第51話 現れた巨竜、そして……

 眼下に流れる雲を十分に堪能した俺は、大きく伸びを一つしてエレナに話しかける。


「そろそろ行こうか?」

「うむ、きっとドラゴンも腹を空かせて待っているじゃろうからな」

「…………腹を空かしているのはエレナじゃないの?」

「バレたか」


 エレナは可愛らしくペロリと赤い舌を出すと、俺が手にしているバスケットに何度も視線を落としながら甘えるような声で問いかけてくる。


「というわけじゃ、何か適当に摘めるものを作っておったりせぬのか?」

「まあ、そんなことになるだろうと思っていたから用意しておいたよ」

「やった! 流石はハルトじゃ」


 全身で喜びを表すように飛び跳ねるエレナを見て思わず笑みを零した俺は、腰を落として寸胴鍋を一度下ろし、バスケットを開けて中からエレナの所望したものを渡す。


「はい、一応、歩きながら食べられるものを用意したから、歩きながら食べよう」

「ほほう、どれどれ……」


 エレナはウキウキとした様子で、紙に包まれた手の平サイズのものを受け取り、中を開けて筒状の料理をまじまじと見つめる。


「ほほう……これは小麦粉で作った生地に肉と野菜を巻いたものじゃな」

「うん、ケバブっていうんだ。きっとエレナも気にいると思うよ」


 最近では日本でもよく食べられるようになったケバブは、トルコ料理の一種で肉や魚、野菜を焼いた料理のことを指す。



 ケバブの由来は諸説あるが、遊牧民が肉を剣に刺し、火で炙って食べたことが始まりと言われており、後に剣ではなく鉄串を使って調理されるようになったようだ。


 ケバブには様々な種類の料理があるが、上げればキリがないのでとりあえず知っておきたい二種類を紹介しよう。


 一つは日本の屋台でもお馴染みとなった『ドネルケバブ』だ。


 ドネルとは「回転」という意味で、串に味付けした薄切り肉を指して大きなブロック状にまとめ、専用のグリルで回転させながら焼いたものを外側から薄く削いで食べる料理だ。



 そしてもう一つは『シシケバブ』で、シシは「串」という意味で、一口サイズに切った肉や野菜を鉄串に刺して炭火で焼いた料理だ。

 レストランでは皿に盛られて提供されることが多いが、屋台ではラヴァシュという薄く焼いたパンに挟んで提供され、俺としてはこちらの方が好みだったりする。


 ちなみにトルコではシシケバブの方がポピュラーで、今日俺が作ったのもシシケバブの方だ。



「では、いただくとするかの」


 両手でケバブを持ったエレナは、大きな口を開けて一気に半分ほど頬張る。


「――っ!?」


 次の瞬間、エレナの目がキラキラと輝き出すので、ケバブの出来がどうだったかなんて聞くまでもなかった。


 まるでリスのように頬を大きく膨らませて咀嚼したエレナは、首を前後に大きく動かして飲み込むと、ニンマリと満面の笑みを浮かべる。


「マシュカルのような刺激的な味付けでとても美味いぞ。そして、もしやと思ったが中に入っておる肉、これは羊じゃな!」

「おっ、流石、エレナ。よくわかったね」


 かなり濃い目に味付けしていたのに、すぐに見抜くエレナの舌に文字通り舌を巻きながら料理の説明をする。


「昨日のマシュカルでいい刺激を受けたからね。フロッセで買った香辛料を使って肉をカレー風味に味付けしてみたんだ」

「おおっ、これが噂に聞くカレー味というやつか。なるほど、確かにマシュカルに似ているが、全体的に丸い感じに仕上がっているな」

「そりゃね。マシュカルに比べると使っている香辛料の種類が圧倒的に少ないからね」

「そうなのか?」

「うん、今回使ったのは、クミン、コリアンダー、ターメリックの三つだけだよ。後はすりおろしたニンニクとしょうがで風味付けしたんだ」

「何と!? たったの三つの香辛料でこの味を……」


 エレナは大きな瞳を限界まで見開きながら綺麗な歯型のついた断面を確認し、もう一口食べて何度も頷く。


「確か、カレーは使う香辛料によってその色を変えるのじゃったな?」

「そうだね、残念ながら俺はこの三つの香辛料を使った基本のカレーぐらいしか作れないけど、香辛料の数だけカレーの種類はあるといっても過言ではないくらい奥が深い料理なんだ」

