第58話 構ってくれなきゃ拗ねちゃうぞ

「ほほう、ドラゴンテールラーメンとな」


 丼からあがる湯気を前に、エレナは目を閉じて集中するように匂いを嗅ぐ。


「う~ん、この香ばしい醤油の香り……ワシもすっかりこの匂いの虜になってしまったの」


 大人状態の色気なのか、思わず見惚れてしまうほどの妖艶な笑みを浮かべたエレナは、まずはスプーンを手にしてスープを掬って一口飲む。


「うむ、美味い! 見た目に違わぬパンチの効いた濃いスープじゃな。じゃが、これは今まで食してきた醤油の味とは少し……いや、かなり違うな」


 エレナは二口、三口とスープを口にしながら何度も頷く。


「醤油の塩気、肉の旨味……そして野菜の甘味とコクが合わさることで、味の相乗効果がとんでもないことになっておるぞ。これは最早、旨味の暴力じゃぞ」

「ハハハ、それって褒めてるの?」

「当然じゃ! そして、これが奇跡の水で作った麺じゃな」


 ベルクの村では食べそこなった初めて食べる中華麺を、フォークで器用に絡めたエレナは、髪が口に入らないように綺麗な所作で掻き上げながらゆっくりと頬張る。


「ほう、この前食べたマシュカルの麺と違って、麺そのものに塩気を感じるし、何より弾力性が強くて噛み応えが良いな。しかも不思議なことにスープがよく絡んでくる。これも奇跡の水の効果かえ?」

「違うよ。それは製麺する時に麺をギュッと握ってちぢれさせたからだよ。そうすることで、麺に僅かな窪みができて、そこにスープが絡むんだ」

「なるほど……この麺の形状にはそういった意味合いがあったのじゃな」


 何度も頷きながらスプーンとフォークで器用にミニラーメンを作り、二つを同時に味わったエレナは、今度は飴色になった尻尾のチャーシューを食べる。


「おおっ、前のモルボーアの時と比べると、トロトロで歯が要らぬほど柔らかくなっておるぞ! しかもスープの旨味が肉全体、余すことなく行き渡っておる。これが本来の完成形なのじゃな」


 どうやらエレナの魔法は圧力鍋を完全に再現できているようで、柔らかさも味付けも申し分ないようだった。



 口元を押さえてチャーシューを飲み込んだエレナは「ほう……」と艶っぽいため息を一つ吐いた後、自分の唇を指差しながらニコリと笑う。


「ほっほ、ハルトよ。肉の油が多過ぎて唇がツルツルじゃ。ほれ、見てみい」

「あっ、うん……そうだね」


 大人の姿で無防備に唇を突き出されると、ちょっとリアクションに困ってしまうな。



 そんな俺の胸の内など知る由もなく、エレナは面とスープ、チャーシューとゆで卵まで一気に口に入れると、リスのように頬を膨らませて咀嚼する。


 やがてゆっくりと大きな動作で飲み込んだエレナは、テカテカと光る唇のままニコリと白い歯を見せて破顔する。


「麺の一本、一口のスープ、それこそ油の一滴に至るまですべてが美味い至極の料理であった。ハルトの国の多くの者がカレーに負けず劣らずこのラーメンにかける情熱、大いに堪能させてもらった」

「いえいえ、喜んで頂けたようで何よりだよ」


 エレナの最高の笑顔が見られただけで、こちらも頑張った甲斐があるというものだ。




 さて、エレナの感想も聞けたことだし、俺もラーメンを食べようかなと思っていると、


「……ねえ、ハルト」


 隣に座っていたルーが俺の裾をクイクイと引っ張りながら話しかけてくる。


「ルー、熱くて食べられない」

「えっ?」


 その言葉に驚いてルーの方を見ると、彼女は抱えている丼の中に手を入れ、その耐えられない熱さに驚いて手を引き、真っ赤になった手に「フーフー」と息を吹きかけて悲しそうに肩を落とす。


