第56話 奇跡の水の由来
「さて、始めようか……」
腕まくりをして、いつものシンプルなエプロンを身に付けた俺は、早速調理に取り掛かる。
まずは優に五キロ近くあるルーの尻尾の肉を包丁で半分に切り、片方はぶつ切りにしてお湯で五分ほど下茹でをする。
下茹でした肉を水で丁寧に洗ってアクや余計な油を落とした後、それらを寸胴鍋の中に入れて行く。
肉を入れ終わったら、冒険者の荷物の中にあったタマネギやニンジン、干したキノコといった野菜を次々と適当に切って鍋の中に入れていく。
後はニンニク、しょうがを入れ、たっぷりの水と酒を入れて弱火で煮込んでいくことにする。
次にもう半分の肉を紐で縛り、フライパンの上で全体に焼き色がつくように焼いていく。
その間に別の鍋に水、醤油、みりん、酒、砂糖、スライスしたしょうがとニンニク、鷹の爪、そしてバスケットの方に入れていたので無事だったネギを入れてひと煮立ちさせておく。
煮汁の中に焼いた肉を入れて蓋をしたところで、俺は大人の姿になり、ピチピチのワンピースから色々と零れそうになっているエレナに話しかける。
「それじゃあ、エレナ。お願いできる?」
「うむ、任せておけ」
鷹揚に頷いたエレナは、大きく息を吐いて両手をそれぞれの鍋に向けて掲げる。
「むぅ……」
そう言って小さく唸り声を上げるエレナであったが、相変わらず鍋にはこれといった変化は見られない。
だが、実はあの鍋は今、エレナによって中に重力の魔法がかけられている。
これによってあの鍋の中は疑似的な圧力鍋となっており、本来ならかなりの時間をかけてじっくりと煮込むところを、かなり短縮できるはずだ。
かつてモルボーアの肉を使って煮豚を作ろうとした時は失敗したこの魔法だが、エレナはあれから何度も試行錯誤を重ね、重力を細かく制御することでより効率的に、以前よりさらに時間短縮を図れるようになったということだった。
この辺の説明をエレナから受けたのだが、こと魔法に関してはとんとさっぱりだったので、とにかく凄く便利になったということだけ理解しておくことにした。
そんな全く理解できなかったエレナの魔法講義を思い出していると、
「わぁ……エレナ、すごい」
俺と違って何か見えるのか、ルーが興奮したように俺の袖を引っ張ってくる。
「ねえ、ハルトすごいよ。あの鍋の中、たくさんの魔力がぐるんぐるんしてる」
「へぇ……ルーにはあの鍋の中で何が起きてるのか見えるの?」
「うん! 最初会った時はわからなかったけど、エレナってとっても凄い魔法使いなんだね」
「……そうだね」
俺には鍋の中のできごとはさっぱりわからないが、ルーのその一言には大いに賛同できる。
「実はエレナは、銀の賢者と呼ばれる世界一の魔法使いなんだよ」
「へ~、それっておいしいの?」
「お、おいしくはないんじゃないかな~」
「な~んだ。つまんない」
ルーにとっては、エレナの魔法の凄さはわかっても、勇者と共に魔王を倒してこの世界を救った彼女の異名には興味がないようだった。
「そういえば……」
勇者といえば、先程のルーの言葉で気になったことがあったのを思い出した俺は、興味津々にエレナを見ている彼女に質問する。
「そういえばルーの名前って、勇者が付けてくれたってことだけど……どうして?」
「うん、あのね、ルー……勇者と喧嘩して負けちゃったの」
「け、喧嘩したの?」
「うん、だって勇者、ルーの寝床にあったぽかぽかした剣が欲しいって言うんだもん。だから、ルーに勝ったらあげるって言ったの」
「へ、へぇ……」
ということは、勇者はグリーンドラゴン状態のルーと戦って、勝ったということだ。
ルーが勇者と戦ったというエピソードに、驚きながらもエレナの方を見やると、彼女はそんな話は知らないと首を横に振る。
どうやらこの話は、勇者がエレナと出会う前か、別れた後の話のようだ。
「それで、負けちゃったルーはどうしたの?」
「勇者に殺されると思った……でも、勇者は殺さなかったの。それどころか、こんな暗くて寒いところにいないで外に出なさいってルーがいた洞窟、バーン! って壊しちゃったの」
「む、無茶苦茶だな……」
「でもね、お外に出たらぽかぽかで驚いたの。ぽかぽかの剣なんかなくてもルー、困らなかったの」
「へぇ……」
きっと勇者からしたら、ルーが大切にしていた剣を取ってしまうことに対する罪滅ぼしだったのかもしれないが、それで彼女は自由を手に入れたようだ。
「それでね、勇者はルーにルーって名前をくれたの。ルーが綺麗なルーだからルーなんだって」
「……えっ?」
ルーの言った言葉の意味がわからず、俺は首を捻る。
ルーが綺麗なルーだからルーって……何かの呪文だろうか?
