第37話 おいしい気持ちの籠った贈り物
――たっぷりとカイナッツナの料理を堪能した翌日、旅立ちの準備を終えた俺たちは、フロッセの街を発つ前に、お世話になったヒンメルさん一家に挨拶するために彼の家を訪れた。
「そうですか、もう旅立ってしまうのですね」
家の前で漁に使う網の点検をしていたヒンメルさんは、作業の手を止めて立ち上がると、家の中に向けて声をかける。
「お~い、ハルトさんとエレナちゃんが出発の前に挨拶に来てくれたぞ」
「あっ、あ、は~い、ほら、あなたたちも……」
家の中からタラサさんの声が聞こえたかと思ったら、中からドタドタと賑やかな足音が聞こえてくる。
「エレナ!」
すると、カイト君が矢のような勢いで飛び出して来て、欠伸を噛み締めている自分と同じくらいの身長のエレナへと詰め寄る。
「お、お前、旅に出るって本当なのか?」
「む? なんじゃ、もしかしてお主、ワシがいなくなるのがそんなに寂しいのか?」
「うっ、そ、それは……」
エレナの真っ直ぐな指摘に、カイト君は顔を真っ赤にさせながら口ごもる。
「そ、そそ、そんなわけないだろ。どうして僕がお前に対してさ、ささ、寂しいなんてさ!」
だが、素直にエレナに会えなくなるのが寂しいと認めるのは恥ずかしいのか、カイト君は腕を組んで顎を上げ、エレナを見下すような姿勢をして偉そうに話す。
「別に寂しくなんかないかい! エレナなんか、勝手にどっか行っちゃえ!」
カイト君はベーッ、と赤い舌を出して威嚇すると、そのまま家の中へと消えて行ってしまった。
「コ、コラ、カイト!」
ヒンメルさんが暴言を吐いて立ち去ったカイト君を咎めるように声を上げるが、諦めたように嘆息して俺たちに頭を下げる。
「すみません、カイトには後でよく言っておきますから」
「いえいえ、気にしなくていいですよ」
恐縮するヒンメルさんに、俺は気にしていないとかぶりを振る。
「カイト君だってさっきの言葉は、本意じゃないはずです。ただ、ちょっと突然の別れに驚いて、素直になり切れなかったんだと思います」
それに、カイト君はエレナのことが好きだと思われる。
彼ぐらいの年齢だと、ただでさえ好きな子には素直になれないのに、もうエレナに会えなくなると思ったら、ああして感情が暴走してしまうのも無理はないと思った。
「まあ、あやつは出会った時から生意気じゃったからのう。別れもこんなもんじゃろ」
ただ、惜しむらくは、カイト君の気持ちが全くエレナに届いていないことだ。
だからここは、カイト君の名誉のためにも助け舟を出してあげよう。
「あのね、エレナ……カイト君はね?」
「ハルトさん、気にしなくていいですよ」
カイト君のフォローをしようとする俺だったが、思わぬところから横槍が入る。
声のした方に目を向けると、頬を膨らませ憮然とした態度のマリナちゃんが、タラサさんと一緒に家から出てくるところだった。
「カイトの奴、ああやって我儘を言っていれば、きっとエレンディーナ様が手を差し伸べてくれると高を括っているんです。だから、無視してくれて構いませんよ」
「ハハハ、手厳しいね……って、あれ?」
何だかしおらしい態度のマリナちゃんを見て、俺は気になったことを尋ねる。
「マリナちゃん、もしかしてエレナのこと……」
「はい、パパとママから聞きました」
マリナちゃんはニッコリと笑うと、自分の胸に抱えていた紙袋をエレナに差し出す。
「あ、あの……エレンディーナ様、この度はパパとママを助けていただきありがとうございました。それでその……これ、せめてもの感謝の気持ちです!」
「ワシはただのエレナちゃんなのじゃが……まあいい」
相変わらず銀の賢者であることを認めるつもりのないエレナであったが、差し出された紙袋の中身が気になるのか、指差しながらマリナちゃんに尋ねる。
「それで、これは?」
「そ、その……エレンディーナ様に喜んでいただきたくて、お二人のためにお菓子を作りました」
「ほう……」
「あっ、ちゃんとママと一緒に作りましたから、その……味は大丈夫なはずです」
「フフッ、案ずるな。この匂いは……美味いものの匂いじゃ」
エレナはマリナちゃんから紙袋を受け取ると、早速、袋を開けて中からこんがりと揚げられた四角い菓子を取り出して食べる。
「うむ、美味い! これは揚げたパンに砂糖をまぶしたものじゃな」
「はい……すみません。たいしたものではなくて……」
