第50話 楽過ぎる?山登り

 今日のところは移動による疲れもあったので宿に行って休むことにした。


 その道すがら、エレナは先程のドラゴンに会いに行くという話の補足説明をする。


「ドラゴンは強大な力を持っているが、基本的に非常に温厚な生き物なのじゃ」

「そ、そうなの?」

「ああ、じゃが思考回路はワシ等とはだいぶ違ってのぅ。そのことが原因でちょいちょいあちこちで問題を起こしてしまうのじゃ」


 エレナによると、多くのドラゴンはとても無邪気な性格をしており、特に一度興味を持ったものに固執する習性があるという。


 今回、奇跡の水が湧く湖に居着いたのも、そこにドラゴンの興味を大いに引く何かがあるからだろうということだ。


「その何かがなくなれば、ドラゴンは勝手に出ていくじゃろうが、それが何時になるかはわからぬ。そこで冒険者たちの出番というわけじゃ」

「どういうこと?」

「つまりじゃな。ドラゴンを楽しませてやるから、ここから出ていってくれと頼むのじゃよ」

「ええ……」


 そんなこと可能なの? と思うが、ドラゴンとのそういったやり取りは古くから幾度となく行われており、かつては話し合いだけでドラゴンを退けたという例もあるらしい。


「じゃから戦う術を持たないハルトでも、ドラゴンを追い払うことは可能というわけじゃな」

「追い払うことは可能って……」


 そこで俺は、エレナが期待に満ちた笑顔を浮かべて俺を見ていることに気付く。



 その笑顔を見てとても嫌な予感を察した俺は、思わず逃げ出そうとするが、それより早くエレナが俺の手を取って歌うように話し出す。


「そういえばハルトは、奇跡の水を使ってとっておきの料理をワシに食わせてくれると言っておったな」

「言ったけどまさか……」


 頼む。嘘であってくれ。そう願いながらエレナの次の言葉を待つ。



 だが、俺の願い空しく、エレナが予想していた中で最も恐れていた言葉を口にする。


「その料理、せっかくじゃからドラゴンに食わせてやろうじゃないか」


 サラッととんでもない言葉を口にしたエレナは、その言葉に反して思わず見惚れてしまうような大輪の笑顔の花を咲かせた。


 そして、そんなエレナの笑顔にすっかり骨抜きにされている俺は、彼女の提案を断るなんてできるはずもなく、いそいそとドラゴンに食べさせる料理を準備するのであった。




 ――そうしてエレナによるドラゴンに会いに行くという宣言から二日後、しっかりとドラゴンに合う準備を整えた俺は、彼女と一緒に奇跡の水があるという湖を目指していた。


 ベルクの村を発ち、山を登り始めるとあっという間に周りは岩だらけの荒れ地になり、傾斜のきつい山道が続いた。


 今進んでいる山道を頂上まで登り、そこから山を下りた先にある森まで行くと、ようやく目的の奇跡の水が湧く湖があるという。



 徒歩だと鍛えられた冒険者の足でも優に半日はかかる体力的にもかなりキツイ行程を、俺はいつもの調理道具が詰まった年季の入ったバックパックではなく、子供のエレナぐらいなら余裕で入れる巨大な寸胴鍋を背負って一歩一歩、足を踏み外さないように慎重に歩を進めていた。


 この中にはドラゴンに料理を振る舞うために用意した下ごしらえを終えた材料が入っているのだが、ここに来て俺はまだエレナの言葉に半信半疑であった。



 エレナはドラゴンの多くは非常に温厚だというが、今から会いに行くドラゴンが数少ない例外である可能性もなくはないからだ。


 もし、戦闘になってもエレナが全力で守ってくれると約束してくれたが、そもそもそんな危険な可能性がある場所に近付きたくないというのが本音である。


 冒険譚を聞くのは楽しいが、自分では経験したいとは思わない。

 君子危うきに近寄らず、というやつである。


 世界中を旅した時も、事前に下調べをしっかりと行い、危ないと目される場所には、地元の人の協力がなければ絶対に近寄らないようにしたものだ。



 そんな俺がこの二日間、しっかりと準備をしている間に願っていたことは、中年男性たちをはじめとする冒険者の皆さんがドラゴンと交渉するために出ていったので、彼等の交渉が上手くいき、俺たちが湖に辿り着く頃には、既にもぬけの殻になっていてほしいというものだった。


 しかし、生憎と彼等はまだ戻って来ていないので、交渉がどうなったのかはわからずじまいだった。



「はぁ……それにしても」


 俺はゴツゴツと岩肌剥き出しのキツイ傾斜を上りながら、自分の体に起きている大き過ぎる変化に思わず嘆息する。


「エレナの魔法は本当に凄いな」


 今、俺の体にはエレナの魔法によるバフがかかっている。

 以前、馬車の中で受けたような尻への防御と同じ系統の魔法だというが、そのバフによって傾斜のキツイ山道を登ってもまだまだ体力的に余裕があるし、背負っている荷物も羽が生えて自ら飛んでいるのかと思うほど重さを感じなかった。


 以前からエレナは体力があるなと思っていたが、どうやら秘密はこの身体能力を上げる魔法にあったようだ。



 先に山の頂上まで登り切った俺は、後から子供の姿でよたよたと登って来るエレナに手を差し伸べながら笑いかける。


「お疲れ、エレナのお蔭でまだまだ余裕だよ」

「フフッ、本当は道中の苦労も旅の醍醐味じゃから魔法は使いたくなかったのじゃが、今回は特別じゃぞ」

「ハハハ、わかってるって」


 手を握って来たエレナの軽い体を引っ張りながら、俺は頷いて彼女の意見に同意する。


 本当ならこの険しい山道を汗水垂らしながら登り、頂上に辿り着いた喜びをエレナと一緒に分かち合いたかったのだが、残念ながら今回の目的はドラゴンに満足する食事を提供して奇跡の水を得ることが目的なので、道中で疲れ果て、肝心の調理を行う体力がないということを避けるためにエレナの魔法を使うことにしたのだった。

 これでは心から旅を楽しんでいるとはいえないかもしれない。



 ただ、それでも……


「綺麗だね」

「うむ、絶景じゃな」


 山頂に並んで立った俺たちは、眼前に広がる光景に心を奪われずにいられなかった。


 雲より高いここから見えるのは三百六十度、見渡す限り何処までも続く真っ白な雲海だった。

 風は決して強くはないのだが、流れる雲の速度は速く、目まぐるしく景色が様変わりしていく様は見ていて飽きない。


 雲の隙間から見えるベルクの村は豆粒のように小さく、自分があそこから来たと思うと何だか誇らしく思うと同時に、次こそは自分の力で登ってみせようと思った。

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