「う~、ルーもエレナみたいに早くラーメン食べたい」

「食べたいって、フォークとスプーンは?」

「な~に、それ?」


 俺の質問に、ルーは不思議そうに小首を傾げる。


「あっ……」


 そこで俺は、ルーはそもそも食器の使い方がわからないことに気付く。


 考えてみれば、普段のルーはグリーンドラゴンとして活動しているので、人間のように道具を使って食べるという習慣がないのだ。

 かといって、ここでグリーンドラゴンに戻ったとしても、こんな小さな丼の中に入ったラーメンを存分に味わうことは難しいだろう。


 ルーが俺たちに合わせて人間の姿となってくれたのなら、俺が人間として彼女のサポートしてやるのが筋だと思った。



「ねえ、ハルト……ルー、ラーメン食べられないの?」

「ううん、そんなことないよ」


 俺は強くかぶりを振ると、ルーから丼を受け取って箸を握る。


 丼から一口分の麺を箸で掬った俺は「フーフー」とよく冷ましてからルーの口に差し出してやる。


「ほら、ルー、あ~んして」

「あ~ん」


 大きく開いたルーの口に麺を入れてやり、同じようにスプーンで掬ったスープも冷まして飲ませてやる。


「――っ!?」


 ラーメンを食べたルーは、大きく目を見開きながら口を大きく動かして咀嚼する。



 一口噛むごとに頬が緩んでいくルーは、やがて顔を大きく前後に動かして飲み込んでニッコリと大輪の花のような笑顔を咲かせる。


「えへへ~とってもおいしいね」

「そうか、よかったよ」



 その後も俺は、「早く早く」と次を急かすように大口を開けるルーの期待に応えるように、ラーメンを食べさせてやる。


 ただ、ここで一つ困ったことがあった。

 ルーにラーメンを食べさせているから、自分でラーメンを食べる暇がないのだ。


 言うまでもない話だが、このままでは麺がスープの汁気を吸って伸びてしまい、せっかくの美味しさが半減してしまいそうであった。


 だが、ルーの悲しい顔を見たくない俺としては、彼女の期待に応え続けるしかなかった。



 ……すると、


「おい、ハルト……」

「えっ、何?」


 エレナの声が聞こえたので彼女の方を見やると、


「あだっ!?」


 額に鋭い痛みが走り、目の前に火花が散る。


 何だか懐かしい痛みに目に涙を浮かべながら顔を上げると、エレナが今度はルーと額同志を合わせているのが見えた。


 ……俺とはあんなに激しかったのに?


 何て誰かが聞いたら勘違いしそうなことを思わず考えていると、



「うん、ルーわかった」


 突如としてルーが大きく頷き、俺の手から箸を素早く掠め取る。

 ルーは箸で器用に麺を掬ってみせると、自分で「フー」と冷ましてからズルズルと音を立てて啜ってみせる。


「うん、ひょっへほほひひい」


 口をもきゅもきゅ動かしながら俺に向かって笑ったルーは、そのままこれまで当たり前のように使っていたかのように箸でラーメンを食べて行く。



「エレナ、もしかして……」

「ああ、魔法でハルトからラーメンの食べ方の知識を教わり、それをルーに教えたのじゃ」


 そう言ってエレナも箸を手に取ると、ズルズルと音を立てて麺を啜る。


「ほう、こうやって食べるとまた違う味わいがあって美味いな」

「そ、それはどうも……」


 まさか言語といった知識だけでなく、箸の使い方といった技術まで伝授できるのか?



 俺はエレナの魔法に感心しながらも、気になったことを彼女に尋ねる。


「ねえ、エレナ。軽く額を合わせればいいのなら、どうしてあんなに強くぶつけてきたの?」


 最初の時もそうだったが、もしかしたら異世界の人間とは激しい接触が必要なのだろうか?

 そう思っていると、エレナは俺から目を逸らしながら小さな声で呟く。


「…………それはハルトが、ルーばっかり構うから」

「えっ?」

「な、何でもないのじゃ! ほら、これでハルトもラーメンを食べられるじゃろ。冷めぬうちに速く食べるがよい!」


 早口で一気にまくし立てたエレナは、ぷいっと反対側を向いてラーメンに没頭していく。


「あっ、うん……」


 長い髪の毛の間からちらりと見えるエレナの耳が、真っ赤になっているような気がしたが、俺は彼女の言葉に従ってラーメンを食べる。



 そうして食べたラーメンは、プロの職人が作るものと比べると些か粗さが目立ったが、それでも今まで食べたラーメンの中でもトップクラスの美味さであった。

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