第28話 ヨハネスの私室で

 曲が終わり会場の隅へと移動すると、私の両親が挨拶に来た。


「ヨハネス様、十六歳のお誕生日、おめでとうございます」

「ありがとうございます。ご迷惑をおかけして、すみませんでした。私のような若輩者の我儘を聞いてくださり、感謝しています」

「いえいえ、ヨハネス様になら、安心して娘を任せられます」


 娘の私を無視して、話が進んでいく。

 ……まぁ、いいけど。

 どういう顔を両親に向けていいのか、全然分からない。


 でも、逃げてはいられない。


「お父様、お母様、知っておいでだったのですね」

「ああ、ヨハネス様は私たちに頭まで下げて、頼まれたんだ」

「そうよ、ライラ。あなたの希望でもあると、聞いているわ」


 いつの間にか勝手なことをして……。婚約解消だけは、確かに私の希望だ。あれでよかったのかは、さておき。

 今のところは、私へのダメージもない。

 しかし……。


「ええ、その通りですわ。私の思いを、汲んでいただきました」

「ああ、気持ちは分かる。お前は、私たちの恋愛話を聞きたがっていたからな」


 ちょっ……!

 ここで、そんな恥ずかしい話をしないで!


「そうなのか、ライラ。私たちも、負けないくらい素敵な恋愛をしよう」

「はは、若くて羨ましいですな! ……ライラを、頼みます」

「はい、もちろんです」


 おかしいな、婚約を解消したはずなのに、余計に逃げられなくなってない?

 いえ、逃げはしないけど……。

 解消したのよね?

 なんか、会話が変じゃない?

 本当に、どんな根回しをしたの?

 なぜか、外堀を埋められているような?


 疑問しかないわね。


「それでは、私たちは下がります。彼女も疲れているでしょうから」

「はい。ヨハネス様とまたお会いできるのを、楽しみにしていますよ」


 そうして、私たちは会場を後にして、ヨハンの私室で休憩することにした。


 * * *


「疲れた。疲れた疲れた疲れた疲れたー!!!」


 そのまま、ヨハンの布団にダイブする。


「飛び込むなら、僕の胸の中にしてくれないかな」


 苦笑しながら布団の端に座って私の髪をなでる彼は、理想的な恋人に見える。


「私たち、そういう関係じゃないでしょ」

「キツイこと言うなぁ。僕の布団の上に寝そべって、言う言葉じゃないよね」

「でも……違うわよね」

「ああ。僕があの子に恋をするんだと君が予想したせいで、何もできない。違うと証明するまで、我慢し続けなければならない。まるで拷問だ」


 オーバーに嘆いてみせるヨハンに、疲れは見られない。


 さすがだなと思うと同時に、どんどんと王太子様らしくなっていく彼に、置いていかれている気分になる。


「だが君も、覚悟はしてくれよ」

「……え、なんの」

「今まで以上に、僕に愛される覚悟だ。君の願いを叶え、籠は取り払われてしまった。僕は死に物狂いで、君を繋ぎ止めなくてはならない。信じては、くれないだろうけどね」


 罪悪感を刺激してくるわね……。


 でも、この世界の設定か何かの力で、ヨハンはメルルに嘘がつきにくい。それを私は、見てしまった。

 ゲームとは違ってそれを喜んではいなかったし、むしろ気持ち悪がってはいたけれど……。


 ――どうしても、怖い。

 あのゲーム通りに、進んでしまうのではと。幸せになってほしいのに、怖くて怖くて仕方がない。


「……それで、どうして私に事前に説明しなかったのよ」

「したら、却下されるに決まっているじゃないか。説明しなければ、きっと優しい君なら受け入れてくれる」


 ……何度も何度も思っているけれど、いい根性しているわね……。そういうところは、変わらない。


「それでも、緊張したよ。あの場で恋人ではありませんとか言われたら、正直どうしようかと思った」


 だから緊張していたのか……。

 あれくらいの注目、普段から慣れているものね。


「……否定されなくて、よかったわね」

「ああ、助かった。ライラはいつも、僕を甘やかしてくれる」


 そう……かな。よく分からない。

 さわさわと髪をなでられて、言葉の意味もあまり頭に入ってこない。ただ、ひたすら甘い。


「誰からも、何が起こるか聞かされなかったんだけど」

「ああ、口止めをしていたからね」


 やはり、事前に招待客には言ってあったのか……。そうでなければ、おかしいんじゃないのかと誰かから両親にまで指摘がありそうだ。


「……私の両親へも?」

「君のご両親には、誠実に説明させてもらったよ」

「内容は?」

「恥ずかしいから、言いたくないな。いつか、君が僕の愛を信じてくれて……君も僕を愛してくれる日が来たら、教えるよ」


 そんな日は来るのだろうか。

 本当に、私のことをずっと……。


 不安に思っていると、ふわりと頬にキスを落とされる。もう、私に了解をとったりもしない。当たり前のように、なってしまった。


 ――駄目だ。

 こんなところにいては、ヨハンが欲しくなってしまう。

 メルルを好きになると言い張っているにも関わらず、私の方から深いキスをしたくなる。


「はい、休憩終わり」


 起き上がると、「もう? 早いな」と文句を言われた。


「バルコニーで、熱を冷ますわ」

「ああ、僕も付き合おう」


 陽が暮れていく。

 燃えるような夕暮れの美しさに、息が止まる。


「タロットカード、今も持っている?」


 少しだけひんやりしている風に吹かれながら、静かに彼が聞いた。

 

