第57話 みんなで作るこの一杯

 ――かん水とは、一言でいうとアルカリ塩水のことで、最も代表的なかん水は海水といえばどんな水なのか想像がつくだろう。


 つまり奇跡の水が取れる湖は、普通の水ではなく塩分を含んだ塩湖ということで、ここで来る途中の湖岸で見た白い塊は、炭酸ナトリウムであると思われた。



 ちなみにエレナにこの湖には生き物はいないと言ったが、実際にはかん水の中でしか生きられない魚類というのも存在する。

 その名の通り『かん水魚』と呼ばれるのだが、果たしてこの世界にかん水魚がいるかどうかは定かではない。


 ……少し話がズレたが、かん水を作って作る料理の中で最もポピュラーなものといえば、小麦粉と一緒に混ぜることで柔らかさと弾力性を併せ持つ黄色い麺、中華麺だ。


 麺の色が黄色くなるのは、小麦粉の中に含まれる色素が、かん水のアルカリ性に反応して黄色くなるということだが……まあ、難しい話は一先ず置いておこう。



 ここまで来れば、俺が何を作るのかは殆どの人が気付いているだろう。

 中国伝来でありながら、今や日本の国民食といっても過言ではない皆が大好きな麺料理『ラーメン』だ。




「なるほどのう……」


 小麦粉にかん水を入れて攪拌作業をしている俺から説明を聞いたエレナは、料理ができるまで遊んでくると言って、元気に走り回っているルーを見ながら話す。


「この湖の秘密はわかった。じゃが、まだ一つわからぬことがある」

「えっ、何?」

「ルーのことじゃ。確かにこの湖は他とは違う。じゃが、塩辛いだけならこの湖じゃなくても、海にでもいけばいいじゃろう。何故、ルーはこの湖が気に入ったのじゃ?」

「ああ、それはね……」


 まだよくかん水のことについてわかっていない様子のエレナに、俺はとっておきの情報を教えてあげる。


「実はこの湖の水はね、沈むのが難しいんだ……ほら、覚えていない? この湖に身投げした人が、死ねなかったって言ったでしょ?」

「ああ、言ったな」

「実は塩分濃度が高いと、浮力が大きくなって沈むのが難しくなるんだ。この湖に身投げした人は、きっと必死に沈んで溺れようとしたのだけど、沈めなくて困ったと思うよ」

「ほう、そんな湖が……後で少し試してみるか」

「うん、最初は驚くかもしれないけど、慣れると結構楽しいよ」


 かつて死海で泳いだ経験を思い返していると調度ルーがこっちにやって来たので、答え合わせをしてみることにする。


「ねえルー、ちょっといいかい?」

「な~に、ハルト?」

「ルーがここにいたのって、あの湖で遊ぶためだろ?」

「うん、そうだよ」


 俺の質問に、ルーは嬉しそうに両手を広げてぴょんぴょん跳ねながら話す。。


「あのね、あの湖に入ると体がピリピリするんだけど、プカプカ浮いて楽しいの」

「それってドラゴンの体でも?」

「うん、ルーね。水は沈んじゃうから嫌いだったんだけど、ここの湖の真ん中の方だとプカプカ浮けるの。後、とっても静かでのんびりできるんだよ」


 まさかドラゴンの体まで浮くとは思わなかったが、これでルーがこの湖にいる理由もわかった。



 そんな風に楽しくおしゃべりに興じていると、かん水を混ぜた小麦粉がパラパラのオカラ状になってくる。


 ここからさらに混ぜていくと、パラパラだけどモチモチという状態になるので、そうなったら袋に入れて、空気を抜くように圧していく。

 この時、最初は軽く、徐々に力を籠めて場合によっては足で踏んだりして袋の中で均等な厚さにするようにしていく。



 そうして必死に体全体を使って生地を板状になるように伸ばしていると、


「おもしろそう……ねえ、ハルト。ルーもそれ、やっていい?」


 俺の作業に興味を持ったのか、ルーが協力を申し出てくる。


「その袋の中のものをぺちゃんこにすればいいんでしょ? ルー、やってみたい」

「あ、ああ、いいよ」


 俺は流れてきた汗を拭いながら、ルーに今の作業について説明する。


「今はね、こうして強く押して中の空気を抜いているんだ。だから強く上から押してもらえるかな?」

