第48話 笑顔が零れる心まで温まる一品

「カレー?」


 思わず呟いた俺の感想に、エレナが不思議そうに小首を傾げる。


「もしかしてハルトは、マシュカルを食べたことがあるのかえ?」

「ううん、初めて食べたよ。でも、これに似た料理は知っているんだ」


 俺はスープを馴染ませるようにゆっくりとかき混ぜながら、エレナに『カレー』について話す。



 ここで俺が口にしたカレーとは、多くの人が普段から口にしているカレーライスのことを指しているのではない。


 何故なら、カレーと一口に言っても大きく分けると二種類あるからだ。


 一つはあらかじめ調合された香辛料、カレー粉を使って作る俺たちが良く知るイギリス由来の欧風カレー。


 そしてもう一つは、多種多様な香辛料を食材と一緒に炒めて作る煮込み料理、インドカレーだ。



 といっても実はインドには『カレー』という料理はなく、それぞれの料理に個別の名前が付いていたのだが、十七世紀頃より欧州圏においてインドの料理を『カレー』と総称して広く世界に普及させたという経緯があり、それを受けてインドでは観光客向けに便宜上、メニューに○○カレーと表記していることが多い。


 ちなみにカレーという語源には諸説あるのだが、一説ではタミル語で「食事」を意味する「kaRi」という言葉が英語で「curry」と表記されるようになったというのが有力らしい。



 少し話が脱線したが、マシュカルに使われている饅頭の中には、いくつもの香辛料を炒め、煮詰めたインド風のカレーにも似た極上のスープが閉じ込められていたということだ。


 そしてエレナが店内ではなくテラス席を所望したのは、マシュカルと対面する前に俺がカレーの匂いに触れないようにという配慮のようだった。



 相変わらず食べることに関しては、エレナは何処までも真面目でエンターテイナーだな。なんて思いながら、トロトロに煮込まれた肉を少し切り分け、スプーンで掬って食べてみる。


「――辛っ!? だけど、うまっ!」


 流石にスープに溶くように作られているからか、肉そのものはかなり辛い。そして次々にやって来る複雑に絡み合った刺激から、この肉の味付けにもかなりの種類の香辛料が使われていることがわかる。


 その刺激的な美味さから、ただのカレーに入っている肉というよりは、インドネシアなどで食べられている『ルンダン』という料理に近いと思った。


 流石に何の香辛料がどれくらい使われているかなんてことはわからないが、十種類以上の香辛料を掛け合わせて見事な一つの味を完成させていることから、店主の香辛料に対する知識の深さが伺えた。



 そして、このやや獣臭いクセがあるが、コクのある凝縮された旨味を持つ肉の味には覚えがあった。


「この肉ってマトン……つまりは羊肉だよね?」

「うむ、流石はハルトじゃ」


 エレナは顎を大きく引いて満足そうに頷くと、トロトロに煮込まれた肉をフォークで突き刺して掲げ、うっとりとした表情で熱く語る。


「本来、マシュカルに使う肉は何でも良いそうじゃが、このクセの強い羊肉を、香辛料をふんだんに使ってさらに旨味を引き出していただくのが、この店ならではのマシュカルなのじゃ」

「なるほど……」


 エレナから説明を聞いた俺は、今度は肉と麺とスープ、その全てを同時に食べてみる。


 一つ一つはしっかりと味が付いているのに、その全てが合わさっても喧嘩することなく、いくつもの香辛料の足し算によって一つのしっかりとした味に集約されている。


 言うなればこれは、味の変化を楽しむことができるボリューム満点のエスニックカレーうどんと言ったところだ。



 俺は饅頭の中身をしっかりと崩してスープにまんべんなく溶き、鼻を突き抜ける香辛料の匂いを堪能しながら器を手にしてスープを飲んでいく。


 調度よい辛さになったスープは、トウガラシに含まれるカプサイシンの効果も相まって、一口飲む度に体の芯から温かくなっていくのが感じられた。


「ふぅ……」


 額から流れてきた汗を拭った俺は、熱いのか顔を手で扇いでいるエレナに笑いかける。


「おいしいね。それに、とっても温まるね」

「うむ、マシュカルは寒い冬の定番料理じゃからの。一日の始まりにこれを食べれば、例え雪の中でもへっちゃらじゃろ?」

「ハハハ、そうかもね」


 思わず雪の中でも元気にはしゃぐ子供姿のエレナを想像してしまったが、これだけ体が温まれば、俺も彼女と一緒に遊ぶのも悪くないなんて思ってしまった。



 そんなことを考えていると、


「お待たせしました。こちら首長鳥の丸焼きになります」


 俺の目の前に、巨大な皿がドン、と置かれる。


「……えっ?」


 俺の顔より遥かにデカい、四十センチほどのダチョウみたいなフォルムの鳥を見て、俺はおそるおそるエレナに尋ねる。


「あ、あのエレナさん……ひょっとしてこれも頼んだの?」

「うむ、首長鳥は鳥なのに、空を飛べない変わった鳥じゃが肉質は柔らかく、油が乗ってて堪らん美味さじゃぞ」

「い、いや、そうではなくてですね……」


 マシュカルだけでも結構な量があったのに、そこに追加で肉を食べる余裕なんてないんですけど……、



 そう思う俺だったが、まだまだ余裕をみせるエレナは、ウキウキとした様子で首長鳥と呼ばれた鳥の肉を切り分けると、こんもりと皿に盛って俺に差し出してくる。


「ほれ、ハルト。今度はこっちを試してくれ。こっちもとびきり美味いんじゃ」

「あっ、うん」


 そんなキラキラと眩し過ぎる笑顔を向けられたら、断ることなんてできないじゃないか。



 俺は覚悟を決めてエレナから皿を受け取ると、こんがりと飴色に焼かれた首長鳥へと取りかかっていった。

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