「ルーとはこの世界の言葉で『翡翠』という意味じゃ」
混乱する俺に、エレナから助け舟が入る。
「ほら、ルーの体が見事な緑色じゃったろ? だからあいつは、此奴にルーという名を与えたのじゃよ」
「えぇ……それって」
安直過ぎない? と思ったがルーの手前、控えておく。
しかしそう思ったのは俺だけじゃないようで、エレナも呆れたように嘆息しながら苦笑する。
「あいつはそういう奴じゃよ。それに、ルーが気に入っているのなら何も問題あるまい?」
「うん! ルー、ルーって名前、とっても好き!」
無邪気なグリーンドラゴンがそう言うのであれば、俺としては何も言うことはなかった。
ルーと勇者の関係についての疑問が解決したところで、調理に戻ることにする。
鍋の方は、後は灰汁取りやら、煮汁が減ったら水を足すなどの細かい作業はあったりするのだが、そちらはエレナが担当してくれることになっているので、俺は次の工程に移ることにする。
「さて、いよいよ次は奇跡の水を使っての調理だよ」
「おおっ、いよいよか」
俺の宣言に、エレナは鍋に魔法をかけ続けながら湖の方を見やる。
その表情は過去を思い返して懐かしさを噛み締めると同時に、何処か寂し気な愁いを帯びた表情をしていた。
「……しかし、この湖がまさか奇跡と呼ばれる日がくるとはのう」
「昔は違ったの?」
「うむ、違った……ここはかつて、今とは真逆の呼び方をされておった」
「ああ、なるほどね」
エレナが言いたいことを理解した俺は、彼女を驚かそうとその答えを先に言う。
「きっと昔は、死の湖と呼ばれていたんでしょ?」
「ほう……」
俺が先に答えに辿り着いたのが面白くなかったのか、エレナは挑む様な視線を向けて問いかけてくる。
「ではハルトに問おう。どうしてこの湖が死の湖と呼ばれていたのじゃ?」
「簡単だよ。この湖には生き物が住んでいないからだろ?」
「何と!?」
驚き、目を見開くエレナに、俺は畳み掛けるようにさらなる推察を重ねる。
「そして、死の湖の噂を聞きつけた人がここに身投げしたけど、死ぬことができずに一命をとりとめた。それからこの湖の呼び方が真逆になったんじゃない?」
後は、その奇跡に何かしらのご利益があるかもしれないと、この湖の水を使って製麺したところ、格別に美味い麺ができたというところだろう。
「ハルト……まさかお主、答えを知っておったのか?」
狙い通り驚愕の表情を浮かべるエレナに、俺は苦笑しながら真実を告げる。
「いや、知らないよ。ただ、この湖の特性に気付いていただけだよ」
料理の知識以外で初めてエレナにイニシアチブを握れたみたいで誇らしかったが、俺はそろそろ奇跡の水の正体について彼女に話すことにする。
「実はこの湖の水はね、かん水なんだよ」
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