「わかった。強くね」


 こっくりと大きく頷いたルーが右手を広げて掲げると、彼女の右腕だけが三倍以上の大きさになる。


「……えっ?」


 突然の事態に驚く俺を尻目に、


「ど~ん!」


 ルーは呑気な声を上げて、巨大な腕を生地が入った袋の上に振り下ろす。

 次の瞬間、まるで大砲を放ったような轟音と衝撃波が俺を襲い、その余波で軽く数メートルは吹き飛ばされることとなった。




「あう~、ごめんなさい」


 吹き飛んだ俺を見て、ルーがパタパタと慌てた様子で駆け寄って来る。


「ハルト、大丈夫?」

「あ、ああ、大丈夫……ちょっと驚いたけど」


 ここに来るまでに受けたエレナのバフの効果が残っていたからか、幸いにも怪我一つ負うこともなかった俺は、起き上がりながら周囲の様子を見る。


 まず、エレナは危険を察知して二つの鍋と一緒に退避しており、中身が無事なことをアピールしてくる。



 それを確認した俺は、ルーによって潰されてしまい、巨大なクレーターと共に地面に縫い付けられた袋を見る。


 どうにか無事でいてくれと願いながら袋の中を覗き込むと、


「…………おっ」


 意外にも袋の中の生地は無事で、しかも調度よく良い感じに潰れていた。

 まさかあの一撃で全ての工程まで吹き飛ばしてしまうとは思わなかったが、俺は泣きそうになっているルーに向かって白い歯を見せて笑う。


「大丈夫、問題ないよ」

「……ほんとに?」

「ああ、本当だよ。それに、ルーのお蔭で麺が一気に完成したよ。ありがとな」


 そう言って俺が手を伸ばしてルーの頭を撫でてやると、彼女は「えへへ~」と嬉しそうにはにかむ。


 …………可愛いな。


 俺は心の底から自分がロリコンでなくてよかったと思いながら、布のようにペラペラになった麺の具合を確かめていった。




 麺が完成すると同時にエレナの作業も終わったようで、彼女が二つの鍋を魔法で浮かせた状態で持ってくる。


「今回ばかりは流石のワシも疲れたぞ」

「エレナ、お疲れ様」


 俺はエレナから鍋を受け取り、中身を確認して問題ないことを確認して改めて彼女にお礼を言う。


「ありがとう。完璧だよ。今回はエレナのお蔭で楽させてもらってばかりだね」


 山登りからスープとチャーシューの仕込みまで、エレナの魔法がなければ、今日中にラーメンが完成しなかったかもしれない。


 そう考えると、エレナの密かな努力に感謝しかなかった。



「ここから先は俺に任せて、エレナはゆっくり休んでいて」

「うむ、ハルトの渾身の一品、楽しみにしておるぞ」


 ゆっくりと腰を落とすエレナに「任せて」と言って、俺は最終工程へと移ることにする。



 本当なら、この生地を二日~四日ほど寝かして熟成させるのがベストなのだが、今回はそんな暇はないので、三十分ほど寝かせてから切っていく。


 この時、打ち粉としてチーズフォンデュを作る時に使ったコーンスターチを使い、ルーのお蔭でペラペラになった麺を折り返して切りやすくし、なるべく細く切っていく。


 切った麺にさらにコーンスターチをまぶし、手でギュッ、ギュッと力を籠めて握ると、いい感じのちぢれ麵になる。

 そうして出来上がった麺を熱湯の中に入れて茹でていく。



 麺を茹で始めると同時に、バスケットの中から醤油と酢と酒をひと煮立ちさせて作った醤油だれを取り出し、三つ並べた丼の中へと入れて行く。


 そこに大きな鍋から湧いたスープを注ぎ、味を確かめながら醤油だれを調整する。


 スープの味が決まったら、茹で上がった麺を入れ、トロトロに煮込まれたチャーシューを薄くスライスして盛り付け、後はネギと別鍋で作っておいた半分に切ったゆで卵、海苔を盛りつければ完成だ。



 慣れ親しんだ醤油の匂いに口内に唾液が溢れるのを自覚しながら、俺は今か今かと待ちわびているエレナとルーの前に丼を差し出す。


「お待たせ、名付けて『ドラゴンテールラーメン』の完成だよ」

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