第36話 ゆるりと休みながら

 ヒンメルさんとタラサさんは、ご飯を食べ終えると同時にまるで電池が切れたようにバタリと倒れ、そのまま盛大にいびきをかいて寝てしまった。


 考えてみればヒンメルさん夫婦は、船が難破してエレナに助けられてから夜通し移動して、そのまま休まずに俺たちに料理を振る舞ってくれたのだ。


 実はかなり前から無茶をしていたと思われるヒンメルさんたちが、お腹がいっぱいになったことで限界を迎え、そのまま意識を失うように寝てしまったのは無理もない話だった。



 爆睡するヒンメルさんたちを家まで運んだ俺たちは、今日のところは一家でゆっくり休むように言ってマリナちゃんたちと別れ、食後の休憩を取るために、本来取るはずだった宿に向かって部屋を取ったのだった。




 こんな朝早くから部屋を貸して欲しいと頼んだので、空いていたのは宿で一番高いスイートルームだけだったのだが、エレナは二つ返事でその部屋を取ってくれた。


「ふぅ……食った食った」

「流石にもう動けぬぞ」


 海が見える大きな窓の近くに置かれた大きなベッドに倒れ込んだ俺は、自分の腹を擦りながら大きく息を吐く。


「いや~、こんなに食べたのってどれぐらいだろ?」

「ワシもじゃ……ハルトの作る炙りカイナッツナ丼とやらが美味すぎて、腹がはち切れるかと思ったぞ」


 大人の姿に戻ったエレナも俺と同じように隣のベッドに寝転がると、仰向けのまま首だけ動かしてこちらを見て微笑む。


「ハルトの国の者が、あの丼に夢中になるのも納得だな。最初の一杯目を食べた時、ワシも我を忘れてしまうほどじゃったぞ」

「ハハッ、そんなに気に入ってくれたのなら、料理人冥利に尽きるよ」


 これで、地獄鍋に海水が入っていたことを見抜けなかった面目躍如に少しはなったかな?


 別に競い合っているわけでもないのだが、勝手にエレナに対抗心を燃やしていた俺は、安堵の溜息を吐いて大きく開いた窓から外の様子を確認する。



 港では今もカイナッツナの解体作業は続いており、今は五枚におろしたそれぞれの部位を、ミスラル銀の刃物を使ってさらに細かく切り分けているところだった。


 大トロを分けてもらった漁師にあれだけの肉をどうするのか聞いたところ、何と半分は今日明日の二日で食べてしまうということだった。


 今日は街のあらゆる場所でカイナッツナの料理が無料で振る舞われ、街の人は勿論、旅人や行商人、輸送船に乗ってやって来る船員や近隣の町々まで、あらゆる人におすそ分けとしてカイナッツナの料理を振る舞うという。


 そして残りの半分は、保存食へと加工したり、冷凍保存ができる魔法がかけられた倉庫にいざという時のために備蓄したりしておくという。



 この世界に冷凍保存できる倉庫があることも驚いたが、たったの二日で三百トン近くありそうな肉の半分を消化してしまうというのだから驚きである。



 今日はこのままもう一泊していく予定なので、この後の食事もひたすらカイナッツナが続くということだ。


「…………」


 こうなることがわかっていたら、カイナッツナ丼は後に回してもよかったかもしれないな。


 俺は自分の迂闊さを少しだけ恨めしく思いながら、今日はこれからどうしようかと考えていると、


「のう、ハルトよ……これからどうするのじゃ?」


 同じことを考えていたエレナが、ゆっくりと身を起こしてベッドの上であぐらをかきながら質問してくる。


「そろそろ次の目的地を決めようと思うのじゃが、何か食べたいものでもあるかの?」

「そうだな……」


 相変わらず満腹でも次に食べるもののことを考えられるエレナに感心しながら、俺は頭に思い浮かんだことをそのまま口にする。


「果物、肉、魚と来たからな。次に食べたいものとなると……野菜とか?」

「野菜か……」


 俺の希望を聞いたエレナは、腕を組んで考える姿勢を取る。


 銀の賢者と呼ばれるだけあってエレナの記憶力も相当なものであろうから、きっと彼女の頭の中では、高速で記憶を辿り、俺の希望を叶えるものは何かと探しているのだろう。



 形の良い眉をしかめてエレナは暫く考えに耽っていたのだが、


「…………何も思いつかんのぅ」


 まさかの一言を言った彼女は、ベッドに大の字になってこちらを見る。


「のう、ハルトよ。お主、野菜は好きか?」

「えっ、好きか嫌いかで聞かれたら、普通に好きだよ」

「肉や魚よりもか?」

「そう言われたらハッキリと言い切ることは難しいけど……エレナ、もしかして……」

「うむ、色々と思い返してみたが、強い思い入れのある野菜となるとな……わからぬ」

「まあ、そう……か」


 お手上げといった様子でベッドの上で大きな胸を揺らしながらジタバタするエレナを見て、俺は思わず目を逸らしながら確かに難しい質問であったと反省する。


 エレナのように食べる専門の人からすれば、料理そのものに興味を持つことはあっても、その中の食材……特に野菜にフォーカスして興味を持つのは中々ないだろう。



 次に何を食べに行くかは俺にとっても重要な問題であるので、身を起こして腕を組みながら何か妙案はないかと探る。


「う~ん、別にまた肉か魚でもいいんだけど……」


 せっかくだからまだ見たこともない食材か、エレナが喜んでくれるような料理を振る舞いたいと思う。



 あれこれと考えを巡らせながら、俺は少しでもヒントを探すために窓から身を乗り出し、頬杖をついて街の様子を確認する。


 俺たちが泊っている部屋は宿屋の三階で、他の建物より高い位置にあるのでここからだと街の様子がよくわかる。


 港で解体作業をしている漁師や、切ったカイナッツナの身をせっせと運ぶ人たち、貰った食材を手に早速調理に取り掛かっている奥様方や、早くも酒場の軒先でカイナッツナを摘まみながら出来上がっている男性陣……、



 お祭りもかくやといった賑やかな街の様子を眺めながら、俺は何か面白いものはないかと探る。


「ん?」


 そうして俺は、街の一角に何やら子供たちが集まっているのに気付く。


 一体何だろうと思って目を凝らすと、笑顔の子供たちが嬉しそうに何かを食べているのが見えた。


「あれは菓子屋じゃな」


 俺が何かに興味を持ったことに気付いたエレナがすぐ隣にやって来て、俺と同じように窓枠に体を預けながら気怠そうに話す。


「といっても、祝い事で食べるようなしっかりとした菓子ではない。菓子を作る工程で生まれたクズを集め、蜜などで味付けした安物の菓子じゃな」

「なるほど、駄菓子みたいなものか」

「駄菓子?」

「うん、意味合いは同じ、安価な材料を使って作るお菓子のことだよ。俺も子供の頃に、百円玉握りしめて、おばあちゃんがやってる駄菓子屋によく通ったな」


 趣は違うが、当時の俺もあの子供と同じような笑顔を浮かべていたんだろうなと思うと、微笑ましく思う。


「ああ、そうか……そう言うのも悪くないな」

「何か思いついたのかえ?」


 窓枠に体を預けているエレナは、キラキラと輝く銀色の髪をかき上げながらこちらを見る。


「どれ、何を思いついたのかワシに聞かせてくれぬか?」

「う、うん、実はね……」


 思わず見惚れてしまうような優しい微笑を浮かべているエレナに、俺は内心ドキドキしながら次に作りたい料理について話していった。

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