「ほう、これが基本とは……複雑ながらも病みつきになる辛さと旨味、カレーとはいかようにも変化する摩訶不思議な料理なのじゃな」


 エレナは残ったケバブを一気に頬張ると、香りを楽しむように双眸を細めてじっくりと味わう。



 そのまま二つ目のケバブへと手を伸ばすエレナを横目に見ながら、俺もケバブを手にして頬張る。

 エレナの言う通り、マシュカルと比べるとややおとなしい味付けだが、慣れ親しんだカレーの風味に思わず安堵の溜息が出る。


 これからドラゴンに料理を振る舞うなんてとんでもないことをやることを考えると、食事が喉を通るか心配であったが、流石は食欲増進効果のあるカレーだけあり、すんなりと食べられそうだった。



 それから俺たちは他愛のない会話を交わしながら、登りに比べてかなり緩やかになった下り坂を下りて奇跡の水があるという森を目指した。




 登りは自然の厳しさを体現したような傾斜のキツイ岩だらけの道だったのに、どういうわけか、下りに入ってから徐々に緑が見えはじめ、中腹に辿り着く頃には緑豊かな土地へと移り変わり、今は森の中を地図片手に歩いていた。


 それに、


「何だか暑くなってきたような気がするね」


 先程まではTシャツ一枚では少し肌寒いと思っていたのに、いつの間にか汗ばむような暑さになっていた。



 明らかな環境の変化に、俺は首を傾げながらエレナに尋ねる。


「急に環境が変わったけど、ここら辺って何かあるの?」

「ふむ、確かこの辺には活火山がいくつかあったはずじゃから、その影響じゃと思うぞ」

「活火山……なるほどね」


 そう言われてみると、なんだかちょっと地面が温かいような気がする。

 もしかしてと思って周囲のにおいを探ってみるが、残念ながら温泉地にありがちな硫黄のにおいはしない。


「でも、活火山があるということは、何処かに温泉もあったりするのかな?」

「かもしれぬな……よし、その時は一緒に入るとするかの?」

「ええっ!? そ、それはちょっと……」

「フフッ、冗談じゃよ」


 思わず顔が赤くなるのを自覚する俺に、エレナは自分の口に人差し指を当てて、可愛らしくウインクをする。


「いくらハルトでも、まだワシの素肌を見せるわけにはいかないからな」

「ハハ、ハハハッ、そうだよね……」


 俺はエレナにしてやられた、という風に後頭部を掻きながら笑ってみせる。

 だが、内心では先程の言葉の中にあった「まだ」という単語が、頭の中で何度も繰り返し再生され、心臓が張り裂けそうなほど速く強く脈打っていた。


 ……落ち着け、エレナ本人はきっと気付いていないから。


 そう自分に言い聞かせながら、俺は話題を逸らすために殊更明るい声でエレナに話しかける。


「そういえば、そろそろ目的地に着くんじゃないかな?」

「そうじゃな……」


 エレナが地図に視線を落とすと同時に、近くからバキバキ、と何かが砕けるような音が聞こえ、空が何かに覆われたのか突如として陽が落ちたかのように暗くなる。



 思わず上空へと目を向けると、大きな翼を羽ばたかせている緑色の何かが見えた。


 もしかしてグリーンドラゴンかと思っていると、影の頭部が青白く光り出す。


「えっ……」


 まるでもう一つ陽の光が現れたかと思うような神々しさに、口をポカンと開けて呆けていると、


「ハルト!!」


 これまで聞いたことがないエレナの切羽詰まったような声が聞こえ、俺の体が何かに突き飛ばされる。



 次の瞬間、俺の視界が白一色に染まり、世界から音が消えた。

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