「そんなことないぞ、マリナよ……お主の心意気、ありがたくいただくぞ」
満足そうに頷いたエレナは、手を伸ばしてマリナちゃんの体を抱く。
「フフッ、お主は弟と違ってよく気が利くのぅ。よかったらワシの嫁にならぬか?」
「ええっ!? そ、そんな……畏れ多いです」
「ハハハ、冗談じゃよ」
エレナは豪快に笑うと、貰った紙袋を大切そうに抱えながら俺の隣に並ぶ。
「ハルトよ、そろそろ……」
「そうだね。ヒンメルさん、タラサさん、マリナちゃん。ありがとうございました。海の悪魔の地獄鍋、とっても美味しかったです」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ヒンメルさんはタラサさんとマリナちゃんをそれぞれの手に抱くと、三人揃って深々と頭を下げる。
「こうして家族揃って笑えるのも、お二方がいてくれたお蔭です。本当にありがとうございました」
「再びこの街に来る時は、ぜひとも我が家をお訪ね下さい。精一杯、おもてなしさせていただきますから」
「必ずですよ……その、それまでにカイトの奴を、もう少しまともにしておきますから」
「ハハハ……わかりました。その時は必ず」
俺は頷いてヒンメルさん一家と再会を約束すると、エレナと並んで歩き出した。
そこからちょっと歩いて後ろを振り返ると、扉からそっと顔を出してこちらの様子を伺うカイト君が見えたので、俺の方から彼に向けて手を振る。
すると、カイト君は扉から飛び出してきて、大きな身振りで手を振ってくれる。
「エレナ、ハルト兄ちゃん、またね~」
その元気な声に、エレナも「やれやれ」と言いながらも振り返って手を振ってやると、カイト君の笑顔が弾けた。
その後、カイト君は俺たちの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けてくれていた。
フロッセを発ち、街が眼下に見える丘の上まで登ったところで、俺は振り返って港に入ろうとする巨大な帆船を見ながらエレナに話しかける。
「今回もいい人たちと出会えてよかったね」
「そうじゃのう。美味いものも食べられて、満足じゃ」
マリナちゃんから貰った揚げパンを頬張って笑顔を浮かべたエレナは、俺に紙袋を差し出す。
「ほれ、ハルトも一つどうじゃ?」
「じゃあ、遠慮なく……」
俺は手を伸ばして、正方形に切り揃えられ、薄く均等に砂糖で化粧され揚げパンを口に放る。
高温でしっかりと揚げられたパンはまだ仄かに暖かく、サクサクと小気味いい音を立てながら程よい甘さが口の中に広がるのを感じる。
揚げパンは決して難しい料理ではないが、それでもマリナちゃんが失敗しないようにと、丁寧に仕事をしたのだろうという心意気を随所に感じ、俺は笑みを零す。
「うん、とっても美味しい」
「じゃな、それでハルトよ。わかっているだろうな?」
もう一つ揚げパンを食べたエレナは、挑発するようにニヤリと笑う。
「プロの料理人であるお主なら、これを軽く超える菓子を振る舞ってくれるのじゃろ?」
「そうだね、簡単ではないけど頑張るよ」
俺はマリナちゃんに敬意を表して控え目に言うと、もう一つ揚げパンを口にして歩き出す。
果物、肉、魚と食べてきたので、次の目標はデザートだ。
といっても、流石にそう簡単にデザートに使えるような珍しい食材が簡単に見つかるとも思えないので、フロッセの近くにある牧場に行って、そこにある材料を使って俺がエレナにデザートを振る舞うことにしたのだ。
俺は頭の中でお菓子のレシピをいくつか思いながら、口寂しくなってエレナに話しかける。
「ねえ、エレナ。そのお菓子、もう一個貰っていい?」
「……仕方ないのう。後一個だけじゃぞ」
「ええっ!? そりゃないだろ。半分とは言わないけど、三分の一ぐらいはいいだろ?」
「三分の一も!? ハルトは自分でも作れるからいいじゃろ」
「そうだけど……こういうのは意外と作らないんだよ。だからいいだろ?」
「嫌じゃ、これはワシがマリナから貰ったのじゃ」
「二人にだって言ってただろ」
「何じゃ……」
「何だよ……」
その後も俺たちは、マリナちゃんが丹精込めて作ってくれた揚げパンを巡って、ギャーギャー喚きながら歩いた。
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