで婚約者だったとはいえ私の顔までは、知らなかったはず。

 ……その前の言葉は、スルーしておこう。


「ええ。学園でも、よろしくお願いしますわ」


 セオドアは、私たちほどお忍びに徹した格好ではない。そこそこ上質な服を着て、この時期にこのお店。彼が学園用の靴を準備しに来たことは察せられる。知っていますよといったこの応対で、間違っていないわよね。


「ああ、ではな」


 あの服だと、追い剥ぎにあって護衛が返り討ちにして、死体の山ができないか心配ね。


 ……まぁ、いいか。

 あの人も、この辺を散歩してから、すぐに馬車に乗るだろう。


 それにしても早かったな。

 そういえば、共通イベント中に回想で、既に国で採寸を終えて詳細な寸法の書かれた用紙をもらったみたいな文章が、あったような、なかったような……。

 ヨハン以外の記憶が、薄いのよね。


 どうでもいっか。


「さて、お散歩の続きをしますかー!」

「違うよ、デートの続きだろう?」


 いつの間にか、カムラとシーナがいなくなっている。気を利かせたのだろう。


「そういえば、なんでああまでして、あいつを追いかけたんだ?」


 そうよね。聞かれるわよね。

 まだ出来上がった靴を、履いてすらいない。このお店の腕がいいからと引き止める理由なんて、実際にはない。


「予知夢の一部よ。彼女は、ここで彼と知り合っておかなければならなかったの。私たちがここに来るのは予定外のことだったから」

「なるほど。君の予知夢は大きく外れ、やはり僕たちは愛し合っているんだな」


 どうして、そうなった?


「まぁ、私たちの関係は、夢からどんどん乖離しているのは確かね」

「安心したよ。それじゃ、デートの続きといこう」


 私たちは手をつなぐと、またのんびりと歩き始めた。


 田舎町は、歩いているだけで楽しい。

 運河が通り、川には可愛らしい建物が映っている。そこかしこに花が植えられ、妖精でも出てきそうな絵本の世界だ。


 王立学園入学前の最後のお忍びデートを、私たちは心ゆくまで楽しんだ。

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