「持っているのよね。あなたが占ってほしいってよく言うから、持ち歩いてしまっているわ」

「はは。君を侵食しているようで、気分がいいな」

「私は、内ポケットが大きめのドレスしか、あなたの前では着られないのが不満ね」

「ああ、それは気付かなかった。すぐに君に似合いそうな、そういったドレスを、手配して送ろう」

「いらないわよ。あなた……ドレスに興味ないでしょう。どれでもいいと思っているはずよ」


 ヨハンに会う時のドレスは、母がものすごーく派手にしたがる。

 彼の好みは上品で静謐なものだと説得して、最近は落ち着いたドレスを着ているけれど、直接ヨハンから何か言われたことは一度もない。


「いいや。どれも似合うと思っているよ。君を包むドレスにすら、嫉妬している」

「どうでもいいと思っていることが、如実に伝わってきたわ。とにかくいらないから」

「つれないなぁ」


 タロットカードを取り出すと、机の上に広げる。シャッフル、カット、そしてまた扇型に持った。いつも未来だけを占ってとしか言われないので、こうしている。


 本当はこんなやり方、邪道なのだろうけど……なんとなく自分の手から取ってもらった方が嬉しいのよね。


「どれにする?」

「そうだな、僕の未来はこれにしよう」


 慣れたもので、躊躇なくスッと抜かれる。

 絵柄としては、一番怖いカードだ。意味はともかく、あまり出したくはない。


「これは……死神?」


 不穏なカードに、さすがのヨハンも眉をひそめている。


「ええ。『死神』の逆位置。このカードは逆位置の場合だけ、いい意味になるのよ」

「へえ?」


 少し、ほっとした顔になった。


「意味は再生。新たな出発よ。死神の前にはたくさんの屍があるけれど、死神は生命の象徴である薔薇の描かれた旗を持ち、地平線には太陽が昇りかけている。終わりは始まりの証ということね。来年、王立学園に入学することを考えれば、意味としては妥当かしら」

「なるほど」


 ……つまらなさそうね。

 もう一つの意味も、言い添えておこうかな。


「恋愛の場合は、真実の愛の芽生えという意味もあるわ」

「ふぅん。さっき僕は心の中で、君と僕の未来はと考えていたんだ」

「後出しジャンケンは、やめてほしいわね。だとしても、私たちには新たな環境でのスタートが待っている、ということよ。あなたにとっては、真実の愛が見つかるのかもしれないわね。誰が相手かは分からないけれど」

「君は、冷たいなー」


 何度もそんなことを言われると、チリチリと胸が痛む。

 でも、予防線を張らないと、気持ちを強く保てない。私は、メルルに愛を語るヨハンを、何度も見ているのだから。

 ……ゲームの中でだけど。


「死神か、いいね。死神を逆にして、再生させる。僕たちのスタートには、相応しいかもね」

「皮肉が効いていて?」

「ああ。実にね」


 国の成り立ちの背景には、たくさんの死体の山がある。当然、王族には血塗られた闘争で勝ち抜いた血が、流れているもの。

 これからも、永遠に誰の血も流させずに平和を維持するのは、無理だろう。

 反乱があれば、鎮圧する。攻め込まれれば、応戦する。国のために死んでこいと命令するトップは、いずれ彼になる。


 そんなことを、考えているのかもしれない。


 でも、私はこのカードを見て一番最初に思い出したのは、自分の死だ。

 私は、前世でおそらく死んで、ここに来た。


 死神の誘いを断って、成仏すらせずに心地よいこの場所に留まっているのかもしれない。


「私は、死神だろうと屍だろうと踏み台にしてでも、太陽の昇る明るい未来を築くことに価値があると思うわ。確かに、このカードは私たちに相応しいのかもしれないわね」

「ああ、君ならそう言ってくれると思ったよ。一緒に真実の愛を見つけよう」


 最後の言葉は無視をしつつ、タロットカードをシャッフルし直し、しまいこむ。

 バルコニーに体重を預けて陽が沈むのを見ていると、ヨハンが包むように後ろから私の両端の欄干をつかんだ。


 きっと、昔なら私の後頭部しか見えなかったはずだ。今はすっぽりと包み込まれてしまう。


 ――大きくなった。

 そう思うと、かつての息子、拓海のことも思い出す。

 残してきた拓海の年齢をゆうに越えたヨハンは、幼さがどんどんと抜けて、変わったなと感じる。


 息子が変わっていく様子も、見たかった。どんな思春期を迎え、どう成長したのか。


 ――反抗期だって、受け止めたかった。


「そういえば、ヨハン。あなた、反抗期ないわね」

「……なんでこのタイミングで、そんな話が出てくるんだ。皆に恋人宣言をして、新しい門出を迎えようという雰囲気で、二人きりでこの体勢だよ? 聞こえていたら、カムラなんて大笑いしたいのを堪えていると思うよ」

「反抗したかったら、受け止めてあげるわよ?」

「なんで君に、反抗しなきゃならないんだ……」

「そっかぁ」


 親じゃないもんね、私。

 でも、国王様や王妃様に反抗もしにくいだろうしなぁ。クラレッドかカムラに反抗してみる時期とか、あったのかな。

 それとも、王太子だし反抗すら抑えていた?

 それは、可哀想だなぁ。


「クラレッドかカムラに、聞いてみようかな」

「はー……、ライラ、頼むから僕に、格好つけさせてくれよ」


 陽が暮れて、夕闇が濃くなっていく。


 友達でもない、恋人とも言いにくい。婚約者でも、もうなくなった。

 でも、大切な人。


 ――私たちの関係を表すいい言葉は、何も思いつかない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る