第3章 奇跡の水とグリーンドラゴン
第44話 お尻に救いを
俺の名前は
その目的は、ウイルスのない世界で思う存分に食べ歩きを満喫すること。
旅の一切の心配はエレナが請け負ってくれるとのことなので、代わりに俺は彼女が満足するような料理を振る舞うと約束している。
そんな少し変わった契約関係の俺たちの旅は、デザートを作るために立ち寄った牧場の主であるバカラさんの奥さん、ネミッサさんから得た情報、奇跡の水を得るために乗合馬車を何台も乗り継ぎ、シャルルーという山岳地帯までやって来た。
シャルルー山岳は、剥き出しの岩肌や険しい山道が続く、これまで緑豊かな地と打って変わって自然の厳しさをひしひしと感じられるそんな場所だった。
だが、そんな大自然の厳しさを味わう前に、今は眼前の問題をどうにかしたいと思っていた。
「ああ…………あぅ」
砂利の道を進む馬車がガタガタと揺れ、もう何度目になるかわからない尻が浮く感覚に、俺は堪らず声を漏らす。
「なんじゃ、ハルト」
しかめっ面をした俺を見て、揺れ続ける馬車の上でも平然としているエレナが声をかけてくる。
「もしかして、尻が痛むのか?」
「あっ、うん……実はそうなんだ」
これまで何度も馬車に乗って来て多少の痛みを感じることはあっても、我慢できないほどではなかった。
だが、今回は数日間にも及ぶ長時間の移動と、碌に整備されていない山道特有の凸凹道によって、俺の尻は限界を迎えつつあった。
俺は少しでも痛みを和らげようと、床に手を付いて尻を浮かせながら余裕の笑みを浮かべているエレナに話しかける。
「そういうエレナは何だか余裕そうだね」
「まあ、これでも馬車旅には慣れておるからのぅ……どれ、少し待っておれ」
エレナは「動くなよ」と俺に命令しながら、指先で何やら印を結びながら俺の尻の下に空いた僅かな空間を指差す。
「ほれ、ちょっと腰を落としてみるがいい」
「ん」
きっと何かの魔法を使ったのであろうと察した俺は、エレナの指示通り腰を落としてみる。
「…………」
てっきり床が柔らかくなったり、見えない何かがあったりするのかと思ったが、床は変わらず硬いままで。馬車の揺れが軽減された様子もない。
もしかしなくても特に変わった様子はない……そう思ったが、
「……おっ」
暫くして俺は、自身のある変化に気付く。
「あれ? 尻が……痛くない」
さっきまで馬車が跳ねる度に尻が痛くて堪らなかったのだが、どういうわけか痛みが綺麗さっぱりなくなっていたのだ。
「ねえ、エレナ。一体何をしたの?」
「何、ちょっと防御魔法を尻にかけてやっただけじゃ」
「防御魔法……これが」
得意気に胸を反らすエレナを見ながら、俺は自分の尻を擦ってみる。
相変わらず地味過ぎて何が起きたのかわからないが、どうやら今現在、俺の尻にはエレナによる防御バフがかけられているようだ。
でも、尻にバフって……、
果たして、かつてそんなバフを受けた者が存在するのだろうか?
前代未聞と言っても過言ではないような気もするが、これなら当分の間、馬車に揺られても問題なさそうだった。
俺は相変わらずガタガタと揺れる馬車に腰を下ろし、問題ないことを確認してからエレナに向かって笑いかける。
「相変わらずエレナの魔法は凄いね。助かったよ。ありがとう」
「うむ、苦しゅうない」
かつての失敗から学んだ俺がエレナの魔法を褒めながら礼を言うと、彼女はまんざらでもない表情を浮かべてはにかむ。
うんうん、円滑な人間関係って大事だよね。
「それじゃあ、エレナ。お礼……ってわけじゃないけど、お茶にしようか」
「おぉ、それは魅力的な提案じゃな。今日のお茶菓子はワシも手伝ったあれじゃろ? 敢えて聞かなかったが、あれは何という菓子なんじゃ?」
「うん、今日はバカラさんのところで貰った、フォレテットのミルクを使ったミルクプリンだよ」
「おおっ、ミルクプリンとな!? 普通のプリンと何が違うのか非常に気になるぞ。ささっ、早う食べさせておくれ」
「ハハッ、お任せを」
興奮して鼻息を荒くするエレナに苦笑しながら、俺は尻を快適にしてもらった礼も兼ねて、彼女と一緒にお茶を飲む準備をする。
といっても、この狭い馬車の中でお茶を沸かすわけにはいかないので、取り出すのは事前に紅茶を淹れておいた魔法瓶だ。
コポコポと魔法瓶が立てる音を聞きながら二人分のお茶を淹れた俺は、続いて保冷バッグに入れておいたミルクプリンを取り出す。
カップに入ったプルプルと震えるミルクプリンをエレナの前に差し出すと、彼女の大きな瞳がキラキラと輝き出す。
「ほう、これがミルクプリンか……普通のプリンと違って真っ白なのじゃな」
「うん、これは卵を使っていないからね」
ミルクプリンは、ミルク、砂糖、ゼラチンの三つだけで作れるとても簡単なデザートだ。
作り方は温めたミルクに砂糖、ゼラチンを溶かして容器に詰めて冷ますだけである。
作り方のちょっとしたコツとして、あらかじめミルクを二つに分けておき、砂糖とゼラチンを溶かした温められたミルクに、冷やしたミルクを後から入れて効率よく冷やせば、多少の時短になるので興味を持った人は試して欲しい。
今回使ったミルクは、とびきり濃厚で自然の甘さが際立っているフォレテットのミルクなだけに、通常のミルクプリンと比べてどれだけおいしくなっているか楽しみだった。
「では、早速いただくかのぅ」
お茶の準備が整ったのを確認したエレナは、スプーンを手にしてミルクプリンをひと匙掬って大きく口を開けて頬張る。
「んん~」
ミルクプリンを食べたエレナはほっぺたが落ちないように手で抑えながら幸せそうな笑みを浮かべる。
「何という優しい甘い菓子なのじゃ。それでいてこの滑らかでプリプリとした食感、とてもミルクと砂糖だけで作られたものとは思えんぞ」
「へぇ、どれどれ……」
エレナからの絶賛を受けたミルクプリンを、俺も一口掬って食べてみる。
「おおっ、これは……」
思った以上に濃厚なミルクの味わいに、俺は大きく目を見開いて自分で作ったミルクプリンを見やる。
ティラミスを作った時にも思ったが、フォレテットのミルクは、ジャージー牛乳に負けず劣らずの濃厚さに加えて十分過ぎるほどの甘さがあるのに、後味はさっぱりとしてしつこくないのだから不思議である。
日持ちしない故、残念ながらフォレテットのミルクはもう残っていないが、いつかまたバカラさんの牧場に行って、このミルクを使った料理を作りたいと思った。
そんなことを思いながらエレナと二人、仲良く並んでミルクプリンを堪能していると、
「なあなあ、お二人さん。ちょっといいかい?」
俺たちに親しげに声をかけてくる者がいた。
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